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幸せを感じたこと

 レグルス王子――「いずれ呼び捨てにしてほしい」と言われたから、今のところ「レグルス様」にしている――からのプロポーズを受けた後、私たちはしばらく、レグルス様の部屋でぽつぽつと会話を交わす。どれも、とりとめもない話題ばかりだ。


「……君さえよければ、父上と母上、それに兄上ご夫妻には婚約のことを伝えたいのですけれど」

 レグルス様はゆっくりと言った後、私の地味な茶色の髪を一房、指の間に挟んで弄ぶ。いつの間にか私は、レグルス様と膝が触れあいそうなほどの距離に、並んで座っていた。


「国民に知らせるのは、僕が王太子に就任してからになると思います。僕の結婚相手について心配なさっていた家族を安心させるという面でも、彼らには君のことを改めて紹介したいと思います」

「いいのですか? 忙しい時期なのに……」

「はい。めでたい知らせは今だからこそ、伝えておきたいのです。ああ、それから……君のご家族にも挨拶に伺わないといけませんね」

「私の家族ですか」

 うーん、と私は脳内にティリス男爵家の皆の顔を思い浮かべる。お母様は……まあ、いいだろう。それとなく相談はしていたし。お父様は……どうなんだろう? 「ティリスのすずらん」の今後のことをきちんとお伝えすれば大丈夫かな?


 あとはお兄様だな……お兄様もまさか、自分の妹が王太子妃――未来の王妃になるなんて、思ってもなかっただろうな。あ、面倒くさがりのお兄様のことだから、「人間関係が面倒になった!」と嘆くかも。ちゃんと説明しないといけないなぁ。

 男爵家の使用人たちはたぶん、祝福してくれるだろう。チェリーは言わずもがな。あと、ベアトリクスやカチュアには早めに知らせて、学院で親しかった人やユージン先輩たちにも手紙を送っておこう。いずれ、みんなの上に立つ人物になるわけだし。


「……これから、未来の王妃としての勉強もしないといけませんね」

 私は思いついたことを呟く。あれだ、地球で読んでいた小説では、下級身分だった娘が王家に嫁ぐときには、これでもかって程の淑女教育を叩き込まれていたものだ。ベアトリクスたちみたいな生粋の上流貴族ならともかく、私のような中途半端な立場だと、王宮の作法には到底渡り合えそうにない。

 淑女教育はスパルタだって言うよな……うう、耐えられるんだろうか。

 でも、私の危惧をよそにレグルス様はきょとんとして首を捻っている。


「うーん……それはそうですけど、アリシアはある程度の教養と作法は身に付いていますからね。そこまでハードではないと思います」

「でも、私の知識は男爵令嬢レベルなんですよ」

「基礎ができていれば十分です。アリシアは姿勢がいいし、本もよく読むようですからね。何だったら、本格的に王宮入りする前にベアトリクスやカチュアから、指導を受けるといいかもしれません」

 指導――あれか。「ティリスのすずらん」でカチュアがやっていた、鬼指導。

 いやいや、でも確かに侯爵令嬢と伯爵令嬢から教わることは多いはずだ。今までだって何度も、二人から教え諭されたこともあるからね。私と同い年なのに、二人の博識ぶりと天賦の才能には舌を巻くばかりだ。


「そうですね……それでは、いずれ二人にもお願いしてみようと思います」

「それがいいと思います」

 そう言って、私たちは見つめ合い、くすくす笑う。

 ああ、なんだかいいな、こういうのって。

 婚約者、っていうと堅苦しいイメージばかりだし、身近にいるベアトリクスなんかは、婚約者との仲は超最悪だ。


 でも、婚約者ってのはきっと、堅苦しいばかりじゃないんだ。こうやって、一緒に寄り添っていて楽しいと思えるなら、それでいいんだろう。何て言ったって、これから何十年も一緒に暮らす相手なんだから。

 ……あ、そうだ。フィリップ王子が本格的に追放されたら、ベアトリクスも王子との婚約を解消することになるよね。

 それをレグルス様に聞いてみると、彼は頷いた。


「そうですね。今も彼女らが婚約関係を続けているのは、フィリップ王子に圧力を掛けたいという目的があってこそです。だからベアトリクスもこの不毛な婚約関係を継続することを許しています。ですが、フィリップ王子が追放されたとなると、ベアトリクスも彼を婚約者にする必要はありません。二人の婚約はフィリップ王子有責として解消され、彼女も新しい婚約者を見つけるなりできるはずです」

「……ベアトリクスももう十七歳なんですよね。やっぱりその……遅い、のでしょうか?」

「十分間に合います。彼女はオルドレンジ侯爵家としての立場をよく理解しています。それに、彼女ほどの魅力と観察眼があれば、フィリップ王子よりずっとよい結婚相手を見つけることも可能でしょう」

 そうか、確かにベアトリクスは女性から見ても感心するような美貌を持っているし、賢いし、申し分ないよね。

 ……でも、レグルス様の口から「魅力がある」なんて聞くと、少しだけ……すこーしだけ、もやっとするような……。


「アリシア?」

「あ、いえ」

 いやいやいや、ベアトリクスに対して嫉妬するなんてとんでもない! ベアトリクスの才能はレグルス様も認めてるってことなんだから、大らかに行こう、うん!











 あっという間に日が傾き、レグルス様は衛兵に呼ばれた。この後、一旦王城に戻って夕食がてら陛下たちと式の打ち合わせをして、深夜までにはこっちに帰ってくるそうだ。陛下方はともかく、レグルス様は就任式まで、この離宮が拠点になるそうだ。

 レグルス様は陛下たちと会うんだけれど、残念ながら今回は私は同席できないそうだ。確かに、今回レグルス様が城に戻るのは式の打ち合わせのためだからね。やることは雑念を払って、きちんとやらないと。


「ただ……明後日、もう一度王城に戻ります。その時には……アリシアも一緒に連れて行きたい」

 衛兵から外出用の上着を受け取っていたレグルス様が、振り返り様に言う。その顔は、凪のように穏やかだった。

「その場には、もし体調がよろしければサイラス兄上ご夫妻もお呼びする。もし兄上が外出できないようだったら、僕たちが離宮に向かうことになるけれど……少なくとも、両陛下方にはご報告をしておきたい。それでいいですか、アリシア」

「はい、もちろんです」

 明後日に婚約報告、というレグルス様の意向に異論は一切ない。ただでさえ忙しい時期なんだから、ここまで工面してくださるレグルス様たちに感謝するばかりだ。

 レグルス様は身支度を調えて、去り際にはさっきみたいに跪いて私の手の甲にキスを落として、そして出ていかれた。一部始終を見ていたはずなのに、衛兵たちも侍女たちも何も言わずに自分の仕事に戻っている。プロ意識すごい。


 私はふわふわの足取りで、客室に向かう。あまりにも私の足取りが怪しいからか、衛兵が心配そうに数歩後ろを付いてきてくれている。

 婚約の件は、少なくとも私とレグルス様が陛下方にご挨拶に伺ってから皆に公表してほしい、と言われた。つまり、ベアトリクスたちにもお兄様たちにも、一番早くて伝えられるのは明後日の夜だ。

 ……うん、そうだ。まずは就任式のことを考えないと。私だって、賓客として招かれているんだ。いつまでもふわふわ気分じゃいけないよね。何て言ったって、私は未来の王妃だ。気持ちは引き締めていかないと。


 私はふーっと大きく深呼吸してから、廊下の途中で足を止める。後にいた衛兵も止まったから、振り返って彼に聞いてみる。


「確か、この廊下の先が大聖堂に繋がっているのですよね」

 衛兵は私がふわふわムードから脱却したことに驚いていたようだけど、すぐに答えてくれた。


「そうです。この渡り廊下を進むと、大聖堂の正面入り口がございます。王家の儀式を執り行うときのみ、大聖堂の鍵を離宮に運びます」

「普段、鍵は王城に保管しているのですね」

「左様でございます。今朝王城から運送され、現在も、鍵は厳重に別所にて保管しております」

 大聖堂で行う儀式ってのは、そう種類が多くない。だから、王家の年齢によっては何年も扉が開かれないこともあるし、逆に一年に何度も儀式が予定されて、その度に鍵が王城と離宮を行ったり来たりすることもあるそうだ。今回大聖堂が開かれるのもかなり久しぶりだけど、レグルス様の王太子就任式に続いて、私たちの婚約宣誓式、レグルス様の国王即位式があって、それから――私たちの結婚式が、いずれ行われる。だから、この先数年は頻繁に大聖堂の扉が開くだろうと予想されているそうだ。

 私と衛兵の先に伸びる廊下は、真っ白な大理石製の閉鎖廊下だ。ずっと先まで明かりは灯っているけど、人気はない。


「大聖堂付近は、警備も厳重なのですよね」

「はい。鍵は別所にあるとはいえ、ならず者が乱入することや大聖堂の付近を徘徊することも考えられます。警備は厳重に行いますが、とりわけアリシア様方がいらっしゃる客室付近と、この大聖堂付近は兵配置も徹底しております」

 レグルス様の王太子就任式に向けて、衛兵たちも頑張ってくれているんだね。本当にお勤めご苦労様、それからありがとうございます!

 私は衛兵に連れられて、客室に戻る。もう荷運びは終わっていて、一緒に来た女性三人がリビングでまったりくつろいでいた。お兄様はまだ、ご友人の所に行って解放されていないみたいだな。


「今はまだ、他の賓客の姿は見えないね」

 チェリーがお茶を淹れてくれるのを待つ間に感想を述べると、クッションにもたれ掛かっていたベアトリクスが鷹揚に頷く。


「わたくしたちも先ほど確認しましたが、今日到着するのはわたくしたちだけだったようです。何しろ、わたくしたちは王都で暮らす他の賓客と違って、地方から参りましたからね。早めに到着して、人影もまばらな間にゆっくり休めるようにとの、陛下方のご配慮だそうですわ」

 うーん、国王陛下たちには本当にいろんな面でサポートしていただいてるんだな。レグルス様への譲位に関して、陛下も思うことがたくさんおありみたいだけど、見る目は確かだ。私もしっかりしないと。


「レグルス殿下はお元気そうでしたか?」

 お茶を持ってきたチェリーがニコニコ言うけど……婚約のことは、教えられないね。


「元気そうだったよ。一旦王城に帰って、夜中前にはまた戻ってこられるそうなんだ」

「殿下もお忙しい身空ですからね。でも、健康そうなら何よりです」

 カチュアも頷いて言う。ここにいる三人は、きっと私とレグルス様の間柄について非常に気になっているところだろう。でも、私が言わないからか、追求しないでいてくれる。

 ありがとう、三人とも。お許しが出たら、ちゃんと発表するからね。









 夜前になってようやく、お兄様が解放されて戻ってきた。長時間拘束されてお兄様はヘロヘロだったけど、お話を聞くとどうやら、夕食までご一緒してもなかなか解放してくれそうにないから、「チェスで負けたら朝まで付き合ってやる」と賭けをして、見事お相手を打ち負かしてさっさと逃げてきたそうだ。お兄様、本当にチェスやカードゲームの冴え具合はすごいんだよね。私はさっぱりなのに。

 その後、四人でお茶をしてお兄様は衛兵と一緒に客室に戻っていった。お兄様だけ男性だから、私たちとは階が違うんだよね。といっても私の真下がお兄様で、私の両側がそれぞれベアトリクスとカチュア。チェリーは私と一緒に泊まるから、みんな部屋は近いんだけどね。

 夜中前までベアトリクスやカチュアと一緒にお喋りした後、彼女らも離宮の侍女に連れられて部屋に戻った。私もそろそろ、寝支度しようか……。


「……今日のお嬢様は、本当に輝いてらっしゃいますね」

 入浴後、チェリーに髪を拭いてもらっていると背後から楽しそうに言われた。


「……ああ、ご事情もおありでしょうから何もおっしゃらないでくださいな。でもですね、チェリーはお嬢様が幸せそうにされるのを見るだけで、本当に嬉しいのですよ」

 私はチェリーに言われた通り、何も言わずにチェリーの言葉に耳を傾ける。ふわふわのタオルで私の髪の水分を吸ってくれるチェリーの声は、優しい。


「ねえ、お嬢様。チェリーは、お嬢様に命を救われました。チェリーはその時から、お嬢様が幸せになられること……いずれ、お嬢様を心から愛してくれる殿方の所に嫁がれるのを、何よりも願っておりました」


 知っている。チェリーのことなら、何でも知っている。

 チェリーはもう、十年前の「あの」チェリーじゃない。


「だから、チェリーはとても幸せなのです。……お嬢様、これからもっともっと、幸せになってくださいね。お嬢様には、幸せになる権利があります。ベアトリクス様やカチュア様、ロイド様に男爵ご夫妻も、みんな望まれています」


 私の幸せは、皆に望まれた幸せ。

 私は目を閉じる。じわじわ、と瞼の裏が熱くなる。


 ――トラックにぶっ飛ばされたとき、私はまだ三十歳にもなってなかった。これからたくさん恋をして、いろんな経験をして、幸せになる。そう思ってる矢先だった。


 この世界に転生して、早十七年。前世では掴むことのできなかった未来が、もう目と鼻の先にある。


 私は、幸せ者だ。


 心からそう、思えた。

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