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想いを確かめ合ったこと

 私はこくっと紅茶を飲んで口内を潤して、レグルス王子に向き直った。


「……レグルス様が国王陛下の意思を尊重なさるなら、私はそれが正しいと思います」

「アリシア……」

「レグルス様だって、人間ですもの。それにレグルス様はこれから、たくさんの困難にぶつかります。その負担を少しでも減らしたいというのが陛下の親心なら……私は、その親心に甘えるのが親孝行だと思いますよ?」

 私の言葉は意外だったのだろう。レグルス王子はしばし瞠目した後、やれやれとばかりに苦笑して肩を落とす。


「……本当に、君は不思議だ。これほどまで、僕の胸をかき乱すなんて……」

「レグルス様……」

「……もうひとつだけ。父上から僕へのお願いがあったんですよ」

 レグルス王子の声の調子が、変わる。

 私は背筋を伸ばした。


「僕はこの半年、必死に勉学に努めた。王太子に、国王になるに相応しい器になれるように。これまでは、僕が王位を継ぐなんてこれっぽっちも考えていなかった。だから正直、手を抜いている箇所もありましたが……これからはそうもいかない。父上は、僕の努力を評価してくださいました。ただ、僕に足りないのは一つだけ――婚約者だと」

「……」

「僕は妾妃の子ですから、サイラス兄上やフィリップ王子のような決まった相手を持つことはありませんでした。期待もされていなかったんですね。でも、今になって僕が王太子になることになり、いざ僕の妃の座を巡って貴族たちが悶着を繰り広げています。その争いは、目には見えません。見えないところで、繰り広げられているのです」

 王子の言うことに、私は頷いた。これまで放置気味だった元モブの第三王子がいきなり、王太子になる。未婚の娘を持つ貴族は慌てて、王子の婚約者に娘を推してくることだろう。そして、邪魔になる者がいれば始末することだって考えられる。


 私は、数度息を吸った。

 女は度胸! アリシア・ティリス、人生十七年目! 前世を入れるともう四十年近くなるぞ! 独身のまま命を散らした前世の分も、今、踏ん張る!


「……レグルス様。そのことですが……お返事をさせてください」

「アリシア」

「私はこの半年、ずっと悩んでいました。レグルス様の隣に立つのに、私が相応しいのかどうか。加えて、王宮という場で私が生き残れるのかどうか……」

 でも、私だって伊達に半年間、パン屋をしてきたわけじゃない。

 「ティリスのすずらん」の店舗拡大。各諸侯との取引。従業員の雇用。博覧会での成功。

 これらが全て、今に繋がっている。今の私を鼓舞する、財産になっている。


「私は今や、グランディリア王国内でも屈指のパン屋を経営しています。『ティリスのすずらん』と懇意にすることが何を意味するのか、察していることでしょう」

 私がしたためた契約書は、既に最初のスクラップファイルでは収まりきらないくらいになっている。契約相手は、小規模であればそこらの農家だったり地方のマルシェだったり、最大規模はもちろん、オルドレンジ侯爵家。


 この世界の貴族社会で生き残るのには、財力や政治的手腕はもちろんだけど、それ以上にコネが物を言う。ティリス男爵家はちっぽけな端貴族だけど、その娘である私はオルドレンジ侯爵令嬢とレイル伯爵令嬢と懇意で、しかも二人と一緒に「ティリスのすずらん」を経営している。私を攻撃すれば、ベアトリクスやカチュアにも知らせが飛ぶ。そうすれば私を攻撃した者は、オルドレンジ家とレイル家をも、少なくとも敵に回すことになる。

 加えて、以前のロット・マクラインがそうだったように、「ティリスのすずらん」を敵に回すことは、ほぼ確実に財政を傾けることになる。「ティリスのすずらん」は大小様々な企業や領主と契約を結んでいる。どの貴族も商売人も、お得意様をどんどん辿っていけばいずれ「ティリスのすずらん」に辿り着く。「ティリスのすずらん」を攻撃すれば、巡り巡って実家の契約も打ち切られ、財政難に陥る――最近の例だと、メルティの実家アレンドラ侯爵家も、既に没落気味だという。それくらいまで、「ティリスのすずらん」は成長したんだ。

 


 有力貴族と懇意だというコネと、「ティリスのすずらん」のネームバリュー。そして、博覧会でも成功を勝ち取った私の実力。

 この三つが。私の武器。

 私は生き残る。生き残って、私のみならず、私を信じてくれる人、私を守ってくれる人をも全て守ってみせる。


「私はあなたの隣に立てるだけの力を、半年間で身につけてきました。この力は――必ずや、いずれ国王となられるあなたのためにも、役立ててみせます」

 私は言った。言い切った。ずっと胸の中でもっちゃもっちゃしてきた悩みは、全部吹っ飛ばした。


「ですから……レグルス様、今度こそ、あなたの言葉に返事をさせてください」

 ここからは、レグルス王子のターンだ。私だって、男の矜持を守らせるくらいの遠慮はある。

 レグルス王子は私の決心を受け取ってくれたようだ。彼はしばし目をつむった後、ゆっくり開いた。


 ――緑色の目が、私を射抜く。


「……ありがとう、アリシア」

「レグルス様……」

「こんな君だから……私は君に惚れてしまったんですね」

 そう言って笑うレグルス王子。私も、カチカチに固まっていた頬を、緩める。

 レグルス王子が、ソファから降りてその場に跪く。そして、私の右手を取ってそっと、手の甲に唇を落とした。


「……私、レグルス・ヴィー・グランディリアは王となり、アリシア・ティリスを妃に迎えたく存じる。アリシア・ティリスを守り、共に生き、グランディリアの栄光を築くことを、誓う」

 回りくどい口上を述べた後、レグルス王子は顔を上げる。


「……なんてのは、僕らしくないですね。それじゃ、僕とアリシアらしく、行きますか」

「は、はい」

「僕と結婚してください、アリシア」










 ――結婚してください、×××。

 ああ、これはずっと昔、ゲームの中で見たスチル。

 攻略キャラから一人を選び、そのルートを進めた主人公が迎える、ハッピーエンドで見ることができる一枚絵。


 その候補の中に、当然レグルス王子は入っていない。彼は名前だけのモブだったから。

 そして当然、その場面を迎えられるのは私じゃない。私は名前すらないモブだったから。


 モブだった私と、モブだった第三王子。

 ゲームでは決して交わることのなかった私たちが、今こうして、ゲームのハッピーエンドの場面を迎えている。


 ……ちなみにゲームでは、その時の主人公の台詞も選択肢から選べる。でも、私はヒロインじゃない。ヒロインじゃないアリシアだから、アリシアらしい返事をする。


「はい……あなたの側で一生、パンを焼かせてください……!」

 私を見上げるレグルス王子の目は、どこまでもきれいだった。









 妾妃の子として生まれ、周りから期待もされなかった第三王子。

 男爵家令嬢でありながら、地味でモブ中のモブだった私。

 私たちは、今、幸せだった。









 ――後になって、私は思う。

 私はレグルス王子のプロポーズにきちんと応え、確かな絆を繋いだからこそ、この直後に迎えた最後の戦いに耐えることができたんだと。








 この時の私は、まだ知らなかった。


 まだ、乙女ゲームはエンディングを迎えていなかったことを――

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