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まっすぐ、立ち向かうこと

 華やかな照明。談笑し、ひそひそ囁き合う人々。

 中央に据えられた円形のステージには、グランディリア王国中から集ったプレゼンテーターたちが、自慢の品々を披露し、説明し、聴衆たちの興味関心をその身に惹き付けている。


 ある者は自信満々に自らの特産品を紹介した後、聴衆からの鋭く、容赦のない指摘を受けてすごすごと引き下がり。ある者は、プレゼンテーションに一工夫入れ、最初は興味なさそうだった聴衆の関心をグッと惹き付け。ある者は、緊張のあまりろくに舌も回らず、聴衆の嘲笑と野次の中、転ぶように撤退し。


 ここは、グランディリアの商業界の未来を担う、苛烈で辛辣、そしてどこまでも正直な、品評会だった。

 聴衆たちは、ホールの入り口で配られたガイドを手に、ステージでプレゼンテーションを行う商人や貴族たちを、値踏みするように眺める。時に、自分の好奇心を擽る製品や、骨のありそうな商売人、自領の発展に繋がると思われる取引先を見つけると、素早くガイドにメモをする。会の終了後、相手を見つけて交渉を取り付けるためだ。


 全ては、己のため。そのために皆は、プレゼンテーターたちに容赦のない質問と疑問点、不可解な点をぶつける。

 それだけの力が、この場に集まった聴衆たちには、あった。









 今年度の博覧会におけるプレゼンテーションには、ひとつ、ガイドを手にした者たちの目を引く事項があった。

 それは、ガイドの「プレゼンテーター一覧」に記された名前の、一つ。名前の脇には性別と出身、身分、年齢が記載されている。


 「その人物」は、他のどのプレゼンテーターよりも若い。しかも、女性だ。女性の商人や商業界中枢を担う貴族はいても、彼女らがこのような品評会に打って出ることは、まずない。

 さらに、その女性は現在、商業界でその名を知らぬ者はいない、超有名な若手経営者だった。グランディリア王国辺境男爵領の娘で、去年の春に開店した「ティリスのすずらん」を、知人の侯爵令嬢と伯爵令嬢と共に切り盛りする、やり手の女店主。「ティリスのすずらん」と契約を結ぶことが現在、商業界での何よりも切り札になる。逆に、彼女らの怒りを買うと、社会から抹殺されたも同じになる。


 そんな、高名とも悪名とも言い難い評判で持ちきりの、新興のパン屋。斬新で美味、なおかつ安価なパンを売ることで有名な「ティリスのすずらん」がついに、博覧会に登場する。しかもプレゼンテーターは、十七歳の若き男爵令嬢。

 既に「ティリスのすずらん」と契約を結んでいる者は男爵令嬢の奮起に目を細め、「ティリスのすずらん」との親交を結ぶことを狙っている者は首を長くして、ステージに現れた小柄な少女の姿を見つめた。









 茶色の髪に、茶色の目。非常にありふれた髪と目の色に、それほど派手でも美人でもない顔立ち。ともすれば、そのままふわりと照明の明かりの中に消えていきそうにすら思われる、儚げで――悪く言えば頼りなさげな少女。

 だが――一度でも彼女の姿を見たことのある者は、こっそりと首を傾げた。どことなく、少女の雰囲気が違って見えたのだ。


 「ティリスのすずらん」で商談を結ぶときは、物腰は丁寧で知性は窺えるものの、及び腰でまだまだ頼りない、歩き始めたひよこのような娘だった。その見た目につけ込んで悪質な契約を結ぼうとし、ボディーガードのように裏に控えていた侯爵令嬢と伯爵令嬢に蹴り出された者もいたとか。

 茶髪の娘は、真っ直ぐ前を向いていた。身に纏うのは、男爵令嬢という身分では少々手に入りにくいだろう、見事なマリンブルーのドレス。漣のように襞を作るドレスと合わせているのか、彼女の髪も軽く結い上げ、緩いウェーブを描きながら背中に垂らしている。


 ドレスの意匠も見事なものだが、何よりも観客の目を引いたのは、その凛とした佇まい。辺境男爵の娘とは思えない強い眼差しに、軽く引き結んだ桃色の唇。背はそれほど高くないはずだが、ステージに向かって歩く彼女は、戦場に向かう戦乙女のように、そして王座に歩む女王のように、堂々としていた。

 男爵令嬢は、ステージの中央に立って一礼する。無駄な動きが一切ない、王宮の淑女がするお辞儀だ。


「エントリーナンバー十二、グランディリア王国ティリス男爵が娘、アリシア・ティリスでございます」

 少女の朗々としたアルトボイスは、拡声器もないというのに広々としたホールに響き渡った。










 私はお辞儀した体を起こし、まっすぐ聴衆たちを見回す。

 最初の感触は、悪くない。ぽかんとした顔の人もいるけれど、悪意は感じられなかった。


 夏の間、ベアトリクスとカチュアから仕込まれた礼儀作法。お辞儀の仕方や足の運び方、コーナーを曲がる際の腰の動きまで全て、叩き込んだ。

 ステージに据えられたテーブルには拡声器があるけれど、この世界は電池式の拡声器なんかないから、私の声が潰れてしまって逆効果になりかねない。ここは、カチュアのスパルタ鬼コーチトレーニングで鍛えた地声で勝負だ。

 ……「ティリスのすずらん」のホール係たちの苦労が、やっと分かったよ。


 スタッフが私の脇からステージに上がって、テーブルに私が注文した品を置いていく。彼が仕事を終えて、ステージ下の暗がりに消えてから私は口を開く。


「まずは、わたくしが昨年の春、立ち上げたパン屋『ティリスのすずらん』と、商売を始めることになったきっかけについて簡単にお話しいたします」

 プレゼンテーションのルールで、最初に事業を興したきっかけや経緯を語ることが定められている。いわば導入なんだけど、ここも気は抜けない。

 短すぎたら聴衆の中に疑問が残るし、長すぎたら退屈させてしまう。全員が理解でき、なおかつ「ちょっとお花畑なあの子」のことは伏せつつ、経緯を説明する。


 え? なんで「あの子」のエピソードを闇に葬るかって?

 こっちが萎えるからに決まってるでしょ!


「……というわけで学院祭においてわたくしが考案したパンを出品したことがきっかけでございます。その後わたくしは一身上の都合で学院を自主退学し、故郷でパン屋を立ち上げることにいたしました」

 かいつまんで、「余計なこと」は言わないで、開店に至るまでの経緯を述べる。……この場に学院関係者がいないことを、祈っている。


 さあ、ここからいよいよパンの説明だ。









 私は少し立ち位置をずらす。このわずかな動作でさえ、やり方によっては非常に妖艶に、優雅に見える。テーブルを回るときの足運びと腰の回転速度について、何度カチュアに注意されたことか。


 ふわり、と深海色のドレスが揺れる。王都の屋敷からチェリーに運んでもらった、レグルス王子から贈られたドレス。

 今この場に王子はいないけれど、これを着ていると側で優しく見守ってくれているような気持ちになれる。


「ご覧くださいませ。こちら、本日わたくしが朝一で焼き上げたパンでございます。また、スタッフが同じ製品をカートに載せて巡回いたしますので、見目と香りをご堪能ください」

 テーブルにはいくつものパンが入った籠を置いているけど、これじゃあ遠くの人は見えない。だから以前カチュアと相談したように、会場のスタッフにお願いして同じパンをカートに乗せ、聴衆たちの間を練り歩いてもらう。


 黒服のスタッフがカートを押して入場すると、ドアの近くにいた聴衆たちが一気にそちらに注意を向ける。……今話を再開させたら、聞き漏らす人が出る。

 スタッフがゆっくりとホールを歩くうちに、聴衆たちも落ち着いてくる。だいぶ静かになってから、私は唇を湿して続ける。


「わたくしは『ティリスのすずらん』を経営するに至り、次の三点を念頭に置いております。ひとつは、我が領民の雇用促進。次期男爵である兄も交え、厳選なる採用試験を行うことで優秀な人材を確保し、彼らに調理し、並びに接客業者としての心得について綿密な新人教育を行った上で店に立たせております。もちろん、一度雇用したからといってその後の教育を怠ることはございません。適宜わたくしどもの方で就業現場を観察し、その時その場に応じた指導を行っております」

 ふむ、とどこからか感心のため息が漏れる。こういった職場でのルールや規則は、この世界ではどっちかというと緩めだ。「とりあえずなんとかしろ!」ってな親方的教育がメインだった人にとっては特に、目から鱗だっただろう。


「次に、あらゆるニーズに応じたパンの制作です。……さて、こちらに二種類パンがございますが、皆様はどちらのパンを召し上がりたいと思われるでしょうか?」

 そう言ってテーブルの上のパン二つを手で示すと、会場を歩いていたスタッフも立ち止まり、同じパンを手で示す。通路の近くにいた聴衆は、身を乗り出すようにして二つのパンを見比べている。


 ひとつは、小麦色で真ん丸の、よくあるパン。小麦粉の他に、ちょっとだけ別の粉も入れている。ベーデルって言うんだけど、地球で言う玄米っぽい穀物だ。だから、少しだけい草っぽい匂いがする。

 もうひとつは、いわゆるデニッシュパン。四角形の箱形のデニッシュ生地の中に、絞り出した生クリームと卵黄たっぷりのカスタードクリームを敷き、その上に季節のフルーツをちりばめてアラザンのような砂糖粒で飾っている。


 さて、「どちらが食べたい?」とは聞いたけれど答えを知りたいんじゃない。聴衆の注意を惹き付ける一種の小道具だ。


「ご覧の通り、二つのパンは色も見た目も全く違いますね。実はこの二点は、対象となる売り手が全く違うのです。小麦色の方は、千切れば分かるのですが(ここで、スタッフが皆の目の前で千切ってくれた)、中まで生地が詰まっており、少しだけパサパサした食感が特徴です。味は、小麦とベーデルの風味が豊かで、バターの量は極力減らしております。こちらは、肉体労働を主軸とされる方に向けた、栄養と手軽さ、低価格に重きを置いたパンです。そのため、どうしても見た目は無骨になりがちですが、何よりも作りやすさと原価の安さ、手軽に食べられる点が売りです」

 そして、私はもう一つのデニッシュパンが入った籠を傾ける。


「一方こちらは、貴族の皆様のアフタヌーンティー用に考案しました、デニッシュパンでございます。女性の皆様でも口紅を気にせず食べられるよう、ナイフで切り分けやすい四角形に形を整えております。今は初秋ですので、クリームの上にはベリーを乗せておりますが、季節によってさまざまなフルーツを乗せることができます。こちらは制作に時間と費用がかかるものの、先ほどわたくしが申し上げました午後のお茶のお菓子にも、お持たせにもなります」

 このデニッシュ、作るのにかなり苦労したんだ。何せ、貴族の奥様が食べやすいようにしなきゃいけないから、大きすぎでもぶ厚すぎても、見た目が悪くてもダメ。


「……このように、安さと手軽さを求める方と、見た目と味を優先させる方、さまざまなお客様のニーズにお応えできるよう、幅広いパンを取りそろえております。もちろん、わたくしどもも日々、新たなるパンの制作に意欲的に取り組み、より多くのお客様にご愛顧いただけますよう、精進する所存でございます」


 ここまでは、基本編。

 私の本当の勝負は、三つ目だ。

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