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すずらんの誇りを胸に

「お父様、お母様……実は本日、もう一つお願いしたいことがあります」

 私はそう言って、傍らに置いていたバッグから紐綴じの資料を取り出した。両手で両親の方へ、差し出す。


「こちらの資料、ご覧になっていただけますか」

 お父様もお母様も、不思議そうな顔で私を見ている。ベアトリクスとカチュアには事前にこのことは伝えていたし、何も言ってないけどお兄様も感じ取るものがあったんだろう。静かに、資料を読む両親の様子を見ていた。


「これは……王都の、文化博覧会……?」

 お父様が呟く。


 王都の文化博覧会。それは、グランディリア王国内で商売に少しでも関する者であれば一度は聞いたことがあるだろう、商人たちの披露の場。

 たとえば、織物商だったら自慢の織物製品を抱えてエントリーする。この博覧会は、それぞれの商品を見せあいっこしたり売り買いしたりってのはもちろんだけど、一番の花形イベントは、商人や貴族による、特産品に関するプレゼンテーションだ。


 ホールに国中、場合によっては諸外国から商人や貴族が集まり、グランディリアで商売を営む者たちのプレゼンテーションを聞く。どこが売りなのだとか、利点とか、そういうのをプレゼンターは事前に準備して、大勢の聴衆相手に披露する。

 聴衆は、随時質問を挟んだり商品を手に取ってみたりと、なかなか活発に行動する。聴衆のほとんどは買い手だから、質問内容も厳しい。生半可な気持ちで挑めば、巧妙な文句に圧倒され、大勢の前で恥を掻いてしまう。でも、ここで見事プレゼンテーションを切り抜けたならばつまり、その実力が認められたということ。


 文化博覧会のプレゼンテーションは、難関ではあるけれど高みを目指す商人たちの目標の一つでもあるんだ。


 先日、カチュアがその資料を持ってきてくれた。どうやら、カチュアのお父様のレイル伯爵が取り寄せてくださったそうだ。

 エントリーするためには、王国内諸侯領に住む者であれば、領主の許可が。領主であれば国王の許可が。それぞれ必要だ。つまり、私がこの祭典にエントリーするためには、お父様の許可が必要なんだ。


「……つまり、おまえはこの博覧会にエントリーしたいのだな」

 要項を一通り読み終えたらしいお父様が、低い声で言う。うっ、この声は、あまりご機嫌がよろしくない証だ。

 私は居住まいを正し、頷いた。


「はい。私は現在、『ティリスのすずらん』店主として、主にティリス男爵領の発展に寄与すべく、邁進して参りました。ですが、私は今以上に、『ティリスのすずらん』を世に広め、国に貢献できるようにしたいのです。私は、今よりも力が必要なのです」

 そう、その力は、レグルス王子の隣に立てるための力。いずれ国王となるレグルス王子の伴侶となり、皆に認められるだけの力。その力は、男爵領に留まっているだけでは決して身に付かない。


「私に必要なのは、貴族の――私たちよりずっと高貴な方々とも渡り合え、そして彼らから認められるだけの力です。私は何としてでも、その力を勝ち取りたいのです。だから、博覧会に挑戦したいのです」

「……現状のままでは、満足できないということか?」

「不満足ではありません。不足しているのです」

 私は強く言う。気圧されたのか、お母様の目が見開かれている。そりゃそうだ。私はずっと、大人しくて自己主張しない子どもだったから。「ティリスのすずらん」を始めるときだって、ここまでガンガン行かなかったはずだ。

 お父様は資料を下ろして、じっと私を見つめてくる。私やお兄様と同じ、平凡そのものの顔で。


「……おまえの中に巣くうものは、一体何だ?」

「えっ……?」

「何が、おまえをそこまで焚き付けている? 現状のままでは不足だと、何がおまえに訴えかけている?」

 真摯なお父様の目。答えは、分かりきっている。

 でも、まだそれを言うことはできない。


「……まだ、お話しできません」

「アリシア」

「申し訳ありません、お父様。出店しただけでも私の我が儘ですのに、博覧会のエントリーまで押しつけてしまい。ですが、ティリス男爵家の恥には決してなりません」

「責めているのではない。……おまえは、力が必要なんだね」

 一応疑問系ではあるけど、お父様の声は確信を持った響きだ。本当に、お兄様もそうだけどお父様もなかなかあなどれない。

 私は観念して、ゆっくり頷く。


「……おっしゃる通りです」

「今のおまえは、昔よりずっと力を持っている。先日のマクライン家への処罰でも分かったことだろう」

「確かに力はあります。でも、これだけじゃだめなんです」

 今のままでは、だめ。


 今の世間での「ティリスのすずらん」は、「逆らうと酷い目に遭う」「家業が没落するから付き合う」という目で見られている。もしくは、「あそこに逆らうとオルドレンジ家やレイル家に攻撃される」って。

 でも、そんな力で私はレグルス王子の隣に立てるのか? 「王妃に逆らうと処罰される」と噂されるなんて、権力の暴走だ。私は、恐怖政治をしたいわけじゃない。そんな王妃になってレグルス王子を支えたいわけじゃない。


 お父様はしばし瞑目した。そしてゆっくり、唇を開く。


「アリシア……それにロイドも。よく聞きなさい」

 背筋を正した私たち兄妹を見て、お父様はゆっくり右手を持ち上げた。私たちに見えるように手の甲をこっちに向けている。


「……私の指に填る指輪。この紋章が何か、分かっているな」

 お父様の中指に填る指輪。私たちは揃って頷く。


「はい。ティリス男爵家の紋章、すずらんですね」

「そう。おまえたちも知っているように、すずらんは遥か昔、私たちの先祖が当時の国王陛下から賜った紋章だ。その、『紋章言葉』を今、教えよう」

 うん、この話は子どもの頃から何度も聞かされていた。


 私たちのご先祖様が爵位を賜ったとき、国王陛下から与えられた紋章は、小さなすずらんの花。同時に爵位を受けた他の貴族は、剣だったり鷲だったり、同じ花でも大輪の薔薇だったりと、派手なものが多かった。数ある紋章の中でも、ティリス男爵はすずらんを賜った。

 すずらんは、地味な花。花弁は俯いていて、とても小さな花。それが権力の小ささまで表していると、仲の悪い伯爵や侯爵たちに馬鹿にされたのだという。


 でも、国王陛下は爵位を授与する時、紋章と一緒に「紋章言葉」なるものも授ける。花言葉とか、宝石言葉みたいなものだね。「この言葉を胸に、精進したまえ」ってことらしい。

 ただし、私たち兄妹は紋章のことは知っていても、紋章言葉は教わっていなかった。基本的に、紋章言葉を聞けるのは子どもが大きくなり、爵位を継ぐに相応しくなったときだからだ。


 ……え? あ、それじゃあつまり……?

 隣にいるお兄様も息を呑んだ。そして、傍らで成り行きを見守っていたベアトリクスとカチュアが、静かに席を立つ。


「席を外しますね、男爵殿」

「……うむ、ありがたいことです」

 お父様は重々しく頷く。ベアトリクスとカチュアは私たちをちらっと見た後、チェリーに連れられて部屋を出ていった。仕方ない。紋章言葉は、直系とその配偶者――お母様だね――しか聞いてはならないから。


「……ティリス男爵が賜ったすずらんの紋章言葉、それは、『忠誠、慈愛』」

 まるで、日本にいた頃に読んだことがある、花言葉辞典の一節のようなフレーズ。


 忠誠と、慈愛。

 私とお兄様の体が、震える。


「忠誠は言わずもがな、王家への絶対的な服従。我がティリス男爵家の始祖は騎士であったが、実力は低かった。それでも彼は決して国王陛下からの信頼を裏切らず、よき家臣でいたという。戦火に見舞われた際、多くの家臣が王を裏切って逃走してもなお、下級騎士であった先祖は王の御許から離れなかったという」

 それが、忠誠。そして――


「慈愛――これが、おまえたちに一番必要なものだった」

 思い当たる節があるんだろう、お兄様が苦い顔をしている。……お兄様、前科でもあるの?


「祖先は、目下の者を決して蔑ろにはしなかった。そして同時に、目上の者に媚びることもなかった。彼が男爵になり、没落した元貴族たちよりも格上になった後も。彼は力を持ったとしても、それを行使したりはしなかった」

 そこで、お父様の顔が緩まる。


「……アリシア、おまえは今、ともすれば兄のロイドを上回る力を得ている。だが、力の意味を履き違えてはならん。強硬な手で民を導くことも、権力で脅しを掛けることも、してはならない。……おまえの覚悟が何であれ、おまえははからずも、そのことに気づいてくれたようだ」

「お父様……」

「おまえもだ、ロイド。おまえはひた隠しにしているようだが、その実力はそこらの貴族を凌駕するものだと私は思っている。だが、力に溺れてはならん。深い慈愛の心で、皆の信頼を勝ち取ってみせよ」

「……父上」

 私は何とも言えない気持ちで、お父様の言葉を聞いていた。


 お父様は、やっぱり分かっていた。私が今持っているものと、私にとって足りないもの。

 「ティリスに逆らうと没落する」で皆を脅迫するのではなく、「ティリスと友好関係を結びたい」と思わせること。


 ベアトリクスやカチュアの実家の権力を盾にするのではなく、私自身の力で渡り合っていくべきだということ。

 お父様は静かに、私を見つめてくる。


「……おまえならできると思うよ、アリシア。おまえはまだ弱い。だが、この博覧会に出たいと思えるのならば、まだまだ伸びしろはあるはずだ。……行ってきなさい、アリシア。ロイド、妹のサポートを頼む」

「! ありがとうございます、お父様!」

「父上……かしこまりました」

 胸の奥からぐっと熱いものがこみ上げてきて、私は乱暴に目元を拭う。お父様もお母様も、そんな私を優しい目で見つめてくれていた。

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