就任式に向けて話をしておいたこと
カチュアの読み通り、日を追うにつれ従業員は減っていき、最終的に残ったのは十六人だった。三分の一は消えていったことになるけど、まあいい。これくらいが一番回しやすい。
「では今日から、調理班は全員、お客向けの品物を作ってもらいます。ここからは、皆さんの作ったものの出来が『ティリスのすずらん』の評判と今後を左右することになります。心して掛かりましょう」
私は十六人を前にしてそう告げる。カチュアやベアトリクスのスパルタに耐え抜いた精鋭たちは、やっぱり眼差しが違う。最年少者は十五歳、最年長者は五十三歳と年齢の幅も大きい。でも、全員がこの数日間の訓練に耐え、調理係として、ホール係としての心構えと作法を身につけている。
朝日が昇る頃、私たちは早速「ティリスのすずらん」二号店で作業を始めた。最初のうちは、一号店を閉めてこっち専門で商売することにしている。いずれ軌道に乗ったら、一号店との両立を図っている。
「マイケル、エイミー、ジョナソンは計量担当。ドイルとセリエ、トーマスにカイザルはバーガーにする食材の準備。エリック、あなたはベティの指示で買い出し。アベル、ソニア、ウィリアムは計量されたものをすぐに生地に練り上げて」
私は調理班の名簿を手に、従業員に指示を飛ばす。いずれはこの調理班十一人でチームを組んで、チームごとにリーダーを立ててリーダーの指示で調理させようと思うけど、今は指示出しが私たちの仕事。
今頃ホールでは、カチュアの指示でホール班が店内の清掃、価格暗算練習、接客マナー、速記などの練習をしているはずだ。カチュアのスパルタに耐えた五人は、既に目つきが違った。なんだか、目つきまでカチュアに似てきた気がする。これはもう、パン屋と言うより軍隊だ、本当に。
「アリシア、最初のお客が入ったようですわ」
フロアの様子を見ていたベアトリクスが教えてくれる。今、フロアにあるパンは全て、私たち三人が作ったものだ。これを見本に、後の制作は基本的に全て、従業員に任せる。今は一時閉店しているけど、いずれ一号店の方も並立開店するんだ。そうなると、最悪私たち三人が一人もいなくても、店を回せるようにならないといけない。
「昼が近くなると総菜パンが売れていきます。まずは昼食用に向けて総菜パンの制作に取りかかりましょう」
私が指示を出すと、皆がマスクの向こうで「はい!」と返事する。うん、いい返事だ。
最初はもたもたしたけれど、昼を過ぎる頃には少しずつペースを掴めるようになった。
「クロワッサンがもうすぐ品切れですわ。アベル、クロワッサンの焼き上がりは?」
「はい! あと数分で焼き上がる予定です!」
「焼き上がったらあら熱を取ってすぐにフロアに運びなさい。それから、もうじきスイーツ系のパンが品切れになると思われますわ。アリシア、ジャムの在庫は?」
「オレンジは微妙。後のものはおおむね残っているよ」
「十分ですわ。ティータイム用のデニッシュに取りかかりなさい! エリック、すぐに馬車を一号店まで飛ばしてオレンジジャムの作り置きを取ってきなさい!」
「はい!」
私たちが指示を飛ばし、従業員たちがてきぱきと動き回る。最初の数日は訓練がしんどかったけど、あの日々を耐え抜いた猛者たちはやっぱり、気合いが違う。
夕方の閉店時間を迎えたときにはもう、従業員たちはクタクタだった。でもみんな満面の笑みで、カチュアがクッキーと紅茶を人数分準備すると笑顔で一服していた。
これなら、今後もうまくいきそうだな。
私たちは従業員たちと同じように椅子に座って、疲労の中にも充足感を握ってお茶を楽しんだ。
その日の夜、私はレグルス王子の王太子就任式のことを皆と相談するべく、ベアトリクスとカチュアを連れて男爵家の屋敷に戻った。従業員の数名はそれぞれの店舗の近くで暮らしているから、彼らに夜間のことは言付けておいた。店を空っぽにしなくていいから、少しは心配事も減るね。
「……というわけで私、レグルス様の王太子就任式に行くことになります」
応接間でテーブルを囲むのは、ティリス男爵家四人とベアトリクスにカチュア、それから給仕係としてチェリーだ。
私はテーブルに手紙を広げ、まずはお父様とお母様の許可を得る。
「ほら、ここに私の名前が指名されています。王城からの許可が下りたら、同伴者や使用人の同行も可だそうでして。さっきチェリーには相談したけれど、着付けのこともあるから少なくともチェリーは連れて行きたいのです」
「そうか……おまえがレグルス王子殿下に気に入られているのは意外ではあるが、私たちは特に止めないよ」
そう言ってお父様は悠然と笑う。「ティリスのすずらん」の売り上げも上々で、私が最初にお父様に持ちかけた男爵領の雇用の話もうまくいっているから、お父様はご機嫌だ。まあ、ご機嫌だろうからOKをもらえるだろうな、と打算的に考えているけどね。
「チェリーを連れて行くのも賛成だ。だが、おまえ一人では作法に困ることもあるだろう。ロイド、おまえも同行を願い出たらどうだ」
「そうですね、僕は構いませんよ」
「お兄様……」
何となくそうなるだろうな、とは思っていたけど、こうもあっさりお兄様が頷くとは。お兄様は私を見て、ぱちっとウインクを寄越した。
「おや、僕は基本面倒くさがり屋だけど、可愛い妹のためなら一肌脱ぐよ? それに僕もちょっとばかり興味はあるからね。許可が下りるといいなぁ」
「それから……先に店でも相談していたのですが、こちらにいるベアトリクスとカチュアも同伴したいのです」
私が言うと、お父様とお母様は少しだけ動揺したようだ。ひょっとしたら、二人も連れてきたことである程度予想はしていたのかもしれないけど、やっぱり侯爵令嬢と伯爵令嬢が男爵令嬢である自分の娘の「おまけ」になるというのは気が引けるんだろう。
「それは……不出来な娘を支えてくださるのは非常に有難いのですが……」
「そんなことありませんわ。わたくしたちは確かにアリシアが心配ですけど、アリシアがあちらで粗相をするとか、そういうことを危惧しているのではなくてよ」
ベアトリクスは口元を扇で隠し、滑らかに言う。
「わたくしもカチュアも、あなた方の娘御の友人ですから。ですが、アリシアはまだ公の場に慣れていないということで、わたくしたちがサポートしようと申し出ましたの」
「今回の賓客の主役はアリシアです。わたくしたちは、共として彼女を支えようと思います。どうか、アリシアをわたくしたちにお任せください」
ベアトリクスに続いてカチュアも流暢に言ったからか、お父様もお母様も何度も頭を下げて、「未熟な娘をお願いします」「変人な息子もお願いします」と逆にベアトリクスたちにお願いする形になっていた。変人な息子って……まあ、いいか。
……さて、それじゃあもう一つの用件に入りますか。




