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新人教育をしたこと

「お嬢様、お疲れ様です!」

 面接を終えて、男爵家使用人の皆やお兄様に丁重にお礼を言ってお見送りした後、私はどっかりとソファに沈み込んだ。ベアトリクスやカチュアは今日は接待メインだったから、「お疲れだろうからアリシアは休んでなさい」「わたくしたちが片づけをします」と気を遣ってくれた。


 私の前に冷たいジュースを置いたのは、チェリー。チェリーは「お嬢様たちのお体をマッサージします!」と言って聞かなくて、今晩から明日の朝まで私たちの世話をしてくれ、昼には王都に帰るそうだ。疲れた体にチェリーのマッサージは有難い。お風呂上がりに、私たち三人順番にチェリーのマッサージを受ける予定だ。

 チェリーはニコニコの笑顔で、お盆を胸に抱えている。


「手応えはどうでしたか?」

「ぼちぼちね……まあ、珍客が乱入してくることは想定内だったし」

 結局、兵士やベアトリクスたちを招集することになったのは合計三回だ。うち二回は相手が女性だったので、ベアトリクスやカチュア、チェリーがドナドナしてくれた。その後の彼女らの行く先を、私は知らない。


 三人とも書類を偽装した上で喧嘩を売りにやってきたアレンドラ侯爵家の使用人だった。侯爵家ぐるみで私たちを潰しに掛かってるんだな。その努力と根性だけは認めよう。

 チェリーはうきうきと紅茶をサーブしていたけれど、「あ」と小さな声を上げた。


「そういえば……お手紙を受け取っていますよ」

「手紙?」

「はい、その……レグルス王子殿下からです」


 かちゃん、と私が持っているカップが音を立てる。

 レグルス王子から……手紙。

 私の動揺が伝わったようで、チェリーが慌てて目の前で手を振る。


「あ、でもですね、私的なものじゃないみたいです。陛下のご署名もありましたし、王家の印璽もありました。つまり、どちらかというと陛下からの書簡という方が近いですね」

「陛下から!?」

「はい。いつもの郵便屋さんではなくて、王家の郵便係が昼前に来ました。まだお嬢様たちは面接中だったので、私が代理で受け取ってサインをしました。後日、王都へお嬢様の受け取り証明書を出してくださいね」

「了解よ」

 グランディリアでは、王家の親展書類などを代理人が受け取る場合は、本人の署名入りの受け取り証明書が必要なんだ。これを私が提出することで、「チェリーからちゃんと受け取りましたよ」という証明になる。


 チェリーは一旦奥に引っ込んで、間もなく小さな箱――お菓子が入っていた空き缶だ――を持ってきて、その中から分厚い手紙を取り出した。


「どうぞ、お嬢様」

「ありがとう」

 手紙を見てみると、確かにレグルス王子のフルネームと連名になるように国王陛下の名前も書かれている。その下にはグランディリア王家の印璽と、陛下とレグルス王子それぞれの印が押されている。ガチの公式書類だ。

 さて、何の用なのだろうか……?


 チェリーが持ってきてくれたペーパーナイフで開封し、これまた上質で分厚い便箋を取り出す。


「ん……ああ、そうか、もう準備が整ったのか……」

「お嬢様、中には何と?」

「レグルス王子の王太子就任式のご連絡だったよ」

 私は一通り読み終えてから、チェリーにそれを渡す。「部外者閲覧禁止」の項目がないから、身内には見せていいだろう。


「秋にレグルス王子の王太子就任式を行うそうなの。それで……私にも是非参列してほしいとのことよ」

「お嬢様にお誘い……あ、ひょっとして、それって……」

 分かった、と言いたげに目を瞬かせるチェリーに、私は冷静に頷きかける。

 レグルス王子は、未来の王妃になる可能性のある私を誘っている。そして国王陛下のサインもあることから、陛下からの許しも得ている。

 チェリーは迷うように目を彷徨わせた後、おずおずと聞いてきた。


「えっと……行かれるのですか、お嬢様。その、レグルス王子殿下のお返事について、悩まれていたようですが……」

「そうね、ちょっと前までは悶々としていたけど……」

 この前、ベアトリクスやカチュアに相談に乗ってもらって、だいぶ気持ちの整理は付いた。

 レグルス王子が私に求めてくれることと、彼が私のためにしてくれることは、分かった。そして、私自身の気持ちも――


 私は顔を上げ、まっすぐチェリーを見上げた。


「――この際に、レグルス王子に返事をするよ。もちろん……イエスの方で」

「わああ……! 感動です! よかった、お嬢様、決心が付いたのですね!」

「そうだね……まだ不安要素は多いけど、とにかく王子にちゃんと会って、しっかり話をして、その上で返事をしようと思うの」

「そうですよね! 手紙じゃ伝わらないこともありますし……ああ! 可愛いお嬢様が本当に、白馬に乗った王子様と一緒になるなんて! ああ、いけない。考えただけで動悸が……」

「う、うん。ちょっと落ち着こうね、チェリー……」

 胸に手を当てて苦しそうに喘ぐチェリーだけど、その顔は上気して至極嬉しそうだ。チェリーは私がレグルス王子と結ばれると知ると、誰よりも喜んでくれる。昔から、そうなんだ。

 私はチェリーが淹れてくれた紅茶を飲んで、さて、と気合いの声を上げた。

 後は、ベアトリクスとカチュアにも報告だ。









 十数日後、私たち三人は新店舗「ティリスのすずらん」二号店にいた。


「今日から皆さんは、『ティリスのすずらん』の店員です。本店は、私のアイディアをもとに経営を行っております。よって、他の店とは勝手が違うことも多いでしょうが、原則私たちの指示や考え、発想に従っていただきます」

 私たちはまだ品物を置いていないフロアに立っていた。私たちの前には、緊張の面持ちの人々、計二十三人。

 うち十数名はおろしたての調理服姿で、残りはこれまた新しい「ティリスのすずらん」の制服を着ている。この前行った試験を突破した、我が店舗の新しい従業員たちだ。


「皆さんの指導は私たち三人が行います。私、アリシア・ティリスが店長を務め、こちらにいるベティ、そしてケイトが副店長です。食材の調理方法や接客方法など、私たちの指示に従ってください。一通りの練習を耐え抜いた人を、正式に採用いたします。ここにいる二十六人で、『ティリスのすずらん』をより発展させていきましょう!」

 私が店長として開始宣言をすると、二十三人から拍手が上がった。この二十三人は才能はもちろん、人柄や性格、コミュニケーション能力も見ている。


 新人教育は、最初が肝心だ。まず、ホール担当はカチュアの指導の元、挨拶の練習から。私とベアトリクスで調理班を厨房に案内する道中も、「声が小さい!」「笑顔が足りない!」と鬼コーチの指導が飛んでいた。カチュア、可憐な見た目だけど体育会系なんだよな。


「こちらが厨房です。皆さんにはパン作りから指導いたします」

「すみません、店長。私は以前、別の町のパン屋で働いていたのですが、やはり製造方法なども一般のものとは違うのでしょうか」

 挙手してそう言ったのは、中年に差し掛かろうという年齢の男性。彼はティリス男爵領外から採用した人材で、ちょっと有名なパン屋のオーナーを務めていた。店は息子夫婦に譲って、パン屋の腕を使って再就職先を探していたところだそうだ。

 私は彼に頷き、ベアトリクスが持ってきたレシピブックをぱらぱらと開いた。


「だいぶ違います。今ここにいる皆さんの大半は調理軽食業経験者ということですが、残念ながらおそらく、今までの製造方法はここではほとんど活用できないと思ってください。みなさんにはマニュアル通りに製造していただき、私やベティが作る物と同基準になるまで訓練し、その上でフロアに並べたいと思います」

 そうして私とベティ指導の上で早速、調理実習を開始する。


 驚くべきことに、調理業経験者だというのにろくに手を洗わずに始めようとする人もちらほら見られた。この世界ではまだ、「手を洗う」の概念が浸透していないので、濡れタオルで手を拭くだけにしている人が結構いるんだ。


「まずは、石鹸を使って指の先まで洗います。もちろん、石鹸の泡は全て落としてから食材を触ってください」

 男爵家からおすそ分けされた石鹸、色は沼色で最悪だけど泡立ちもよくっていい品だ。今度お母様に、購入ルートを聞いて仕入れ先に検討してみようか。


 さて、全員にレシピの写しを渡して「必ずこの手順、分量で作るように」と何度も念を押した上で各自、作業をさせる。

 さすが経験者だけあって、手際はいい。初期の私たちはもっともたもたして時間も掛かっていた。その辺はさすがに経験者のスキルだな、うーん。

 ただ、やっぱり分量など、目分量で済ませてしまいそうになっている。重曹や粉の量は少しでも違うと、出来映えが変わってしまう。私たちが研究してきたんだから、まずはレシピ通りにしてほしい。


 レシピを見ながら生地を練り、濡れ布巾を掛けて寝かせている間に、「まかない」も兼ねたサイドディッシュを作ってもらう。もちろんこれも、私たちのレシピ通りにだ。


「あ、ちょっと! 野菜はちゃんと洗ってから切ってください!」

「お待ちになって! まな板は肉と野菜で分けてくださいませ!」

「沸騰してる沸騰してる! そういうときは火を弱くするんです!」

「まあ! レタスの軸はバーガーには挟めません! まかないのスープ用に除けてくださいまし!」

 私とベアトリクスは作業をする従業員の間を歩きながら適宜、指導を入れる。なんというか、手際は良いけれどどうしても、「慣れ」ってものがにじみ出てしまう。この世界の野菜は市場で売られているものも、あんまり泥や虫を落としていない。だから葉物は特に、一枚一枚千切って水で洗わないと虫さんがコンニチハすることになる。


 サイドディッシュができた頃には、パン生地もいい感じに膨らんできている。それを竈に入れ、火加減を調節。最新式の釜は小窓が付いていて、ここを開閉することで空気を送り込んで、簡単に火加減を調節できる。電子レンジやオーブンには勝てないけど、なかなかの文明の利器だ。

 焼き上がったパンは、いくつかは真っ黒に焦げていた。どう見ても、火が強すぎたんだね。包丁で試しに割ってみると、中は生っぽかった。典型的失敗作だ。


 うまく焼けたものに包丁で切れ目を入れ、さっき作っておいたサイドディッシュのものを挟む。そして、カチュアも呼んで三人で試食会だ。

 レシピ通りに作っても、微妙な加減や焼き方によって出来は違ってくる。私たち三人は何度もこの手で作っているから慣れているけど、初心者はそうもいかない。


「……これは皮が固いですね。こねすぎではないでしょうか?」

「このパンにはダマができてしまってますわ。生地を作るときにきちんと混ぜました?」

「これは焼き加減が足りません。あと、マスタードマヨネーズを作るときは量を加減しないと、これみたいに……辛くなります」

 といった風に、私たち三人でコメントし、調理者にアドバイスをする。

 とりあえず初回で私たちの及第点をもらえたのは、たったの三人。……うん、まあそんなものだよね。


「明日からまた、調理の練習をします。お店に出せそうなものができた人から順に、お客向けの品物を作ってもらいますので、今日私たちがアドバイスしたことをしっかりと復習しておいてください」

 そう最後に締めくくる。調理組もかなり疲弊した様子だったけど、フロア組はもっと疲労困憊だ。現に、私の話をうつらうつらしながら聞いている子も。カチュアの新人教育、相当のスパルタだったようだ。


「……明日には、いくらか出勤者が減っているかもしれませんね」

 従業員を見送っていると、カチュアが真顔で呟く。


「調理班はどうか分かりませんが、ホール係の半数くらいは、接客を舐めていたようです。何人かは、あからさまに嫌そうな顔をしていたので」

「カチュア、その新人の顔と名前は覚えていますの?」

「もちろんです」

「やる気のない者は除名してもいいのでは?」

 ベアトリクスが私に聞いてきた。私は最後の従業員の姿が見えなくなってから、ゆっくりと口を開く。


「……そうね。やる気のない人は早いうちから、退いてもらった方がいいかもしれないね」

 慣れていない、覚えられていない、手順が分からない、というのならどうにでもなる。ただ、カチュアが言ったようにこちらの方針に文句があるのなら、ご辞退願いたい。甘く優しく教育するという手もあるけれど、この世界ではそういった訓練方法はよしとされない。

 できない人には、指導を。やる気のない人は、ご退場を。


「……明日からまた頑張らないとね」

 私はうーん、と背伸びした。夕焼けが、目に眩しかった。

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