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友人に励まされ、考えを整理したこと

 計量や下ごしらえを終わらせ、冷やすべき食材は保冷室に移動させる。そろそろ気温も高くなってきたから、高いお金を使って購入した保冷室大活躍だ。冷蔵庫があればいいけど、無理だし。

 三人順番にお風呂に入って、髪を乾かす時間がてら寝る前のティータイム。今度のお茶係はベアトリクスだった。


「はい、どうぞ。……ではアリシア、わたくしたちにお話をしてくれるのですわね」

 音を立てずにベアトリクスがお茶をサーブする。私は湯気を上げるティーカップを受け取って、こっくり頷いた。


「その……胸の内にあるものを吐き出したいというか、とりとめもないというか、愚痴っぽくなるかもしれないけれど、聞いてくれる?」

「もちろんです。老廃物は外に出すのがよいと、アリシアも言っているではないですか」

 カチュアが頷く。老廃物云々は、お肌のことで前に話したんだっけ。

 ベアトリクスが茶菓子用のクッキーを持って席に着いてから、私は口を開いた。


「……二人にもその日に言ったけれど、私はレグルス王子からプロポーズをされた……たぶん」

「たぶん、ですの?」

「結婚してくれ、じゃなくて妃になってほしい、って言い方だったから……ま、まあレグルス王子はフィリップ王子を廃して自分が次期国王になるつもりだし、意味は同じなんだろうけど……とにかく。私は、どうしてもその場で答えることができなかったの」

「迷いがあったのですか?」

 優しく問うてくるカチュア。


「もし、アリシアがレグルス王子との結婚を茶さじ一杯分も望んでいなかったのなら、聡明なあなたはその場で断ることができたでしょう。レグルス王子も、あなたが拒否する権利を与えていたようですし。でも、それをせずにあなたは答えを躊躇ったのです」

「うん……」

 カチュアの言う通りだ。もし、私がレグルス王子と結婚したくないと思っていたなら――レグルス王子を好きでなかったのなら、即座に断っていたはずだ。もちろん、角が立たないように、「私には力不足です」とか何とか言い訳して。


 でも、断るつもりはなかった。それは、私も心の奥底で望んでいたから。

 第三王子、しかも妾妃の息子という微妙な立場で生を受けたレグルス王子。本来の乙女ゲームのシナリオ通りだったら、名前だけ登場して、しかも生徒会選挙でフィリップ王子に蹴落とされるという当て馬キャラだった。確かフィリップルートだった場合、第一王子サイラスの後援も受けてフィリップ王子が国王になってヒロインを妃に迎えたはずだ。


 ボロ布のように捨てられる運命しかなかったレグルス王子は、その波に逆らった。ひょっとしたら、シナリオを叩き潰す原因になったのはモブの私かもしれないけど、彼は学院で戦い抜いた。味方を増やし、皆を助け、そしてゲームの強制力から脱して生徒会員と次期国王候補という立場を手に入れた、努力の人。


 そんな彼に想われていると知って、私は――嬉しかった。次期国王としての才覚を持つような彼に想われ、必要とされ、そして彼もまた私を認め、私の仕事を尊重してくれる姿に、心惹かれた。

 後になって聞いたんだ。レグルス王子はベアトリクスと一緒に卒業式でメルティたちと対峙したとき、私たちの仕事を尊重してくれたんだって。汗にまみれて働く私たちを認めてくれたんだって。

 私はカップの水面に映る自分の顔をぼんやりと見つめる。うん、いつ見ても地味なモブ顔だ。


「……私、思ってしまうの。もし、レグルス王子が王子じゃなかったら、って。レグルス王子が王子だから、私たちは出会えたのだからおかしな仮定なんだけど。でも、王子じゃなかったら……私にもっと近い身分の方だったら、私はもっと早くプロポーズにイエスの返事をできたんだと思ってしまうの」

 なるほど、とベアトリクスが息を吐き出す。


「つまり、あなたはレグルス王子のことを好いていて、彼の想いに報いたいと思っている。でも、レグルス王子が王位を継ぐことはほぼ確定していて、彼と結婚すれば、あなたが次期王妃となることが不安なのですわね」

「だって……私はただの男爵令嬢なんだよ! ベアトリクスやカチュアみたいに、身分も高くないし美人でもない! 私が王妃になって……レグルス王子は本当に幸せになれるの? 夜会や交流会で彼の隣に私が立っていて、王子は恥を掻かないの!?」

 ベアトリクスは本来、フィリップ王子の婚約者だ。本人は王子にはもう愛想はないけど牽制のために婚約者関係を続けている。それはひとえに、ベアトリクス・オルドレンジという人間の威厳と手腕のたまものだろう。


 イラッとするけど、フィリップルートだった場合メルティが王妃になっていた。養女とはいえ、メルティは侯爵家令嬢。親バカがヒートアップしてオルドレンジ侯爵とレイル伯爵にしばかれたという父親だけれど、政界を左右するほどの力を持っている。メルティも、王子の妻に相応しい「身分」だ。中身は、知らん。


 それに比べて、私は?


 モブ子な私が王妃になって、彼の隣に立って、そして夜会では指をさされて――グランディリアの国王は妾妃を持つことが許されているから、いずれレグルス王子も私よりずっと美人な妾妃を寵愛して――そういう未来しか、思い浮かばない。

 ベアトリクスとカチュアは私をしばし黙って見つめていたけれど、やがてカチュアが細い眉を寄せた。


「……葛藤しているのですね、アリシア。あなたは自分の生家や身分のことをよく分かっている。分かりすぎているから、そうして悩むのですね」

「……あのポンポコリン娘を引き合いに出すのはアリシアに申し訳ないのですけれど、あなたはもう少し、王子を信じて無茶をしてもいいと思いますわ」

「無茶?」

「レグルス王子も、あなたを妃に迎えることによって生じる危惧は分かっているはずですわ。……ああ、あなたが失態をかますとか、そういうのではないのですわよ。男爵家出身という、王妃としては格別に身分の低いあなたは、権力欲に目が眩んだ貴族の標的になってしまう。レグルス王子の寵愛があなただけに注がれているとなると、あなたを廃して自分の娘を妃に据えようと企む者だって出てくるでしょう。……とすれば、王子は何が何でもあなたを守らなければならない。妃を守るのは、国王の務め。それくらいの覚悟をレグルス王子はしなければならない……もしくは、もう既に決意を固めているのですわよ」


 ベアトリクスの言うことは尤もすぎて、私は何も言い返せない。

 その通り、得体の知れない男爵家出身の妃なんて、自分の娘を国王に嫁がせたかった貴族にとっては、邪魔以外のなんでもない。最悪、刺客に私の命を狙わせることだってあるだろう。

 レグルス王子は、そういった魔の手からも私を守るつもりでいてくれるの? そんなことをすれば、王家と諸侯との仲がこじれるかもしれないのに――?

 ベアトリクスに続いて、カチュアも口を開く。


「なぜわたくしたちがこのことについてずっと黙っていたかですが……あなたの意思を尊重したいというのが第一です。それに加え、わたくしたちはレグルス王子なら、あなたのことを任せてもいいのではないかと思ったのです。柔な相手なら、わたくしたちが斬り捨てます。それをしなくてもいいだろうと、わたくしたちは判断したのです」

「レグルス王子なら、大丈夫って……?」

「そういうことですわ。レグルス王子に根性がないのなら、こんなこと許したりしませんわ。アリシアの将来を守ることに加え、グランディリアの今後を揺るがすことになりますもの。でも、王子はあのボケ――失礼、フィリップ王子を蹴落としてでも国王になる覚悟と、あなたを妃に迎えて一生守り抜く覚悟を、もう固めていると思いましたの」

 レグルス王子が覚悟した、ふたつのこと。


 メルティに骨抜きになって再びダメンズに堕ちてしまったフィリップ王子を廃し、自分が国王になること。

 そして私を王妃に迎え、あらゆる魔の手から私を守ってくれること。

 だから、私がすべきことは――


「……私を守ってくれるレグルス王子を、信じること」

 私の呟きに、ベアトリクスとカチュアは満足げに頷く。


「そういうことですわ」

「人が必要とする伴侶は、それこそ人によって違います。どんな人であれば自分の生涯のパートナーとなれるのか……基準は、違って当たり前です。そして、レグルス王子の求めるパートナーの像と、あなたが一致した。ここでアリシアも同じようにレグルス王子を求めているのならば、これ以上の幸せはありませんよ。……考えてみてください、アリシア。あなたがレグルス王子の妃となって、パンを焼く姿を」


 私たちの、幸せ――


 私は、目を閉じてみる。


 「ティリスのすずらん」二号店すら凌駕する、広い王城の厨房。

 エプロン姿の私が、竈の前に立ってわくわくとパンの焼き上がりを待っている。

 ようやっと焼けたパンをそっと竈から出すと、香ばしい匂いが厨房に満ちる。そしてその匂いに誘われたようにやってくる、立派な王様の正装姿のレグルス――王。

 私は笑顔で、皿に焼きたてのパンを載せる。レグルス王は、笑顔で私が焼いたパンを食べている。


「……その頃には、もう子どもが生まれているかもしれませんわよ?」


 うんうん、なるほど。……そして厨房のドアがまた開いて、小さな子どもたちがとてとてと走ってくる。私の平凡顔遺伝子を見事にスルーした、レグルス王のミニチュア版。


「子どもは、やっぱり男の子と女の子ですね」


 その通りだよ、カチュア。……レグルス王そっくりの男の子と、天使のように愛らしい女の子。私たちの子どもが駆け寄ってきて、パンをねだる。

 私たちは、家族で焼きたてのパンを頬張っている――って。


「なっ、何、注文を入れてるの!?」


 「わたしのかんがえた、さいこうのみらいよそうず」をぶっ飛ばして私は一気に現実世界に帰ってきた。そうだそうだ、ここは広い王城の厨房じゃなくて、狭い「ティリスのすずらん」一号店の厨房!

 ベアトリクスとカチュアはくくく、とナプキンに顔を押し当てて笑いを堪えている。や、やりやがった!


「あらあら……まんざらでもなさそうに空想していたのはアリシアじゃないですか」

「そうですわよ。空想中のアリシアったら、とろけそうに幸せそうな笑顔で……」

「言わないでーっ!」

 この二人、チェリーに何か吹き込まれたの!? いや、むしろ私がチェリーに感化されて乙女思考モードになってしまったの!? そういえば、昔流行った恋愛小説をチェリーにあげてから、チェリーは空想家になっちゃったんだっけ……。


「まあまあ。……その勢いですよ、アリシア。あなたはもっと貪欲になってください」

 笑い涙の浮かぶ目尻を拭って、カチュアが言った。テーブルに突っ伏して恥辱に耐えていた私は、顔を上げる。


「あなたは、厨房で家族のためにパンを焼く、最初の王妃になればいいのですよ。あなたという新しい王妃は、多くの民たちの心の支えになる……貴族に嫌われても、レグルス王子が守ってくれます。あなたは、労働の苦労と尊さを知る王妃として、民に慕われるのですよ」

「私が、民に……?」

「威張っているだけでは王妃は務まりません。食物を作る大切さを知り、食事を作る手を持ち、領民の雇用にも積極的になれるアリシア――そんなあなたがレグルス王子と共に作る新しいグランディリア王国を、わたくしは見てみたいです」

「そうですわね。そうなったなら、わたくしとカチュアは王妃アリシアの右腕として、バシバシ敵をなぎ倒しますわよ」

 そう言って不敵に笑うベアトリクス。うん、この二人なら本当に敵を千切っては投げていきかねない。


 私は体を起こした。ベアトリクスとカチュアは、笑顔で私を見つめている。


 ……王子は決意した。


 だったら今度は、私が決意する番だ。







「……そうそう、アリシア。耳寄りな話を手に入れたのですが」

「え?」

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