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着実に前進していること

 ――よーし、アリシア! 今日はお兄様が昔話をしてあげよう!

 ――この前の、フンコロガシとダンゴムシの冒険の続き?

 ――それは後で。今日は、数百年前の戦のことだ。

 ――いくさ?

 ――戦争のことだよ。……いいか? ずーっと昔、グランディリア王国はひどい戦争をしていた。家も町も何もかも、ボロボロになるくらいのむごい有様になった。

 ――つまり、みんな大変なことになっちゃったってこと?

 ――そういうことだ! 僕の妹は賢いな! ……それで、もう王国もお終いだ、と思った矢先、なんと! とある「すごい賢者様」が降臨したんだ!

 ――「すごいけんじゃさま」?

 ――そう。彼は誰も理解することのできない呪文を唱えて、荒んだ人々の心を鎮め、戦火を収め、焼け野原になった大地に木々を芽吹かせたと言われている。

 ――へえ、そんな人がいたんだ。

 ――そう。で、「すごい賢者様」は、もう二度とこんなことをしちゃいけないよ、と当時の国王陛下に注意して、遥か天界に戻っていったんだ。

 ――てんかいっていうのが、「すごいけんじゃさま」の家なの?

 ――そのように言われている。だからな、アリシア。このグランディリア王国が平和なのは、その「すごい賢者様」の魔法の言葉があったからなんだ。彼は僕たちとは全く違う頭脳を持っていて、その力で争いを収めたんだよ。

 ――へえ……じゃあ、私たちはもう、戦争とかを起こしちゃいけないのね。

 ――そうだ。「すごい賢者様」の言葉は強力だけど、完璧じゃない。僕たちが仲よく暮らすことが一番なんだよ。

 ――そっか……何だか難しそうだけど。

 ――そういうことだ。じゃあ、フンコロガシとダンゴムシの冒険の続きを行くぞ! フンコロガシ君はある日、ダンゴムシ君の背中にドロップキックをかましました――








 本日は快晴なり。

 私たち「ティリスのすずらん」従業員三人は、朝から馬車に揺られて小旅行に出ていた。

 小旅行といっても、これも立派な仕事の一環だ。昨日の夕方ごろ、とある仕事を任せていた業者から、「完成しましたよ」との連絡をもらったんだ。


 私たちは朝からお弁当を準備して、お店には「準備中」の札を掛けて、馬車で十数分程度の近場である男爵領の町に向かっていた。

 「ティリスのすずらん」の店舗を構えていた地方はのどかな田舎だったけど、こちらは少しだけ町中。赤煉瓦の町並みが愛らしい、貿易の中継地にも使われる商業地方都市だった。


「いよいよ完成ですわね」

 馬車に揺られるベアトリクスは昨日からご機嫌だ。体が揺れると、それと同じようにダイナミックな胸もゆさゆさ揺れている。


「わたくし、楽しみで実はよく寝られなかったのですわよ」

「まあ……ベアトリクス、はしゃいでいますね」

 そう言って笑うのは、カチュア。今日はさらりとした髪をひとつに結わえていて、ベアトリクスの隣で上品に微笑んでいる。


「あら……アリシア、あなたも寝られなかったのですか? 目が疲れていますよ」

「え?」

 カチュアに指摘されて初めて、私は自分が体調不良っぽく見えることを知った。


 目が疲れている……確かに、最近物思いをすることは多くなって、ぼんやりしてしまう。

 私の脳内を占めているのは、レグルス王子。王子からプロポーズ(なのかな?)されてから早二月。そろそろ夏の気配が見え始めた季節で、私たちも店での制服を長袖から八分袖に替えたところだ。


 二ヶ月前のあのプロポーズから、私はレグルス王子からの手紙をもらっていない。一応実家にも確認したけど、届いていないそうだ。

 手紙が来ないのは寂しいと言えばそうなんだけど、今はありがたい。レグルス王子も、私のことを思って遠慮してくれているんだろう。手紙は来ないけど、遠いところからレグルス王子が私を思ってくれてるのが、分かる気がする。


 ……えーっと、まさか二ヶ月も音信不通だから、王子、すっぱり私のことを忘れていたり……しないよね? もう既に別のお嬢さんにプロポーズしているとか……ないよね?

 早く返事をしなきゃいけないってのは、分かってる。新聞で知ったことだけど、とうとうフィリップ王子は王位継承権を正式に剥奪された。今はただの「王家の息子」で監禁状態だとか。もう彼が王位を継ぐ可能性は、ない。


 サイラス殿下はここしばらく離宮に籠もりっぱなしらしいし、とっくの昔に王位継承権を放棄している。だから、次期国王候補はレグルス王子だけ。世間も、妾妃の子どもで三兄弟の中では一番地味だったレグルス王子が王太子になるとは思っていなかったらしく、驚きを隠せないそうだ。


 秋には、レグルス王子の王太子就任式が行われる。無事に就任式が終われば、レグルス王子は正式に王太子になる。そうして、いずれ国王としてこのグランディリア王国を統治していくことになる。


 その時、王妃として彼の隣に立っているのは――誰?


 王子は、私を妃に望んでくれている。でも、しがない男爵令嬢の私が、王妃? 乙女ゲームではその他大勢で括られてしまうモブだった私が、ヒロインのようにお妃ルートを歩むというの? あ、もちろん相手は第二王子じゃなくて第三王子になったけど。


 ……私は、レグルス王子の手を取れるの?

 彼と肩を並べ、彼を支えられるような王妃になれるの?

 私は……彼のことが、好きなの……?


「……アリシア?」

 心配そうに顔を覗き込んでくるベアトリクスとカチュア。おっと、現実から離れていたようだな。

 私は苦く笑って、手を振る。


「ごめん、カチュアの言う通り寝不足なのかも」

「……もし悩み事があれば、わたくしたちに言ってくださいませ」

 神妙な顔でベアトリクスが言う。ベアトリクスもカチュアも、レグルス王子のことを知っている。知っていても、あの夜以降、突っ込んだりしてこない。

 ……本当に私、たくさんの人に気遣われているんだな……。









 馬車はすぐに目的地に着いた。

 私たちは御者の手を借りて馬車から降りる。ふわりと、初夏の風が私たちのワンピースの裾を持ち上げ、布地を大きく膨らませる。

 並んで草原に降り立った私たちは、目の前の建物を見て声を上げた。


「すごい……設計図通り!」

「二月でここまで作るなんて……さすがですわね」

「馬車留めも雨除けのルーフもあります。これで遠方からの客も雨の日も、困ることはありませんね」

 ベアトリクスとカチュアも興奮を隠せないようだ。私も、一時だけレグルス王子のことを忘れて目の前の建物に見入った。


 建物の大きさは日本の一軒家を二つくっつけた程度で、おしゃれな水色の屋根が付いた三階建てだ。ポーチの前にはちゃんと雨除けの庇があって、庭はまだ整備中だから何も植物が植えられていないけど、いずれここを花満開にする予定だ。

 建物の側面には、馬車を繋げられるようにいくつもの杭を立てている。その向こうには小振りの厩を数戸建てていて、馬も雨を凌げるようにしていた。


「ああ、アリシアお嬢様御一行ですね。ようこそいらっしゃいました」

 建物に見入る私たちに駆け寄ってきたのは、体格のいい中年男性。もともと西洋風の世界であるここの成人男性は、高ければ身長二メートルに達する人もいる。この人もそれくらいありそうだ。

 初夏だけど暑いのか、上はランニングシャツのような布の服一枚で、剥き出しの筋肉が眩しい。隣でカチュアが、「……美しい上腕二頭筋」と呟いている。角刈りにした頭にはねじったタオルをまいていて、笑うと真っ白な歯がきらりと輝いている。


 私は前に進み出て、筋肉おじさんに笑みを返す。

「こちらこそ。二月の間でこれほどまで立派なものを造っていただいて、感謝します」

「いやいや! お嬢様方のおかげで、我らがティリス男爵領は豊かになっているんです。本当ならば建設費をいただくのも憚られるくらいです」

「相当の労働をしていただいた方にお金を支払うのは当然のことです。……では、ベティとケイトも一緒に、見学に行ってもよろしいですか?」

 私の申し出に、おじさんは「もちろん! 若い衆に案内させます!」と言って、私たちを建物の方に連れて行ってくれた。








 可愛らしい三角屋根の三階建ての建物。

 これは、私たちが二月前に男爵領の土木業者に依頼した、「ティリスのすずらん」の新店舗だ。

 お金も貯まって、各領主とのパイプも繋げるようになって、私たちは本格的に新店舗の検討に入った。そうして、この中継都市の一角に二号店を作ることにした。


 「ティリスのすずらん」は非常に使い勝手がいいけれど、何せ狭くて収容人数が限られている。接客やパンの製造も、私たち三人では手が回らないことがある一方、これ以上従業員を入れることも不可能だった。

 そういうわけで、お兄様たちの協力も得て私たちはこの町に新店舗を設け、さらに従業員を増やすことにした。


 私たち、「ティリスのすずらん」創業時からいる三人を店長にして、二つの店舗を順に回っていく。基本的に、本店は一人、二号店は二人、のローテーションだ。二店の距離もそれほど離れていないから、何かあったらすぐに連絡を取り合える。

 土木工事には、ティリス男爵領の皆様を中心に雇った。いずれ雇うことになる店の従業員も、基本的に男爵領の人間だ。ティリス男爵領の繁栄も目標にあるから、地元の領民を積極的に採用していきたい。


 筋肉おじさんこと親方の怒号を受けて、若い作業員たちが集まってくる。彼らは私に挨拶した後、私の後ろに立っていた美女二人を見て硬直していた。ん、まあ、私は前々から彼らと話し合いしていたから、別にいいんだけど。それに、男爵家の令嬢だって彼らも知ってるし。ベアトリクスたちの正体、彼らはよく分かってないみたいだし。

 作業員たちに四方を囲まれて(汗の匂いがすると思ってるのか、少し間は空けてる)、私たちは新店舗見学ツアーを始めた。


「厩は今のところ、五つ設けてます。加えて、ケイト様のご要望を受けて中には藁を敷き、飼い葉も入れられるようにしております」


 木の匂いが漂う厩舎の前で、作業員が説明する。この厩、提案したのは私だけどそこに細かい注文を加えたのはカチュアだ。さすがカチュアは武術が得意なだけあり、馬術も優れていて馬に詳しい。買い物客が馬を繋ぐ際、馬が窮屈な思いをしないようにと厩の設計にも手を加えていた。もし馬が空腹で、客の帰宅時に予備の餌がないとなっても対応できるように、飼い葉はティッシュ箱型に固め、建物の裏にあるサイロに備蓄できるようにしていた。私たちも移動で馬車を使うから、サイロの設置は大賛成だった。


 続いて中へ。ドアを開けるとすぐに店舗で、横に長い設計になっている。店舗エリアは二つに区切っていて、片方はイートイン用の喫茶スペースだ。本店はどうしても狭くて、十分なイートインスペースが確保できなかったから、二号店を作るなら喫茶場所は確保! と思っていたんだ。今はまだ家具を置いていないからがらんとしている。いずれ、かわいいテーブルと椅子を買うんだ!


 販売スペースは、日本のパン屋と似たような感じ。本店は二方の壁をショーケースにしてパンを並べていたけど、こっちでは部屋の中央にも島を作って、パンを並べられるようにしている。これで、パンを置ける場所も増えた。おまけに客の通路がロの字型になるから、ぐるりと店内を回りやすくなった。


 カウンターや店内の装飾に拘ったのは、ベアトリクス。彼女はカウンターの中にも頭を突っ込んで中を観察し、「……いい出来ですわね。さすがですわ、あなたたち」と言って若い作業員を赤面させていた。


 お客が出入りできるのはここまで。カウンターの奥には厨房があって、ここでパンを製造する。竈も保冷庫も、本店とは比べものにならないくらい大きい。作業台も広いから、これなら十人くらい一度に作業できそうだ。竈も、最新型だ。お父様がどこかから取り寄せてきたとのことだ。

 その奥には従業員用の休憩部屋があって、従業員が出入りするのも、ここまで。奥には階段があって、その上は私たち三人の生活スペースだ。


 二階にリビングやシャワー室、ダイニングがあって三階がそれぞれの部屋だ。今まではベアトリクスやカチュアにも狭い場所で寝泊まりさせていたけど、ここなら一人一人十分な個室を確保できる。まだ中はベッド以外何もないけど、いずれ三者三様の部屋が完成するだろう。


「すばらしいですね。ちゃんと書斎もあります」

 カチュアが弾んだ声を上げる。まだ本も何もない本棚を見上げて、わくわくと辺りを見回している。カチュアは読書も好きとのことで、狭いけれど書斎も作ってもらったんだ。


「お嬢様方には本当に、感謝してもし足りないくらいです」

 そう言って、作業員のお兄さん――いや、ひょっとしたら私たちより年下かも――はそばかすの浮いた頬を緩めて笑う。


「お嬢様たちは、俺たち男爵領の者を想ってくださってます。今回だって、俺たちを雇ってくれて……それが何より、嬉しいんです」

「そんな、私はそんな立派なことは……」

「謙遜しないことですわ、アリシア」

 横からベアトリクスが言う。


「過ぎた謙遜は、相手のためにもなりませんわ……素直に厚意を受け取りなさいな」

「そ、そうだね。ありがとう、ベティ」

「どういたしまして」

 私に話しかけていた少年の方を向き直ると彼は、「ベティさんというのか……」と恍惚顔だ。もう、私のことはどうでもいいみたいだ。ちえっ。

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