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第三王子&オルドレンジ侯爵令嬢VS第二王子&アレンドラ侯爵令嬢

『フィリップ王子が皆の前で、メルティ・アレンドラにプロポーズしようとしています!』

 先ほどアリシアの侍女から報告を聞いた彼らの行動は、素早かった。


「ベアトリクス、君は私と一緒に来てくれ」

 レグルスはすぐさま、ベアトリクスに声を掛けた。そして、彼女が無表情で頷いたのを見届け、アリシアの方を向く。


 あまりのことに脳が追いつかないのか、アリシアはぴくりとも動かずにその場に立ち往生している。

 彼女は絶対、行かせてはならない。


 レグルスは彼女の両脇にいた侍女とカチュアを順に見る。

「カチュア、君はアリシアと侍女と共にアリシアを屋敷まで送り届けてくれ。この場がどうなったのかは、後ほど連絡する」

「かしこまりました、殿下」

 軍服姿も眩しいカチュアは騎士の礼を取り、硬直したままのアリシアの腕を取り、先に駆けだした侍女の後を追っていった。アリシアは引っぱられて我に返ったのか、真っ青な唇を震わせている。


「レグルス様!」

「待っていてくれ、アリシア!」

 レグルスはアリシアに向かって叫び、そして踵を返した。もうベアトリクスは先に走りだしているが、彼女が履くハイヒールが走行を邪魔している。あっという間にベアトリクスの隣に並べた。


 レグルスはベアトリクスの方を見ず、声を掛ける。

「……君の見解はどうだ、ベアトリクス」

「ふざけんなちくしょう、というのが気持ちですわ。後の展開は、全く読めません」

 艶やかな赤と黒のドレスの裾を手繰り寄せて走りつつ、ベアトリクスは苦々しく言う。


「だいたい……どういうことですの? フィリップ王子は王城に軟禁状態なのでは?」

「……彼が出るしかなかったんだ」

 皆まで言うのが憚られて、レグルスは言葉を濁す。だが、彼が言わんとすることが分からないほど、ベアトリクスは鈍くも、現在の王室の状況に疎くもなかった。


 ベアトリクスの赤い唇が歪む。

「……サイラス殿下はご参加になれなかったのですわね」

 王立学院の卒業式には必ず、王家の者が参列する。国王はもちろん、国王に年頃の息子がいる場合、次期王太子候補として参加するのだ。

 今回、第三王子のレグルスが卒業生のため、彼が来賓席に就くことはできない。となれば普通、第一王子のサイラスが向かう。


 だが――サイラスは最近、体調を崩しがちだった。第一王子が病気がちだというのは国民の多くが知っていることだったが、今の彼は卒業式に参加できないほど、弱っているのだ。


 となれば、出向くのは第二王子フィリップ。彼はさんざん学院でやらかして退学処分になった身だが、この半年間缶詰で再教育を施され、少しはましになった……というのが皆の見解だった。ロットもそうだったが、メルティから離れるとフィリップはかなり落ち着いてきたというのは、レグルスも聞いていた。


 まさか――と、レグルスとベアトリクスは人混みの前で足を止め、一瞬互いの顔を見合わせた。


 フィリップもロットも、メルティから離れたので我を取り戻した。


 では今、再びメルティの近くに来たフィリップは――?


 ベアトリクスはきゅっと唇を引き結び、豊かな胸を堂々と張って、大きく息を吸った。

「……お退きなさい! 道を開けなさい!」

 ベアトリクスの朗々とした声を間近で聞いた人たちは、何事かと振り返る。そしてそこに立っていた悪役顔の美女と、軍服姿の青年を見てぎょっとする。特に貴族たちは、この二人がベアトリクス・オルドレンジとレグルス王子だとすぐに気づいたようだ。彼らは訳が分からない者たちを押しのけ、慌てて二人のために道を開けた。


 二人は見物人たちが開けた道を急ぐ。ここに集った人たちは、先ほどレグルスの元に集まっていたファンたちの比ではない。卒業式に参加したほとんどの人が今、ここに集結しているようだ。


 やがて二人はドーナツの中心部分のように開けた場所に到達した。そしてその場面を目にし、呆れとも怒りとも判断の付かない感情に身を震わせる。

 人だかりの中央にはアリシアの侍女が言った通り、フィリップ王子とメルティがいた。フィリップ王子はレグルスと色違いの金色の軍服姿で、対するメルティは胸元がぱっくり開いたショッキングピンクのドレスだった。


 フィリップ王子はその場に片膝を突き、メルティの左手の甲にキスを落としている。そう、まるで女の子が大好きなおとぎ話の一シーンのように。


「メルティ」

 フィリップ王子が甘く囁く。彼の目には、自分のすぐ近くまで迫ってきたレグルスとベアトリクスの姿なんて、これっぽっちも入っていないようだ。


「私は、君を愛している。……君がいてくれるなら、あらゆる障害をはね除けることができる」

 そうして、彼は熱の籠もった眼差しでメルティを見上げる。

「……どうか、私の妃になってくれ。愛しいメルティ」

「フィリップ様……」

 メルティは口元を手で覆い、感嘆の声を上げている。

「嬉しい! 私、あな「はい、そこまでにしてくださいな」


 さくり、とフィリップとメルティの顔の間に差し込まれる黒い扇。最初は閉じていたそれがぱっと開かれ、あっという間に二人は遮断される。


 ベアトリクスはぽかんとする二人を見下ろし、はー、と大きな息を吐き出す。

「まさかここまでするとは思いませんでしたわ、フィリップ王子。あなた、いつわたくしとの婚約を白紙にしましたの?」

「……今になって王妃の座がほしくなったか、ベアトリクス!」

 低い、唸るようなフィリップ王子の声。彼は今になって、ベアトリクスの隣に立つレグルスに気づいたのだろう。がばっと立ち上がり、殺人的な目でレグルスを睨む。


「おまえは引っ込んでいろ、レグルス」

「この場を放置できるほど、私は無責任じゃありませんよ」

「黙れ! 何の理由があって、私たちの愛を邪魔する!?」

「理由はいくらでも思いつきますが、まず、フィリップ王子。あなたはここにいるベアトリクス・オルドレンジ嬢という人がいながらどうやって、メルティ・アレンドラ嬢を王妃にするのですか?」


 とりあえずレグルスは、一番の問題点を指摘する。周囲で固唾を飲んで成り行きを見守る人たちにも聞こえるように。


 ――ここに集う者たちは、「証人」だ。今からレグルス・ベアトリクス対フィリップ・メルティで繰り広げるやり取りの証人になってもらうのだ。


 だが証人は、必ずしもレグルスやベアトリクスの味方になるとは限らない。慎重に、この場の空気を掴まなければ。


「フィリップ王子、あなたは現時点で、ベアトリクス嬢との婚約を解消していません。となれば、順当に行けば妃となるのはベアトリクス嬢。よしんばあなたが国王となったとしても、ベアトリクス嬢が正妃となるはずですが」

 ベアトリクスが婚約解消しない理由は、レグルスも聞いていた。彼女は、そして彼女の父親は、フィリップが暴走しないために、二人の婚約関係を続けているのだ。メルティがフィリップの妃となるのは、ベアトリクスもオルドレンジ侯爵も、そして国王も望んでいないことだから。


 至極もっともなことを指摘したレグルスだが、フィリップはメルティを抱き寄せてベアトリクスが差し入れた扇を荒々しく払いのける。――宙を舞った扇は、地面に落ちる前にベアトリクスがキャッチしたが。

「ベアトリクスとの婚約なんて、とうの昔に解消されている」

「……あぁ?」

 ドスの効いた声を出すのは、ベアトリクス。フィリップは一瞬だけベアトリクスの不良じみた声に怯んだようだが、すぐに我を取り戻してベアトリクスに指を突き付ける。


「皆も聞くがいい! ベアトリクス……この女は、王子の婚約者としての務めを果たしていない!」

「それをあなたが言いますの?」

 ベアトリクスの呟きは、無視された。フィリップ王子は続ける。


「この女は学院を退学後、オルドレンジ侯爵家としての責務も私の婚約者としての責務も全て放り出し、田舎の男爵領で下働きなどをしていた! 皆も知っているだろうが、ティリス男爵領の『ティリスのすずらん』。この女は、その店で埃にまみれて下女のような生活を送ってきていた!」

 フィリップ王子の語る内容に、ベアトリクスの小鼻がひくりと動く。


「それはつまり、この女に下女の仕事をするしかない理由があったということだ。……王室の規定には、次のような項目がある。王族の婚約者は、常に王族関係者としての自覚を持ち、責務を果たさなければならない。これが守れない場合、婚約は解消する、と」

「つまり、わたくしが店を経営したことは、婚約解消の条件に当てはまると?」

「そういうことだ。私とて、泥仕事をした女を妃に据えるつもりはない。おまえより、このメルティの方がずっと妃の器がある」

 そう言ってフィリップ王子はメルティを抱き寄せ、メルティは甘えるような眼差しでフィリップ王子を見つめた後、きっと眦を吊り上げてベアトリクスを睨んだ。


「ベアトリクス様……どうか、これ以上フィリップ様を縛らないでください! あなたはフィリップ様を縛るばかりで、彼に何も与えてらっしゃいません! それどころか、自分の勝手な都合で婚約者としての責務を放棄するなんて……あんまりです!」

 そう叫ぶなり、メルティはわっとその場に泣き崩れてしまった。メルティの普段の姿を知っている者はともかく、何も知らない者が戸惑ったような目でベアトリクスを見ているのが分かった。


 レグルスは黙ってやり取りを眺めていた。必要がない限りは、ここはベアトリクスに任せた方がいいだろうと思っていた。


 だが――


「あの人がいけないのです! アリシア・ティリスさん……嘘つきで、人の真似しかできない、かわいそうなアリシアさん……ベアトリクス様は、あの人に誑かされて悪の道を進まれてしまったのです! 一般市民のような身分に身を落として、労働者に成り下がって!」


 藪から棒に出てきたアリシアの名前。それに反応したのはベアトリクスだけではない。


 ――ついでに言うと、ベアトリクスと、レグルスだけでもなかった。


「ティリスって……あれだろう? 新作のパンを売っている、男爵領の」

 どこからか、そんな声が聞こえてくる。


「そうそう。学院を退学した男爵令嬢が始めたっていう」

「女の子三人で経営しているとか」

「あちこちの領主と契約を結んでいるんだろう?」

「『ティリスのすずらん』って言ったら、うちのお得様じゃないか!」

「え? じゃあベアトリクス様は、『ティリスのすずらん』で働いて……?」

 レグルスはしばらく、群集の呟きに耳を貸していた。そして、ゆっくりと口を開く。


「……あなたたちは何も分かっていない。フィリップ王子、メルティ・アレンドラ」

「何!?」

「あなたたちは、『ティリスのすずらん』の店員として新しい道を歩き始めたベアトリクスを貶すことができるのか? 汗水垂らして労働する者たちを侮辱できる立場なのか? 侯爵家の令嬢としてではなく、一人の人間として商業界を回し、人のために働くことを学んだベアトリクスが貴族としての責務を放棄していると、言えるのか?」

 一気に吐き出したレグルスは続いて、メルティに視線を注ぐ。


「メルティ・アレンドラ。あなたはどこまでアリシアに罪を擦り付ける? 私は申し訳ないが、あなたの方こそ妃には相応しくないと判断する。己の身を守るために都合の悪いことは全てアリシアのせいにし、自分を哀れみ同情を誘い、あまつさえ王城での作法の一つも知らず、サイラス兄上ご夫妻にも無礼を働くような人間が、本当に王妃として務まると思っているのか?」

 レグルスの言葉に、ギャラリーはざわついた。第一王子夫妻にも無礼を働いた、というのは衝撃だったのだろう。機密事項になるのかもしれないが、ここでメルティたちを潰しておかないと後の方が厄介になる。


 ふいに、脇の方から怒声が上がった。見ると、棒立ちになる人たちを押しのけて猛然とやってくる、中年男性が。

「殿下! うちの娘に何という仕打ちを!」

「ご機嫌よう、アレンドラ侯爵。その後にいらっしゃるのは、ヨハン・アレンドラ殿ですね」

 レグルスは、大柄な侯爵に詰め寄られてもけろりとして挨拶をする。メルティの義父のアレンドラ侯爵は顔を怒りで真っ赤にし、その後のヨハン・アレンドラは真意の読めない表情で、じっとレグルスを見ている。


 ……感情的になっている侯爵はともかく、父親をそのまま若くしたようなヨハンの方が得体が知れない、とレグルスは思った。


「侯爵、それは何もこちらの一方的な非難ではないはず。あなたの娘も、オルドレンジ侯爵、ティリス男爵の令嬢、ならびにもう一人、『ティリスのすずらん』に勤めている令嬢を貶したことになりますが?」

「何を……!」

 いよいよレグルスに食って掛かろうとしたアレンドラ侯爵だが、彼とレグルスの間にさっと、二つの影が差し込まれた。


「……大人の会話は大人で致しましょう、アレンドラ侯爵」

「娘可愛さに暴走する気持ちは分からなくもないが、それは我々も同じ。愛娘を貶されて黙っていられるとでも?」

 レグルスの位置からは、彼らの背中しか見えない。だが、漆黒の髪と青銀髪のそれぞれの男性は、静かな怒りをアレンドラ侯爵に向けていた。

 徐に、青銀髪の髪の男性が振り向く。杏色の目を細め、彼は軽く会釈した。その横顔も、娘によく似ている。


 レグルスは彼に会釈を返し、フィリップ王子とメルティの方に向き直った。

「……あなた方の言葉は、人の上に立つ者の台詞とは思えない。あなた方に、王座は譲れない」

 意を決した、レグルスの言葉。固唾を飲んで見守っていた人々は、レグルスの言葉にはっと息を呑む。


 ――どういうこと?

 ――サイラス殿下はご病気だ。となると、次の国王は……?

 ざわつく観衆が、既に自分の味方でないと悟ったのだろう、フィリップ王子は顔を真っ赤にし、レグルスに噛みついた。


「貴様! さてはそこにいるベアトリクスを王妃に据えて父上の後を継ぎ、私を蹴落とすつもりだな!」

「私がわざわざ蹴落とさなくても、今のあなたなら勝手に転がり落ちていくでしょう」

 ツンと言い返すレグルスに続き、ベアトリクスもフンと鼻を鳴らした。

「それに……申し上げますけれど、わたくしとレグルス殿下は恋仲なぞではありませんのよ。レグルス王子には想う方が、そしてわたくしも気になる殿方がおりますので」

「え、そうなのか?」

 レグルスの呟きは、観衆の歓声にかき消されて、聞こえなかった。


 人々は、第三王子の宣誓を間近で聞けたことに感動したのか、フィリップとメルティのプロポーズ場面もなんのその、わいわいとはしゃぎだした。


 レグルスはやれやれ、とベアトリクスを見た後、顔を上げた。学院のホールの方からこちらへ歩み寄ってくる人物の姿が、先ほどから目に入っていた。


 護衛を連れて歩み寄ってくる人物は――国王だ。


 レグルスはフィリップに視線を向けた。そしていまだに自分を睨む異母兄弟を見、静かに息を吐き出した。


「……王座に興味はなかったけれど……あなたに譲るくらいなら、私が王になる」

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