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故郷で商売を始めたこと

 天候は、晴れ。まさに商売日和。


 私は店舗兼住居の窓を大きく開けた。すうっと鼻孔をくすぐるのは、爽やかな秋の風のにおい。窓の外に広がるのは、見慣れた小麦畑の風景。

 換気をすると、室内のこもったような空気が一新される。夜から朝にかけて閉まっていただけなのに。こんなに空気が澱んでいる。室内環境って大事だよ、本当に。


 換気ができたら、室内の準備。ささっと箒で床を掃いて、棚は雑巾でしっかり拭く。木製の棚はささくれが出ることがあるから、夜のうちに干しておいたクロスを掛ける。


「おはようございます、アリシア。今日もいい天気ですわね」


 長閑な田舎風景。こぢんまりとした田舎風の一軒家。せっせと掃除をする私。

 そんな風景に似つかわしくない、ゴージャスな声が響いてくる。


 私は振り返った。そして、古ぼけた階段を下りてきた二人組を見て、にこっと笑みを浮かべる。


「はい、おはようございます。ベティ、ケイト。パンはそろそろに焼けるくらいになりましたか」

「さっき見ましたけれど、いい感じに膨らんでいましたわ。わたくし、竈に入れてきますね」

「はい、お願いします」


 私は言い、掃除を続けた。


 ここは、グランディリア王国ティリス男爵領の片隅にある、小さな軽食屋。


 世界でも唯一だろう、貴族の令嬢三人が経営する喫茶店だった。








 私の名前は、アリシア・ティリス。グランディリア王国の隅っこ貴族の長女だ。


 私は権力欲のない両親と、面倒なことが嫌いな兄からの愛情を受けて、それなりに真っ直ぐに成長した。両親とも「次こそは子爵位を!」なーんて言う人間じゃないから、私はガッツリ令嬢教育を受けることもなく、のんびりと男爵領で育ち、そして十三歳からは王国の慣習に則り、王都の学院に入学した。


 学院に入学した私は、至って普通の地味子として生活していた。君子、危うきに近寄らず。出る杭は打たれる。だったら目立たずに堅実に生きていこう。というスタンスだ。


 十五歳のある日まで、私は自分の正体もこの世界の真実も知ることなく過ごしていた。


 異変が訪れたのは、あの日――私たちのクラスに編入生がやってきたときのことだ。


 担任の先生に紹介されて入室した少女。見事な金髪の、儚げな美少女。


 「メルティ・アレンドラ」という彼女の登場によって、私は全てを思いだした。


 ここは、私が前世でプレイしていたゲームの世界だと。


 若い女性向け乙女ゲーム「恋の花は可憐に咲く」の舞台であるグランディリア王国。主人公が王国内の有力侯爵の養子になり、王立学院に編入したことからストーリーは始まる。


 前世は日本っていう国の地味なOLだった私がお試しにプレイしたゲームの世界。私はその世界の、名前すら公表されない超モブとして転生していたのであった。


 前世の記憶が戻ったといっても、私はゲームストーリーに介入するつもりはさらさら無かった。その分、主人公であるメルティ・アレンドラの行動を観察しようと、メモ帳片手に彼女を追跡することにした。


 そして――回り回って、私は本来ならば悪役令嬢として学院追放、場合によっては惨殺される運命だった同級生二人と仲よくなった。その代わりに、私はなぜか事あることにメルティにつきまとわ――失礼、接触を受け、彼女の取り巻きと化した攻略対象キャラたちから言葉の集団リンチを受け、危うくメッタ刺しに殺されるところだった。


 そんな私を助けに来てくれたのは、悪役令嬢だったベアトリクス・オルドレンジとカチュア・レイル、そしてゲームには名前しか出てこない第三王子レグルス殿下だった。


 既に攻略キャラたちはメルティ以外アウトオブ眼中になってしまい、どーにもならないところまで腐ってしまっていた。しかも私は彼らに堂々と言い返し、反感を買って完全に敵対してしまった。このまま学院にいても身の置き場がないだけだし、私はさっさと自主退学して学院を去ることにした。……なぜか、同時に退学したベアトリクスとカチュアを連れて。









 私はまず、ティリス男爵領に戻って家族と話をした。既に手紙で自主退学の旨は伝えているし、お父様からも「いいよ」とのお返事をもらっている。

 脳天気なお父様といえど、あなどれない。我がティリス男爵家は代々の当主がのんびり屋だったから、何度も領地をぶんどられそうになったと聞いている。でもその度に領主が立ち上がり、静かに、でも確実に敵を返り討ちにしたというのが我が家の伝説だ。あのにこやかなお父様もかつて、隣接する伯爵家の脅威から我が領土を守り抜いたという。本気になると、我が家の家族はすごいんだ。


 さて、屋敷に戻って家族団らんしつつ、私は今後のことをお父様に伝えた。


「私は学院を自主退学した身です。社交界にすぐ戻ることは難しいでしょうし、かといって何もせず領地に引きこもるというのは私のプライドが許せません」

「では、アリシアは今後何をしたいんだい?」


 穏やかに聞いてくるお父様。私は、答えた。


「……商売を、させてください」








 私が道中考えたプランは、こうだ。


 私は前世の記憶を取り戻した際、一つ大変有益なスキルを思い出したのだ。


 それは、日本で教わった料理スキル。


 私は前の学院祭の出し物で、料理研究クラブの皆と一緒に新しい食べ物を開発した。グランディリア王国には、パンというものはあってもその中に何か挟むとか、生地に練り込むとかっていう発想がなかった。私は学院祭中でも食べやすい、菓子パンやサンドイッチを提案・開発して売り出したんだ。

 味見係や広告塔になってくれたベアトリクスとカチュアの助力もあり、パンの売れは上々。その後、例のメルティが私のレシピを譲ってくれという事件……もといイベントがあり、それが元で私はリンチ喰らう羽目になったけれども。


 我がティリス男爵領は昔から、小麦の生産が領内の収益の大半を占めている。内陸部で広いだけの土地だから、鉱石場やら漁港やらなんて存在しない。小麦を作ったらそれを売りに出す。それが主流なんだ。


 私はお父様に、こう提案した。


 我がティリス男爵領の小麦を今以上に有効に活用・販売するために、ティリス男爵令嬢経営の喫茶店を作らせてほしいと。


 お父様は領地拡大には無関心だけれど、領民の生活水準向上や特産品の販売については非常に熱心だ。小麦ができるのはシーズンが決まっているから、それ以外の時季は閑散期になってしまう。土地があまり肥えていないから、その他の作物が作りにくい所がネックだった。


 だから小麦を大量に収穫した後は、すぐに余所に売ってしまうんじゃなくて、小麦の有効活用方法を見出してみたらどうか。まずは軽食屋という形で私が試行を兼ねて小麦製品――主にパンだ――を領民に向けて販売する。それがうまくいけば、徐々に販売ルートの手を伸ばしていく。


 王都まで評判が届けば、こっちのものだ。「ティリス男爵領特産のパン」として売り出し、余所からの受注が入れば領民にも仕事を割り振れる。雇用の面でも効率的だ。


 こっちの世界には「地産地消」っていう言葉がないから説明には少し手間取ったけれど、概要を話すと、お父様は興味深げに頷いた。


「なるほど……確かに、これまでの小麦の使用用途は限られ、しかも領内では有効に活用できていないのが現実だ。それを、アリシアが思いついたメニューで売りに出そうということか」

「はい。加えて、近隣領の皆様とも提携ができれば、それぞれの特産品と絡めて新開発することも可能です」

「というのは?」

「例えば……そうですね。王国の東丘陵地帯を領土に持つオルドレンジ侯爵家。あそこは果樹に適した気候を持っており、王都にも出荷されるほどの高水準な果実を生産しています」


 オルドレンジ侯爵家とレイル伯爵家に関しては、ここに来るまでにベアトリクスやカチュアとも打ち合わせをしておいた。二人ともこの案に乗り気で、「それなら是非、わたくしたちの領土との提携を」と申し出てきた。その時、各自の特産品についても聞いておいたんだ。


「とすれば、オルドレンジ侯爵領産の果実とティリス男爵領産の小麦を使ってフルーツ入りの料理が作れます。他には……レイル伯爵領。あそこは織物で有名ですが、領土の北端には牧畜を主とした集落があります。チーズやバターも、欠かせない食材です」

「へえ……なかなかおもしろそうだけど、オルドレンジ侯爵家もレイル伯爵家も、そう簡単に頷いてくれるかな?」


 そう問うてきたのは、これまで黙って私の話を聞いていたお兄様。


 今のピアノの脇でゆったりと肘掛け椅子に座っていたお兄様は背もたれから体を起こして、とんとんと肘掛け部分を指の先で叩く。


「アリシア、あの侯爵家や伯爵家とのコネがあるのか?」

「……えーっと、実は説明していなかったけど、オルドレンジ家のベアトリクス様と、レイル家のカチュア様とは結構仲がよくって……」


 私はぽつぽつと、ベアトリクスやカチュアと親しくなった経緯を話す。加えて、その二人も私と一緒に自主退学している旨を伝えると、お父様とお母様は顔を見合わせ、お兄様はあはは、と笑いだした。


「なるほど、やるなアリシア! まさか名門オルドレンジ家とレイル家の令嬢を手懐けるとは!」

「手懐けるってわけじゃないけど……まあ、お二方も私と一緒に行動したいとおっしゃって」

「まさか、その二人も一緒に商売するのか?」

「……う、うーん……そうなる、かも」

「……ふむ、なかなかおもしろそうだな」


 お父様はにやり、と意味深げに笑う。おっ、この笑みは一年に一度見られるか見られないかという、お父様が領主の顔になったときの笑みだ。


 今、きっとお父様の頭の中ではパシンパシンそろばんが弾かれ、様々な計算が行われているんだろう。この世界にそろばん、ないけど。


「ティリス男爵領にて、男爵令嬢とオルドレンジ侯爵家令嬢とレイル伯爵家令嬢が経営する喫茶店……おもしろい。どうなるかは分からないが、試してみる価値はあるだろう」

「お父様……」

「アリシア。数ヶ月見ないだけだったが、おまえはどうやら昔よりも一皮も二皮も剥けたようだ。今までとは、目の輝きが違う」


 うん、まあ前世の記憶が戻ったからね。


「やってみなさい、アリシア。……だが、忘れてはならない。我がティリス男爵領は、利益ばかりを求めるのではない。……アリシア、続きは?」

「はい。ティリス男爵家は、領民のため、豊かな暮らしと豊かな領土、豊かな心を守るために在るべきだ」


 私は家訓をそらんじる。物心付いたときから両親に復唱させられた、我が家のモットーだ。


 利益を求めてはならない。一番に考えるのは、私たちのために働き、私たちを信じてくれる民を守り、彼らの生活を確保すること。


 私はこのことを念頭に置いていたから、さっき小麦の活用方法に加え、領民の雇用についても触れたんだ。こうなると、お父様は絶対に乗ってくるだろうと分かっていた。







 そういうわけで私はお父様から商売許可をもらい、王都に出した出店許可書の返事ももらってから勝負の地へ移動した。

 そこは、ティリス男爵領の隅っこにある長閑な小麦地帯の町。人口は数百人程度で、私も子どもの頃から行き来していた町だからほとんどの住人の顔が分かる。


 私はこの町の空き家を買い取り、そこを店舗風にデコレーションして店支度を整えた。


 そこからしばらくは店に籠もり、新作品の開発に努めた。

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