やっぱり問題を起こされたこと
卒業生の中で私が特別に話をしたいと思っていたのは、先輩とレグルス王子だけだ。
先輩の同級生らしい人がやってきたから、先輩とはもう一度握手を交わしてお別れして、私はレグルス王子の方へ行こうと思った、けれど……。
「……人混み、減ってないね?」
「むしろ増えていますね」
メルティを警戒しつつ元の場所に戻ったけれど、人混みは健在。むしろギャラリー、多くなってるし。
さてどうしようかと、私はチェリーと一緒に肩をすくめた。そこへ――
「アリシア!」
とん、と肩を叩かれた。振り返ると、凄まじいグラマラス美女がそこに。
「ベアトリクス!」
「やっと見つけましたわ」
ベアトリクスは艶やかに微笑んで、口元を鵞鳥の羽根の扇で慎ましく覆い隠した。その後ろから青銀髪が見え隠れしているのを見、私はチェリーに辺りの警備を頼んで彼女らの方に向かった。
「カチュアも! よかった、会えた!」
「まあ、そのドレスよく似合っていますよ」
そう言ってカチュアが笑う。笑うけど――
今日の彼女らは、当然「ティリスのすずらん」のエプロン姿ではない。
ベアトリクスは赤と黒のコントラストの激しい豪奢なドレスを着ていて、ウェーブの掛かった黒髪は塔のように結い上げて薔薇の花を模したティアラを飾っている。飾りは豪華だけど、ドレスは喉元までぴっちりと覆っていて、胸元をさらけ出したりなんかしない。黒のレースのグローブに、血のように真っ赤なカーディガン。派手ではあるけれど、肌を出すことはない。ベアトリクスらしい式典服だ。
一方のカチュアは――ああ、なんと! 軍服! 軍服の再来! 私のドレスよりも色素は薄いブルーの女性用軍服で、腰には模造剣も下げている。下ろせば腰まである青銀髪は首筋できちっと一つに結わえていて、もはや男装の麗人。すばらしい。カメラ、誰かカメラ持っていないかっ!!!
はっ、友人の美麗な姿に酔いしれて危うく危険な中年オヤジ化するところだった! いかんいかん。
「お、お二人のお父様方は?」
「向こうで待っておりますわ。レグルス王子に挨拶申し上げるそうですの」
「わたくしの父も、卒業を期に財務課に就職する卒業生と話をしております」
二人はそう答えた後、揃って人だかり――レグルス王子の取り巻きの方を見て、はああ、と息をついた。
「予想はしておりましたが……凄まじい人気ですわね」
「仕方ありません。フィリップ王子が退学した今、期待の星はレグルス王子でしょうからね」
期待の星……つまり、次期国王ってこと?
いや、まさか。フィリップ王子とレグルス王子には長兄のサイラス殿下がいらっしゃるんだ。それに何より、レグルス王子は王座に興味がなさそうだし……。
「それにしても、素敵なドレスですね、アリシア」
カチュアに声を掛けられ、私はきょとんとしてしまう。え、だって、どう見たってあなたの軍服の方が麗しいし。
「そ、そう? レグルス王子が贈ってくださったんだけど……」
「やはり王子ですのね。センスがありますわ。アリシアの魅力を存分に引き立てるデザインですもの」
ベアトリクスも「ちょっと失礼」と言って私のドレスのスカートを軽く摘み、その生地を指先で確認して、満足そうに微笑んだ。
「アリシア、レグルス王子にはまだ会えていませんのよね?」
「ええ……あの人だかりですし」
「でしたら、お父様にお願いして王子を連れ出してもらいましょう。人目のないところなら、アリシアも遠慮なく贈り物を渡せるしお礼も言えるでしょう」
そう言うベアトリクスの視線は、私の後にいるチェリーに注がれている。チェリーには、レグルス王子に贈る用のミニブーケも持ってもらっている。さっき先輩に渡したものよりも豪華で、チェリーの顔が半分隠れている。
ベアトリクスに提案されて、私は少しだけ言葉に詰まる。
「えっ……でも、ベアトリクスのお父様が?」
「父はあなたと交渉を結んでから上機嫌ですの。オルドレンジの果実入りのパンは美味しいと、先ほども褒められたばかりですし。お願いすれば、アリシアのために一肌脱いでくれますわ」
「お言葉に甘えましょう、アリシア」
カチュアも口添えしてくる。
……うん。確かに大勢の前でプレゼントを渡すのは難しそうだ。するなら、人気のないところでこっそり渡した方がいいだろう。
なんだか、バレンタインチョコを男子に渡そうとする小学生女子みたいだけど、これが一番安全だ。
「そうね。じゃあベアトリクス、お父様に――」
私の言葉の途中で、ふいに辺りに妙な沈黙が流れた。
卒業式に参加していた人たちは、不穏な空気を感じ取ったのか、ざわざわと小声で囁き合いつつ、そそくさと移動している。ん? どこへ?
「……何でしょうか」
カチュアが心配そうに呟く。私は素早く、後にいたチェリーに視線を送る。チェリーは頷き、身を低くしてさっと皆の流れに沿って駆けていった。チェリーのふわふわした髪は、すぐに雑踏の中へと消えていった。
あっという間に辺りは人も疎らになり、多くの人が別の方へ――ちょうどこの広場の中央辺りだ――に足を向けていた。私はチェリーが戻ってくるまでとその場に残り、ベアトリクスとカチュアも辺りに警戒の目を走らせながら、私の両脇を固めてくれている。
「アリシア」
低い声。あっ、とベアトリクスが声を上げる。
私は振り返る。そこにいたのは、カチュアとは意匠の違う、純白の軍服を纏ったレグルス王子だった。王子は小走りでこっちに来て、私の顔を見てほっと息をついたようだ。
「よかった、そこにいたのですね」
「は、はい。えっと、これは一体……?」
軍服キター! とか、お礼とか、ブーケとか、いろいろしたいことはあったけれど全て取っ払って、まずは全員が思っているだろうことを聞いてみる。ひょっとしたらレグルス王子は知っているんじゃないかと思って。
でも王子は眉間に皺を寄せ、人混みが移動した方をじっと見つめている。
「いや……よく分からない。私もさっきまでもみくちゃにされていたのだが、あっという間に皆、あちらの方に流れてしまって……」
「お嬢様!」
偵察に行かせていたチェリーが戻ってきた。その顔は……真っ白だ。
「チェリー、どうだったの?」
「いけません、お嬢様……すぐに撤退しましょう」
チェリーは私のドレスにぎゅっとしがみついて、怖々と人混みの方に視線をやる。
「その、とても嫌なことが起きようとしています……」
うっ、チェリーの言う「嫌なこと」って、限られているぞ。
それはおそらく……いや、間違いなく、メルティ関連だ。あの子、こんな大勢の前でまた何かしようとしているんだろうか。
私と同じことを王子たちも察したんだろう。皆を代表してレグルス王子がチェリーに問う。
「……君はアリシアの侍女ですね。一体何が?」
「レグルス様……」
チェリーは額に汗を光らせ、「それ」を告げた。
「お嬢様、馬車はこちらに待たせています!」
チェリーの先導で、私は可能な限り速く脚を動かしていた。美麗で愛らしいドレスと靴だけど、走ることには全く向いていない。その点、私の隣を急ぎ足で歩くカチュアはとても歩きやすそうだ。
「アリシア、あなたは今、とにかく身を隠すべきです」
カチュアは私の肩を抱いて、「あなたがここにいても、いいことにはなりません」と、冴え渡る氷のように凛とした声で告げる。
「事情はベアトリクスと殿下が教えてくださるでしょう……それまで、待ちましょう」
「……は、はい」
私は必死に脚を動かしていた。もし隣にカチュアがいてくれなかったら、途中で倒れていたかもしれない。
ひっくり返ったチェリーの声が頭の奥でこだまする。
『フィリップ王子が皆の前で、メルティ・アレンドラにプロポーズしようとしています!』
私はギッと唇を噛んだ。これから、一体どうなるんだ――?




