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それぞれの夢を語り合ったこと

 去年の晩秋、私はレグルス王子に連れられて王城に上がった。その際、王子から見事なブルーのドレスを贈られた。

 とてもデザインも気に入ったんだけど、あれは怒ったフィリップ王子に唾を吐きかけられて、おじゃんになってしまった。私は洗濯すればいいだろうと思ったけど、レグルス王子に却下された。それで、今度新しいのを仕立てて贈り直すって言ってたな。


 ……うん、王子すみません。すっかり忘れてました。


 だって、レグルス王子も手紙でそんなこと触れていなかったし、まさかサプライズで贈られるとは……。


 上機嫌のチェリーに連れられて、私は狭い衣装部屋に行く。家族四人分の夜会用衣装が全部収まってしまう衣装部屋の、ど真ん中。そこでは、落ち着いたコバルトブルーのドレスを纏ったトルソーが、静かに佇んで私を待っていた。


「ね、見事でしょう? お嬢様は派手なのがお嫌いですけど、これならお嬢様のお気に召しますよね」

 チェリーがうきうきと言うのを、私は呆然としたまま頷いた。


 生地は光沢のある絹製で、胸元はチューブトップ型になっている。スカートの布地を手繰り寄せ、腰の左側で手繰った布を留め、漣立つ海のように緩やかなドレープを描きながら足元まで垂れている。手繰った布の隙間には切り替えをしていて、ドレス生地より少しだけ濃い青色の下履きスカートが覗いている。海溝のある海を飛行機から見下ろしているような印象だ。


 うん、なんというか……。


「もろ私の好み……」

「でしょう!? もう、ほんっとうにお嬢様ったら! なんだかんだ言って、しっかりちゃっかり優良物件を捕まえちゃって!」

 へー、ほー、とあちこちの角度からドレスを観察していた私は、聞き逃せない言葉を耳にして、はたとチェリーの方を見た。チェリーも、私を見ている。


「……チェリー、今なんて?」

「ですから、『私に恋愛なんてまだまだ早ーい』とか言っていたお嬢様が、第三王子様をゲットしちゃってたなんて、チェリーは感激です!」

「いや……待って待って。ゲットなんてしていないから」

「え? でも殿下、こんな高価なドレスを贈ってこられたんでしょう?」

 う、まあ、そうなんだけど……。


「……そ、それはたぶん、去年の秋に王子と一緒にお城に行って、その時のドレスをダメにしちゃったから……」

「でも普通、何とも思っていない女性にドレスなんて贈りませんよ?」

 チェリーのもっともな指摘に、私は必死で半年前の記憶を掘り出す。えーっと、確か私もこういう質問を王子にしたよね。「着ていく機会はない」って。その時、王子はなんて言ったっけ……あぁ、忘れた!


「とにかく! 王子の方もきっと深い意味はないと思う! 以上! チェリー、卒業式本番の着付けは頼んだ!」

「了解です!」

 無理矢理に会話中断した私を、チェリーはさくっと受け入れてお辞儀をしてくれた。ひとまず、チェリーの追撃は避けられた。ほっ。









 卒業式当日。私はティリス男爵家の馬車に揺れられて学院へ向かっていた。思い返せば、私が学院の土を踏むのも一年以上ぶりになる。

 私は二年前の冬、自主退学した。そこからは、レグルス王子や料理研究クラブの皆からの手紙でしか学院の様子を知ることはできなかった。


 私は御者の手を借りて馬車から降り、ふーっと息をついて学院の尖塔を見上げた。


 戻ってきたんだな。


 本日は卒業式だから、門の周りは卒業生の家族や貴族、見送りに来た生徒なんかでごった返している。式典だからみんなパリッとした格好をしているけれど、多くの人は私のドレスを見て、驚いたように目を丸くして道を退けてくれた。レグルス王子が見立てたこのドレス、価値が分かる人は分かるようだ。

 ざっと辺りを見たけれど、ベアトリクスやカチュアはこの辺にはいないようだ。確か、招待されている貴族は別のよく見える場所で卒業式に参加するそうだから、この人混みの中では会えないか。


 私は今日、護衛兼使用人としてチェリーを連れている。チェリーはぽややんとした不思議ちゃんっぽいけど、これがまた喧嘩に強いんだ。今は私の隣で表情を引き締めているけれど、その気になれば素人の一人や二人、素手で昏倒させてしまう。チェリーがそこら辺の騎士より何よりずっと強いのは訳があるんだけどね。


「メルティ・アレンドラさんを見つけたら教えてね」

 私とメルティは、在学中に正面衝突しただけでなく、昨年秋の王城での食事会でも、非常に後味の悪い思いをした。彼女に近付くと何かしら面倒なことが起きるので、君子危うきに近寄らず、だ。

 こそっとチェリーに言うと、式典用の上質なお仕着せを着たチェリーは神妙な顔で頷く。


「金髪に緑の目の、ふわふわ系のお嬢さんですね。学年は四年生」

「ええ。……彼女との接触は何が何でも避けるから」

「かしこまりました、お嬢様」

 私は、面を伏せつつ、だがしかし前髪の隙間から辺りの様子を伺うことを忘れないチェリーを連れて校門をくぐった。懐かしさと、そこはかとない哀愁に胸が擽られる。


 卒業式といっても、前世の中学校や高校みたいに長い式典は行わない。さくっと卒業生を呼名して、証書を渡して、終わり。その後の交流会が長いんだよ、これが。


 式場は参加者でひしめき合っていて、とてもとても卒業生なんて見えない。呼名を聞く限り、今年の卒業生は十五人。学年ごとにまとまって呼名されるから、だいたいの年次は分かる。たぶん、私たちと同い年の四年生がレグルス王子、メルティを含めて五人、一つ下の三年生が七人、一つ上の五年生が三人だ。最低三年で卒業で、上限は無限大|(死ぬまで)と言ってもいいから、毎年卒業生の学年はまちまちなんだ。


 証書授与が終わると、卒業生が退場する。その姿も人に埋もれて見えないけど……卒業生が全員退場したら、後は交流会という名の、選別・プレゼント渡し大会。この凄まじさは、お兄様の卒業式で嫌と言うほど味わった。


「レグルス様! どうか最後に握手を!」

「レグルス様! こっち見て!」

「レグルス殿下ぁ!」


 ……うむ、王子の人気は凄まじい。卒業生たちの元に参列者がわっと寄っていくんだけど、レグルス王子の所は、そりゃあもう格別だ。デパートのバーゲンセールを越えるような人だかりで、王子の頭のてっぺんすら見えない。迂闊に近付いたら、ファンクラブ会員たちに吹っ飛ばされそうだ。


「……王子へのプレゼントは、後にしようか」

 私はチェリーにそう言う。チェリーには、今日渡す用のプレゼントを持ってもらっている。

 チェリーは頷いた後、そっと私の腕を引いて耳に口元を近づけた。


「……お嬢様の後方五歩ほど先に、メルティ・アレンドラがおります」

 チェリーの報告に、私はごくっと唾を呑む。後方五歩っていったら、振り返れば顔が見えてしまう距離だ。


 私は頭部を動かすことなく、チェリーに尋ねる。


「……相手は、一人?」

「いえ、おそらくご両親と兄君が一緒です。あちらはこちらには気づいていないようです」

「移動するわ」

 私はチェリーを連れ、そっとその場を離れた。気づかれないように、ばれないように、ドレスのスカートを手繰り寄せて、人混みの中に突っ込んでいく。


 どれほど歩いただろうか。チェリーが後ろを振り返り、頷いた。


「……かなり遠のきました。向こうも、知り合いを見つけたのか逆の方向に行きました」

「そうか……ありがとう、チェリー――」

「アリシア!?」

 聞き慣れた声。私ははっと顔を上げた。


 深いグリーンの清楚なドレス。布地は一級品とは言い難いけれど、卒業生らしい落ち着いた色合いの一張羅を着てこっちを見つめる、女子生徒。


 ふわっと、私の胸が温かくなる。


「先輩!」

「アリシア、アリシアなのね!」

 私はすぐさま駆けだした。ヒールのかかとが床に引っかかりそうになりながら大股で進み、女子生徒が差し出した両手をがしっと握る。


「ユージン先輩! ご卒業おめでとうございます!」

「アリシア……ありがとう!」

 そう言って先輩はにこにこと満面の笑みを浮かべた。


 メイ・ユージン。料理研究クラブの先輩で、元リーダー。生徒会員としても活躍した、私の自慢の先輩。


 彼女がいてくれたからこそ、私は二年前の学院祭での出店で成功を収めることができたんだ。彼女の存在は、ひいては、今私が店を経営できたことにも繋がる。


「アリシア、本当に来てくれたのね」

「もちろんです! 先輩は私の憧れの人なんですから!」

 私は後から追いついてきたチェリーからミニブーケを受け取って、先輩に渡した。先輩は一般市民だから、式に使用人を連れてきたりできない。だから、巨大な花束なんかは持ち運びが不便になる。二日前にチェリーと相談して、片手で持てて、でも高品質なミニブーケを贈ることにしたんだ。


「手紙でも書きましたけど……先輩たちのおかげで、私は食の道に進むことができたんです」

「私のおかげなんて、恐れ多いわ。私もこれから、あなたを追いかけて精進するつもりだから」

「え? じゃあ、先輩……」

 先輩はうふふ、と愛らしく笑って私が差し出したブーケを大切そうに受け取った。


「私、王城の料理人を目指すことにしたの。まずは下積みだろうけど、面談に行ったらなかなかいい返事をもらえたわ。アリシアがいなくなってから、私も……私たちクラブメンバーも、たくさんの料理を開発してきたの。アリシアほどの味にはならないだろうけど、いつか私の料理を王家の方々にも召し上がっていただくのよ」

 先輩の語る夢に、私の胸が熱くなる。


「先輩……すばらしい夢です!」

「ありがとう! アリシアは退学してからも、レシピのことで世話になったわね」

 ……うん、去年の秋の王宮ガチンコ勝負のことだね。


「あれで私たちも廃部を免れたの。本当に……ありがとう」

「先輩にそう言っていただけで幸せです」

 私たちは、しっかりと握手を交わした。


 私はこれから、「ティリスのすずらん」を拡大させていく。


 先輩は、宮廷料理人の道を歩いていく。


 私たちの夢は、形は少しだけ異なるけれど同じ方向を向いていた。

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