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かつての級友の話を聞いたこと

 ロット・マクライン。「恋の花は可憐に咲く」の攻略対象の一人で、お調子者のわんこキャラ。ヒロインと同じクラスで、平民の商家出身だけど明るくて皆を楽しませる、ムードメーカー的存在。

 彼は二年前、他の攻略キャラと同じようにメルティ・アレンドラに心を奪われた。そこまでは、よかった。ゲームのシナリオでも、ロットはメルティに惹かれる設定になっていたから。


 でも、彼もまた暴走してしまった。私に直接的な被害は与えなかったけれど、メルティを虐めたということで私は断罪イベントを受けることになった。その場にロットもいて、私を詰ってきた。


 彼はだんだん学院での居場所をなくして、去年のうちに自主退学した。その後は故郷に戻って商業の勉強をしている、というところまではレグルス王子の報告から知っていた。多分、メルティという強力な支配から距離を取ったらゲームの支配からも逃れることになって、我に返ったんだろう。彼は他のある二名と違って凶器をちらつかせたりしなかったから、更正できるんならそれでいいか、くらいにしか思っていなかった。


 ゆっくりと、男性が顔を上げる。その顔は、ああ、まさに。学院で共に学び、そしてゲームのスチルではきらきらの笑顔を惜しみなく振りまいていた、あのロット・マクラインだ。


 今の彼は、学院にいた頃のようなぱりっとした制服姿じゃない。男爵領の一般市民でも、もっとまともなものを来てるんじゃないかってくらい貧相な麻製の服で、それもあちこち解れている。茶色の髪はボサボサで、緑の目には輝きが一切残っていない。……この格好で店に入ったのか。う、うーん……。


 私は、じっとロットを見ていた。傍らにいたカチュアが、警戒するようにモップを握りしめ、ベアトリクスは針のように鋭い眼差しでロットを睨んでいる。ロットが少しでも妙な行動を取ったら、すかさずカチュアのモップとベアトリクスの蹴りが飛ぶことになるだろう。


 私は唇を湿し、ゆっくりと口を開いた。


「……久しぶりですね、ロット・マクライン。私に、何かご用ですか」

 まずは、状況確認。ロットは今になって、何をしに来たんだ。


 ロットは驚いたように顔を上げて、私を見上げる。……私が話しかけたこと、そんなに意外だったのかな。

「……久しぶり、です。その、アリシア・ティリスさん……」

 声はガラガラにひび割れている。二年前の彼は、アニメに出てくる少年主人公のように明るい声だったのに。


「俺は……その、あなたに謝罪をしようと参りました」

「はっ……謝罪?」

 そう漏らしたのは、ベアトリクス。彼女は紅を乗せずとも真っ赤な唇を歪めて、ロットを蔑んだように見下ろしている。


「今になって、謝罪? 二年前の冬のことを?」

「……は、はい」

 ロットは一瞬、ベアトリクスの隠しようもしない殺意に挫けそうになっていたけれど、グッと顔を上げて私を見つめる。


「ティリスさん……本当に、申し訳なかった。俺は、あなたに無実の罪を着せてメルティを庇おうとしていた」

「無実の罪……ふっ、認めたのですね」

 そう鼻で笑うのは、カチュア。カチュアは豊かな青銀髪を軽く梳り、モップを反対の手に持ち直した。


「ええと、確かあなた方はアリシアを包囲して詰ったのですよね。メルティ・アレンドラを虐めた、レシピを譲らなかった、謝れ、と」

「は、はい」

「それ、嘘でしたのね?」

 確認するカチュアに、ロットは項垂れた。もう、かつてのムードメーカの輝きは微塵も残っていない。


「……はい。あの時は、それが正しいとしか思っていなかったんです。メルティを守らなければならない。アリシア・ティリスが悪だから、彼女を排斥しなければメルティは不幸になると、皆で相談して……」

 皆というのは、言わずもがな、メルティ親衛隊だったフィリップ王子以下四名のことだろう。皆、散り散りバラバラで学院から出ていったはずだ。


「俺は……俺は、そうすれば全て丸く収まると思っていました。でも、メルティはそれからも悩むことが多くて……俺も、だんだんクラスの皆から避けられて……学院にいるのが辛くなった。それで自主退学して――」

「お待ちなさい。誰があなたの身の上話を語れと言いましたの?」

 ロットの言葉を遮るのは、ベアトリクス。彼女はグスグス鼻を鳴らして語るロットを冷めた目で睨め付け、だん、と石床を突き破らんばかりの足踏みをする。


「お涙頂戴の身の上話をしてアリシアを油断させようとでも?」

「! 俺は、そんなつもりでは……」

「じゃあ、用件を手早くアリシアに伝えてください」

 カチュアも冷静に突っ込む。私は一瞬だけロットのペースに乗せられそうになっていたから、後ろ手に自分の腕を抓って気合いを入れ、ロットに向き直った。


「……そうですね。ロット、私に言いたいことだけ、まずは伝えてください」

「はい。……俺は、とんでもないことをしました。あなたの名誉を傷つけ、命の危険にもさらしたこと……深く、お詫びいたします。申し訳ありません、ティリスさん」

 そう言って、ロットはその場に土下座した。……うん、本当の土下座だ。この世界にも土下座ってあったんだ、ってのは置いておいて……。

「顔を上げてください、ロット」

 私はすぐに彼に声を掛けた。でも、これは彼の罪を許すためじゃない。


 土下座は、相手の前に自分の首筋を晒すことになる。ちかくにはモップという凶器を持ったカチュアもいるから、いつでも彼の首筋をぶん殴って気絶、最悪殺害することもできる。


 ロットの覚悟は分かった。これ以上は、私の方が身が保たない。


「……あなたの言い分は、分かりました。ただ……私はあなたの気持ちに同情することはできても、許すことはできません」

「ティリスさん……」

「一つ、質問しますが……ロット、あなたはどうして今、謝罪をするつもりになったのですか?」


 私の質問に、ロットは顔色を失った。ベアトリクスとカチュアも、その体から静かな怒りと殺気を放っている。


 ロットが謝りに来た。それはまあいい。でも気になるのは、今この時になって、ということ。


 ロットが実家に戻ったのは、遅くとも去年の秋。それから半年は経っている。


 もしロットが半年間ずっと罪悪感に苛まれて苦しんでいて、春になってようやく決心が付いたというのなら、まだいい。実家の手伝いをしていて考えが改まった、という可能性も十分考えられるだろうし、それが一番私にとってもありがたい展開だった。


 でも……もう一つ、理由が考えられてしまう。私にとって……加えて、ベアトリクスやカチュアにとっても、喜ばしくない理由が。


 そっちの理由でありませんように、と願いつつ、私はロットに尋ねた。ロットの、正直な言葉が知りたかったからだ。


 でも――ロットは、目に見えて動揺した。半年間悩んでいたなら、そう伝えればいい。


 でも、ロットの体は正直だった。少しだけ緊張を解いていた体が震え、緑色の目には恐怖の色さえ浮かんでいる。


 ……これは、もしや。


「……ベアトリクス、カチュア。彼が何を言おうと、手だけは出さないで」

 私は先立って、二人に頼む。何も言わなかったらベアトリクスはさっきのようにロットを掴み上げ、カチュアはモップでロットを殴打してしまうかもしれない。


 その可能性が出るような答えを、ロットが持っていることを察したのだ。


 ロットは怯えたようにベアトリクスとカチュアを見ていた。そして――かなりの空白の後、徐に唇を開く。


「……ばいが……か……」

「もう一度お願いします」

「……実家の商売が……掛かっているから……」


 弱々しいロットの声。彼にはそれが限界だったのか、がっくりとその体が頽れる。でも、意識を飛ばすにはまだ早い。


 私はベアトリクスたちに点火する前に、質問を重ねる。


「……マクライン家の商売が、どうなったのですか?」


「……諸侯への取引が却下された……俺が、あなたを詰ったから……商売先に、学院の生徒の実家があって……全部、広められた……俺の所と取引できないと……たくさんのところに……」


 ――ぶちぶちっ


 あ、やばい音が二つ。


「……こっの……下衆がああああ!」

 ベアトリクスの堪忍袋の緒が切れた。彼女は豊かな黒髪を振り乱し、春の青空を切り裂くような怒声を張り上げた。


「そういう理由か! そういう理由で……!」

「……本当に、この人は救いようのない……」

 少し向こうにいるカチュアは、ベアトリクスよりはまだ冷静だった。でも、ああ、元々古かったモップの柄、真っ二つに折れている。


「……そういうことでしたのね。アリシアを詰ったことが世に知れ、マクライン家の取引先から断られた……だから、アリシアに許しを求めようとした……」

「何がっ……何が、謝罪ッ! よくも、よくもそんな面下げて……本当に……ッ!」

 ベアトリクスは既にキャパオーバーしていた。それでも私のお願いを最後まで守ってくれていてズカズカと大股でロットに詰め寄った後、震える拳を固めて目の前で構え、そのまま停止している。


 明らかに怒るベアトリクスと、静かに怒るカチュア。


 私は「怒る」ということを二人に任せ、じっとロットを見下ろしていた。ロットは全てを諦めているのか、何も映さない目でぼんやりと自分を殴ろうとするベアトリクスを見上げている。


 ――ロットが私の元に謝罪しに来るまで半年を要した理由。それは、今になっていよいよ、実家の財政が傾いたから。


 私に対して面目ないとか、良心の呵責だとか、そんなことじゃなくて……私の許しを得ないと、家が潰れるから。「ティリスのすずらん」の看板を下げて徐々に浸透しているパン屋をかつて詰ったという事実が、彼の実家を攻撃したから。


 ――ロットの話を聞くまで、私は彼に申し訳ないという気持ちと、かわいそうという気持ちが残っていた。


 今はもう乙女ゲームの範疇外になってしまったけれど、あの数月間はロットも、ゲームの支配下から逃れられなかった。ゲームのヒロインはメルティで、フィリップ王子やロットは彼女の虜になる。それは、どう足掻いたって仕方のないこと。ロットも、あの間だけは盲目になって故郷に帰ったらメルティのしがらみが解けたと言っている。彼にとっても不可抗力だった面もある。


 そのことは、ベアトリクスやカチュア、レグルス王子たちも誰も知らないこと。転生者である私だけが知っていること。


 だから、私は彼らを憎みきることはできなかった。自分たちでも理由の分からない強制力に支配されていたのだから。


 でも――ゲームの舞台から降りたロットは、全て考え直してくれているわけじゃなかった。私に謝るのなら、去年のうちにもできたことだ。ティリス男爵領とロットの故郷はそれほど離れていない。いつだって、来ることができた。


 それをしなかったのは――ロットが、私に謝るという必要性を感じなかったから。きっと、実家の商売がうまくいかなくなって、気づいたんだろう。それで、家族からもそのことを責められて、私の許しを何が何でも得てこいと命じられて――


「ロット・マクライン」

 私は、彼の名を呼んだ。


「私は、あなたを許すことはできません」


 強制ではあった。彼にとっても逃れられない宿命だった。


 それでも――あのリンチの日、彼が嘘を付いていなければ。レシピ寄こせ事件の話をでっち上げて、私が加害者であるように訴えなければ。


 もっと早く、彼自身の思いで謝りに来ていれば――


 私は、彼をほんの少しでも、許すことができたかもしれないのに。


 私の言葉に、ロットの目が見開かれる。ベアトリクスはようやく拳を収め、うんうんと頷いている。カチュアも、真っ二つにしてしまったモップをそれぞれ両手に持ってじっと成り行きを見守っている。


「あなたはあの五人……メルティ・アレンドラさんを入れて六人の中で、唯一私の元に謝りに来ました。その勇気と、あなたの今の状況には同情はします。でも、許しはしません」


 これだけは、ここだけは。


 私の最後の意地として認めてほしい。


 事なかれ主義の日本人OLだった頃の私は死んだ。この世界では、悪は悪と認識し、冷徹な判断を下さなければならない。


 私はすっかり生気を失ったロットを一瞥して、ベアトリクスとカチュアの名を呼んだ。


「……私の、彼個人に対する返答は今の通り」

「想定内です。して、『個人』外に対しては?」

 聡くカチュアが突っ込んでくる。私は、緩く微笑んだ。


「……マクライン当主と話をするわ」

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