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予想外の人がやってきたこと

 私たちの店にとある「お客様」が来たのは、野にギーモヨが元気に生える、暖かい春のある日のことだった。


 私は郵便屋から手紙を受け取って、リビングでそれを読んでいた。テーブルには、ここ数日で入ったパンの注文書が並べられているけど、一旦休憩。


 久しぶりの、レグルス王子からの手紙だった。


 レグルス王子に連れられて王城に行き、メルティとガチンコ勝負をしたのが去年の晩秋。あれから冬を越え、春を迎えた。王都の学院は、春が卒業と入学の時期だ。アメリカイギリス方式なら秋が入学シーズンなんだろうけど、このゲームの制作者は日本人だからか面倒だからか、日本と同じく春に卒業式と入学式を据えていた。まあ、それはこの世界の誰も不審に思わないからいいんだけど。


 この春、レグルス王子が学院を卒業する。王子はこの一年で、生徒会としてバリバリ働いてきた。彼は悩んだ末、今年をもって学院を巣立つことにしたそうだ。ちなみに同時期卒業生に、同じく生徒会だった料理研究グループの先輩もいるし、あとついでにメルティもいるそうだ。


 メルティはもういいんだけど、レグルス王子と先輩が卒業するなら、一言挨拶に伺いたい。卒業式は非常にオープンで、卒業生や外部の人も大勢お祝いにやってくる。学院を卒業後就職する人も多いから、場合によっては様々な企業が即戦力を求め、卒業生のスカウトに来ることもあるそうだ。もちろん卒業生の家族や親戚も集まるから、大がかりな会になる。


 私は……親不孝なことをしたけれど、卒業はできなかった。いや、自分で選んだから、卒業しなかった、が正しいな。それまでの上級生の卒業式も、あまり自分に関係ないからと思って参加しなかった。行ったのは、学院に入学する直前の、お兄様の卒業式だけだ。


 レグルス王子たちの卒業式、行ってみたいな。王子はさすがに王室関係者だから近付くのは難しいだろうけど、せめてお世話になった先輩には花を贈りたい。生徒会としての役目、お疲れ様、とも言いたい。


 でも、王都で卒業式に参加するためには数日、店を開けなければならない。となればまた、去年の秋のようにベアトリクスやカチュアに店番を頼むことになる。


 ……いや、ひょっとしたら二人も卒業式を見に行きたいと思ったりして? もしそうなら、一時閉店しないといけない。


 何にせよ、まずは二人と相談だ。私はレグルス王子からの手紙をそっと封筒に戻し、脇に置いてから注文書の整理に戻ることにした。おかげさまで「ティリスのすずらん」はじわじわと各地に浸透中。最近は人手が必要だから、領地に住む若手を数人雇って、パンの配達事業も行っている。


 もうじき、私たちに代わるパン職人の公募も行う予定だ。私たちが十六歳になる年の春、店を興してから今まで一年。やっと働き手を呼び込む体制が整った。


 資金は貯まってきている。後は、この小さな店舗をいかにして広げるかだ。店を広げれば、多くの人手を雇える。一度に多くのパンを焼けるし、出張だって遠くまで行かせられる。そのための資金を、今は蓄えていた。


 ベアトリクスとカチュアも、すっかり町娘生活が板に付いていた。最初の頃はカルチャーショックを受けることが多かったようだけど、今はすんなりとそこらの奥様の井戸端会議にも参加している。この前だって、「セール中の卵を仕入れましたわぁ!」とベアトリクスが、「とったどー!」の姿勢で卵入りの包装紙を意気揚々と掲げて帰ってきた。まだ、喋り方はお嬢様風なんだけどね。


 ……ベアトリクスとカチュアも、今年で十七歳だ。そろそろ、結婚に向けた活動をする必要があるかもしれない。


 前世の記憶がある私からすれば十七歳なんて高校生活を満喫する年だけど、この世界での十七歳は結婚適齢期。二十を超えたらもう売れ残りになってしまうそうだ。

 ……うーん、今度それとなく、二人に話を振ってみようかな。いや、でもやぶ蛇だったら嫌だし――


 私の思案は、ベアトリクスの絶叫で寸断された。


「……! この、よくも今になって……!」


 ベアトリクスの怒り狂った声。カチュアが彼女を宥めているのが分かる。どすん、と鈍い音。


 私はすぐさま立ち上がった。ベアトリクスが本気で怒った声を出すのは、多分学院の頃振りだ。ここに来てからベアトリクスは怒ることがすごく少なくなっていたのに、何があった――?


 私は急ぎ、店の方に向かう。すだれをはね除けるようにして払うと、店の中はちょっとした騒ぎになっていた。


 カチュアがお客様に何か説明して、一旦外に出てもらっている。そしてベアトリクスはというと、あの彫りの深い悪役令嬢顔を怒りに歪め、誰かさんの胸ぐらを掴んで激しく揺すぶっていた。さすがに最低限の理性は残っているのか、パンが置いていないカウンター脇でやってはいる。


「どの面下げて今頃!? あなたのせいでアリシアは……!」

「ちょっ……タンマ、ベティ!」

 私はベアトリクスに駆け寄って、その腕に触れた。ベアトリクスは私よりも身長が高くて、力もあるみたいだ。ベアトリクスが胸ぐらを掴む相手は彼女にガクガク揺すぶられている。顔は見えないけど、背格好からして若い男性みたいだ。


 若い男性を掴み上げて怒鳴るベアトリクス……うん、怖い。


「さすがにそれはやめて! あとここ、店の中だから!」

「アリシア、では場所を変えますわ!」

 ベアトリクスは私の方をぐるっと向いて、鼻息荒く店の奥に歩いていった。もちろん、男性をひっ掴んだまま。


 私はカチュアの方にチラと視線を送る。カチュアが青白い顔ながら頷いたのを見、私はベアトリクスの後を追った。


 ……カチュアも、あの男性が何者か知っているみたいだ。


 ベアトリクスは厨房脇の勝手口を出て、物置の前にいた。そこの石床にぽいっと男性を放り、だん、と丈夫な革のブーツで彼の頭のすぐ脇の床にかかとを落とす。


「……アリシア、できるならあなたにはこの男の顔、見せたくないのですけれど」

 ベアトリクスは男性の方を向いたまま、そう言う。でも、胸の前で腕を組み、私に背を向けるベアトリクスの体は、小刻みに震えていた。


 それは、怒りのためか、はたまた哀しみのためか。


「この男は……あなたの人生を狂わせた者の一人ですわ。この男は、あなたとの面会を求めておりますわ。……どうしますか?」


 ベアトリクスは脚を振り上げ、男性の服の裾を踏んづけた。彼は立ち上がろうとしたんだろう、体を起こしかけたけどベアトリクスに阻止され、もんどり打つように倒れ伏した。


 ……ボロボロの服を着た、茶色の髪の男性。顔は見えないけれど、年は――おそらく、私と同じくらい。





 どくん――と、心臓が音を立てる。





 私は、彼を知っている。


 彼は、私と同じクラスだった――







「……話を、聞きます」


 私はベアトリクスの背中を見つめて、そう言った。ちょうど、背後のドアが開いてカチュアもやってきた。カチュアもベアトリクスと並んで、不安そうに私の方を見ている。


「……ベアトリクスとカチュア、立ち会ってくれませんか」

「……あなたがそう言うのなら」

「了解しました、アリシア」


 ベアトリクスは私の方を向いて、少しだけ不満そうに唇を尖らせ、男性の服を踏んづけていた足を退ける。カチュアは、店の壁に立てかけていたモップを手に取り、こつん、とその柄の部分を石床に突き付ける。


「……顔を上げなさい、ロット・マクライン」



 ベアトリクスが低い声で、その名を呼んだ。

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