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男爵と交渉したこと

 交渉の場に立つのは、基本的に店主である私だ。相手によっては、ベアトリクスやカチュアも入ってもらうことがあるけど、話をするのは専ら私。嫌なお客様だったり男爵家である私を馬鹿にするような相手だったりするときは、すかさずベアトリクスたちの睨みが入る。職権乱用なんて言葉、私たちの中にはない。対等な交渉を持ちかけるつもりがない方には、お帰り頂くのみ。それでもしつこいなら、何らかの措置を取らせてもらう。


「……というわけで、わたくしどもの店では常に、良質な材料を求めております。ソレーユ男爵領には広大な牧草地があり、良質な乳牛を多数飼育しているとのことですね」

「うむ、何もないだだっ広い土地だが、乳牛の質にかけてはどこにも負けるつもりはない」

 ソレーユ男爵は自信満々に答える。三十代前半くらいの、若い男爵だ。隣の奥方も二十代後半っぽいし、その向こうで興味津々顔で籠に入ったパンを見つめている男爵子息はだいたい五歳くらいに見える。


 私は、そわそわとパンを見つめる男爵子息に微笑みかけた。


「いかがですか、おひとつパンを試食なさいますか?」

「よろしいのですか?」

 反応したのは、奥様だ。


「息子はソレーユ男爵家の嫡男らしく、乳製品に目がありませんの。この子に合いそうなものはありますか?」

「もちろん」

 その辺はカチュアが事前にセレクトしてくれているから抜かりはない。


 私は男爵子息に、ダイスチーズ入りのパンを勧めた。子どもでも喜んで食べられるように、臭みの少ないチーズを選んでいる。


「こちら、チーズ入りのパンです」

「……柔らかい」

「はい、お子様でも召し上がれるよう、生地を柔らかくしました」

 男爵子息はしげしげとパンを見つめた後、自分の両親に頷かれて、おずおずとパンを千切って口に入れた。唇の間からちらりと、きれいな乳歯が覗いていた。


「……あまい」

「まあ……アリシア様、わたくしも食べてみて?」

「どうぞ、奥様。よろしければ、男爵も」

「うむ……そうだな」

 私が促すと、男爵と奥様もパンをそれぞれ手に取った。男爵が取ったのはバターパン、奥様が取ったのはバジルチーズパンだ。


 お二人はそれぞれ、自分が取ったパンを千切って優雅な手つきで口に運ぶ。子息の方は、喉が渇いたのかベアトリクスの故郷オルドレンジ侯爵領産のフルーツジュースをごくごく飲んでいる。


「……中に練り込んでいるのは、バターか」

 うん、やっぱり一発で当ててきたね。


 男爵は数回咀嚼して飲み込んだ後、パンを千切った断面をじっくり観察している。奥様の方も、パンの繊維を引っぱるように裂き、しばらく黙ってそれを見ていた。


「……バターとパン生地が上手く練り込めていないところがある。この斑模様は、わざとなのだろうか?」

「……いえ、そういう仕様ではありません」

「加えて、パンに入れるにはこのバターは甘すぎる。塩分は控えたバターでないと、パンの風味を殺してしまう」

「こちらも、よく考案されていますがチーズとバジルが少しだけ浮いていますね。おそらく、このチーズはバジルとは合いにくい材質なのでしょう」

 男爵に続き、奥様も的確なコメントを述べる。


「生地を焼いたときにヒビができてしまったのでしょうかね。チーズが砕けています。せっかく生地に練り込んでいるのなら、パン生地とチーズがもっとうまく馴染むように工夫が必要ですね」

 ううっ……お二人の指摘はもっともすぎて、頭を下げるしかできない。私たち三人の知恵で作って、改善してきたつもりだった。でも、プロの前では「つもり」でしかないんだ。


 乳製品に関しては手も足も出ない男爵夫妻の前で、私は深く頭を下げた。グランディア王国でも日本でも共通の、陳謝の証だ。


「……ありがたいお言葉をありがとうございます。加えて、不出来なものを献上してしまい、申し訳ありません」

「不出来とは思っていない。ただ、今以上の改善の余地があると思ったのだ」

 男爵はゆるりと首を横に振る。そして、さっきまで観察していたパンの破片を全て食べ、紅茶で喉を潤して続ける。


「君にしても他の二人の従業員にしても、まだまだ若い。この柔軟な発想力を持つ若い君たちなら、いくらでも改善できるだろう。……厳しいことを言ったようだが、私たちは君たちの今度に期待したいと思う」

「あなたったら、もっとはっきりとお伝えなさいませ」

 そう横から口を挟むのは、奥様。奥様はパンを食べてご満悦の様子の子息を膝に乗せて、にこやかに旦那様に声を掛けている。


「つまりは、今後もっと改良を重ねたパンを食べたいから、わが領土の乳製品を利用してほしい、ということでしょう?」

「む……まあ、そういうことだ」

「まあ……でしたら」

 私が身を乗り出すと、男爵は顔を緩めて頷いた。


「ああ……是非とも、我がソレーユ男爵家と提携を結ばせてほしい。我々も、男爵領産の乳製品を有効に活用できる場を求めていたのだ」

「チーズやバターの使用方法は、わたくしどもにお任せくださいませ」


 そう言って奥様は茶目っ気たっぷりにウインクした。


 私は張りつめていた息を吐き出し、笑顔を返した。今回もなんとか、交渉成立だ。








 その後、ソレーユ男爵家の印が入った契約書を交わし、私たちの交渉は紙面にも残されることになった。さまざまな貴族の方と契約をしたら全て、その旨を書類に書き留めてファイルにスクラップしている。いわゆる、「言った・言わない」の問題を起こさないためだ。


 似たような事案は既に、王城で嫌というほど体験した。だから同じ轍を踏まないように、契約した内容を記し、お互いに保管しておく。これで、不確かな契約締結を防げる。


 ソレーユ男爵家の馬車を見送ると、もう太陽は西に傾きつつあった。「ティリスのすずらん」もそろそろ閉店時間が迫っている。


 店内に戻ると、ベアトリクスが最後のお客を見送ったところだった。ベアトリクスは、持っていたクリップボード(のような板)を胸に抱え、ひらひらと手を振る。


「お疲れ様です、アリシア。ソレーユ男爵とはどうなりました?」

「お疲れ様、ベティ。男爵ご夫妻はとても鋭い方で、パンの指摘もされたけれど契約は結べたよ。ほら、ソレーユ男爵領産の乳製品の取引について」

 ベアトリクスに完成したばかりの契約書を見せると、ベアトリクスはそれをじっと読んだ後、満足げに微笑んだ。


「よろしいことですわ、アリシア。あそこの乳製品は質も確かですわ。店先に出す際には、黒板にソレーユ男爵領の名を挙げるとよいでしょうね」

「そうね、男爵も喜ぶよ、きっと」

 私たちはさっさと閉店準備をして、奥に戻る。奥では、厨房を片付けたカチュアが三人分のお茶を淹れたところだった。


「お疲れ様です、お二人とも。……ベティ、今日のお客の様子は?」

「これですわね」

 ベアトリクスはさっきから抱えていたクリップボードをテーブルに載せた。


 これは、私が考案したアンケート用紙だ。アンケート用紙と言っても、お客に時間を取らせない非常に簡素なもの。質問項目は、「出身地」と「大まかな身分」のみだ。

 もちろん、解答したくないという方もいらっしゃると思うから、「答えたくない」の欄も作っている。でも、ベアトリクスのボードを見る限り、ほとんどのお客は解答してくれていた。


 私たちはお茶を飲みつつ、その集計結果のグラフを検分する。


「ふーん……出身地の第一位はやっぱり、ティリス男爵領ね。当たり前か」

「でも、二位はついに王都になりましたわ。他にも、ほら。多くの地方から遙々お越しになってますのよ」

「一番遠い方は、王国東端のメーヴェル子爵領ですね。ここからだと、馬車で何日かかるか……きっと、長期旅行の寄り道だったのでしょうね」


 閉店すると、三人で伝票の整理に加え、アンケートの結果も見ることにした。これはもちろん、現在我が店がどれほど浸透しているか、大まかに把握するためだ。

 カチュアが立ち上がって、今日の伝票の束を持ってきた。三人の中で、カチュアが一番計算が速い。私はカチュアに計算は任せて、頭の中に王国内の地図を描く。


 今現在、契約を結べているのは五貴族。その中にはもちろん、オルドレンジ侯爵家とレイル伯爵家も入っている。ベアトリクスとカチュアのお父さんも、とうとう私たちに特産品を提供してくださることになった。私たちも、さっきベアトリクスが言ったように各地方から提供された食材を使ったときはしっかりと、店先の黒板に輸入先の情報も書き込んでいる。店の売り上げもある程度納入しているから、相手方の一方的損失にはならない。


 ――でも、そろそろ第二段階に進みたいところだ。それは、店舗の拡大。


 お客は増えてきた。いろんな地方からお客が集まってくる。だったらいよいよ、ティリス男爵領を巻き込んだ規模にまで広げていきたい。目指すは、「ティリスのすずらん」の全国展開と、領民の雇用促進だ。それが、お父様と交わした約束の柱の一つでもあるんだ。


 私の夢は、まだまだ尽きない。


 一度はトラックにぶっ飛ばされて失ったこの命、二度目こそは有意義に生きて、しわしわのお婆さんになるまで人生を楽しむんだ!

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