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ひとまずは平穏な日々が戻ってきたこと

 私たちはレグルス王子の馬車に乗ってすぐさま、屋敷に帰った。


 出迎えてくれた使用人たちは、顔を紫色に腫らしたレグルス王子を見て悲鳴を上げ、そして同行者の私もヘロヘロになっていたから、すぐに引き離されてそれぞれ風呂にぶち込まれた。


 私は大丈夫です、って言ったけど、「レグルス様のご希望です」と侍女たちは言って、私は上から下まで入念に洗い込まれた。うちの男爵家は、自分の体を使用人に洗ってもらったりしない。でも今ばかりは、ベテランの侍女たちにお任せして、最後には全裸でカウチに横たわり、オイルを練り込むマッサージまでしてもらった。すごい、節々の痛みが和らいだ!


 執事のおじいさんに案内されて、私はレグルス王子が待っているリビングに向かう。ちなみに着ているのは、最初にここに来たときに着ていたシンプルなワンピース。王子様の屋敷を出歩くのには貧相だけど、あのきれいなドレスが汚されてしまったから、仕方ない。


 王子は革張りのソファに座って、何か書き物をしていた。私が入室すると彼は顔を上げた。すぐに冷やしてもらったんだろう、あの不気味な紫色は少しだけ面積が狭まっていてほっとする。


「お待たせしました、レグルス様」

「構わない。疲れは少しでも取れましたか」

「おかげさまで。お風呂だけでなくマッサージまでしていただき、ありがとうございました」

「それは何よりです」

 そう言って王子は、私に椅子を勧めた。では、と思って小さな木の椅子に座ると、彼は苦笑して首を横に振る。


「そこじゃない。こっち」

「……え?」

 レグルス王子が示すのは、革張りのソファ――つまりは、彼のすぐ隣だ。


 え、そういうのっていいの? 私は困惑するけれど、王子は静かな微笑みを湛えて私を待っている。待たれたら、行くしかない。


 私は遠慮の言葉を入れて、彼の隣に座った。ふんわりと石鹸の匂いがする。ちょっと膝を動かせば体がぶつかるほどの距離で、なんだかそわそわしてしまう。


「今日は……君には申し訳ないことをしました」

 レグルス王子が謝ってくる。そう来るだろうと思っていたから、私はすぐに頭を振った。


「レグルス様のせいではありません。あれは……その、何というか、不可抗力ですし、私もある程度のことは覚悟していました」


 まあ、あのヒロインが人の話を聞くとは最初から思っていなかった。公衆の面前で堂々とレシピ泥棒扱いされたときにはブチッと来たけど、和解なんて望んでいない。あの子の頭の中は、あくまでも自分が可愛そうな被害者なんだ。どう転んでも、誰が私を味方してくれても、私はいつまでも、彼女にとっての敵。


 でもレグルス王子は、緩く首を振る。


「……君はそう思っているかもしれません。毅然とした態度を見ていて、私も感じました。でも……フィリップ王子の、君に対する仕打ち。あれは許せない」

「……あ、ああ。すみません、せっかくレグルス様が贈ってくださったドレスなのに……」

「そうですね」

「あ、でも洗ったら使えますから」

「だめです」


 きっぱり断られた。あ、ひょっとして貧乏くささがにじみ出ただろうか。前世でも男爵家でも、ちょっとの泥だったらドレスが汚れても洗って使っていたから……うん、上層部に知られたら恥さらしだな。


 でもレグルス王子の懸念はちょっと違うところにあったようだ。


「いくら洗っても、フィリップ王子があなたに唾を吐きかけたという事実は消えません。彼の唾液が残っていると思うと、私が嫌です。君には、汚れのない一級品を送りたいと思っていた。だから、あれはこちらで回収する」

「ど、どうも」

「また後日、新しいのを贈ろう。前のよりも、ずっと上質で美しいものを仕立てますからね」


 あ、あれよりランクが高いって、どれくらいになるんだ? あのドレスだって、うちの家の金庫が空き家になるくらいの値段だと踏んだのに……。


 ……というか、どうしてレグルス王子はここまで私の面倒を見てくれるんだ? 今後、豪華なドレスを着て王城に行くことなんて考えられないのに。


 私は少し悩んだけど、それを王子に聞いてみた。レグルス王子は私の質問に不意を突かれたようだけど、しばらく考えて、答えてくれた。


「それは……今後、君が王城に上がることを想定しているからですよ」

「えっ、私は男爵令嬢です。あんなきれいなドレスを着て王城に上がることなんて、ないと思いますけど」


 正直に言うと、レグルス王子ははぐらかすように笑った。んん、これはかわされたな。


 結局、「ドレスもらいます」と私が言うまで王子は私がソファから立つことを許してくれなかった。王子、意外と頑固だな。









 そんなこんなで、私の王城食事会参加は微妙な終わり方で幕を閉じた。


 「ティリスのすずらん」に戻ると、ベアトリクスやカチュアに事の次第を話させられた。ごまかしが利きそうにないので正直に喋ると、二人はそれぞれ包丁と鉈を持って飛び出しそうになった。止めておいた。近所迷惑になるから。


 ベアトリクスもカチュアも、メルティの横暴っぷりを怒っていた。加えて、最後まで冷静に対応できた私やレグルス王子を褒めてくれた。


 フィリップ王子に関しては、ベアトリクスはもう、完全に踏ん切りが付いているようだ。「まあ、しばらくは婚約は続けますわ。奴が勝手に結婚できないようにね」と、これぞ悪役令嬢! の笑みでベアトリクスは仰せになった。なるほどね、ベアトリクスという存在がいる限り、フィリップ王子はメルティとどーたらこーたらにはなれないんだ。








 後日、レグルス王子から手紙が届いた。王子の頬の腫れは収まったようで、ひとまず安心。後は、見ている方がげんなりするような経過報告だった。


 あの後もメルティとフィリップ王子はすったもんだして、サイラス殿下の奥方をとうとう泣かせてしまったそうだ。サイラス殿下はいたくご立腹で、国王陛下にもすぐに話は届いた。ま、簡単に言うとフィリップ王子は今度こそ学院退学になった。今後は王城に監禁して再教育するんだとさ。


 メルティは、アレンドラ侯爵がごねたために退学は免れた。でも、「なぜか」メルティが王城でやらかしたことは学院に広まって、いよいよ彼女は総スカン喰らった。リットベル先生は「偶然にも」任地変更になり、どっか遠くの学校に転勤になった。唯一残っているロット・マクラインだけど、彼は早々に自主退学して、今は故郷に戻って両親の家業の手伝いをしているそうだ。同級生曰く、今は憑き物が落ちたように一心不乱に商業の勉強をしているのだとか。


 ついに、「恋の花は可憐に咲く」の舞台であった学院は、メルティの華の舞台になる予定だった楽園は、崩壊した。料理研究クラブの皆からは励ましの手紙をもらった。新生徒会長は、レグルス王子たちと一緒にガンガン制度改革に取り組み、学院の規律が高まっている。そんな変遷に付いていけないメルティは、あのお花畑発言をいまだに続け、ただの痛い子に成り下がっているという。


 そして私たちは。


 今日も今日も、パンを焼く。


 三人でお揃いのエプロンを付けて、お客様を笑顔で出迎える。最近は、学院を卒業した元同級生なんかも顔を出してきて、懐かしくて嬉しい限りだ。









 そんな私だけど、その時は知らなかった。


 私はもうすぐ、このグランディリア王国を大きく揺るがすことになる事件に関与することになるのだと。

今後の展開や、「いつざまぁエンドなの⁉︎」に関しては、活動報告へ。

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