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天国塔  作者: 前田瑠希
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第九話 姉妹


 目を覚ましたエレンが最初に目にしたのはルビアの寝顔だった。気持ちよさそうにして眠っている。


 どうやら二日酔いにはならなかったみたいだ。二日酔い特有の頭痛や気持ち悪さは感じない。


 そして何故か、エレンの手はルビアの手をギュッと握りしめていた。寝ぼけていたのだろうか。急に恥ずかしくなったエレンは慌ててルビアの手を放す。


 改めてルビアの寝顔を見る。エレンの視線は自然と閉じられているルビアの目にいってしまう。


 エレンは昨日の試練の水晶の中の出来事をどうしても考えてしまう。ルビアは天使に両目を斬られたのだ。きっと、想像を絶する痛みのはずだ。眼球を斬られるなんて考えただけでゾッとする。


 エレンは急に怖くなった。目の前で眠っているルビアは、その痛みを経験してしまったのだ。結果的にはエレンが魔法で治癒したが、もしかしたら命を落としていたかもしれない。


 ルビアの頬を優しく触りながらエレンはルビアに小さな声で語り掛ける。


「……ごめんね。もっと早く駆けつけるべきだったね」


 ルビアは相変わらず気持ちよさそうな顔で眠っている。ふと、エレンは先程まで見ていた夢の内容を思い出す。


 エリザベードとシルヴィアが“世界”を造り出した内容だ。あの二人ならそれぐらいやってしまうのは当たり前だし、今更驚く内容ではないが、やはり夢の中と言えども直接自分の目で見て体験してしまうと驚いてしまう。


 何故、今このタイミングでこの夢をエレンが見たのか。或いは見せられたのか。おそらく後者だろう。『あ、ごめんごめん。三百年前に話すべきだったけど、忘れてたよ。てへっ。今夜君の夢に侵入して見せちゃうからね~』みたいな考えで見せて来たのだろう。シルヴィアならそういう事を言いそうだ。シルヴィアには三百年経った今でも振り回される。今更驚いたりする事ではないが。


 そしてクラディウス。あれは本当のオリジナルの神ではない。エリザベードとシルヴィアが造り出した“初めての人間”。だが、今のクラディウスは神だ。ルールを守らないのなら、それが神だろうとエレンは許すわけにはいかない。


 エレンが夢の内容を考えていた時、ルビアが目覚めた。ルビアの頬を触っていた手を慌てて引っ込める。


「……おはよう、ルビア。昨日はごめん。酔いつぶれた私をベッドまで運んでくれたのでしょう?」


「おはようございます、エレンさん。そんな、気にしないで下さい」


 ニコッと微笑むルビア。エレンがルビアの笑顔をちゃんと見るのはよく考えたらこれが初めてだ。


(……可愛い顔して笑うじゃない)


 エレンはルビアの笑顔を見て考える。自分がルビアみたいに可愛い笑顔を見せたら、ルビアはどんな顔をするのか?よし、試してみようと思い、エレンは頬を吊り上げてみる。


「……エレンさん、ど、どうしたのですか?」


 ルビアの反応が微妙だ。おかしいなとエレンは思い、もう少し頬を吊り上げてみる。


「あの、エレンさん……?」


 またもや微妙な反応だ。頬を吊り上げるのを止め、なぜだろうとエレンは考える。


 ルビアが微妙な反応をしたのも無理もない。ルビアの目には、エレンのぎこちない笑顔もどきが映っていたのだ。頬を吊り上げ、歯を剥き出しにし、イーッと歯を見せ付けてるようにしか見えなかったのだ。


 エレンはルビアがなんで微妙な反応をしたかはわからなかったが、とりあえず身体を起こす事にする。


「……なんでもないわ。ルビア、お風呂に行くけど、先に入る?」


「あ、エレンさん、お先にどうぞ」


「そう。じゃあ先にお風呂に行くわ」


 お風呂に行こうと思い、黒いボディスーツのような服を脱ごうとするエレン。だが、ハッと気付く。ルビアの前で服を脱ぐのはまずい。今は折り畳んで小さくし、服に隠しているが、服をここで脱いでしまうと堕天使である証の黒い翼をルビアに見られてしまう。昨日部屋の受付をした時に、二人部屋しか空いてないと受付の人に言われた時に嫌な顔をしたのはそれが理由だ。


 だが、そう思う一方で今のうちに話しておいた方が楽だという考えもある。後々知られて面倒な事になるよりも、今、教えてしまった方がエレンも気が楽だ。それにルビアとは友達になったのだから、別に知られてもいいかと考え直す。自分が堕天使である事は別に隠すような事ではない。


 ならば、とエレンはルビアに提案をする。


「ルビア、私と一緒にお風呂に入りましょう」


「はい──え?一緒にですか?」


 ルビアはエレンの提案に驚く。


「そうよ。ルビア、あなた、私が何者なのか知りたいのでしょう?なら教えて上げるから先に服を脱いでお風呂に入っていなさい。昨日確認したけど、この部屋のお風呂場は結構広いから、二人で入っても問題は無いわ。私が後から行くから」


「えっと……わかりました」


 ルビアはエレンが真面目な表情で言ってきたので、頷いた。服を脱ぎ、下着姿になる。恥ずかしそうにしながらお風呂場に向かった。脱衣場で下着を脱ぐのだろう。


 エレンは自分の決断は間違っているのかどうかと、自問自答をする。もし、ルビアがエレンの事を堕天使だと知ったら友達を止めるのだろうか。人間では無く、堕天使。系統で言うと、穢れているエレンは悪魔に近い。言い換えれば悪魔に近い天使だ。そして、悪魔になろうと思えばいつでもなれる。三百年前に、ある場所でそう言われた事がある。だが、エレンは堕天使でいる事にこだわっている。別に悪魔になっても構わないが、完全に悪魔になってしまうと穢れの力が高まりすぎて聖域である天国塔に入れなくなってしまうからだ。目的を果たすまでは、堕天使でなければならない。クラディウスを殺すには穢れてなければならないのだ。人間のままだと力が足りないし、天使だと穢れの力を使えない。


 もし、天国からクラディウスが出てきて地上に来るのであれば迷わず悪魔になるだろう。それなら確実にクラディウスを殺せるからだ。普通の悪魔はクラディウスを殺す事は逆立ちしたって不可能だが、エレンの場合は違う。人間の魔法を全て使えるエレンなら、悪魔になればクラディウスを確実に殺せる。それに、切り札もある。


(そろそろルビアの所に行くか)


 エレンは考えるのを止め、服を脱ぐ。ルビアがもしエレンが堕天使だと知って、エレンと関係を絶つのならそこまでの関係だという事だ。その時は仕方がない。また独りに戻るだけだ。


 少しだけ不安になりながらもエレンは風呂場の扉を開ける。裸のルビアがエレンの目に映った。


「あ──エレンさん」


 ルビアは自分の身体に掛け湯をしていた。これから身体を洗うのだろう。


 湯船には自動的にお湯が貯まる仕組みになっている。それもすぐにだ。おそらく魔法の一種だろう。こういう所も三百年前とは違う。人間の技術はこういう所でも進歩したのだ。一々人の手でお湯を貯めなくていいのは実に便利である。


 人間の進歩した魔法技術に関心している場合じゃないとエレンは思い、ルビアに語り掛ける。


「ルビア、よく見ておきなさい」


 エレンは背中で小さくしている黒い翼を広げる。ルビアはエレンの黒い翼を凝視していた。そして、エレンに質問をする。


「エレンさん、その翼は……魔法ですか?」


「違うわ」


 そう言ってエレンはルビアに近付き、背中をルビアに向けて、黒い翼を見せやすくする。


「私は人間じゃないわ。元々はね、人間だったんだけど、色々あって堕天使になったの」


「えっと……」


「私が何者なのかって聞いてきたけど、これが私の正体よ。翼の付け根を触ってみなさい」


 エレンにそう言われ、ルビアは恐る恐る翼の付け根に触れる。直に触れて翼が造り物じゃない事にルビアは驚いた。これは、魔法などではない。本当にエレンの背中からは翼が生えているのだ。


「……すごい」


 ルビアは翼を触れてそう呟く。柔らかくてとてもフワフワしている。


「……んっ」


 エレンの発した声にルビアは慌てて手を引っ込める。


「ごめんなさい!痛かったですか?」


「いえ、痛くないわ。ちょっと気持ちよくって。それよりルビア、私が堕天使だと知ってどう思った?」


「驚きました。でも……」


「でも?」


「例え堕天使でも、エレンさんはエレンさんです。人間でも天使でも悪魔でも堕天使でも、エレンさんはエレンさん。私の大切な友達です!」


 ルビアの言葉にエレンは振り向きそうになる。きっと今、ルビアは笑顔だろう。今そのルビアの笑顔を見てしまうと嬉しくて泣いてしまいそうだ。ルビアはエレンの正体を知っても友達をやめないのだ。その優しさがエレンの心に染みていく。そういう人間の優しさに触れたのは何百年ぶりだろうか。


「……ルビア、翼を洗ってくれるかしら?自分じゃ手が届かない所があるのよ」


「はい!わかりましたっ!」


 エレンが誤魔化すようにそう言うとルビアが元気良く答える。


 ルビアは丁寧にエレンの翼を洗い始める。その間にエレンは自分の身体を洗う。翼をとても優しい指使いで洗われるので、気持ちがいい。気持ちいいので時々「んっ……」とどこか色っぽい声をエレンが出すと、ルビアは顔を赤くしながら、「そんな色っぽい声を出さないで下さいっ!別にいやらしい事をしてるんじゃないんですから!」と言ってきた。エレンは少しイタズラが過ぎたかと思うが、反応が面白い。また今度やろうと心に決める。


 エレンの翼を洗い終わったので、ルビアが自分の身体を洗おうとした時、エレンがルビアに言う。


「私の翼を洗ってもらったお礼よ。今度は私がルビアを洗って上げるわ」


「え?いや、大丈夫です。自分で洗いますから」


 エレンが海老の足みたいにワキワキと動かしている指を見て嫌な予感しかしないルビアはエレンの提案を断る──だが。


「問答無用!」


「いや、ちょ、エレンさん!?」


 エレンの指がルビアの身体を弄っていく。泡でちゃんと洗っていくエレン。だが、ついついイタズラ心が働いてしまう。少しだけだが、わざといやらしい指使いで洗ってみる。特に胸の部分を。


「んっ……!」


 切なそうに声を発するルビアの身体を優しく洗っていく。ルビアの身体をイタズラ心で少しだけいやらしく洗いながらもエレンは思う。ルビアの身体の筋肉の付き方には無駄がない。本当に綺麗に鍛えられている。


(本当に綺麗に鍛えられているわね。どうしてここまで鍛えられたのかしら)


 エレンはそう思いながらもルビアの身体を洗い終わる。洗い終わったのでルビアを解放してやると少し息が荒い。目がトロンとしており、はぁ、はぁと肩で呼吸をしている。やりすぎたか。


「ルビア、綺麗になったわ」


「エレンさん……あの」


 さすがにちょっとやりすぎたので怒ったのだろうか。エレンが謝ろうとした時、ルビアがポツリと呟いた。


「気持ちよかったのでまた今度洗って下さい……」


 頬を赤らめながら言うルビアに、エレンは『しまった』と思う。その気持ちよさは身体を洗う気持ちよさとはきっと違う。墓穴を掘ったかとエレンは少しだけ後悔したが、少女はこうやって大人になっていくのね、と自分に言い聞かせて納得しておく。何に納得しているのか自分でもわからないが。


「そ、そう。わ、わかったわ。また今度洗ってあげる。身体が冷えないうちにお湯に浸かりましょう」


「はいっ!」


 元気良く返事をするルビアと一緒にエレンはお湯に浸かる。


 湯船は二人で入っても足を充分伸ばせる大きさだ。ルビアがエレンに質問をする。


「あの、エレンさん……」


「なにかしら?」


「堕天使ってどんな感じなんですか?その、身体の感じとか」


「そうね……まず、最初に言っておくけれど天使と身体の機能は大体同じなのよ。聖なる存在か、穢れてる存在か、が大きく違うんだけれども……。天使も堕天使も毎日食事をしなくても平気なのよ。私は元人間で魔法も使うから、一度に大量に食事をするのだけれど。本来は天使も堕天使も食事はあんまり必要ないわ。それと身体は人間の感じている感覚よりも軽いわ。そうね……わかりやすく言うと、人間より力を使わないで身体を動かせるって言うのかしら」


「うーん……わかったようなわからないような……」


 眉をひそめて考えているルビアにエレンは苦笑する。


「こればかりは天使や堕天使になってみないとわからないわ。……そろそろあがりましょうか。まだまだ話はあるのだけれども、続きは天国塔に入ってからにしましょう」


 エレンはルビアにこれまでの自分の経緯を話そうと思った。これから先、ルビアと一緒に天国塔を登るのなら、いずれ話さなければならない内容だ。なら早い方がいい。


 お風呂から出て身体を拭いているとルビアが思い出したのかエレンに質問をする。


「エレンさん、そういえば替えの服って持ってないですよね?」


「ルビア、あなたは私の服があの黒い服だけだと思う訳?」


「え、だって──ボロボロの服だったのが黒い服に変わって……」


「あれね、手品じゃないわ。魔法よ」


「ああ、やっぱりですか。でも、私が読んだ魔法の文献にはそんな魔法は載っていませんでしたよ?」


「なかなか鋭いじゃない、ルビア。そうよ。服を魔法で出すなんて文献には載ってないもの。それにわざわざ魔法で服を引っ張り出すなんて普通はやらないし。私の服はね、ある場所に閉まってあるの。そこから服を魔法で引っ張り出して身に纏っているのよ」


「そうだったんですか」


「早く天国塔に行く支度をしましょう」


 エレンは魔法の詠唱をする。すると下着しか身に付けていないエレンは白い着物のような服装を一瞬で身に纏う。着物に似ているが、腕の部分は大きく動かせるように作られている。下半身にはスリットが入っており、機動性を重視した作りになっている。白い生地に所々赤い蝶の模様が施されており、お腹の部分は黒くて太い紐で結ばれている。背中の部分は開いており、翼を広げやすい作りになっている。


 魔法で一瞬で着替えたエレンに対しルビアはまだ下着姿だった。


「先に部屋に戻ってるわ」


 エレンがそう言い脱衣所から出て行く。ルビアは慌てて着替え始めた。







 エレンとルビアは天国塔の外にある転移装置に触れる。身体が光に包まれ、一瞬で第一の試練を出た先の転移装置に転移された。エレンは自身に防御魔法を掛けるのを忘れない。


 軽く雑談しながら進むと聖獣が何匹か現れるが、エレンとルビアは特に苦戦する事なく聖獣を葬る。


 そろそろルビアに自分が堕天使になった経緯を話そうかとエレンは考える。エレンの記憶が確かなら、少し進んだ階層に聖獣が出てこない大広間があったはずだ。そこなら落ち着いて話が出来るだろう。


 大広間の階層に辿り着くが、エレンの予定通りにはいかなかった。大広間の真ん中で二人の女が相対していた。二人とも魔術師の格好をしており、手には自分の身長と同じぐらいの長さの魔法の杖を持っている。大広間で相対している二人の女の魔術師とエレンとルビアの距離はかなり離れているため、大広間で相対している二人の女の魔術師はエレンとルビアにはまだ気付いていない。


 エレンの後ろにいるルビアが剣を抜き、警戒態勢に入る。エレンもいつでも魔法を放てるように集中する。


 二人の女の会話が気になったエレンは自分とルビアに会話が聞き取れるように魔法を掛けた。相対している二人の女魔術師の会話がエレンとルビアの耳に入ってくる。


「クロエ、それを返しなさい!」


「しつこいなぁ。どうせ姉さんは“これ”をくだらない事に使うんでしょう?」


「私には“それ”が必要なのよ!」


「私にも“これ”が必要なの」


 クロエと呼ばれた女は自分が手に持っている物を見てニヤリと口元を歪めた。エレンもクロエと呼ばれた女が手に持っている物を見る。


 遠く離れている為、人間の視力では鮮明に見えないが、天使の目なら遠く離れていても鮮明に見える。エレンは天使の目に切り替えた。目を切り替えたついでに二人の容姿も鮮明に見える。


 会話から察するに姉妹みたいだが、二人とも似たような容姿をしている。髪の色は茶色だ。髪を結んでないのが姉の方で、後ろで結んでいるのがクロエだろう。瞳の色は二人とも綺麗な紫色だ。


 クロエが持っている物を見て、エレンは自分の目を疑った。そんなはずはない、と。だが間違いなくあれは……。


 クロエが杖を掲げて魔法の詠唱をする。魔法陣が展開し、人型の物体が魔法陣から出てきた。そして、クロエが狂気に満ちた声で叫ぶ。


「フフフ……アハハハハハッ!これで“完成”よ!」


 クロエは手に持っている物を人型の物体に埋め込んだ。そして、人型の物体が眩い光を放つ。


 光が収まり、クロエが人型の物体に話し掛ける。


「さあ、魔導機ヴァルキュリア、起きなさい。そして全ての“愛”を壊しなさい!」


 エレンはまず驚いた。魔導機と呼ばれる物は文献で読んだ事はあるが、実物を見るのは初めてだった。魔導機とは、魔法を原動力にして動く人形の事だ。しかし魔導機を造り出すのは非常に難しく、完全な魔導機を造り出す事自体がほぼ不可能なのだ。材料、技術、構築理論、その全てがデタラメの存在である為、今まで完全な魔導機を造り出すのに成功した人間はいない。それがどういう訳か、クロエという女は魔導機を所有している。もしそれが完全な魔導機なら、神にも匹敵する力をクロエの魔導機は秘めている事になる。


 魔導機ヴァルキュリアは姿形は人間の女性の姿をしている。髪は黒くて後ろの髪は腰らへんまで伸びている。髪型や容姿はクロエの趣味だろう。だが、言語機能などは搭載されていない為喋る事は出来ない。一言で言ってしまえば、ただの魔力を原動力にして動く殺戮人形だ。だが、それ故に恐ろしい存在である。エレンが知っている文献の情報だと、人形なので痛みも感じず、人形の身体を傷付けたりしても魔法で自分の傷を自動修復してしまう。主の命令を遂行し、主の目的を果たすまでは止まらない。


 クロエと相対している女が杖を掲げて魔法の詠唱をし、業炎の魔法をクロエとヴァルキュリアに放つ。しかし、ヴァルキュリアが魔法で生成された業炎を消滅させた。


「無駄よ、姉さん。ヴァルキュリアに魔法は効かないわ。危害のある魔法は消滅させるのよ。さあ、姉さん。ヴァルキュリアの最初の犠牲になってよ」


 クロエが命令し、ヴァルキュリアがクロエと相対している女を見る。ヴァルキュリアの両手が剣に変化していく。ヴァルキュリアは変化させた剣を掲げながら女にゆっくりと近付いていく。


 エレンはクロエと相対している女を助けようと思った。先程クロエが魔導機であるヴァルキュリアに埋め込んだが、“あれ”が何故ここにあるのかを知る必要がある。助ける理由は、クロエと相対している女の方となら話が出来そうな気がしたのと、状況的にはクロエの方が悪者に見えたからだ。


「ルビア、ここに居て。もし私がやられそうになったら魔導機を動かしてる女……クロエって呼ばれていたわね。そいつを狙う事。それと魔導機には絶対に近付かないで。あれは本当に危険な存在よ。それと、もしもの時は引き返して転移装置まで逃げなさい。いいわね」


 エレンはルビアの返事を待たずに飛び出した。女はヴァルキュリアに魔法で攻撃しているが、ヴァルキュリアは女の魔法を消滅させていく。


 エレンは走りながら近付き、ヴァルキュリアに魔法を放つのは無意味だと判断する。エレンは詠唱し、クロエに右手を向けて爆破の魔法を放った。


 だがエレンの放った爆破の魔法はクロエに命中する前にヴァルキュリアが消滅させた。ヴァルキュリアは素早くクロエの前に移動したのだ。瞬間的に主に危険が迫っていると判断し、行動したのだろう。エレンは舌打ちをする。


 クロエと相対している女と、クロエが突然乱入してきたエレンを見る。クロエはエレンを睨みつけた。


「……あんた誰?一体なんのつもり?私の邪魔をしないでくれるかしら?」


「私が誰かよりも、あんたこそ上の階層に行くのに邪魔なのよ。普段だったら無視する所だったんだけど、どうもそうはいかないみたいなの。……ねぇ、あんたがさっきその魔導機に埋め込んだのって……“神器”でしょ?」


 エレンの神器という言葉にクロエの眉がピクリと動く。


「驚いたわ。私と姉さん以外にも神器の事を知っている人がいるなんて。あんた、一体……?」


「クロエ、だっけ?世の中には知らない方がいい事もあるのよ」


「そう。まあいいわ。邪魔するならあんたも殺す」


 エレンはヴァルキュリアに警戒しながらクロエと相対している女に素早く近付いた。


「とりあえずあんたを助ける事にするわ。状況的にはあっちの方が悪者に見えるし。それにあんたには聞きたい事がある。クロエは教えてくれそうにないと思うしね。私はエレン。あんた、名前は?」


「……私はレイコ。来るわよ!」


 クロエが命令し、ヴァルキュリアが剣を振り上げて物凄い勢いで近付いてきた。エレンは剣を抜き応戦する。


(速っ……!)


 ヴァルキュリアの方が速い。エレンが反撃する隙を与えずに、次々と剣を繰り出してくる。物理攻撃しか通用しない相手はエレンにとっては初めてだ。と、いうより魔法が全く通用しない魔導機自体がデタラメな存在なのだが。


(……やりにくいわね)


 このままだと防戦一方になってしまう。エレンは詠唱し、自身に加速の魔法を掛けた。相手に魔法が通用しなくても、自分に掛ける魔法は使えるようだ。だが加速の魔法を自身に掛けてもヴァルキュリアの方が僅かに速い。


 エレンとヴァルキュリアの横では、レイコとクロエが杖を掲げて魔法戦を始めていた。魔法の発する光が飛び交っている。エレンは二人の魔法に巻き込まれないように距離を取った。ヴァルキュリアもエレンの動きに合わせてくる。


 エレンはヴァルキュリアと再び剣で打ち合う。だが、ヴァルキュリアの剣速の方が僅かに速い。徐々に圧され始める中、エレンは考える。正直、なりふり構わずに使える手を全部使えば、ヴァルキュリアを破壊する事は可能だ。エレンにはまだ奥の手がある。だが、今ここでは“それ”を使うべきではない。


(ヴァルキュリアの方が私より速いか。まあ人間じゃないものね……)


 エレンはヴァルキュリアの剣技をギリギリで捌き、距離を取った。


「……ふぅ。さて……」


 エレンは詠唱し、自身に再び魔法を掛けた。今度は超加速の魔法だ。


「……そろそろ手首も暖まってきたし、少しだけ本気で行くわよ。って、魔導機って言葉はわかるのかしら?主の命令を聞く機能があるから、言葉はわかるか」


 エレンは独り言のように喋り、全力で踏み出す。先程とは比べ物にならない速さでヴァルキュリアに刀身が黒い剣を走らせる。


 ヴァルキュリアの速さを遥かに凌いでエレンが優位に立つ。物凄い速さで何度も斬りつけ、ヴァルキュリアの身体を徐々に傷付けていく。


「……かったいわね!」


 ヴァルキュリアの身体は物凄く堅く、何度も斬りつけないと攻撃にすらならない。しかも傷を自動修復してしまう為、休む事無く剣を走らせなければならない。更に痛覚もない為、エレンの剣の乱斬りの最中でもヴァルキュリアは平気で反撃をしてくる。ヴァルキュリアの反撃を避けながらエレンは剣を走らせていく。


「はああぁぁぁっ!」


 エレンは気合いの声を発し更に速く剣を走らせる。ヴァルキュリアの修復速度よりエレンの剣撃の方が速くなった。ヴァルキュリアは徐々に身体が傷付き、エレンに対しての反撃が減っている。


(手数で押し切る……!)


 エレンの剣技にヴァルキュリアが圧されているのをクロエが気付く。レイコとの魔法戦を続けながらクロエはヴァルキュリアに命令をする。


「ヴァルキュリア、“変化”を許可するわ!」


 クロエの言葉にヴァルキュリアの目が赤く光る。エレンは嫌な予感を肌で感じた。


 ヴァルキュリアの両腕の剣が変化していく。形状が変化し、剣が大鎌になった。まるで腕だけがカマキリの人間のようだ。


(魔法を使わず剣を鎌にした!?)


 エレンは間合いを取ろうとしたが、ヴァルキュリアが大鎌に変化させた腕を振るった。態勢を低くし、ヴァルキュリアの大鎌をギリギリで避ける。


 なんとか距離を取り、エレンは態勢を立て直す。だがその間にヴァルキュリアの傷は完全に修復してしまった。


「……本当に厄介ね。こんなに苦戦したのはこっちに戻って来てから初めてだわ」


 その時、身体に痺れを感じた。聖域に居続けた影響が出て来たのだ。


(これ以上戦闘を長引かせるのはマズいわね。向こうもそろそろかしら?)


 エレンがチラリとレイコとクロエの方を見る。二人とも疲れて来たのか息が荒い。行使する魔法も減ってきている。レイコとクロエの魔法戦はほぼ互角といった所か。


 次にルビアの方をチラリと見る。おそらくルビアの事だから逃げてはいないだろうと思ったが、予想通りだった。状況を良く観察しており、自分がすべき行動を模索している。まだ動かないのはいい判断だ。いざという時の切り札としていつでも動ける状態であるルビアは、エレンにとっては心強い。だが、エレンはこの戦闘にルビアを参加させるつもりは無かった。


(さて……)


 エレンは目の前の厄介な相手を見据える。ヴァルキュリアは変化させた大鎌を構えており、エレンにジリジリと近付いてくる。


 エレンはいきなり背中の黒い翼を広げ空中に飛び上がった。


 突然エレンが黒い翼を広げて空中に飛び上がった為、レイコとクロエ、そしてヴァルキュリアも思わず動きを止めてしまう。エレンは集中し、魔力を急速に練り上げる。剣を掴んでいない左手を真上に挙げた。エレンは不本意だがもう少し本気を出す事にしたのだ。


「……クロエ、ヴァルキュリア。あまり私を舐めるなよ。ただの魔術師と人形如きが、目障りなのよ」


 エレンが詠唱を始めると、開いた左手の手の平に黒い光の塊がいくつも現れる。黒い光の塊は一つに集まり物凄い速さで大きくなっていく。


 詠唱を終えたエレンはレイコを見る。


「レイコ、離れなさい」


 エレンの言葉にレイコは慌てて後ろに下がった。クロエがエレンに叫ぶ。


「馬鹿なの?ヴァルキュリアには危害のある魔法はどんな魔法でも効かないわ!なのにあんたはそんな魔力の無駄使いをして何をするつもりなの?」


「うるさい」


 エレンは黒い光の塊をクロエに向けると一言詠唱をした。詠唱と共に黒い光の塊が弾かれ、黒い光の矢に変化しながらクロエに降り注ぐ。それも何本もだ。黒い光の矢の雨が降り注ぐのをヴァルキュリアが素早く移動しクロエを守る。魔法を消滅させるヴァルキュリアだが、エレンは構わず黒い光の矢を降らせ続ける。


「だから言ったでしょう!ヴァルキュリアはどんな魔法も消滅させるって!」


 クロエが勝ち誇ったようにエレンに叫ぶ。エレンはうるさい女だなと思いながらも更に新たな詠唱を始めた。今度は物凄く大きな黒い炎の球体が何個も現れる。


 エレンは生成した炎の球体を時間差で次々と放っていく。ヴァルキュリアは近付いてくる球体を一つづつ消滅させていく。


(……やっぱりか)


 エレンの予想通りだった。魔導機ヴァルキュリアは確かにどんな魔法をも消滅させる厄介な人形だ。だが、それはある一定の距離に存在している魔法で生成されたもの、或いは魔力そのものを消滅させているに過ぎない。そしてその魔法を消滅させる条件はおそらく“ヴァルキュリアの視界に入っているものであり、なおかつ一定の範囲内にあり、危害のある魔法”だとエレンは考える。この考えが正しいのなら、ヴァルキュリアは視界に入っていない魔法を消滅させる事は出来ないはずだ。


 エレンはヴァルキュリアに黒い炎の球体を放つと同時に、ヴァルキュリアとクロエの視界から外れた場所にもう一つ生成した黒い炎の球体をクロエの背中に向けて放った。


 二つの黒い炎の球体はほぼ同時にヴァルキュリアとクロエに到達する。


(さて、どうなるのかしら?)


 エレンの予想は当たった。ヴァルキュリアの視界から外れてる魔法は消滅出来ないみたいだ。ヴァルキュリアが自分の目の前の黒い炎の球体を消滅させたと同時にクロエの背中に黒い炎の球体が直撃した。クロエの悲鳴が鳴り響く。


「ぎゃあああぁぁぁっ!熱いっ!熱いっ!テメエェェェッ!殺すっ!絶対に殺すっ!あああぁぁぁっ!熱いっ!ヴァルキュリア!あいつを今すぐ殺せっ!」


 クロエはもの凄い形相で叫びながら空中を飛んでいるエレンを睨みつける。慌てて治癒魔法を自分に掛け、ヴァルキュリアに命令をする。しかし……。


「全然熱さが収まらないっ!何よこれっ!あああぁぁぁっ!熱いっ!何なのよこれっ!」


 エレンはクロエとヴァルキュリアを見下ろす。ルールを守るエレンだが、今回ばかりは迷っていた。魔導機を操る女は今ここで殺すべきではないか?人殺しはルール違反だ。だが、クロエは危険過ぎる。目的がなんなのかはわからないが、これから天国塔を登るのに障害になり得るのではないだろうか?


「…………」


 エレンは迷いながらも詠唱を始める。再び無数の黒い炎の球体を生成していく。


 その時、ヴァルキュリアが突然動いた。クロエの身体を持ち上げ、上の階層に続いている大広間の出口に向かって走り出した。突然の事に自らの身体に治癒魔法を掛けているクロエは驚く。


「何っ!?ヴァルキュリア!?何をしているの!?早くあの女を殺しなさい!」


 クロエが命令するが、ヴァルキュリアは聞かずにクロエを抱えたまま大広間を出て行った。


 エレンは詠唱した無数の黒い炎の球体を消した。とりあえず脅威は去ったようだ。


「……ふぅ」


 エレンは飛ぶのを止める。着地した所でルビアがエレンの所に駆けつけてきた。


「エレンさん、大丈夫ですか!?」


「大丈夫よ、ルビア。戦闘に参加せずに状況を観察していたのはいい判断だったわ。ルビア、隙をうかがってクロエを狙っていたでしょう?」


「はい。あのクロエって人は危険過ぎます。目的が何かはわかりませんが、あの人は多分誰かが止めないといけないと思ったので……。今回ばかりは殺すのもやむを得ないって判断したんですけど、逃げちゃいましたね」


 エレンは正直、ヴァルキュリアがクロエを連れて逃げてくれて助かったと思った。あのままだともしかしたらエレンはクロエを殺していたかもしれない。もしかしたらルビアがクロエを殺していたかもしれない。ルビアを人殺しにさせるのは嫌だ。


 天国塔を登る上で厄介なのが現れたものだとエレンは溜め息をつく。もしクロエを殺すのであればルビアにやらせる訳にはいかない。エレンは人間が嫌いだが、三百年前に自分が殺したオマロとオマロの部下に対しては今でも責任を感じている。あんな糞みたいな人間の命でも、エレンは殺した事を今でも後悔しているのだ。


 そんな思いを、ルビアにさせる訳にはいかない。ルビアはいざとなればクロエを殺してしまうだろう。だが、そんな事は絶対にさせないとエレンは誓う。


 だが今はそれよりもと思い、エレンはレイコを見る。


「さて、レイコ、だったかしら。あんたには色々と聞きたい事があるのよ」


 レイコに聞きたい事が沢山あるが、まずは何から聞くべきだろうか?エレンは考えを纏め始める。



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