第四話 ノアの街
「ちょっと、何するのよ!」
力作を返却され、更にお受け出来ませんときっぱり言われたエレンは顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
力作といっても、適当に書いたしょうもなさがにじみ出ているが。
「申し訳ありません。用件がお済でしたらお帰り下さい」
「まだ全然済んでないわよ!“申請書”を出したんだから、さっさと天国塔に入る許可証を──」
エレンが激昂するのに構わず、受付の男は言葉使いを変え、平坦な口調で語りかける。
「ここの受付はちゃんとした身分もわかっていて、実力も備わっている人の為のものだ。お前みたいな遊ぶつもりで来たような田舎者の小娘はお呼びじゃないんだよ。天国塔に入ったら三分で死にそうだから、今すぐ帰れ」
男は鼻で笑いながら、虫を追い払うようにしっしっと手で追い返す仕草を取る。
嘲りを受けたエレンの顔は完全に激昂していた。
「こ、この野郎!」
「ほら、早く帰れ。お前の後ろにまだまだ受付してない人がたくさんいるんだから、とっとと俺の前から消えてくれ」
エレンが振り向くと、長い行列が出来ている。装備を整えた戦士や、魔術師の女。他にもごろつきに見える男や、野盗に見える男、女戦士など多種多様の人が並んでいる。これが全部天国塔に入る許可証をもらう為に並んでいるのだ。天国塔の最上階にたどり着き、願いを叶えたい人間は沢山いるという事だ。
冷静に、とエレンは自分に言い聞かせながら受付の男に言う。
「どうせやっつけ仕事なんでしょ?あんたがさっさと許可証を渡してくれれば、ここからすぐにいなくなるけど」
「それは出来ない。お前、どこの出身だ?姓は?それにそんなボロボロの服に防具も着けないで腰に装備している剣一本で天国塔に入るつもりか?馬鹿だろう」
「だから申請書に全部書いたじゃない。……私の服装や装備はどうでもいいのよ。ほら、申請書の内容を見ないで私に返したんだから、もう一度ちゃんと見なさいよ」
エレンは受付の男に申請書を差し出す。受付の男は仕方がないといった様子で出された申請書を受け取り、読み上げる。
「……仕方ないな。どれどれ。お前の経歴はと。『天使になりました。しかし、神の不正を見つけ堕天使にされたので天国から逃げました』か。で、名前はエレン。出身と姓は忘れましたと。……お前の頭の出来に敬意を評したいところだ」
「……それはありがとう」
「誉めていない。皮肉だ。帰れ」
「……そう。わかったわ。だったらあんたがちゃんと受付してくれないって街中で叫び回ってやるわ。ああ、あんたの家を調べて今夜にでも襲撃しに行くから覚えておきなさい。命までは取らないけど、申請書を出したら許可証を貰えるルールを守らないあんたが悪いのよ」
エレンがその場を立ち去ろうとすると、受付の男が少しだけ慌てる。もしかしたら本当に襲撃されるかもしれないと思ったみたいだ。
「待て待て、わかったわかった。ちゃんとした申請書の書き方を見せてやるから、もう一度ちゃんと書いてくれ。……せめて天使になりました、というような頭のおかしい経歴はやめてくれ。こっちも仕事なんだ。頼むから、ちゃんとした内容に仕上げてくれ」
受付の男はそう言うと、申請書の書き方の注意書きが書かれた紙を寄越してくる。
「……なになに、って無意味に長いし細かいわね」
細かい字でびっしりと書いてある注意書きを、嫌々ながら目を通す。非常に読みづらく、破りたくなるのを我慢して読み進め、大体の理解を得る。
──注意書きの内容を要約すると。
・天国塔に入る許可証を貰うには、このノアの街で正規の手続きをしなければならない。
・他人の名前を書いたり、虚偽の身分を語ったりと不正が発覚した場合、直ちに天国塔へ入る為の許可証を回収、その者を二度と天国塔に入れないようにする。
・天国塔に入る『許可証』を手に入れ、天国塔入口に居るノア教会の魔術師に『許可証』を登録してもらえば自由に天国塔を探索できる。
・『許可証』を盗難、紛失した場合はノア教会は一切の責任を負わない。
・宿をお探しの際は『天国亭』へ是非お越し下さい。美味しい食事と素晴らしいお酒が貴方をお待ちしています。天国亭に泊まればきっと貴方の願いも叶います!
──以上である。
(最後のは宣伝じゃない。しかし、どうしようかしら。本当の事を書いても信じて貰えないし)
エレンが考えていた時、受付の男が言う。
「わかったらさっさと書き直して並び直せ。ちゃんと書いてくれれば、こっちも許可証を渡す」
もう本当の事を書いているのだが、この内容だとどうやら許可証を貰えないようだ。それに嘘の内容を書いても調べられれば絶対にばれるだろう。さてどうするかと考えた時、注意書きに書いてある内容に目をつける。
「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど。許可証を盗難、紛失した場合、ノア教会ってのが責任を負わないって書いてあるんだけど、つまり誰かから盗んだ登録前の許可証はそのまま使えちゃうって事?」
「……言い方に多少問題があるが、まあ、そうだな。しかし、最近は許可証を盗難や紛失した者はいないぞ。許可証を貰った者は直ぐに天国塔の入口に居るノア教会の魔術師に登録手続きをして貰うからな」
「なるほど。よくわかったわ。ありがとう」
「もういいな?次の方どうぞ」
受付の男の言葉に苛々した様子で並んでいた男はエレンを押しのける。
「ようやくか。邪魔だ、さっさとどきな!」
「い、いたっ!」
頭に来たのでエレンは押しのけて来た男にお腹が痛くなる魔法をこっそり掛けておいてイタズラしておいた。三日は腹痛に悩まされるだろう。ざまあみろとエレンはやり返し、満足する。
エレンは気を取り直して周りを見回す。ほとんどの人は許可証を貰ったらさっさと天国塔の入口に登録しに行っている。
「…………」
じーっと見回すと、ごろつき共がたむろしているのがエレンの目に止まる。
「親分、貰った許可証見せてくだせぇ」
「ほらよ。ようやく手に入れたぜ。お前らも早く許可証貰えるように実力をつけろよ」
「へい。早く親分みたいに許可証貰えるように頑張りますぜ!」
どうやら許可証を貰ったごろつきのリーダーが部下に自慢をしているようだ。あんなのでも天国塔に入る許可証を貰えるようだ。
(……あれでいいか)
エレンはごろつき達に近付き声を掛ける。
「ねぇ、ちょっとそこの許可証持ってるあんた」
「あん?」
「いきなりだけど、私と勝負をしない?」
「勝負だあ?」
「そうよ。勝負をして勝った方が負けた方になんでも一つ要求出来るの。ね、どうかな?」
「なんでも一つ要求していいだと?」
「うん、そう。負けた方は必ず要求に応えなきゃいけないの。どう、私と勝負しない?」
エレンはルールを守る。先程受付の男に確認したのは他人の許可証を奪っても良いかどうかの確認だ。人の物を盗むのはやってはいけない事だ。ルールに反する。
なら、合意の上で許可証を奪い取ればいいのだ。それに頭の悪そうなごろつき共なら、なんでも一つ要求出来るという目先のご馳走に食いつくはずだ。
案の定、ごろつき共はエレンの身体をいやらしい目で舐めまわすように見てくる。服装はボロボロだが、エレンの身体つきは妙に色香がある。エレンの服装がボロボロなので、金に困った馬鹿な女がどうにかしようと話を持ちかけて来たとごろつき共は考える。
ごろつき共のリーダーはエレンの申し出を承諾する。
「へへ。いいぜ。あんたと勝負してやる」
「そう。それはありがとう。勝負の内容は、相手が負けを認めたらそこで終わり。方法は何でもいいわ。あんたのその腰にある立派な剣を使ってもいいし、あんたの周りのごろつき共を使っても構わないわ」
「いいんだな?へへ。どうやら今夜は楽しめそうだぜ!おい、野郎共!最初は俺が頂いちまうからな。お前らは俺がたっぷり楽しんだ後に好きにしていいぜ」
「わかりやした!親分!」
どうやらごろつき共はもう勝負に勝った気でいるようだ。ごろつき共の脳内ではエレンといやらしい事をしている自分を想像しているに違いない。
エレンはごろつき共のしょうもない思考に溜め息をし、頭を抑えながら呆れた表情でごろつき共に言う。
「……いつでもいいわよ」
「野郎共、かかれ!」
ごろつき共のリーダーの言葉に一斉にエレンにごろつき共が襲いかかる。エレンは素早く拳を連続で突き出した。
ごろつき共はエレンの拳の一撃で全員気絶した。ごろつき共のリーダーが少し目を見開くが、余裕たっぷりに言ってくる。
「なかなかやるじゃねぇか。こいつらには褒美は無しだな。俺一人で楽しむ事にしよう」
「何を楽しむのか知らないけど、その腰の剣は使わないのかしら?」
「剣で傷つけちまったら、あんたの身体を俺が楽しめないだろうが!」
ごろつき共のリーダーがエレンに拳を突き出してくるが、エレンは簡単に避け、ごろつき共のリーダーの左足を思いっきり蹴った。
明らかに脚の骨が折れる音がし、一間開けてごろつき共のリーダーの悲鳴が轟く。
「……がああああっ!痛ええぇぇ!痛い痛い痛い!骨が……骨があぁっ!」
エレンは折るつもりは無く手加減をしたつもりだったが、ごろつき共のリーダーの左足は有り得ない方向に曲がっている。膝の曲がる方向とは逆の方向にごろつきのリーダーの左足は折れ曲がっていた。左足だけ逆関節の生き物のように見える。まあいいかとエレンは思い直し、手で脚を抑えれないようにごろつきのリーダーの腕にだけ拘束の魔法を掛けておく。
「ね、負けを認める?」
「だ、誰がお前なんかに!」
明らかにもうエレンには勝てない状況なのにごろつき共のリーダーは頑として負けを認めない。
「……そう」
エレンはごろつき共のリーダーの左足の折れた場所を踏む。踏んでいる足をぐりぐりと動かすと、ごろつき共のリーダーの悲鳴が木霊する。
「がああああぁぁぁぁっ!」
「ね、負けを認める?」
「わ、わかった。お、俺の負けだ。だから、その、踏んでいる足をどけくれ!た、頼むから!」
痛みで息が切れ切れでごろつき共のリーダーはようやく負けを認めた。エレンは足をどけてやった。
「じゃあ私の勝ちね。で、要求なんだけど、あんたの持っている天国塔に入る為の許可証を私に寄越しなさい」
エレンの要求にごろつき共のリーダーの男は反発する。
「そ、そんな事出来る訳ねぇだろ!せ、せっかく手に入れた許可証を!そ、それに、許可証を手放したら二度と貰えないんだよ!そ、そんな大事な物渡せるか!」
敗者の癖にルールを守らない。本当にどうしようもないが、エレンはとりあえずごろつき共のリーダーの右足を思いっきり蹴り飛ばした。先程と同様に骨が折れる鈍い音がする。
「がああああぁぁっ!」
エレンはごろつき共のリーダーの折れた足を何度も蹴りながら、痛みで涎と涙と鼻水を撒き散らしているごろつき共のリーダーにもう一度言う。
「許可証を寄越しなさい。少なくともあんたのしょうもない願い事なんかより、私の方が有効に使えるからさ」
ごろつき共の返答を待たずにエレンは折れた箇所を何度も蹴り続ける。蹴る度にごろつき共のリーダーの絶叫が木霊するが、エレンは容赦をしない。
ようやく観念したのかごろつき共のリーダーが涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃになった顔で口をパクパクさせながら何かをエレンに言おうとしたが、エレンはごろつき共のリーダーの左腕を蹴り飛ばした。三度目の骨が折れる鈍い音がする。
「がああああぁぁっ!や、やめ──」
「ああ、ごめんごめん。また許可証を渡さないって言うと思ったから、先に左腕も折っておこうと思って。それで何を言おうとしたのかしら?」
「き、許可証を渡すから、ゆ、許してくれ」
「そうそう。その一言が聞きたかったのよ」
ごろつき共のリーダーは震える右手で許可証をエレンに差し出す。エレンは許可証を受け取ると、ありがとうとお礼を言いその場から立ち去ろうとする。だが思い出したようにごろつき共のリーダーに向き直ると折れた腕と足を治癒魔法で治してやった。後で治療費を請求されたらムカつくからだ。ごろつき共のリーダーは痛みに耐えられなかったのか、エレンに許可証を渡した後、気絶していた。気絶から回復したらきっと心底驚くだろう。折れたはずの自分の手足が治っているのだがら。
妙に注目を浴びているような気がしたのでふと周りを見ると、先程の受付の男や、受付待ちの並んでいる人達が全員エレンとごろつき共のやり取りを呆然とした表情で見ていた。皆手を止めている。
エレンは先程の受付の男にどうだと言わんばかりの表情で許可証を見せつける。受付の男はブルブルと震え始めた。エレンの実力に恐怖を感じているようだ。脅迫し、立ち去ろうとするエレンを呼び止めて申請書の注意書きを見せていなかったら、きっとごろつき共と同じような目にあっていたのではないかと脳裏をよぎっているに違いない。
エレンは目的の物を手に入れたので、天国塔の入口に向かう事にする。
今のエレンの格好は、とても女性らしい格好をしていない。貧相な薄汚れたボロボロの普段着に、腰に剣を一本装備しているだけだ。
しかもお金がない。お金がないからご飯も服も買えないし、宿屋に泊まる事も出来ない。お金を稼ぐ手段が全く思いつかないのでとりあえず天国塔に入るのだ。天国塔に入れば少なくとも聖獣の肉が食べられる。お金を手に入れる方法はとりあえず後回しだ。そんなにお腹が空かない身体なので聖獣の肉さえ食べてしまえばお腹は膨れる。それからお金を稼ぐ方法を考えよう。
エレンがお金を稼ぐ前に聖獣の肉を食べる事ばかり考えていた時、どこからか声を掛けられた。
「あ、あのー」
「ああ、お腹が空いた。面倒くさい。お金を稼ぐのはどうすればいいのかしら」
「す、すみません」
若い女が隣から声を掛けてくるが、エレンは気にしないで歩き続ける。
「気のせいかしら。お腹が空きすぎて幻聴まで聞こえてきたわ。そろそろお迎えかしら。どうせ死ぬなら地獄が良かったわ。天国行きは勘弁して欲しいわ。死んでからクラディウスの相手や天使共をぶち殺し続けなきゃいけないと思うと心が憂鬱になるし」
ぼそぼそと話し掛けてくる女の声を無視して、エレンは天国塔の入口を目指す。きっと話し掛けられているのは自分ではないだろうと自分に言い聞かせながら。
だが、残念な事に正面へと回りこまれてしまった。
「すみません!その、もし良ければ、私と一緒に天国塔に行きませんか?」
「なんで?というか、あんた誰?」
エレンが品定めをするように正面に回り込んだ若い女を見る。善人そうに見えても、実は悪い人間という事は本当に良くある。エレンは基本的に人間を信用していない。疑ってかかるのが正解である。
「えっと、先程の人達とのやり取りを見ていました。それで、あなたはかなりの実力を持っていらっしゃるようなので。これから私も天国塔の入口に居るノア教会の魔術師の所に許可証を登録しに行くのですが、よかったらご一緒にと思いまして。一人だと色々と不安ですし」
人の良い笑顔でエレンに提案してくる若い女。裏がありそうな感じは見受けられないし、話していても特に何かを企んでいる様子はない。この女は見た目通りの人間のようだ。
「……なんで私があんたと天国塔に行かなければならないのよ?どう見てもこんなボロボロの服を着ていて、人から許可証を“貰った”奴なんて外れだと思わない訳?」
「と、とんでもありません。あなたの実力は凄いですよ!あんな簡単に複数の相手を一撃で気絶させるなんてなかなか出来ないですよ!」
「いや、だから、なんであんたと一緒に──」
「強くなるって想いと高い目標を持って、鍛錬に励むことが大事なんですよね!あなたはそれが良くわかっているんですね!素晴らしいです!」
女は拳をグッと握り締めて力説している。
『あ、この娘は疲れる人間だ』とエレンには一瞬で分かってしまった。この手の人間は体力だけでなく、精神力も消耗する。しかも、人の話を聞いていない。
もう一度容姿を眺めてみる。エレンより少し身長は高い。重厚で造りがしっかりとしている赤い防具。家紋らしきものが入った盾、それに立派な剣を腰に携えている。理想的な戦士といえるだろう。
髪は赤くショートカットにしている。瞳の色も赤い。全身赤まみれのその女の目は理想に燃えて力強く輝いている。
「……まあ良いわ。ちょっと久々にこっちに戻って来たからわからない事がたくさんあるのよ。あんたに色々教えて貰うわ」
「はい!なんでも聞いて下さい!」
「なら早速質問をするわ。天国塔に入るのに許可証が必要になったのはいつからなの?」
「え?私が生まれるずっと前からなので確か三百年ぐらい前からです。母様から聞いた事がありますので」
「へぇ、そんな前からなんだ。じゃあ、次の質問。許可証を貰わないと自由に天国塔に入れなくした理由……つまり、誰でも入れないようにした理由はなんで?」
「それは……私の先祖がそう決めたので」
「あんたの先祖?」
「あ、申し遅れました。私、ルビア・ノアと申します。このノアの街はノアの一族が繁栄させて……今は私の父様がこの街の皇帝です」
「つまり、あんたの先祖のノアの皇帝だった奴が天国塔を自由に入れないようにしたって事?面倒な事してくれるわね。目の前にいたらとりあえず一発ぶん殴ってやるところだわ」
エレンのその言葉にルビアが物凄い勢いで謝ってくる。
「すみません!私の先祖が大変迷惑な事をしてしまいまして!だからどうか私の事は殴らないで下さい!」
「なんであんたを殴るのよ。あんたの先祖に文句を言いたいだけよ。……まあいいわ、顔を上げなさい。次の質問よ。ノアの街って天国塔を中心に成り立っているのかしら?」
「はい!このノアの街は『天国塔』を囲んで築き上げたものです。偉大なる神、クラディウス様に少しでも近付く為に私達ノア一族が街を築き上げました!」
説明をした後で、照れ笑いをルビアは浮かべている。久々に地上に戻って来たら劇的に変化していた街にエレンが詳しくないのは当然だ。何もかもが自分がいた時代とは違うのだから──天国塔以外は。エレンにとっては興味深い話だった。
「あ、お腹が空いてるんでしたっけ?なら天国塔に行く前に軽く何か食べていきますか?私、天国亭に泊まっているんですけど天国亭は食事処でもあるんですよ」
「……お金がないのよ」
「お金でしたらいくらでもありますから、一緒に食べましょう!」
にこにこと眩しい笑顔で語りかけてくる。まるで慈悲深き女神のようだった。
「……ルビアだっけ?あんた良い奴ね」
「お付き合いしてもらうお礼です!あ、その前にその服装をなんとかしないといけませんね……」
ルビアはエレンのボロボロの服装を見る。臭ってはいないが、あからさまに乞食みたいな格好をしている。
「ごろつき共とのやり取りでボロボロの服のままなのをすっかり忘れてたわ。ルビア、あんたにご飯を奢って貰うお礼に手品を見せて上げるわ。三秒だけ後ろを向いていなさい」
「三秒ですか?わかりました」
ルビアが後ろを向いたのでエレンは素早く詠唱をした。エレンの身に纏っていたボロボロの服が変わる。
「もういいわよ」
ルビアは振り向くと驚きの声を上げる。
「え!?服装が変わった?なんでですか!?」
「言ったでしょう?手品だって。女には色々と秘密が多いのよ」
「そうなんですか。……でも」
「何?私の服装になにか文句ある?」
「いえ、あの……その格好はなんですか?まるで──」
「格好いいでしょ。私が自分で作った服なの」
エレンはそう言うとくるりと一回転する。
エレンが詠唱で着替えた服装は、黒の装いだった。黒いボディスーツのような服に肩から腕にかけて、黒い羽のような布が覆っている。胸元には蝶の装飾が施してあり、背中は大きく開いている。靴は黒い革のブーツだ。全身の所々に六芒星の装飾が施してある。
「どう、私の服?」
エレンは服の感想を聞きたかった。ルビアは困った顔で言ってもいいのかどうかしどろもどろしている。エレンの顔が徐々に不機嫌になっていく。
「……何?言いたい事があるならはっきり言いなさい」
「あの……まるで──」
「まるで?」
「まるで、悪い魔女みたいな格好です……」
ルビアはごめんなさいと小さな声で言いエレンの反応を伺う。エレンは悪い魔女という感想に対して少し考えてから、ルビアに聞いてみる。
「……悪い魔女ね。尖り帽子は被っていないんだけど。堕天使には見えない?」
「堕天使、ですか?」
「うん、そう。思わず天使達がビビってしまうような服にしてみたんだけど、どう?」
「堕天使には見えないです。でも、なんか、凄く強そうに見えます」
「……そう。まあいいわ。これで服の問題は解決したわ。早くご飯を食べに行きましょう。お腹がペコペコで死にそうよ」
言葉とは裏腹に機嫌が良さそうなエレン。ルビアはホッと胸をなで下ろしエレンを天国亭に案内する。
◆
天国亭の看板には天使の翼のデザインが施してあるだけで、でかでかと『天国亭』と書かれてあるだけだった。
「エレンさん、ここですよ!」
「見ればわかるわ。……ねえ、この看板のセンスどうにかならなかったのかしら?もう少し絵を増やすとかさ、色を使うとかやりようはいくらでもあると思うんだけれど」
「シンプルでいいじゃないですか!さあ、中に入りましょう!」
ルビアに言われたので看板に納得がいかないがエレンは仕方なく天国亭に入る。
天国亭の一階は食事処で料理とお酒を提供している。二階からが宿のようだ。
適当な席にルビアと座り、エレンとルビアはメニュー表を手に取る。
「エレンさん、好きなだけ食べて下さいね!」
「……本当にいいの?」
「ええ!もちろん!付き合ってもらうお礼ですし!」
「わかったわ。女に二言は無いわね?ちょっとそこの店員さん、注文したいんだけど」
エレンは近くの店員を呼び止め、料理の注文をする。
「メニュー表に載ってる料理、全部持ってきて。飲み物は水でいいわ」
「……全部、ですか?」
「うん。そう。ルビア、あんたは何にする?」
「あの、エレンさん……」
「何?早く頼みなさい」
ルビアは何か言おうとしたが、エレンに促されたので注文をする。店員はエレンの注文に驚愕しながら注文を厨房に伝えに行った。
「あの、エレンさん……」
「なあに?」
「沢山食べるんですね……」
「好きなだけ食べてもいいって言ったのはあんたじゃない。それに、私の場合は一度に大量に摂取しないと魔力が保たないのよ」
「魔力、ですか?エレンさんって……」
「ああ、私、魔法を使えるのよ。でも、沢山食べないと魔力切れになっちゃうのよ。それに、今沢山食べておけば一週間ぐらいは何も食べなくても大丈夫よ。毎日こんなに沢山食べる訳ではないわ」
「……変わった体質なんですね」
「そうよ。そういう事だと現実を受け入れなさい」
元々天国塔にさっさと入って聖獣の肉をたらふく食べるつもりだった。その予定が天国亭の料理に変わっただけだ。エレンは運ばれて来た料理を早速口に運ぶ。
「久々に料理と呼べる物を食べたけど、昔に比べて格段に美味しくなったじゃない」
「……はあ」
「本当に美味しいわね」
次々と料理を口に運び、皿の上を綺麗にしていくエレン。物凄い勢いで食べている。ルビアはエレンの食べっぷりを唖然とした表情で見ている。
「ほら、あんたの料理も来たわよ」
運ばれて来た料理をルビアも食べ始める。エレンは疑問に思った事があるのでルビアに聞いてみる。
「そういえばルビア。あんたはどうして天国塔に挑戦しようと思ったの?」
「私は、父様に認めてもらいたくて……」
「あんたの父って今のこのノアの街の皇帝でしょ?父親である皇帝に認められたいってそんなわざわざ天国塔に挑戦しなければならない願い事なの?」
「……そうなんですけどね」
ルビアは黙って食事を続ける。どうやら、まだ何か天国塔に挑戦する理由がありそうだとエレンは感じた。だが何も聞かない事にした。秘密の一つや二つ誰にでもある。エレンは話題を変える事にした。
「ルビア。あんたの考えで構わないんだけど、聞きたい事があるんだけどちょっと聞いてもいい?」
「なんですか?」
「天使についてどう思う?」
エレンの質問にルビアは頭を悩ませる。
「うーん……天使ですか。そうですね……人間を守護してくれる存在、ですかね」
「そう。まあ普通はそう思うよね。じゃあ、悪魔は?」
「悪魔、ですか。悪魔は……人間の魂を食べたいから、人間と契約して願いを叶えてくれるかわりに魂を食べてしまう存在、ですかね」
「そう。あながち間違っていないわ。なら、最後に堕天使はどう思う?」
「堕天使ですか?……堕天使は……わからないです」
「そう。なら教えてあげるわ。堕天使はね──神に復讐する存在よ」
◆
天国亭で食事を終えたエレンとルビアは天国塔の入口にいるノア教会の魔術師に許可証を登録して貰う為、天国塔の入口に向かっている。
「……うぇっぷ。気持ち悪い。食べ過ぎたわ」
「エレンさん、大丈夫ですか!?」
「……大丈夫よ。吐きそうだけど」
「何処が大丈夫なんですか!」
「まさか最後に馬鹿でかい鳥の丸焼きが出てくるとは思わなかったわ。あのタイミングで鳥の丸焼きを出してきたのはわざとかしら?私への嫌がらせか何か?」
「あれはパーティー用や団体さんが頼むメニューみたいですよ。なのにエレンさんがメニュー表に載ってる料理を全部頼んじゃうから」
「仕方ないじゃない。お腹が空いていたんだもの。それにあんたのお金で食べてる訳だから、残す訳にはいかないし」
「そんな、全然気にしなくて大丈夫でしたのに」
「だめよ。私が気にするわ……ああ、気持ち悪い」
エレンは気持ち悪そうにしながら、ルビアの後ろを歩く。ルビアの後ろ姿を眺めながらエレンは考える。
この娘も、私から離れてしまうのだろうか。それともルビアとは友達になれるのだろうか、と。
それはこれからルビアと関わっていけばわかるだろう。