第十三話 剣姫
地下工房から寝室へ戻ると、三人は再び席に着いた。
エレンはベッドへ腰掛け、ルビアとレイコはベッドの傍らに置かれた椅子へ腰を下ろす。
部屋には静かな空気が流れていた。
先程まで目にしていた少女の姿が、誰の脳裏にも焼き付いて離れない。
レイコは三人分のミルクが入ったカップを魔法で温め直す。
冷めかけていたミルクから、再び湯気が立ち上った。
「はい」
レイコは二人へカップを手渡す。
「ありがとう」
エレンは受け取り、一口だけ口を付けた。
温かなミルクが身体へ染み渡っていく。
しばらく誰も口を開かなかった。
静かな時間だけが流れる。
やがてエレンはカップを両手で包みながら、レイコへ視線を向けた。
「なるほどね。 外で見た大量の人形は、地下に眠る娘さんの身体と魂を守る為だったのね」
レイコは静かに頷く。
「そうよ。最初は娘を守る為だけだったの。 死んだ娘の傷を塞ぐ為に、人間の身体の構造を必死に調べていたら、自然と色々な知識が身についてね」
少しだけ微笑む。
「だったら、その知識を人形にも応用出来るんじゃないかと思ったの。 試しに造ってみたら思っていた以上によく動いてくれて。 今では屋敷を守る大事な番人になってくれているわ」
エレンは納得したように頷く。
「なるほど。確かに、魔導機とは違うけれど発想は近いわね」
「ええ」
レイコはカップへ目を落とす。
「それに、治癒魔法は生きている者にしか使えないでしょう? だから死体の傷を塞ぐ魔法を組み上げるのは、本当に苦労したわ」
エレンは静かに頷いた。
その苦労はよく分かる。
葬儀師や一部の治癒術師しか扱えないほど高度な魔法だ。
レイコが一人でそこまで辿り着いた事は、並大抵の努力ではない。
エレンはカップをテーブルへ置く。そして静かにルビアへ視線を向けた。
「さて、次は、ルビア。今度はあんたの話を聞かせてもらえる? ルビアは、どんな願いを叶える為に天国塔を登っているの?」
レイコには、本来クラディウスへ願うつもりはなかった。
娘を救う方法は神器だった。
その神器を取り戻す為にクロエを追い、天国塔へ入っただけ。
だから、願いを叶える相手はクラディウスではない。
だが、ルビアは違う。
願いがあるからこそ、この塔へ挑んでいる。
その願いとは、一体何なのか。
ルビアは静かにカップを置いた。
小さく息を吸う。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……今から話す理由は、きっと、この中で一番くだらなくて……一番意地汚くて、一番醜い理由です」
自嘲するように、小さく笑う。
「だから、そんな人間なんだって思いながら聞いてください」
エレンもレイコも何も言わない。
ただ静かに頷いた。
二人が最後まで話を聞いてくれる事を信じて。
ルビアはゆっくりと、自分の過去を語り始めた。
「私がまだ小さかった頃――」
◆
ルビアは一度深呼吸をした。
少しだけ視線を落とし、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「私は、小さい頃から父に剣術を教わっていました。 父はノア皇国の皇帝なんですけど、趣味で剣術道場も開いているんです。 子供から大人まで、本当に沢山の人が稽古に来ていました」
懐かしむように微笑む。
「私は皇帝の娘だったからなのか、それとも期待されていたからなのか……理由は今でも分かりません。でも、父は、誰よりも私に厳しかった」
ルビアは静かに続ける。
「新しい剣技を教える時は、最初の受け手は必ず私。 危険な技も、難しい技も、全部、私が最初でした。 もちろん、本気ではありません。 竹刀を使っていました。でも、ある日……」
ルビアは自分の左腕へそっと目を向ける。
「私は受けきれなかった……父の一撃を受けて、左腕を骨折したんです」
部屋は静まり返る。
「私は当然、治るまで稽古は休みになると思っていました。でも……」
苦笑する。
「父は違いました。『ルビア。腕は二本あるだろう。右腕が使えるなら、稽古は出来る。』……そう言われたんです」
エレンは小さく眉をひそめる。
ルビアは肩を竦めた。
「その時は、不思議と納得しちゃったんですよね。 確かに右腕は動くし。 じゃあ稽古出来るか、って。今思えば、ちょっと変なんですけど」
レイコは複雑そうな表情を浮かべる。
「それで……?」
ルビアは小さく頷いた。
「そのまま稽古が始まりました。 相手は年上の男の人でした。 試合が始まる前に、父はその人へこう言ったんです」
ルビアは父の口調を思い出すように、少し低い声で言う。
「『怪我をしている相手だからといって容赦するな。 弱点があるなら、そこを狙え。実戦では敵の弱点を狙うのは当然だ。だから遠慮はいらん』」
部屋に静寂が落ちる。
エレンは静かにミルクを口へ運ぶ。
「……言ってる事は間違ってないわ。でも、娘に言う事じゃないわね」
ルビアは苦笑した。
「そうなんですよね。 私も今ならそう思います。 でも、あの頃の私は……父の言う事は全部正しいって信じていました」
静かに息を吸う。
「だから試合が始まっても、私は何も疑いませんでした。 左腕ばかり狙われても、それが当然なんだって。 そう思っていました」
そこでルビアは言葉を止め、少しだけ目を閉じる。
「……でも、あの瞬間だけは……どうしても許せなかったんです」
ルビアは静かに目を閉じる。
あの日の光景を思い出すように。
「試合が始まってからも、相手の人は何度も左腕を狙ってきました。 骨折している左腕を庇えば、当然隙が出来ます。 だから私は押され続けました。 何度も竹刀が左腕に当たって……その度に激しい痛みが走って……」
ルビアは左腕をそっと握る。
「正直、勝てないと思いました。 だから降参しようとしたんです」
一度言葉を切る。
「でも……その時、相手の顔を見たんです」
部屋の空気が静まる。
「その人……笑っていました」
エレンとレイコは黙って話を聞いている。
「勝てそうだから笑っていたんじゃありません。 楽しそうだったんです。 怪我をしている私をいたぶる事を、弱い相手を一方的に痛めつける事を……心の底から楽しんでいる顔でした」
ルビアは静かに俯く。
「その笑顔を見た瞬間、頭の中が真っ白になりました。 痛みなんて、どうでもよくなった。ただ……許せなかった。 この人だけは、絶対に……許したくない」
ルビアは静かに目を開く。
「その時、私は初めて誰かに殺意を抱きました」
レイコは思わず息を呑む。
ルビアは淡々と続けた。
「相手が次の一撃を振り下ろそうとした、その瞬間でした……私は踏み込みました。 竹刀の切っ先を、そのまま相手の左目へ突き出したんです」
静かな声だった。
だからこそ、余計に重い。
「相手は避けられませんでした。 竹刀は、そのまま左目に当たって……潰れました」
レイコが思わず口元を押さえる。
エレンは表情一つ変えず、静かにルビアを見つめていた。
「相手は竹刀を落として……悲鳴を上げながら左目を押さえました。 でも……私は止まりませんでした。竹刀を握り直して、何度も、何度も……何度も振り下ろしました。 相手が降参するまで、一度も止めませんでした」
部屋は静まり返る。
ルビアはカップへ視線を落とした。
「……今思えば、やり過ぎだったんでしょうね。でも、当時の私は……一度も後悔しませんでした」
ルビアは小さく息を吐く。
「相手が降参した瞬間、私は竹刀を下ろしました。 その人は左目を押さえながら、その場に倒れ込んでいました。 周りの人達も誰も動けませんでした」
少し苦笑する。
「多分、みんな驚いていたんだと思います。 私も、頭が冷えてきて……ようやく自分が何をしたのか理解しました」
静かな時間が流れる。
「その時でした。父が私の前まで歩いて来たんです」
ルビアは当時の父を思い出す。
「物凄い形相でした。 私は……やっと褒めてもらえるって思ったんです」
エレンが僅かに眉を動かす。
ルビアは苦く笑った。
「だって。父はいつも言っていましたから。『戦いでは容赦をするな。敵の弱点を狙え。情けを掛けるな。』……だから私は、父の教え通りに戦っただけでした。でも……」
ルビアはゆっくり首を横へ振る。
「父は違いました」
父は怒鳴った。
『ルビア!! いくら何でもやり過ぎだ!!お前は……!』
そこで父は言葉を飲み込む。
怒りとも、失望とも、諦めともつかない表情で、ただ一言だけ告げた。
『……もういい。お前は二度とここへ来るな。破門だ』
部屋が静まり返る。
ルビアは淡々と続ける。
「私は、その言葉を聞いて、頭の中が真っ白になりました。 どうして、って思いました。 私は父の教えを守っただけなのに……父の言う通りに戦っただけなのに……なのに、どうして私だけ怒られるんだろうって」
ルビアは自嘲するように笑う。
「今なら分かります。 目を潰すなんて、やり過ぎだったんだって。 でも、あの頃の私は、本当に分からなかった。 だから、父に認めてもらう為にもっと強くなろうと思ったんです」
静かにカップを見つめる。
「破門されたまま終わるのは嫌でした。 父が認めざるを得ないくらい強くなれば、きっと、もう一度見てくれる。 そう思って、私は一人で旅に出ました」
ルビアの表情が少しだけ明るくなる。
「色んな街を回りました。 剣術を習って、また別の街へ行って、また違う流派を学んで……それを何年も繰り返しました。 気が付けば、私の事を『剣姫』って呼ぶ人が増えていたんです」
照れ臭そうに笑う。
「そんな大層な名前じゃないんですけどね。 でも、その名前が広まるくらいには強くなれました。だから……私はノアの街へ戻ったんです。父に会う為に」
ルビアは静かに目を伏せる。
「そしたら父は、『天国塔を踏破して来い。お前の剣が本物なら、それくらい出来るはずだ。その時は認めてやる。』……そう言いました」
ルビアは静かに微笑む。
「だから、私は天国塔へ来ました……これが、私が天国塔を登る理由です」
◆
話を終えたルビアは、小さく息を吐いた。
部屋は静まり返る。
エレンは黙ったままルビアを見つめていた。
レイコも静かに口を開く。
「ルビアちゃんは……やっぱり、お父さんに認めてもらいたいのね」
ルビアは困ったように笑う。
「うーん……好きではないんですよね。でも、認めてもらいたいというか……」
どこか歯切れが悪い。
何かを隠している。
エレンはそれを見逃さなかった。
(違う。何かがおかしい)
エレンは頭の中で今までの出来事を整理していく。
ルビアと初めて出会った日。
天国塔へ入る前。
剣を握る姿。
ヴァルキュリアを圧倒したあの実力。
数え切れない流派を修める為に続けた旅。
その全てが──
(父親に認められたい?)
たったそれだけの理由で説明出来るだろうか。
(違う。そんなはずがない)
ルビアはもっと執着している。
もっと──
もっと深い何かを──
エレンは静かに考え続ける。
皇帝。
破門。
認めてもらう。
神。
最上階。
クラディウス。
――神。
その瞬間だった。
全てが一本の線で繋がった。
「……ふっ」
小さく笑う。
そして──
「……フフッ」
笑いが漏れる。
レイコとルビアが同時に顔を上げた。
エレンの笑いは止まらなかった。
「ふふふ……ハハハハハ!」
突然笑い出したエレンに、二人は目を丸くする。
「エレンちゃん?」
「エ、エレンさん?」
エレンは笑いながら涙を拭いた。
「ごめん、ごめん。そういう事だったのね」
ルビアを見る。
その瞳は確信に満ちていた。
「ルビア……あんた、最高よ!」
ルビアの表情が固まる。
レイコは事情が飲み込めず首を傾げる。
「エレンちゃん? 何が分かったの?」
エレンは静かにルビアへ視線を向ける。
「ルビア、あんた……父親に認めてもらいたいんじゃない」
ルビアの肩がぴくりと震える。
「認めてもらいたいなんて、それはただの建前。あんたが本当に欲しいものは、そんなものじゃない」
エレンは静かに続けた。
「──神になる事。それが、あんたの本当の願い」
レイコが驚いたようにエレンを見る。
エレンは頷きながら続ける。
「でも、神になりたい理由は、世界を救いたいからでも、誰かを幸せにしたいからでもない」
一拍置く。
「皇帝である父親より、もっと上の存在になりたい。父親を見下したい。ただ、それだけ」
ルビアは何も言わない。
否定もしない。
エレンは優しく微笑む。
「クラディウスに叶えてもらいたい願いは、『私を神にしてください』……それだけ。 神になれば、皇帝だった父親より遥かに高い存在になれる。 父親は生きている限り、神になった娘を見上げ続ける事になる。 それが、あんたの望んでいる復讐……違う?」
部屋が静まり返る。
ルビアはゆっくりと一度目を閉じ、ゆっくりと目を開く。
そして、困ったように笑った。
「……ばれちゃいましたか」
その笑顔は、どこか吹っ切れたようにも見えた。
「そうです。 私は父に認めてもらいたいなんて、一度も思った事はありません」
レイコが驚いた表情でルビアを見る。
ルビアは静かに続けた。
「私は父が大嫌いです。 本当に、大嫌いなんです」
少しだけ目を伏せる。
「だから……神になりたい。 皇帝である父より、もっと上の存在になりたい。 父は私を見下して生きてきました。 だったら今度は私が見下す番です」
小さく笑う。
「神になれば、父は死ぬまで、私を見上げるしかありません。 それを想像すると……少しだけ、気分が晴れるんです」
部屋は静まり返る。
レイコはしばらく黙っていたが、やがて柔らかく微笑んだ。
「私は、それでいいと思うわ」
ルビアが驚いて顔を上げる。
レイコは優しく笑った。
「誰だって、綺麗な願いばかりじゃないもの。 それに、ルビアちゃんが神様になるなら……案外、この世界も悪くないかもしれないわね」
少し考えるように首を傾げる。
「あ、もし私が神器で娘を助けられなかったらその時は、神様になったルビアちゃんにお願いしようかしら」
ルビアは思わず吹き出した。
「レイコさん、それはずるいですよ」
二人が笑い合う。
エレンも自然と口元を緩めた。
「そうだ」
何かを思い付いたように手を叩く。
「ルビア、あんたが神になるなら、ちょうどいいわ」
ルビアとレイコが同時にエレンを見る。
「私ね、ずっと悩んでいたのよ。 次の神を、誰に任せればいいのか」
さらりと言われた一言。
二人は意味が分からず固まる。
「……え?」
「エレンちゃん?」
エレンは気にする様子もなく続ける。
「私は神になるつもりなんて最初からなかったし。 正直……神様って面倒臭そうなのよね。 だから、ルビアがやってくれるなら助かるわ」
ルビアは目をぱちぱちと瞬かせる。
「えっと……エレンさん? 何を言ってるんですか?」
エレンは静かに笑う。
「ルビア。あんたの願いは……私が叶える」
その一言で、部屋の空気が再び変わった。
エレンの瞳から笑みが消える。
「私の目的は……クラディウスを殺す事。そして、天界の秩序を取り戻す事」
レイコもルビアも言葉を失う。
エレンは静かに二人を見つめた。
「……だから、次は私の番ね」
小さく息を吐く。
「……今まで隠していて、ごめんなさい。全部話すわ。 まずは……三百年前。あの日、私が天国塔の最上階へ辿り着いた時の話から」
エレンはゆっくりと語り始めた。
三百年前。
人間だった頃の、自分の物語を。




