1-1 雨って字を書くの?
公園を出て、少し歩いたところで雨が上がった。今はもう雲の切れ間から、沈みかけた陽の光が街に射している。それが水溜まりや庭木の枝葉に付く水滴に反射して、とても綺麗。隣を歩くクラスメイトの女の子は、「上がっちゃったね」と苦笑いを浮かべた。
彼女の名前をわたしは知らない。だってまだ、入学式から三日しか経っていないから。わたしは、他人と表現しても相違ない人と二人で歩いているのだと思うと、なんだか可笑しな感じがした。
「急に声掛けちゃって、ごめんね」
栗色の髪を揺らして、彼女は言った。大きな瞳でわたしを見つめる。
「ううん。大丈夫」
ほんとうはもっとあの公園にいたかった。でも、あんなにすぐに止んだのだから、残っていてもこうして一緒に帰っても同じことだった。もちろん一人で帰ったほうが気楽だったとは思う。でも、今更言っても仕方のないことだ。
「私、カッコ悪いなあ。登場までは上出来だったと思うんだけどね。あんなにすぐに止むなんて、神様のいじわるだよ。あ、でも、送ってくって言ったんだから、ちゃんと送らせてね。私に二言は無いから。やるったらやるの。私、小さい頃からからこうでね――」
「ふふっ」
わたしは思わず笑ってしまった。
「え……な、なに?」
「うん。なんか可愛いって思ったの」
「わ、私が!?」
「そう」
「そ、そっか」
彼女はくすぐったいような笑みを零した。
見た目が少し派手なせいか、もっと怖いのかなって思っていたのに、一所懸命に話す姿を見て、わたしはだいぶ気が緩んだ。一人で帰るより、ずっと好いかもしれない。
「あ、そうだ。名前まだ言ってなかったよね。私、アマモリアカリっていうの」
「雨漏り?」
そういえば、ホームルームで行った自己紹介のときに、アマモリという苗字を聞いた憶えがある。
「あー、雨水がポツポツ落ちてくるほうじゃ無くてね、雨の森って字を当てるの。下の名前は、明るい里で、明里」
「雨って字を書くの? すごい!」
いいなあ。わたしも名前に雨って字が欲しかった。
「す、すごい?」
雨森さんは困惑した表情を浮かべた。わたし、困らせちゃったみたい。
「あ……ごめんなさい」
「ああ、うん。怒ったわけじゃなくてね、苗字ですごいって言われたのが初めてだったから、ちょっと戸惑っちゃった」
そう言うと、雨森さんは頬を掻いた。
「雨って字の入る苗字は結構いると思うから、そんなに珍しくは無いかな」
「わたし、初めて会った」
それでも嬉々として、わたしは言った。
「ふふ。そうなのね。なんだか喜んでもらえたみたいで嬉しい。じゃあ、これからよろしくね」
「うん!」
雨森明里さん。クラスで初めてのお友達ができた。
わたしはもう、スキップでもしたいくらいに嬉しい。でも、変なコだって思われちゃうからしない。我慢する。
あ、そうだ。わたしも自己紹介しなくちゃ。
「あのね、わたしの名前は――」
「傘屋栞ちゃん、だよね?」
「え……どうしてわたしの名前を?」
わたしみたいな地味なコの自己紹介なんて、気にも留めなかったと思うのだけど。
「えっと、そう、だってほら、クラスメイトだし」
雨森さんはどうしてかあたふたとしながら答えた。
きっとみんなの名前を憶えているに違いない。できるコだ。わたしなんか、入学式で配られた名簿にサッと目を通しただけなのに。こういうところに学校生活が楽しくなるかどうかの差が出てくるのかもしれない。
そうこうしていると、わたしの家の近所の公園に差し掛かった。家まではもう少しだ。
「雨森さん」
今更、とても大切な話を訊き忘れていたことに気が付いた。
「わたし、送ってくれるのはとっても嬉しい。でもね、雨森さんのお家はどこ?」
こうして歩いているうちにもどんどん遠ざかっているのだとしたら、わたしはほんとうに負い目を感じてしまう。
「私の家は、栞ちゃんの家に近いの。だから大丈夫だよ。気に掛けてくれてありがとうね」
――ん?
雨森さんの家がわたしの家に近いことは解った。これで安堵できる。でも、そうじゃなくて。
「雨森さん、わたしのお家、知ってるの?」
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