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望月昇りて 咲き覆いけれ 二の二

 灰色の雲が重く垂れこめている、今にも雲が落ちて来そうな程だ。

 昨夜から降り出した雨はやむ気配が無く。徐々に強くなっているようだった。陽が隠れているせいで、辺りは夜だと錯覚してしまいそうなほど暗い。高遠と満四郎は、白湯を手に縁に座していた。


「さきほどまで姫様と、何を話していたのだ」


 満四郎にちらりと視線だけを送る。


「兼光様が、鬼神と戦うと決断されたのだと伝えただけだ」

「そうか」


 満四郎は白湯を一口含む。そして再び口を開いた。


「高遠、お前は姫様が好きなのか」


 含んだ白湯を高遠は噴き出した。高遠の顔が、咳込んだせいか赤くなっている。


「やはりそうなのだな」

「……なにゆえそう思う」


 低い声で高遠が問う。


「毎夜毎夜、あのような逢瀬を見ていれば嫌でも分かるだろうが」

「お前、起きてたのか!」

「俺としてはむしろ、眠っていると思っていた高遠の方に驚くぞ。あれだけ普通に声を出していれば、目が覚めるのは当たり前だろう」


 言われてみれば確かにそうだ。満四郎も武人。それも眠っているとはいえ、警護の為にいるのだ。人の気配が動けば、己の意志とは関係なくも目が覚めるだろう。


「眠ったふりをしていたのだから、感謝してもらいたいぐらいだ」


 高遠は唸るしかない。


「俺は別に、好いているとかそういうのではない」

「じゃあなんだ」

「それは……」


 この感情に、明確な名など無い。いや、無くて良いと高遠は思っている。名がつけば、きっとその感情に振り回されてしまうだろう。そうなれば、八重の近くにもいられなくなる。だから今はこのままでいい。


「高遠がそれでよいのなら俺は何も言わん。だがこれだけは言っておくぞ」

「なんだ」

「気付かないでいるふりなど、長くは続かんぞ」

「……忠告は、聞いておく」


 高遠が返答した時だ。

 鈴の音と、耳鳴りが鳴った。

 もう高遠も慣れた物だ。太刀を抜き放つと、雨が降っているのもかまわず、庭に降り立つ。その様子を見て、満四郎も矢を(つが)えた。八重も気付いたのだろう。女房を伴って、縁へ姿を現した。

 その瞬間。空気が一変する。

 凍えそうなほどに冷えた風が吹きつける。辺りには血の臭いが充満する。雲の垂れこむ空に、黒い影がわだかまっていた。この状況に高遠は覚えがある。

 否。

 間違いようなどない。これは。


「あの時の妖か!」

「いかにも」


 一際血の臭いが強まり、わだかまっていた影が人の形へと転じる。白い浄衣を纏い、烏帽子から除く漆黒の髪。肌は青白く、濁り淀んだ瞳を持つその姿は間違いなく、数日前に屋敷に現れた妖だった。


「姫、迎えに参った。今宵こそ共に参ろうぞ」

「私はゆかぬと、申したはずじゃ」


 八重の凛とした声が、再び拒絶の意を表す。妖は耳に残る嫌な笑いを響かせた。


「姫、いつまでも駄々をこねるでない。鬼神からそなたを守れるのは私だけよ」

「妖よ。お前に私を守る事などできぬ」

「何故」

「私には、護うてくれる者がすでにおるのじゃ」


 妖のどろりとした目が満四郎へ、そして高遠に移動して止まる。高遠は八重を背に庇うように立っていた。以前の様に、妖の空気に飲まれたりはしていない。徐々に、妖との距離を詰めていく。


「妖、お前の目的は姫を守る事か」

「その通りよ」

「だが、なにゆえお前が鬼神の事を知っている?」


 高遠が、太刀を構えたまま問う。


「己達しか知らぬと思うているなど、人は愚かよの」

「どういう意味だ」

「そのままの意味よ」

「……他の妖も、鬼神の事を知っていると言うのか」


 妖が嘲笑を浮かべた。


「最近は力を付けた鬼神に恐れ。これ以上強くならぬよう、姫を襲うている者もいるではないか」


 その場にいた全員が、妖の言葉に驚く。さすがに高遠も驚きを隠せなかった。だが、それならばここ最近の妖達の行動に説明がつく。


「だから私が姫を守ると言うておるのだ。人は弱い。私ならば、妖からも鬼神からも守る事が出来ようぞ」


 妖の言葉はもっともな様にも聞こえる。聞こえるが、高遠には(ゆる)せない事があった。


「ならばなにゆえ、人を喰ろうた」

「人を喰らわねば力が手に入らぬ。力が無ければ鬼神とも戦えぬであろうが」


 引っかかれた様な笑みを浮かべて、妖が嗤う。さも当然だと言うようだった。どこかこの妖は狂っている。


「人を喰った時、お前は何を感じた」

「何が言いたいのだお前は。美味であったに決まっているであろう」

「人を救わんと言う者が、人を喰らい美味だと言う。そんな者に姫を渡せると思うたか!」


 高遠の叫びと共に、呪符をつけた満四郎の矢が妖めがけて飛ぶ。矢を避けようと降りて来た所に、距離を詰めた高遠が一閃した。だがすでにそこに妖はいない。遠く離れた池の上に浮かんでいた。


「まったく。突然斬りつけるなど、何も成長しておらぬと見える」

「黙れ」


 ばたばたと足音がして、ようやく妖が現れた事に気付いた人々が集まってくる。背後へ視線だけを送れば、道院だけでなく兼光までの姿もあった。兼光は兵たちに指示を出している。道院は縁に座すと何かを呟いた。直後、一瞬だけ屋敷が燐光に包まれる。結界だ、と思った。それを見ていた妖が、忌々しげに唸る。


「何故、私の邪魔をするか。姫を守れるのは私だけぞ」


 妖が腕を薙いだ。腐臭を孕んだ風が襲い来る。吹き飛ばされそうな風だった。なんとか高遠は耐えるが、幾人かの男達は血飛沫をあげて倒れた。高遠が無事だったのは、服に縫い付けた呪符のおかげだろう。

 妖が地を滑るように飛びかかって来た。高遠は太刀を降る。金属と金属のぶつかる音がして火花が散った。刃の様に伸びた爪が高遠の太刀とぶつかっていた。力が拮抗(きっこう)して睨みあう妖へ、満四郎の矢が飛ぶ。命中する刹那。妖の姿が消え、離れた場所へ移動していた。


「お前に、姫を護る事は出来ぬ」


 高遠の言葉に、妖が憤怒の目を向けた。ゆらゆらと黒い影が妖の身から立ち昇る。


「そもそもお前は、どうして姫を護りたいと思うのだ」


 一瞬。妖の動きが止まり、目に宿っていた狂気がなりを(ひそ)める。正常な光を持った目には、思慕(しぼ)の念が垣間見えた。だがそれも一瞬の事。すぐ狂気に染まる。


「お前、人を喰らいすぎて狂うたか」

「黙れ!!」


 叫び、腕を振り上げて高遠へ襲い来る。高遠は意識を集中させた。腰を落とす。吸い込んだ息を気合と共に吐きだす。高遠は太刀を横に薙いだ。左肩に痛みが走る。だが、骨を断つ確かな手ごたえがあった。

 大きな音を立てて妖が地に落ちる。まだ息があるが血泡を吹いていて、もうまともに動けるようには見えなかった。高遠は止めを刺すべく太刀を振り上げる。


「待て、高遠」


 八重の制止の声が上がって、高遠は太刀を下げた。だがいつ妖が動き出してもいいように、気を緩めるような事はしない。屋敷の方を見ると、周囲が止めるのを振りきって、八重が庭に下りてくる所だった。

 真っ黒な血の海に沈んでいる妖が()って、八重へ近づこうとしている。いつの間にか雨はやんでいた。


「姫、危のうござります」

「もう大丈夫じゃ。(かざ)(きり)に穢れた物は感じられぬ」


 八重は妖の傍まで来ると、身をかがめた。這いずっていた妖もその気配に気づき、虚ろな瞳を八重へ向ける。止めを刺さずとも助からないだろう。


「……姫」


 血泡の混じった声だった。


「風切。なにゆえそなたはあのような姿に身を落としたのじゃ」

「……姫を、守りたいと、思うた」

「私は、穢れたそなたになど守られとうない。私と出逢うた時のそなたは、人など喰らわなかった」


 何故か妖に、先ほどまで感じられた狂気はもう見られなかった。ただ静かに八重の声に目を閉じている。


「姫はこの妖を知っておられるのですか」


 高遠の問いに、八重は感情の覗えない瞳を向けた。髪をはらりと動かして頷く。


「私が、高遠に会う頃よりも、もっと幼い時じゃ」




 その頃の八重は頻繁に外へ行っていた。

 そして、迷い込んで来たこの妖と出逢ったのだ。出逢った時の妖は八重よりも幼いなりをしていた。そうして何故か懐かれ、屋敷にも忍んでやってくるようになった。

 名は何かと問えば、名は無いと言う。

 だから八重は、風切と言う名をつけた。風を操る事が上手く、風を切るように空を飛んでいたからだ。

 ある日、八重は風切に自分はいつか鬼神に嫁ぐのだと語った。

 風切はその事に反対した。そうして、自分が八重を守るのだと言って、姿を消したのだ。

 それきり、風切が八重の前に姿を現す事は無くなった。

 そうしてあの夜。穢れと不浄を纏い、変わり果てた姿で八重の前に現れたのだった。




 話を聞いた高遠は、なんとも言えない表情で風切を見降ろした。息も絶え絶えだが、まだ生きている。恐らく八重を助けようとする為に、最初は仕方なく人を喰らったのかもしれなかった。だが、人を喰らえばその怨嗟も喰らう事になる。そうしている内に、狂った感情だけが残ったのだろう。


「だがなにゆえ、風切から穢れが消えたのだ」


 一人言のように高遠が呟く。答えたのは風切だ。


「お前の、太刀であろう。斬られた事で、私の身の内にあった怨嗟が清められたのだ」

「そうだったか」

「高遠よ、お前に頼みがある」

「……なんだ」

「私に、止めを刺してくれ」


 高遠は答える代わりに、太刀を逆手(さかて)に構えた。


「姫、いつか再びまみえる事があれば。その時も私に、名をつけて下され。……風切、と」

「分かった。覚えておこう」


 風切の身体から再び黒い闇が立ち昇り始めるが、濁りの無い瞳で八重を見上げて微笑(わら)う。


 高遠は太刀を心臓の辺りに突きたてた。

 真黒い血が噴き出したかと思うと、風切の体を蛍の様な光が包む。光が霧散すると、風切の姿はどこにも無くなっていた。



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