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望月昇りて 咲き覆いけれ 二の一

   二


 翌日も雨のやむ気配は無く、ずっと降り続けていた。

 これではせっかく咲いた桜も散ってしまうだろう。縁に座して、八重は重く雲の垂れこめた空を見つめていた。ふと肌寒さを感じて、八重は衣の襟を直す。高遠がこんな所を見たら、風邪を引くと困ったように笑うだろうか。

 高遠は不思議な男だった。

 あの妖が襲って来た日、退けた高遠を見て何故か胸が騒いだ。理由など分からない。だからその意味が知りたくて、八重は高遠を護衛にして欲しいと兼光に頼んだのだ。そのこと自体、八重にとっては初めての感覚だった。傍にいればそれも全て分かるのだろうと思ったが、むしろ分からなくなってしまった。

 八重にとってこの里の人間は守るべき者だ。鬼神に嫁ぐのもその為。それが八重の生きる、たった一つの意味だった。その事を苦しいと感じた事は無い。逃げようなどと思った事も無い。いや、そもそも感情その物が自分には無いのだ。だから自分は、母が命を落とした時でさえ何も感じなかった。

 だが高遠は違う。初めて会った時から、彼は八重の心を乱す。

 外から来た、唯一の男。守る側だった八重を、護ると言った男。

 そしてその通りに八重は何度も護られ、彼は道院さえも救った。高遠の事を考える度、八重の胸の奥はざわめく。どこかで警鐘がしていた。だめだ。これ以上、高遠に護られてはいけない。そうしてしまったら自分は……。

胸を抑えて、八重は重く息を吐きだす。相変わらず細い雨が降っていた。雨音に混じって足音が聞こえて、八重は庭から視線を移す。高遠だった。


「姫、そのような場所におられると風邪を引かれまする」


 そう言って、高遠は困ったように笑う。思った通りだと思った。


「私は大丈夫じゃ」


 答えるが、高遠は持っていた衣を八重へ掛けた。横に座した高遠を見つめながら、じんわりと広がる暖かさに自分が冷えていたのだと実感する。


「姫おひとりですか。他の者はどちらへ」

「満四郎は舎人に呼ばれていずこかに行った。橘と梅は珍しい唐菓子が手に入ったと、取りに行っておる」

「左様にござりましたか」


 互いに無言で、濡れそぼる庭を見つめる。よく高遠とはこうして、無言のまま庭を眺める事が多かった。高遠がその事をどう感じているのか、八重には分からない。だが八重は高遠と庭を眺める時間が、嫌いではなかった。

 八重は毎夜、同じ夢を見る。

 いつから見始めたのかも覚えていない夢だ。気付いた頃にはもう、夢を見る事は当たり前になっていた。

 夢の中で八重は、真っ暗な闇の中に立っている。ただそれだけの夢。昔は闇の中を歩いてみた事もあったが、今では夢が終わるのを待つだけだ。いつも夢は、八重の体が闇に溶けて消えそうになった時に覚める。そうなると中々寝付く事が出来なかった。だからあの日も、時をつぶす思いで庭に出た。

 そこで八重は高遠と鉢合わせしたのだ。まさか護衛になったとはいえ、あんな深夜まで起きているとは思わなかった。あの時。一瞬だったが、何故か心臓が跳ねた。今もその理由を考えているが、やはり八重には分からない。


「兼光様が」


 唐突に高遠の声がして、八重は思考の淵に沈んでいた意識を戻した。


「鬼神を倒すと申されています」

「……父、上が」

「はい」


 そんな必要など無いのだと思う。八重は里を守る為に生きてきた。それが八重にある、たった一つの生きる意味。その意味が無くなったら、いったい八重に何が残るというのか。


「高遠、私は」

「死ぬ以外にも、生きる意味はあります」


 心を読まれたのかと思った。何も答える事が出来ず、八重は目を閉じる。

 衣のおかげだろうか。先ほどまであったざわめきが凪ぎ、胸の奥が暖かくなっていた。

 その暖かさの名を、八重は知らなかった。



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