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望月昇りて 咲き覆いけれ 一の三


 それは遠い遠い昔。

 この里は今の様に豊かでは無く、天災にみまわれ人々は細々と暮らしていた。飢えが絶える事は無く。雨が降れば洪水に人は流され、日照りが続けば乾いた大地に埋もれていく。他の土地に移る事もままならず、耐える事しか出来なかった。

 その年も日照りが続き、人々は死を待つだけであったという。

 そんなある日の事だ。

 一柱(ひとはしら)の神が、この里に降り立たれた。

 神の力は強大であった。続いていた日照りは(まばた)きの内に失せて、大地を潤わせた水は(またた)く間に作物を実らせたのだ。

 長く続いた貧困に疲れ果てていた人々はその神に感謝して、この里の守り神になって欲しいと懇願(こんがん)した。

 そして、懇願する人々に神は一つの条件を提示したのだ。


「我の守りを受けたくば、力ある娘を嫁がせよ」


 祀り事を引き受けていた当時の祭主は悩んだ末。己の娘を捧げる事にした。

 神はいたく満足し、祭主の血筋の娘を嫁がせる事を約定として、この土地の守り神となった。

 以降。祭主の血筋である長女の体には(しん)(もん)が浮かび、神に嫁ぐ事が里の掟となり、祭主が里を治めるようになった。

 人々が約定を忘れ(たが)えれば、神は怒り災厄を呼ぶ。

 その神を、人々は畏敬(いけい)の念を込めて『鬼神』と呼ぶようになり、嫁ぐ事が決められた娘を『鬼姫』と呼ぶようになった。




 兼光が語り終えると、部屋はしんと重い空気に満たされた。

 高遠の顔は血の気が失せて青白くなっている。例えようのない衝動を抑え込もうと、握りしめた手まで力を入れすぎて白くなっていた。


「藤森とは本来、不死守と書く。死なぬ神を祀り、守る一族である証だ」

「では、姫が鬼姫と呼ばれているのも」

「かつて藤森家の姫を、鬼神へ嫁ぐ姫、鬼姫と呼んでおった。それも鬼神を秘するようになってから呼ぶ者は無くなったが、呼んでいた言葉は無くならぬ。八重の力を重ねて呼ぶようになったのだろう」


 八重の忌名(いみな)に、そんな物があるなどとは思いもしなかった。確かに不穏な何かは感じていた。だが今の兼光の話は、高遠の想像を遥かに超えている。

 信じたくなどない。

 理解などもしたくはない。

 だと言うのに、それが嘘などでは無いと全てが物語っている。


「姫はその事を、存じ上げておられるのですね」

「……知っておる」


 硬い物を飲みこんだような声だった。


「兼光様は、このまま姫を鬼神に嫁がせるおつもりですか」


 高遠の問いに、兼光は闇に沈んだ庭へ視線を向けた。いつの間にか、ぽつりぽつりと雨が降り出している。


「……私の姉も鬼神に嫁いだ。そして、我が妻は瘴気に憑かれた」

「まさかっ。姫の母君も鬼神の手にかかったと言うのでござりますか」

「左様。八重と山吹が瘴気を見ておる」


 兼光が絞り出すように言葉を洩らす。


「思えば高遠、お主を八重が見つけた日。あのすぐ後に妻の命は尽きた」


 庭を見つめる兼光の瞳が細まる。どこか遠い物を見るようだった。高遠は「だからか」という言葉を飲みこんだ。だからあの時、八重は怒りに震えていたのか。だから今、八重は全てを諦めてしまったのか。まさか八重の母が、鬼神に殺されていたとは思いもしなかったのだ。


「姉を失った時の私は幼く、妻を奪われた時の私にはまだ力が無かった。どうする事も出来なんだ。だが、今は違う」


 庭へ向けていた視線を高遠に合わせる。灯に照らしだされた瞳には、静かに炎が燃えているようだった。道院が兼光の言葉の先を受ける。


「左様。わし等はずっと、鬼神と戦うべく準備を進めて来たのだ」

「それは……」

「この時期にわしが外出したのも、鬼神と戦う為に必要な物を手に入れる為であった」

「必要な物とは、何でござりますか」

「これだ」


 道院が懐から出したのは、小さな薄緑の玉だ。燈台の灯りを反射して輝いているように見える。玉はあの時、道院の懐にあった物とよく似ていた。


「だがこれは、わし達には使えぬ」

「どういう事でござりますか」

「本来は噂に聞いた、出雲の地にあるという破邪の玉が欲しかったのだ。それが鬼神に悟られた。そのせいで志麻遠乃介が死に、わしも瘴気に憑かれたのだ」


 志麻遠乃介。その名に聞き覚えがある。高遠をこの屋敷へ案内した者では無かったか。あの時感じた違和感の正体はこれだった。あの時彼は、玉を手に入れると言う命を受けていたのだ。


「欲しかった、と言う事は、その玉は違うのでござりますか」

「うむ。多少の力は感じるがそれだけだ」


 低く、沈んだ声だった。志麻の死を(いた)んでいるように思える。こうやって長い間、兼光達は密かに鬼神と戦う為の準備をしてきたのか。あの道院が大量に作った呪符と弓も、八重を狙う妖に対抗する為だと見せかけた、鬼神と戦う為の物なのだろう。


「だが、わしには使えぬが高遠、お主ならば何かに使えるやもしれぬ」

「私が、ですか?」


 思ってもいなかった言葉に瞠目する。自分に力は無い。玉の力を使えるとは思わなかった。


「お主に心当たりは無さそうだが、わしの懐にあった二つの玉の内、一つが無くなり板の上に粉々となって置いてあった。あれはお主が置いたのでは無いか?」


 確かにそれは高遠だ。別段隠す事も無いので、頷きながら一部始終を話す。


「やはりそうであったか」

「ですが道院様、あれはただの偶然かもしれませぬ。もう一つの玉も同じようになるとは……」

「いや、一度は力が使えたのだ。国杜剣を扱えるのならば、もう一度使う事も可能だろう」

「ですが……」


 更に言い募ろうとする高遠を、兼光が言葉で遮る。


「高遠、国杜剣は遣う人間を選ぶ。そして、遣い手には大きな力を授けると謂われておる」


 思ってもいなかった兼光の言葉に驚く。確かに霊剣だと八重が言っていた。力がある事も分かる。だがそれでも、太刀が人を選ぶなど聞いた事が無い。


「まさか」

「あり得るのだ高遠。その太刀は藤森家に伝わる霊剣。いつその太刀を藤森家が手に入れたのか分からぬが、力があると分かっている物を私達が放っておくと思うか」

「……いえ」

「私も道院も試してみたのだ。力のある者にも試させてみた。そなたの育ての親、諭平も試した。だが誰一人として、国杜剣を抜けた者はいない」

「っまことに、ござりますか……」

「まことだ」


 火に照らされて鈍く輝く国杜剣を見つめる。信じられない事だった。だが瘴気を断ち斬った時の事を思い出す。あの時、確かにこの太刀の刀身は輝いていた。妖を斬るどころか、そんな事は普通の太刀には出来ない。ならば人を選ぶぐらいの事、この太刀には当然のように思えてくる。

何故、自分が選ばれたのかは分からないが。


「ゆえに、その太刀を遣えるお主ならば、我らには意味のなさぬ玉も、意味をなす事もあろう」


 言いながら道院が高遠へ玉を差し出す。本当に、この玉には力があるというのだろうか。だがあの時、確かにこの玉の片割れは、太刀と共鳴するかのように輝いていた。あの輝きに、強い意志のようなものを感じなかったか。ふと、掌に載せた玉が温かくなったような気がした。すぐにその感覚は無くなってしまったが、確かに感じた温もりに、高遠はそっと玉を握り込んだ。そうして大事そうに布に包むと懐へしまう。そんな高遠をどこか懐かしむ様に見つめながら、兼光が口を開く。


「八重がそなたに太刀を渡したと聞いた時は、正直何故だと思うた。だが、太刀を抜いたと聞いて、必然なのだろうと思うたのだ」

「なにゆえでござりますか」

「いつの世も、古き慣習を壊すのは外から来た新しい物だ。高遠は里の外から来た唯一の人間だ。ならばこの里の悪しき慣習を壊すのは、そなたなのだろう」


 過大評価だと思う。例えこの太刀にそれ程の力があったとしても、高遠にそこまでの力は無い。だが、それでも。八重を助けられる可能性があるのならば……。


「だが、そなたが鬼神と戦う事をよしとしないのならば、私達は無理強いしようとは思わぬ。満四郎も同じだ。どれほど強い力があろうと、戦えば死を覚悟せねばならぬ」


 兼光の言葉の続きに、高遠は強い眼差しを向けた。抑えきれない感情が、燃えている様な瞳だ。


「兼光様。私達は隋身となった時から、この命を惜しんだ事などありませぬ。ましてや姫の護衛になった今、なにゆえ姫を助ける為に命を惜しみましょうか」

「だが、満四郎など婚姻が決まったと聞く」

「兼光様、私達を侮るのはおやめ下され」


 ずっと黙していた満四郎が、怒りの滲んだ声で兼光の言葉を遮る。


「……そうか。そなた達の覚悟を、私は分かっていなかったようだ」


 兼光は一度言葉を切ると、二人に向き合う。高遠と満四郎も背筋を正した。


「ならば頼む。私達と共にあの妖を退治し、鬼神を倒して欲しい」


 高遠と満四郎は、迷う事無く頷いた。




 細い、糸を垂らしたような雨が夜の闇の中に降っていた。

 灯明皿に点った灯りを頼りに、いつもの様に高遠と八重は暗い庭を見つめていた。ずっと見つめていると、闇の中へ引きずり込まれてしまいそうな気がする。


「……鬼神の事を、聞きました」


 はっと、八重が高遠を見る。だがその無表情な面からは、どんな感情も読めなかった。


「そうか」


 淡々とした声音で八重は答える。それさえも高遠には痛々しく感じられた。


「姫は、いつから鬼神に嫁ぐ事を知っておられたのですか」

「……覚えておらぬ。だが、物ごころついた頃には知っておった様な気がする」


 八重の言葉に胸が痛んだ。あの日、高遠が死を選ぼうとした事に怒っていた八重。あれは母が死に瀕していた事だけが理由では無かったのだろうと思う。いや、きっと八重すらも気づいていない感情なのかもしれなかった。だから高遠も、その事を聞くような事はしない。


「姫は、それでよいのですか」

「よいも悪いも無い。これは定められた事じゃ」


 違う、と叫びたかった。こんな事を受け止めて、それが当たり前なのだと生きる必要は無いのだ。高遠は八重の肩を掴んでいた。乱れた(えり)から黒い痣が見えて、高遠は息を飲む。


「この……痣は」

「鬼姫の証、神紋じゃ。見よ」


 言うと、八重は袖をまくる。灯りに照らされた白く細い腕に、黒々とした痣が巻きついていた。まるで蛇の様だ。高遠はそっとまくりあげた袖を元に戻した。


「姫は、私が護りまする」

「よいのだ、高遠。私は」

「いいえ、姫がなんと言おうと私はあなたを護って見せまする」


 ずっと八重の幸せを願ってきた。唯一の主と思い定めて来た。彼女を護る為ならば、高遠は命など惜しみはしない。あの日八重に救われた命だ。八重の為に使うのが必然と言うものだろう。


「高遠……」


 八重の腕を(つか)んでいた高遠の手から逃げるように、衣擦れの音をさせて八重が立ち上がる。


「私は、その言葉だけで充分じゃ」


 八重の瞳にはっきりと、感情が揺らぐ。その感情を打ち消すように(まばた)くと、八重は部屋へ戻っていった。


「姫。……それでも、俺は」


 吐きだした言葉は、微かな雨音に溶けて霧散する。

 高遠から離れた、部屋の隅で眠っていた満四郎は寝がえりを打った。閉じられているはずの瞳が、開いていた。



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