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望月昇りて 咲き覆いけれ 一の二

 着替えを済ませると、高遠は先ほどの妖の事を報告するために兼光の部屋へ向かった。わざわざ高遠が報告に行かずとも舎人に任せれば良かったが、直接聞きたい事があったのだ。渡殿(わたどの)を歩き、正殿へ向かっていく。ふわりと風に乗って一枚の花びらが、高遠の前へ舞うように落ちて来た。何の気はなしに受け止める。そうして立ち止まった高遠の先が、にわかに騒がしくなる。ただならぬ気配に眉を顰めた時だ。


「あれは、道院様?」


 呟いた高遠から離れた濡れ縁を、数人の男に抱えられた男が運ばれていた。間違える筈も無い。一日早い帰りだが、確かに道院だ。だが、遠目からも分かるほどに苦しげな顔。そしてあの、道院に絡みつく様な濃く黒い霧。耳の奥で耳鳴りがする。何か、嫌な物がじりじりと這いあがってくるような感覚に、高遠は兼光の消えた先へ走り出していた。

 辿り着いた先で高遠が見た物は、想像だに出来ない事だった。


「これ、は……」


 暑くも無いのに汗が出る。家人が道院が寝かされているであろう部屋を出たり入ったりと、忙しなく動いている。駆けつけた陰陽師達が部屋へ消えるのに、高遠は動けずにいるのだ。ただ人が慌ただしく動くだけならば、高遠もこのようにはならないだろう。高遠を動かなくさせる物。それは、先ほど道院の身体に絡みついていた黒い霧だ。それはまるで生きているかのようにうねり、部屋に入りきらなかったのであろう物が溢れ出ている。余りにも禍々しい状況だった。なのに、誰も霧が見えていないかのように、気にするそぶりが無い。


「この、黒い霧はいったい」

「瘴気じゃ」


 一人ごとのように呟いた言葉に返事があって、高遠は慌てて振り返える。騒ぎを聞きつけたのだろう。八重が満四郎を連れて立っていた。


「この瘴気は徒人(ただびと)には見えぬ。高遠にも力があったのか?」


 八重の問いに、高遠はゆっくりと首を振る。自分は霊力など持っていない。ならば考えられる事は一つだ。


国杜剣(くのもりのつるぎ)のおかげかもしれませぬ」

「剣の……」


 八重が口の中で言葉を転がすように呟くのを視界の端に留めながら、道院がいるであろう部屋を見つめて頷く。

 国杜剣。

 妖や物の気を断ち、浄化する事が出来るという太刀。

 初めは半信半疑だった。だが、事実妖を退治る事が出来、妖の出現を教える事すらも出来る。ならば、瘴気を視る事が出来るようになった事にも頷ける。

そこまで考えて、はっとした。花見の途中で出くわした黒い霧を纏った妖。あれも瘴気では無かったか。だがあの時は満四郎や他の人間にも見えていたようだった。それが何故、道院に纏いつく瘴気は徒人には見えないのか。ふと、つい先ほどの八重の言葉が頭をよぎる。


「姫。あなたは先ほど、この瘴気は徒人に見えぬと申された。これは、先日の妖が纏っていた瘴気とは違うのですか?」

「……同じじゃ。だが、目的が違う」

「目的」

「うむ。この瘴気は道院への呪いに近い。姿も無く忍びより、命を喰いつくすのじゃ」

「っでは、このままでは道院様は……」

「命は無いじゃろう」


 八重が目を伏せる。ただそれだけで、面に八重の感情は映っていない。だが高遠は八重が泣いていると思った。何かの痛みに耐えているようだと。

 道院を救わなくてはならない。

 妖が襲ってきた時、道院の力が無ければ苦戦もするだろう。だがそれだけではない、八重が悲しむ事が高遠にとっては許せなかった。

 満四郎へ視線を投げる。それだけで高遠のやろうとしている事が通じたのだろう。一つ頷くと、八重を下がらせようとする。


「高遠、そなた何をするつもりじゃ?」

「私に出来る事を」


 頭を下げて、高遠は道院の部屋へ入って行った。

 部屋の中は想像していたよりも酷い。瘴気が天井や床を這い、蛇の様に蠢いている。嫌な汗が止まらない。こんな状態をどうにか出来るのか。否。どうにかしなくてはならないのだ。

 この、太刀で。

 覚悟を決めると、近くにいた陰陽師へ声をかけた。


「すみませぬが、少し席をはずしていただけませぬか」

「何を言っておる。今は祈祷の最中。そのような事出来る筈がなかろう」

「ではお聞きする。あなた方に、この瘴気が見えておいでか」


 声をかけた一人が目を瞠る。そしてすぐ悔しげに顔をゆがませた。


「……お前なら道院様を、救えるか」

「やってみなければ分かりませぬ。ですが、やってみる価値はあるかと」

「分かった。ならばお前に賭けてみるのもよい」


 言うとすぐに彼は他の陰陽師達へ声をかけて、部屋を退出させた。自分も外へ出る刹那。高遠へ視線を向けて、何を言うでもなく出て行った。道院を心から案じているのは八重だけでは無いのだろう。

 部屋に誰もいなくなると、高遠は柄へ手をかける。

 ゆっくりと何度か深呼吸する。

 八重はこの瘴気が先日の妖が纏う瘴気と同じだと言ったのだ。

 音も無く刀身を引き抜く。

 先日の瘴気と同じならば、国守剣で断つ事が出来るかもしれない。

 左足を一歩下げ、太刀を身体の横へ着けて再び深く息を吸う。一瞬息を止め、吐きだすと同時に気合を込めて横へ薙いだ。瞬間、道院に絡みついていた瘴気が真っ二つに割れる。だがまだだ。どこから湧きだしてくるのか分からないが、まだ瘴気は道院に絡みついている。今度は袈裟(けさ)がけに振り下ろす。少しずつ量が減っていくが、全てを断つには程遠い。再び太刀を振り上げた時だ。道院の懐が緑色に淡く輝いているのを見つけた。呼び合うように、国杜剣が白い光を滲ませる。


「これはっ」


 迷う暇は無かった。辺りに漂う瘴気が高遠と道院めがけて襲って来たのだ。直感が命ずるままに燐光のある場所へ太刀を振り落とす。堅い感触を感じた瞬間、緑色の閃光が迸った。同時に立っていられないほどの風が吹き荒れる。高遠は太刀を突きたてて耐えた。がたがたと大きな音を立てて、几帳や御簾が吹き飛ぶ音がする。嵐の中にいる様な感覚だ。

 しばらく耐えると、そよ風となって辺りに静寂が満ちた。閉じていた目を開ける。そうして辺りを見渡したあと、道院を見やった。道院に絡みついていた黒々とした瘴気。それが跡形も無く消えている。どうやら瘴気を断ち切る事が出来たようだった。深々と息を吐きだして、はたと気付く。あの時の、緑色の光はいったい何だったか。道院に近づくと、光っていたであろう懐を確認する。手に硬い物が当たって取りだすと、出て来たのは細かいひびの入った薄緑の玉だ。

 良く見ようと顔に近づけると、玉は音を立てて粉々に砕け散ってしまった。理由は分からない。だがこの玉があったおかげで道院を救えたのではないか。


「終わったか」


 背後から聞こえて来た満四郎の声に、思考に沈んでいた意識が浮上する。同時に辺りの喧騒が聞こえて来た。ここで考えていても仕方がない。道院が回復したら聞く事にして、高遠は立ち上がった。じっとりとかいた汗を拭う。


「まったくお前は、加減という物を知らないらしい」


 満四郎の言葉に高遠は苦笑するしかない。部屋はこれでもかというほど荒れていた。全ての御簾が吹き飛ばされ、上の方だけがだらりと下がっている。襖にも大きく穴が開いており、庭には几帳やら調度品やらが散乱していた。


「だがうまくいったようだな」

「ああ。なんとかなったらしい」


 苦笑を浮かべたまま頷く。先ほどまで苦悶の表情を浮かべていた道院が、今はゆるやかに寝息を立てていた。

 他に異常は無いか、ぐるりと巡らせた視線が濡れ縁に立つ八重の瞳と重なる。その瞳が何かの感情に揺れている。それに気付いていないふりをして、高遠は口を開いた。


「姫、道院様はもう大丈夫でしょう」

「……そうか」


 ぽつりと言葉を零して、八重は視線を逸らした。一度瞼を閉じる。そうして目を開くと裾を捌いて踵を返した。


「ゆくぞ」


 言うが早いか、八重はその場を去っていく。取り残された二人は、近くにいた者に後の事を任せて八重の後を追った。




 夕刻。高遠と満四郎は兼光に呼ばれた。

 部屋に入ると、兼光だけでなく道院の姿があることに驚く。もう起き出してきて良いのかとも思ったが、促されるままに二人は腰を下ろした。先に声を発したのは兼光だ。


「まずは礼を言っておかねばならぬな」

「いえ、全てはこの太刀のおかげにござります」

「そう謙遜するでない。瘴気を断ち斬るなど、高遠にしか出来ぬ事であろう」

「兼光様が申されるのももっともだ。今までああなった者を救えた者などいないのだよ。ましてや、あの瘴気を見える者が姫様と山吹様以外にいたとは思わなんだ」


 藤森山吹(ふじもりのやまぶき)。兼光の妻であり、八重の母である人物だ。高遠は噂でしか聞いた事は無いが、八重に並ぶ程の霊力を持っていたと言う。


「今まで、と申されますと。あの様に瘴気で人が死ぬ事が、他にもあったのでござりますか」


 兼光と道院が同時に瞑目する。何か嫌な予感が、じわりじわりと高遠の心の内に這いあがってくる。この感覚は八重の護衛についてからずっと付きまとっている何かと、どこか似ている気がした。二人が目を閉じていたのは一瞬の事で、すぐに目を開けると道院が口を開く。


「わしから話そう。お主たちは、鬼神(おにがみ)という名を知っておるか」


 二人は首を傾げた。聞いた事も無い名だ。鬼という字が入っているからか、その名に不吉な物を感じる。二人の様子に道院は頷いた。


「知らぬのも無理は無い。ずっと昔に、秘すべき事として里の者達も忘れ去った神ゆえ」

「忘れさった神、にござりますか」

「うむ。だが鬼神は、この里の守り神なのだよ」


 驚きに目を瞠る。そしてすぐに疑問が首をもたげた。


「なにゆえ守り神を秘されたのです。この里を護られているならば、祀らねばならないのではありませぬか」


 高遠の里にも守り神はいた。一年の内に何度も祀り事を行っていた事を覚えている。だが、この里では一度もそういった事をやった覚えが無い。


「鬼神の祀り方は、普通の神とは違うのだよ」


 聞いてはならない、と何故か思った。嫌な予感が高遠の身の内を(おか)していく。今度は兼光が口を開いた。


「藤森家の姫を嫁がせる事。それが鬼神への祭祀なのだ」


 兼光の声がひどく遠くに感じられる。信じるには唐突すぎる話だ。


「では……、姫が嫁ぐ先と言うのは、まさか」

「左様。八重が嫁ぐのは、人では無い」


 信じられない。信じられる筈がない。否定の言葉を言いたいが、何故か喉に何かが詰まっているようで何も言葉が発せられない。


「鬼神だ」


 まるで真っ暗な闇へ、すとんと落ちてしまったようだった。何とか発する事の出来た声は、自分でも驚くほど掠れている。


「そのような事、にわかには信じられませぬ……」

「お主が信じられなくとも、事実は変わらぬ」

「……それでは……鬼神に嫁いだ者はどうなるのですか」

「……命は、無い」


 手が、震えていた。それが恐怖の為なのか、怒りの為なのか、高遠には分からなかった。

 高遠は八重に助けられたあの日からずっと、彼女の幸せを願って来たのだ。だと言うのに、こんな事が彼女の運命(さだめ)だと言うのか。


「少し、昔話をしようかの」


 兼光の声に高遠は顔を上げた。

 陽はもう沈み切り、燈台の火がちらちらと揺れている。影を(おど)らせながら、兼光はとつとつと語り始めた。




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