今日の運勢
「えっ、うそ!」
おー、嬉しそうに今日の朝刊を眺める。これはわたしの習慣だ。ある記号を見てそわそわと、心が揺れ動く。
今日の運勢
牡羊座
健康○ 金運△ 異性○
「早紀、新聞見てる暇ないでしょ?」
母の少し苛立った、しかし聞き慣れた声を聞く。
「わかってる。それじゃ、行ってくる。」
母のいつもの気遣いに気づきながら、わたしも少し苛立って言う。今日の運勢をみたおかげで、苛立ちはだいぶ隠されている。
どんなに急いでも、朝の時間はわたしの速度を越えて行く。食べるのが遅いから朝食は30分、身だしなみは30分、なんだかんだで30分かかる。通学の電車は、7時03分発だから、自宅から、駅までの10分を考えると最低でも5時20分に起きないといけない。でも今日は寝過ごした。いや「は」ではなく「も」と言うべきだ。なんだかんだの時間の中に、朝刊を見る時間存在する。新聞を読むなんて感心でしょ。そう思っているが、読んでいるのは、四コマと最後の面、それと今日の運勢だけ。読んだうちに入るのかな、いや、ギリギリセーフだよね。かかとの崩れた白いシューズをなんとか履く。両手を使う必要がある。ただでさえ時間ないのに。左手首を返し、時計の長い針が10の位置を越えているのを確認する。やばい。玄関を急いで駆け出す。今日はいい日だ。だって異性○なんだから。正直、高校生が金運○は意味がない。雑誌買って、大好きなメロンパン買って、カルピス買ってもせいぜい千円と数百円。損する額には程遠い。ロト6してる父とか、株をしてる人とか、もっと、働い稼いでる人たちが関係あるものだろう。リア充を望むわたしにとって、異性の項目は調子のバロメーターになるので重要だ。空は青く、太陽が眩しい。いつもの道路、いつもの公園、いつもの建物、いつもの改札、電車の通過する風が肌に触れて心地いい。早紀の心はドキドキと、ほおには優しい笑くぼを見せていた。
「おはよう、早紀。」
下駄箱で、笑顔の彼にそう声をかけられた時は、運がきてると確信した。朝刊の運勢は、ほんとに当たる。
井上達也。彼とは中学からの付き合いだ。テニス部で、結構うまくて、たまに表彰されている。成績も中学では、同じくらいだったけど、今では彼の方ができる。
ドキドキする気持ちを隠し、「おはよう。井上君。」と返す。それがわたしの精一杯。
「よう、たっちゃん!」
ラケットを方からかけた知らない男子が声をかけ、達也と階段の方へ向かって行く。たっちゃんと心の中で唱えてみた。ほおの上の方の筋肉がやや下がる。変じゃなかったよね。かかとの崩れたシューズを脱ぎながら思う。上靴を履き、下駄箱の扉をパンと閉め、フーッと息を吐いてから、平行な二本のラケットを見つめ、階段へと向かって行った。
「さっちゃん、おはよ。」
教室の引き戸を引くと、笑顔の彩佳が見えたので、ほっとする。
「おはよう、あやちゃん。」
彩香との出会いは保育所で、付き合いは長い。
「もう、ほんと嵐のコンサート行きたい。」
彩佳は、大の嵐ファンだ。
「この前のMステ、嵐でてたよね。」
「そんなの、知ってるよ。ニノがまじカッコいい。」
そういえば、彼は嵐の二宮和也に似てる。結構、演技派だったりするのかな。今日の朝の笑顔も演技かな。わたしは彼の席を見た。一人で何かの勉強をしているみたいだったが、他の男子が話しかける。しだいに数人が彼の周りに集まりはじめる。彼は笑顔でしゃべっている。ドキドキではなく、ひらがなでどきどきとわたしの心は脈を打つ。
「ねぇ、さっちゃん、聞いてる?」
慌てて、彩佳の方を見る。
「あっ、聞いてるよ。」
わたしの目が彩佳の目と合う。くりくりと大きくて、とても綺麗に澄んでいる。ロングの髪も、どこのメーカーのシャンプーとリンス使ってるんだろうと疑問になるほど艶があって滑らかだ。同じ書道部だけど、制服は黒い染み一つなく、いつもすらっと身につけている。机の上には、ピンクの可愛い筆箱が置いてあって、彩香のイメージと合っている。ピンクの似合う女子は勝っている。彩佳を見ているとそう思う。わたしは、いくつか黒い染みのある制服を、わたしなりに最大限かわいく身につけている。だけど、彩香のようには着こなせない。気こなせるとも思えない。
「そろそろ、チャイムなるんじゃない?」
彩佳が言う。わたしは、彼の席からは離れた席に移動する。彼は一人の女子に話しかけられた。
今日は異性◎、その記号をわたしの頭に何度が映し出した。
今日の運勢
牡羊座
健康△ 金運○ 異性△
今日は平凡な一日だ。もともとそうなる運勢だ。でも金運が○だから、ちょっとした石につまずいて、こけたところに100玉。そんなことがあるのかな。いつもの道を駆け抜けていく。いつもの改札に、通勤するサラリーマンたちがどんどん吸収されていてわたしも吸収されていく。誰かと肩がぶつかった。誰だ。と思って当たりを見渡そうとするが、吸収される勢いは、改札に近づくに連れて速くなる。わたしは誰とぶつかったのかわからなかった。ホームの音や、誰かの声がざわざわと聞こえる。あれ、わたし、誰にいらいらしてるんだろ。いらいらの対象が自分だったと気づいたのは、それからだいぶん後だった。電車の扉がプシューと開き、わたしはむわっとした四角い金属の箱に自分の身をゆっくり移した。
昨日のことを思い出す。校門を抜け、顔の表情を気にかける。朝のいらいらが続いていた。スカートの裾に白い糸くずがついていて、腹が立ってばっと払う。下駄箱で上靴に履きかえる。右足を後ろに上げ、左足でバランスをとり、ふらふらしながらかかとを指でしっかり整える。辺りのみんながさっさと教室へ向かう中、わたしだけはゆっくりと。今日は誰とも会わなかった。
教室へ入ると、彼が見えた。
「おはよう。」
と、彩佳の声が彼の方から向かってきた。
「いやー。さっき達也君としゃべっててさ。」
「へー、そうなんだ。」
彩佳が悪い訳じゃない。自然と返すことばが無味乾燥になる。たぶん、ジェラシーってこういうことだ。さっさと自分の席につき、カバンを置く。彩佳の声も一緒についてくる。
「なんか、達也君ってもっとしゃべらない人かと思ってた。」
「へーそうなんだ。」
カバンのチャックの軌道を見ながら答える。
「早紀って、中学同じだよね。それと、達也君ワンディー好きなんだって、早紀も好きじゃんワンディー。」
ワンディーとは、One Directionの略。達也君意外に、洋楽聞くんだ。書道をやっているわたしの方が、洋楽聞くのは意外かな。明るい声で彩佳は続ける。
「しかも、普通にかっこいいし。」
その彩佳の声が意外と大きくて、彼の方をはっと見る。彼は下を向いて何かのノートを広げていたが、さっきまでこっちを見ていたと、わたしに思わせた。
「うん、そうだね。」
声のトーンを落とす。彩佳は空気を察したのか。すたすたと、彼女の席へ戻って行った。今朝の記号の△を頭の中に映し出す。チャイムの音と誰かの声がガヤガヤと混ざり合う。
今日はたぶん、いい日じゃない。
今日の運勢
牡羊座
健康× 金運○ 異性◎
改札口で今日も誰かとぶつかった。だけど、今日は気にならない。ホームに、流れるメロディが爽やかだ。念入りにといだ髪の毛が電車の風邪サラサラとなびく。わたしは電車とホームの隙間を、ひょいと軽快に飛び越えた。
誰とも声を交わさずに教室に辿り着いた早紀は、なんだか不安になっていた。引き戸を引いて、彼の机の方を、見る。あれ、まだきてないない。次に彩佳が目に入り、わたしの方から「おはよう。」と声をかけた。
「ニノまだきてないね。」
「えっ、ニノって?」
ふっと彼のことが浮かぶ。
「達也君のこと。なんか雰囲気にてるよね。達也君いつも早紀より早く来るから。」
彩佳は家が学校に近いから、いつも一番最初に教室にいるらしい。
「ありがとう、あやちゃん。」
嵐のDVDを持った、太田香がきた。彩佳から借りていたらしい。
「かおりん、どうやった?めっちゃかっこいいやろ。」
イキイキとした目で彩佳が言う。香は真面目だけれども、暗い真面目なわけでわない。いい意味で少しはっちゃけてるところがある。あーだ。こーだ。と、二人の会話が盛り上がる。実際は主に彩佳が嵐のことを語り、そうそうと香が答えてるだけだが、ときよりキャハキャハ笑い声があがる。わたしも同時に頬の筋肉を上に上げる。好きなことがあって、それを誰かと共有できて、なんだか彩佳が羨ましい。彩佳と香の隙間から、彼が椅子に座るのが見え、床にウォークマンがぽとりと落ちた。
「達也君ワンディー好きなんだって、」その言葉を、心でなぞる。
ワンディーの曲入ってるのかな。そう思うと同時にチャイムが鳴るり、頭の中に◎を映し出す。今日はいいことある、わたしはそう思った。
今日の運勢
牡羊座
健康○ 金運○ 異性×
昨日◎で、あとの後井上達也とは何も起こらなかったのに、今日は×。重い足をなんとか前へと走らせる。空は曇っていて、太陽が隠れている。いつもの道路、いつもの公園、いつもの建物、いつもの改札、電車の通過する風が冷ややかな感じをあたえる。早紀の心は悶々と、口はへの字を見せていた。
今日は下駄箱であえるかな。だけど今日、彼に出会っでしまったらまずい。わたしのボロが出てしまいうかも。わたしは、どうにもならない気持ちをどうにかしようと試みる。でも、誰とも声を交わさずに教室まで至った。
「さっちゃん、おはよう!」
今日は香に声を掛けられた。
「あっ、おはよう。」
彼の席を見る前に、いわゆるいけてる女子数人が集まっている中に、彩佳の存在に気がついた。嵐の言葉が耳に入ったので、彼女の笑顔の意味に納得する。
彩佳の笑顔は明るかった。
彼女の笑顔はひかりだった。
わたしはワンディーが好きで、同じクラスにそれを好きな子がいる。ただそれだけだ。話しかけて、話をしたら絶対楽しい。今なんかよりもっと楽しい。今までそれをしなかった。ほんとそれだけのことだ。
明日の運勢はどうだろう。今日が×だったんだから、明日は△以上になる。明日の朝にしよう、話しかけるの。チャイムの音と誰かの声がざわざわと、川原早紀は小さな決心をした。