私の中の死
『死』とは悲しいもの・・・
それが命を懸けて愛を注いでいる人だったら尚更のこと。私は以前まで『死』という言葉を簡単に何度も使ってきました。
『あいつなんか死ねばいい。』や『お前なんか死ね。』等特に意味もなくただただ相手への憎しみを表す言葉の一つとして。しかし、私は人生という路の中で少しずつ『死』という言葉の意味を理解していくことになるのです。意味を理解するというよりも『死』を通して意味を体験することになるのです。私がまだ高校生の頃に父かたの祖父が永眠し私が働くことになった高齢者施設でも数名永眠し入居者と仲の良かったスタッフは涙を流すこともありましたが私はその現場にいても私は『悲しいだろうな』や『辛いだろうな』ぐらいしか思っていませんでした。
社会人として数年たちますが未だ年賀状をだしたことがないのです。理由は一つ。毎年親族が永眠してしまうからです。学生の頃には『死』の意味を理解することができなかった私ですが社会にでて一年目で少しずつ理解し又、私自身変化していくことになるのです。そのきっかけともいう出来事が母方の祖父の『死』なのです。
母方の祖父にはとても可愛がってもらい私も大好きで自慢の祖父でした。
家もさほど離れていなかったので長期の休みには必ず会いに行っていました。祖父の料理はとても美味しく行けば必ず祖母ではなく祖父が料理をしてくれました。特にきんぴらごぼうは未だに忘れることができないほど美味しかったのです。その祖父が死んだことにより『残される側の辛さ』を体験することになったのです。通夜では泣かないと決めていたのに眠っている祖父に手を合わせた途端大好きだった祖父との想い出がいっぺんに溢れ、それが涙となり流れてきたのです。涙をこらえればこらえるほどとめどなく溢れだすのでした。
この祖父の『死』をきっかけに私は『死』という言葉を簡単に使うのをやめることにしました。しかしこの時はまだ『死』について本当の意味を知り始めただけにすぎなかったことを後に気付くのでした。私が社会にでて三年目のことです。ある女性と付き合うことになったのです。その女性とは結婚を考えての付き合いでした。
あれは初夏の夜のことでした。私が仕事から帰ると彼女が私に『赤ちゃんができたみたい。』と告げてきたのです。素直に喜びました。自分の子供が自分の愛する女性のお腹の中にいることが嬉しかったのです。
次の日から私は時間を見つけては子供の名前や遊ぶ計画を考えるようになりました。
周囲からは『まだ気が早い』と云われましたがそんなことは全く気にも止めず夢中になっていました。しかし今の私の収入では養っていくことが難しいという現実もありました。そこで私は仕事が休みの日にはアルバイトをし少しでも生活費になればと思いました。真夏の中肉体労働で倒れそうになりながらも『子供の為。愛する彼女の為』と激をとばすことで乗り越えることができました。子供の名前も決まり一安心したその時私の幸せは途切れてしまうのです。
9月2日の昼前彼女から電話がありました。声が暗い。何だろう?
『どうした?』
『ごめんなさい・・・赤ちゃんいなくなっちゃったの・・・ごめんなさい。』
何を言っているのだろう?『私が赤ちゃんを殺したの。ごめんなさい。』
全く理解できませんでした。いや、理解はしていたかもしれません。ただ信じたくありませんでした。電話を終えしばらく放心状態になっている自分がいました。少しずつ時間がたつにつれ意識が戻った瞬間涙が流れ出したのです。しかし、泣く訳にはいきません。
彼女のほうがもっと辛いのだから。
でも溢れ出る涙を止めることができません。
どのくらい時間がたったろう。
やっと涙が止まりました。
私は急いで彼女の元へ向かいました。
何か嫌な予感がしたのです。やっとの思いで彼女の家に着きました。一回・二回・三回インターホンに反応がありません。まさかと思ったその時彼女が玄関から出てきたことに安心しました。しかし、彼女の顔には血の気がなく頬はやつれていました。彼女は私を部屋にあげたあと布団に入り背中を向け呟いたのです。『ごめんなさい。私が赤ちゃんを殺したの・・・』
辛かった。
『違うよ君のせいじゃないよ。俺がもっと傍にいなかったからだよ。』
それでも尚自分を責める彼女に何も言えずただ頭を撫でることしかできない自分に非力さを感じずにはいりませんでした。
『帰って。今は独りになりたいの。落ち着いたら連絡するから。』
そう言われて私は彼女がそれを望むならと思い帰ることにしました。どうやって帰ったか記憶にありません。それでも家に帰り混乱している頭の中を整理してみることにしました。しかし、悪い夢を見ている気がしてしょうがないのです。
気がつくと食事もとらずに布団の中で泣いていました。誰にも気付かれないように身体を丸め声を殺して・・・気付くと朝になっていました。今日は仕事の日。休むわけにもいきませんでした。泣くだけ泣いたのだから大丈夫。平常心を保たなければ・・・
家をでると視界に入る全てのものがモノクロに見えるのです。ふと足を止めると私は高い建物を探していました。今日仕事が終わった後自分の人生を終える為に飛び降りる高いビルを・・・
職場に着き普段通りに仕事をしている自分に安心しました。帰りにしようとしていることを気付かれるわけにはいかなかったからです。しかし何か違和感を感じ手をとめました。直ぐに違和感の原因に気付きました。鏡の前に行き笑ってみると笑っていないのです。喜怒哀楽の表情が出来なくなっており全て無表情なのです。午前中はなんとか仕事を終え休憩に入ることができました。『ほっ』として気が緩んだ瞬間でした。とうとう壊れたのです。殺していた感情が全ていっぺんに出てきてしまったのです。涙ももうでないと思っていたのにとめどなく溢れてくるのです。
『子供に会いたい。名前を・・・決めたばかりの名前を呼んであげたい。一緒に遊ぶ計画もたてたのに。生き甲斐だったのに。もういいやもう何もかも疲れたよ。』
そんな時でした。一人の人に背中を叩かれたのです。『そんなことを言ってはいけない。貴方の子供はそんなことを望んでいないよ。』そんなこと言われてももうどうでもいい。私の人生はもう終わりにすると決めたのだから。このまま生きていても『幸せ』はこないのだから。その人は私の肩を掴み言いました。
『子供は貴方の傍にずっといるよ。いつまでも貴方の傍から見守っているんだよ。子供は悲しんでいないはず。子供は自分の運命を知っている。子供は親を選んでやってくるんだよ。それなのに貴方が悲しんでどうするの。自分の子供にそんな姿を見せてはいけない。お願いだからしっかりして!!』そう言われて私は少しずつ落ち着きはじめていました。もしそれ(子供が私の傍にいること)が本当ならこんな姿を見せてはいけない・・・
この出来事が私に『死』という本当の意味を教えてくれたように思います。(まだまだ知らないことがありますが)この経験をしてから私は『死』という言葉にとても敏感になってしまいましたがそれでも良いと思っています。何故なら『死』という言葉はそれほど深く重い言葉だからです。そういえば私の背中を叩いた人の話しによると、何処かの国では『死』悲しいものではなく喜ばしいものだそうです。それは『死』を迎えることによって『この世』から『あの世』への旅立ちらしいのです。言葉には良い意味と悪い意味がありますが私は『死』の良い意味を『旅立ち』と読みとらえたいと思います。死んだ子供が傍にいてくれるかどうかはわかりません。ですが、親としてはやっぱり子供には傍に居てほしいものです。ですから私は『子供が私の傍に居てくれる』ことを信じてみようと想います。