6 フランス予審判事(探偵じゃない!?)フィックス (かぐつち・マナぱ)
五番目なのでフィフスなのですが、フィクションと混ぜてみました~(=゜ω゜)ノ<原稿が間に合って良かった!w
──西園寺弁護士事務所・昼下がり。
事務所の古ぼけた黒電話が短く鳴る。
直ぐに反応したのは、助手で弁護士見習いの江戸川松露子。
「はい、西園寺探偵事務所でございます」
彼女の、はきはきした声。
『Bonjour…Concernant votre annonce — la recherche de la vérité sur l’“affaire du vin empoisonné”. J’ai quelque chose à vous dire. 』
低く、落ち着いた男性の言葉に、一瞬、彼女の時が止まる。
「……え?」
今のは――外国語? 英語では、ない。
聞き慣れない異国の言葉に、松露子の心臓の鼓動が早く打つ。
『驚かせてしまったようですね……失礼しました』
松露子に向けた言葉へ声は変わる。
『日本語で、お話ししても、よろしいでしょうか?』
今度は、ゆっくりと、妙に、丁寧に。
「え、あ……はい。ええと……どちらさまでしょうか?」
受話器を持つ手に、わずかに力が入る。
『名前は、まだ……ご安心を。私は、ただの――年老いた”予審判事”です』
その一言で、空気が変わる。
予審判事(juge d’instruction)とは、日本や英米法系には存在しない、”捜査と司法の中間に立つ裁判官”を指す。
裁判の前に”真相を徹底的に調べる、強い──それは警察官よりも…下手をすると検事よりも──権限を持つ職”。
──無論、まだ半人前な松露子の知識では、未知の存在であったが──。
『事件の件で、所長のサイオンジ先生に代わっていただけますか?』
松露子は、思わず事務所の奥を見る。
西園寺は、書類から顔を上げた。
「……先生、お電話です。ええと……外国の、予審判事、って名乗っておられて……」
動揺した声を潜めきれない。
名乗りすらしない声は、西園寺がそこにいる、と確信している。
「予審判事って…フランスの?……俺が代わろう」
西園寺は立ち上がり、静かに松露子の横へ来る。
「…代わりました、西園寺です」
西園寺が受話器を取る。
『突然のお電話、お許しください』
受話器の向こうで、男は一度、静かに息を整えた。
『……あなたがサイオンジ……』
説明も、前置きもない。
『よかった。では、話を続けましょう』
疑問でもない。
「何がです?」
西園寺は眉をひそめる。
『あなたが、真実を引き受ける人間だ、ということです』
唐突、だった。
「…ずいぶんと――早い判断ですね」
皮肉を混ぜたつもりだったが、電話口の声は動じない。
『今、あなたは…』
一拍。
『「はい」でも「結構です」でもなく、「私が何者か」を聞こうともしなかった』
西園寺は、無意識にペンを持ったままの自分に気づく。
『普通の弁護士なら、まず用件を聞く…』
『忙しい弁護士なら、秘書に任せる…』
『慎重な弁護士なら、身元を確認する…』
淡々と、列挙される。
『しかしあなたは、私の最初の言葉が、挨拶が不要な言葉だと理解し、そのまま受話器を取った』
「……」
『それは、単純な行動ではありません』
少しだけ、声が低くなる。
『経験と判断力のある人間の、間です』
西園寺は、笑っていないのに口角が上がるのを感じた。
「……それだけで?」
『いいえ。それだけではない』
老人は、あっさり否定する。
『あなたの事務所の電話は、今の時間帯にしては――妙に早く取られた』
「……」
『それは静かなことを示し──あなたの事務所は、経営が苦しい』
『…しかし、焦ってはいない』
一呼吸。
『つまりあなたは、勝てる依頼だけを選ぶ人間ではない』
西園寺は、しばらく黙ったままだった。
『同時に、負けると分かっている依頼から逃げる人間でもない』
『――あなたなら、「誰が犯人か」より先に、「誰が犠牲になるべきでないか」を考える』
『だから私は、ここに電話をかけました』
西園寺は、深く息を吐いた。
「……ずいぶんと、買われたもんですね」
図星だった。
『それと。トーキョーで別件調査中でしたが、あなたの広告が興味を引きました』
電話口の声は、静かに語る。
『──臭いますね、この“事件”』
西園寺は一瞬、鳥肌が立った。
(この男……“匂い”と言ったか?)
『……私の名は、Ben・Colin…』
それは、考える間ではない。
『…と、そう名乗っています』
名を“選ぶ”間だった。
どこの国ともつかない、不自然な響き。
「名乗っています、ってのはどういう……」
西園寺は眉をひそめる。
『長年の癖です。職業柄、名前は軽い方がよい』
その言葉に、西園寺は鼻で笑った。
「職業、ね。うちは弁護士事務所だ……詐欺師ならお断りだぜ?」
老人は動じない。
『ええ。だから今度は──間違えない人間を選ぶ』
その言葉で、西園寺は悟る。
『依頼を受けましょう。ただし——ふたつ条件があります』
──この老人は、事件を解決するために、電話してきたのではない。
「じょ、条件?」
『まずは、ひとつ──私を“探偵”、と呼ぶのはやめていただきたい』
『私は司法の人間です。真実を暴くのは職務であって、娯楽ではありません』
──依頼主を選びに来たのだ。
「ひえっ……」
西園寺のそばで耳を立てる松露子は小声で言った。
「(……かっこよ……)」
『本日の午後三時、そちらの事務所を訪問します』
『事件記録などの資料を準備しておいてください。この事件は……』
最後に、Ben・Colinはこう付け加えた。
『真犯人は、”今まで名が挙がっていない人物”になりますよ』
ぷつり、と電話が切れた。
しん……と静まり返る事務所。
ありえない肩書。
ありえない人物。
ありえないタイミング。
「……まじかよ……いやいやいやいや待て待て!?」
松露子は両目を星のように輝かせた。
「来ましたよ先生……! 名探偵! 本物です本物の!」
西園寺は頭を抱えた。
「なんで予審判事が日本のローカル事件に!? やべえの呼んじまったのか!?」
こうして『毒ぶどう酒事件』に、最強の“外科医のような頭脳”を持つ男が参戦することになった。
──午後三時。西園寺弁護士事務所には、少し傾いた光が差し込んでいた。
光が机の上の灰皿と書類の端を白く縁取っている。
コン、コン。
事務所の、年代物のドアが二度、静かに、迷いなく叩かれた。
「き、来た……!?」
「松露子ちゃん、落ち着け! 心臓出てんぞ!……はいはい、開いてますよ!」
ドアは、きしりと小さな音を立てて開いた。
立っていたのは――異様なほど静かな老人だった。
背は高くはない。
背筋は伸びているが、力が入っているわけではない。
七十は優に超えているだろう。
だが、老いは「弱り」ではなく「削ぎ落とし」として現れている。
灰色の外套は古びているが、手入れは行き届いており、杖を持ってはいるが、それは「支え」ではなく「伴侶」に近い。
そして、その老人は、迷いなく一歩、事務所に足を踏み入れた。
「失礼。突然の訪問を詫びます」
老人は帽子を脱ぎ、静かに頭を下げた。
短い、日本語。
だが、どこにも訛りがない。
何よりも、その金色の瞳がひどく冷静に光っている。
「…Ben・Colin」
予審判事は、それだけを言って軽く頭を下げた。
「仮の名です。長く生きると、本名は厄介なモノを呼び寄せる」
「ど、どーぞどーぞ! 狭いですが!」
松露子が引きった笑みを浮かべながら、来客用の椅子に案内する。
「……狭いことは、外観から既に知っています」
老人は事務所を一瞥するなり、杖の先で、床をとん、と一度だけ鳴らした。
「電話番号は看板に出ていない。看板は古く、塗り直しは三年前」
「窓際の書類は整理されていないが、机の引き出しは鍵付き。やはり――」
老人は、西園寺をまっすぐ見た。
「仕事は少ないが、信用を失っていない」
静かだが、確認というより“答え合わせ”の口調だった。
松露子が、息を呑む。
「……先生、この人……」
西園寺は椅子から立ち上がり、名乗ろうとして――やめた。
この訪問者は、すでに自分の名前も、事務所の状況も把握している。
そういう種類の人間だ。
「……あんた、何者だ」
この男は、確実に“何か”を知ってここに来ている。
西園寺の勘が、そう告げていた。
「今は、ただの来客です。話は――」
彼は、持っていた包みを松露子の方へ軽く押しやった。
「甘いものを口に入れてからの方が、日本では話が早いと聞きましたので」
老人が差し出した紙袋は、厚手の蝋引き紙で包まれていた。
角が擦れ、長旅を物語る細かな皺が刻まれている。
松露子が恐る恐る、中を覗くと、ふわりと、バターと砂糖が焦げる前の、やさしい甘い香りが立ち上った。
戦後十数年。
バター菓子は、まだ“特別な匂い”だった。
「……先生、この方、嫌いじゃないです」
松露子は思わず笑った。
「うるせぇ」
西園寺は、バター菓子をじっと見つめる。
中にあったのは、小さな金色の紙で一つ一つ包まれた焼き菓子だった。
表面には貝殻のような溝があり、形は楕円に近い。
「マドレーヌです。ロレーヌ地方の、保存のきく配合で焼いてもらいました」
老人は、その空気を壊さぬよう、静かに続ける。
「マド……?」
松露子は首を傾げる。
「聞いたことねぇな。ケーキみてぇなもんか?」
西園寺も眉をひそめた。
老人は、わずかに口角を上げた。
「今は、そうでしょう……ですが、あと数年もすれば、日本でも普通に店先に並ぶでしょう」
「貝殻の形なんですね……」
松露子が一つ手に取る。
「海の国のお菓子です。形は違えど、島国には受け入れられやすいかと」
「へぇ……」
「東京の洋菓子店あたりから…でしょうか。最初は“変わった形のカステラ”のように扱われる」
老人は椅子に腰掛ける許可を求めることもなく、自然に座った。
まるで、ここに来ることが最初から決まっていたかのように。
「……流行る時期まで知ってるみてぇな言い草だな」
西園寺は、そこに引っかかった。
「長く生きると、“いつ、なにが、受け入れられるか”が先に見えることがある」
老人はそう言って、もう一つ、小さな丸いブリキ缶を取り出した。
「こちらはヴェルヴェンヌ(Verveine)。レモンの香りがする薬草茶です」
淡い青色に、金色の文字。
見慣れない横文字が並んでいる。
「フランスでは、忙しい者ほど飲まされます」
老人は、青いブリキ缶を向かい合う西園寺の方へ、静かに滑らせた。
「サイオンジ先生には、甘い菓子より先に飲んでいただいた方がいい」
西園寺は、眉をひそめる。
「薬か? 飲まされる、ってのが嫌な言い方だな」
西園寺がぼやくと、老人は肩をすくめた。
「薬と言うほどではありませんが、胃に優しく、熱を鎮める」
西園寺は、思わず鼻で笑った。
「……えらく気が利くじゃねぇか」
老人は、事務所を見回した。
「眠りの浅い弁護士には、紅茶より、こちらの方が向いている」
老人の視線に捉えられた西園寺の動きが、一瞬止まった。
松露子が思わず西園寺を見る。
西園寺は、何も言えなかった。
――なぜ、そこまで知っている。
「この部屋です。古い机。使い込まれた椅子。灰皿の吸殻はきちんと消されているが、数が多い」
「それに」
きしり、と椅子が鳴る。
「追い込まれている人間ほど、帳面を閉じたままにする」
老人は、机の端に置かれた帳簿に目をやる。
松露子が、はっとして帳簿を引き寄せた。
確かに、今日の分はまだ書かれていない。
「…事件を解く前に、解く側の人間が壊れてはいけない」
西園寺は、しばらく黙っていたが、やがて低く笑った。
「……厄介な客だな」
「褒め言葉として受け取りましょう」
老人が缶の蓋をわずかに開けると、乾いた葉の匂いの奥から、爽やかで清涼な香りが立ち上った。
──Ben・Colinが、分厚い資料を束から抜き取り、ペラペラとめくった。
「……ふむ……警察調書の写しもある……」
その速さは、ページが勝手にめくられているかのようだった。
「まず——このニシヤマの自白は、事件解決どころか“妨害”だ」
静かに資料を読み終えると、彼は何の予告もなく口を開いた。
「ぼ、妨害……!?」
「はいはい! どういう意味ですか!?」
松露子が前のめりになる。
「理由は三つだ」
Ben・Colinは淡々と指を三本立てた。
「一つ。自白が“手段”を正確に説明していない。
二つ。自白が“動機”と一致していない。
三つ。自白が“誰か”を庇うように出来ている——不自然な“隙”がある」
「誰かを庇うような…隙……?」
「そう。本当に殺すつもりなら、こんな回りくどい毒殺などという工程を取る必要はない」
Ben・Colinは資料の該当箇所を、一本の指で軽く叩いた。
「そして、この事件の鍵は“時間”だ……あの“5時間”は、まだ終わっていない」
「五時間? ……あの、大岩宅に酒が置かれてた?」
「そう。しかし——この“5時間”は実際には曖昧で、多くの手が介在し、証言が振れる空白を生んでしまっている」
Ben・Colinは淡々と言う。
「酒の到着時刻が、証人たちによって“全員”後ろにずれている」
「そ、それは思い違いで……」
「そんな思い違いが、三人も同じ方向に起きるだろうか?」
西園寺と松露子は、息を飲んだ。
「このズレは、“あとから整えられたもの”だ。つまり——その時間帯に酒に触れた者が、意図的に時間をずらした可能性がある」
──ぶどう酒が組長宅にあった時間が長くなるということは──
「そ、それって……けっこう黒い話になってきませんか……?」
松露子は、思わず息を呑んだ。
「まだある。……歯形の証拠は“証拠になっていない”」
「歯形の一致。これは鑑定技術が未熟な日本では証拠として弱い」
Ben・Colinはぴしりと言い切った。
「しかも——この歯形は“複数人”が同じ瓶に触った後の可能性もある」
松露子が身を乗り出す。
「じゃ、じゃあ西山さんの歯形って確定じゃない……?」
「むしろ、証拠として“出すべきではなかった”類だ。捜査が焦りでブレている証拠ですね」
「……くそ。やっぱ焦ってたのか、警察……」
西園寺がうめき声を漏らした。
「そして、何より殺人の動機が、“むしろ彼には成立しない”」
「西山悟の動機、“不倫の清算”。警察のこの推理——論理が一つ抜けている」
「抜けてる?」
「──“彼が一番殺さない相手”が、死んでいる」
西園寺と松露子は固まった。
「……妻、千代……」
「そうだ」
Ben・Colinはページを閉じた。
「大恋愛の末に結婚し、都会の大企業まで辞めて戻ってきたほどの相手だ」
「その妻を、“巻き添え”などという雑な方法で殺す?——ありえない」
松露子は思わず胸に手を当てた。
「……たしかに……」
「むしろ彼の行動のほとんどが、“妻を守ろうとしていた”方向に向いている」
「ミスター・サイオンジ——ニシヤマは“殺人罪を犯していない”。──彼は誰かを守るため、沈黙しているだけだ」
革張りの椅子に深く腰を沈めたBen・Colinは、目を閉じ、指を組んだ。
「──この事件、毒を入れた“手”と、毒を使わせた“頭”は、西山とは別々の人物だ」
老人は、静かに締めくくる。
その言葉に、かえって西園寺の背筋が冷えた。
「では、真犯人は他に……複数いるってことか!?」
──真犯人の名は、まだ一言も出ていない。
それでも西園寺は、この老人が、すでに“核心の入口”に立っていることを、理解していた。
「……私は、真相を“推理する”ために雇われた……村を救う立場でもない…」
老人の視線が、窓の外――遠い空を見る。
「私は二つの戦争を見た。国家が個人を消費する構造を」
「正義の名で、犠牲が正当化される現実を」
声に怒りはない。
ただ、経験として定着した静かな確執があった。
「この事件は、小さな村の話でしょう。──しかし、犠牲が固定化される構造は同じだ」
老人は、西園寺を見る。
「知識のない者が手を汚し、弱い者が罪を被り、構造の上にいる者が無傷で残る」
静かな迫力に西園寺は息を止めた。
「これ以上に話を進めるのならば、依頼を受けるための──」
「もうひとつの条件を飲んでいただきたい」
「もうひとつの条件?」
西園寺と松露子の視線を受け止めながら、Ben・Colinは淡々と言う。
「この話をどう使うか、あるいは、使わないか」
一拍。
「それは、依頼主である“あなた”が判断するという、条件だ」
西園寺が低く唸る。
「……冷てぇな」
老人は否定しない。
「冷たいでしょう。しかし、立場を越えた瞬間に、それは“操作”になる」
そして、少しだけ視線を落とした。
「いずれにせよ――」
声が、わずかに低くなる。
「この事件は、誰かが犠牲になり、誰かが、その犠牲の上に立つ」
沈黙。
「そしてまた──救われる者は、多くない」
松露子の指先が、きゅっと握られる。
「誰も救えないかもしれない──犠牲を固定化させない、と選んだのなら…」
西園寺は、この老人が――名を変え、時代を越え、戦争をくぐり抜けてなお、“探偵(本人は否定するが)”である理由を、初めて理解しかけていた。
「……分かった、その条件を飲む……だから、教えてくれ」
西園寺は初めて、真正面から老人の顔を見た。
ほんのわずかだけ、彼は皮肉とも諦観とも取れる笑みを浮かべた。
松露子は、その言葉の意味がよく分からないまま、それでもなぜか、マドレーヌを大事そうに胸元に寄せた。
──Ben・Colinは静かに立ち上がり、先ほどよりも慎重な口調で語り始めた。
「――ところで、この事件が起こる前から、未亡人だった人物は一人だけだということに、あなたは気づいていましたか?」
西園寺の指が止まる。
「……あの女か」
「そう。彼女は村で唯一、“夫を失う痛み”を現在進行形で背負わされている人物だ」
それは「論理」ではなく、「人間」を扱う声だった。
「嫁である松子との折り合いの悪さ、村の若い者に“支配の仕組み”を教える必要があるという歪んだ使命感……」
「妊娠中の貞子も毒を入れる機会はあった……しかし、犯行が発覚すれば、生まれてくる赤子は?──その動機も不十分である線から、犯人像には当てはまらない」
Ben・Colinは机を指で軽く叩いた。
「ゆえに該当する人物は、ミセス・カヨコ──組長の母。彼女が毒を入れたのは事実でしょう」
「彼女は“未亡人”として村に残ったのではない。村は、彼女にその役割を与えなかった」
「夫を失った過去はある。しかし彼女は、“組長の母”という立場として、村の中枢に残り続けることを選ばされ続けた女だ」
彼は資料にある犠牲者リストのページを開く。
「未亡人とは、配偶者を失った者のことではない──“その喪失を、社会に固定された者”のことを言う」
──そこには警察の見立てである「三角関係の清算」としてあげた未亡人の記載がある。
「その存在は、事件で殺された“未亡人”とは立場も姿も異なる。しかし、見方によっては――同じ構造の中にいるとも言える」
「しかし、香代子は違う。彼女は、村の中で“役割を失うことを許されなかった”人間なのです」
「そして――ニシヤマ。都会から来た男。村の掟も、血縁も、暗黙の序列も持たない異物」
彼は指を組む。
「ニシヤマが恐れていたのは、自分の立場が悪くなること──そして、それが回り回って、妻の立場をも脅かすことでした」
「──だから彼は、最短距離を選んだ」
西園寺が静かに問う。
「それが、香代子か」
「ええ」
Ben・Colinは頷く。
「ニシヤマは、彼女に取り入ろうとした。保身です。打算です。しかし――」
そこで一拍、間を置いた。
「それだけでは終わらなかった」
西園寺の眉がわずかに動く。
「土地の差は、あまりにも大きい。育った世界、価値観、言葉の選び方。ニシヤマは“下”で、カヨコは“上”。──本来、交わるはずのない二人です」
老人の声は低く続ける。
「組長の母という立場は、権力と同時に、誰にも見せられない弱さを生む」
彼は目を細める。
「最初は媚び。次に同情。やがて、理解者のふりをする」
「カヨコにとってニシヤマは、村の誰とも違う存在になった。息子でも、家臣でもなく、“話を聞く男”」
西園寺が静かに言う。
「情が、芽生えたと?」
「ええ。それが恋かどうかは、問題ではありません」
Ben・Colinは首を振る。
「それは、未亡人としての孤独と、都会の男への憧れ、そして自分がまだ“必要とされている”という錯覚を生じたという事実のみ」
「一方、西山にとっては?」
「利用と恐怖の間です」
即答だった。
「彼はカヨコを利用した。しかし同時に、彼女の“重さ”に怯え始めた」
「この女は、自分が思っている以上に、深く、強く、そして――危うい」
年老いた男は結論を告げる。
「毒を入れたとき、カヨコの中には、村を守る母としての論理と、ニシヤマに対する複雑な感情が、絡み合っていたはずです」
「そしてニシヤマは、それを知りながらも、止められなかった」
「なぜなら止めれば、自分の立場が崩れ、妻の立場も危うくなる」
「――保身が、沈黙を選ばせた」
西園寺が低く息を吸う。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!? それじゃあ、西山の妻──千代は、なぜ毒殺された?西山にとって最愛の──」
「──毒を入れたカヨコと、ニシヤマは、ここまでの惨事になるとは思っていなかった」
西園寺の強い問いは、直ぐに答えを返された。
「何故なら、カヨコとニシヤマは毒となる農薬について、十分な知識と経験がなかったからだ」
予審判事の声は、あまりにも冷え切っていた。
「あくまで、少しばかり具合が悪くなるだけ……そう、毒を入れる実行犯である、カヨコは聞かされていたから」
Ben・Colinは、再び窓の外を見る。
「…なっ…!?じ、じゃあ、香代子を唆した人物が、真犯人ってことじゃないのか!?」
「……ま、まさか、そ、その真犯人は、西山と香代子の関係も知っていた人物って、ことですかっ!?」
衝撃の推理に、西園寺と松露子が大きな驚きの声を上げる。
「……もちろん、その人物は二人の関係を知り、かつ毒となる農薬の使用に長けた者です」
ふたりの熱のある声と乖離する声が、淡々と述べていく。
「この事件。──“誰が毒を入れたか、いつ入れたか”を考えるほど、見えなくなる」
西園寺は眉をひそめた。
「──だが、それが事件だろう」
「いいえ。これは“誰が決断させたか”の話です」
松露子が息を呑んだ。
「決断……?」
老人は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「サトル・ニシヤマ。彼は最も守りたかった存在――妻を、もう失っている」
西園寺の手が止まる。
「……自暴自棄……だから自白した、と?」
「自白“できた”、が正確でしょう」
Ben・Colinは、二人を見る。
「自暴自棄、という言葉は便利ですがね。本当は、もっと静かな感情だ。――何も守れなかった、という実感」
「そんな彼の元へ、誰かが来る」
部屋の空気が重くなる。
「香代子さん……ですか?」
松露子が、再び思わず前のめりになる。
「…予想外の惨状で動揺しているカヨコに、そんな行動はできない。──それが出来るのはただ、“村の論理”を背負った人間です」
淡々と続ける。
「直接は言わない。『罪をかぶれ』とも、『お前がやれ』とも言わない。──そんな言葉は、かえって無粋だ」
彼はゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「こう言うんです。
――もう亡くなった人を、無駄死ににするわけにはいかない
――村は、このままじゃ立ち行かない
――誰かが、終わらせなければならない」
西園寺が低く唸る。
「……綺麗事だな」
「ええ。だからこそ、効く」
異国の男の声が少しだけ低くなる。
「西山は、もう失っている。妻も、未来も、村での居場所も」
「ならば――“自分が犠牲になることで、何かが保たれる”──その理屈は、救いに聞こえてしまう」
「そして、カヨコもまた守られることになる──誰かの”ぶどう酒を置いた時間の供述”によって」
松露子は唇を噛んだ。
「……ふたりとも……利用された、ってことですか?」
「利用、というより――“役割を与えられた”」
「Celui qui succède au roi se tient dans l’ombre du roi」
世界の深淵を覗いてきた男は、静かに言った。
「──村のために。秩序のために。混乱を収めるために」
「だからこそニシヤマを、村全体にとって、“都合のいい犯人”に仕立てた」
「新たに創られた第二の"未亡人"を守るために罪を被る男。──日本的で、あまりに美しい自己犠牲です」
「…だから、"彼女"は黙っているのか」
西園寺は煙草に火をつけ、深く吸い込んだ。
「……この事態の責任と影響は、西山だけが被るわけじゃない……」
「…毒が入っているかも知れない酒を、誰が買う?……組長がいなければ……次に立つのは、その部下なんじゃないのか……?」
Ben・Colinは、そこで初めて薄く笑った。
「さすが元検事。答えは、もう出ている」
杖の先が、床を軽く叩く。
「事件は、毒で始まったんじゃない。──“誰が村を導くか”という欲で始まった」
「この事件は、悪意だけでは起きていません」
老人は静かに締めくくった。
「身分差と孤独、利用と依存、そして“失いたくないもの”が交差した結果です」
部屋に、深い沈黙が落ちる。
「では。あとは――弁護士の仕事でしょう」
そう言って、立ち上がる。
帽子をかぶり、軽く会釈する。
扉が閉まる音が、乾いて響いた。
──残された事務所には、タバコの煙と、答えを持たない沈黙だけが残った。
やがて、松露子が小さく呟く。
「……それでも、先生。それを覆すことに、意味はあるんですか?」
西園寺は答えなかった。
「王が倒れたとき──王冠を拾う者は、いつも影の中にいる……か……」
ただ、灰皿に煙草を押し付ける。
「あるさ」
「じゃなきゃ、名探偵なんざ、呼ばねぇよ」
──短く、それだけ言った。
▼かぐつち・マナぱ さんの後書き
えへへ、とっても「ひどい」推理にしてしまいましたw(;^ω^)<これを完結させるのは私じゃ無理です!(マテ!)大変かと思いますが、宜しくお願いします!
ちなみに、Ben・Colinは、アンリ・バンコラン(Henri Bencolin)から来ています。
ジョン・ディクスン・カーの小説に登場するパリの予審判事です。(*´◇`*)<○タリロじゃないよ?w
……いつの間に自分の番になっていたのか、見逃しておりました!w( *´艸`)<あぶないあぶない!←マテ
▼Ajuの実況
こ‥‥これはまた! めちゃくちゃかっこいい探偵が現れました。(本人は「探偵とは呼ぶな」と言っていますが)
新たな事件の解釈も現れました。なかなか本格的な「探偵小説」になりつつあります。
さて、アンカー候補となった榊さんとしいなさんのアミダが始まります。
次が、ラストです。




