4 おばちゃん安楽椅子探偵・サード (かわかみれい)
「よお。ずいぶんと追い詰められとんな」
新聞広告で探偵に推理を頼むとか、お前らしくない発想だな。どうせ松露子ちゃんのアイデアだろう?
味湯から、そんな冷やかしめいた電話がかかってきたのは、クレイ・エンジが来た翌日だ。
「へっ」
しゃらくさい、誰のせいでこうなったと思ったが、どう答えても味湯にからかわれそうなので、西園寺は否定も肯定もしなかった。
そこでふと、味湯のたたずまいが真面目になった。
「まあ、コッチがお前に無理を言ったのは確かだ、これでもちょっとは申し訳ないと思ってる。どうだ、俺の知り合いの知り合い程度だが、そういう謎解きが得意なおばちゃんがいるんだ。場所が大阪なのがナンだけどよ、ちょうど大阪の弁護士会に届け物やらなんやらの野暮用もある。交通費くらい出すし、そのおばちゃんには手土産程度のものを持っていくだけでいい。出張がてら行って、話を聞いてきたらどうだ?」
「……おい、味湯さんよう」
西園寺は恨みがましい声になる。
「要するに。俺に、アンタの使いっ走りをやれってところか?」
ははは、と、電話の向こうで味湯の野郎は気持ちよさそうに笑った。
「まあ、そうとも言うか。でもな、謎解きおばちゃんの件は本当だ。娘時代にイギリス留学の経験もあるとかいう、好奇心旺盛でハイカラな未亡人だ。この前の戦争で、南方で戦死した俺の大先輩の奥さんでな。先輩が元気なころ、向こうへ遊びに行った時なんかにちょいちょい世話になったもんだ」
客好きな人だし、留学経験もあるからか普通のご婦人とは目の付け所が変わってて、話をしても面白い。まあ、だまされたと思って行ってこいよ。
そんな風に丸め込まれ、西園寺はおめおめと、味湯の使いっ走りをさせられることになった。
弁護士会から少額ながら、交通費とは別に礼金が出るというのに心が揺らいだのも否めない。
事務所で暇を持て余し、松露子が出してくれる色付き湯をガブガブ飲んでいるよりは建設的であろう。
そんな訳で西園寺は翌々日、まずは大手前にある大阪の弁護士会へ行き、使いっ走りの野暮用を済ませた。
その日は木賃宿に泊まり、翌日、電車や乗り合いバスを経由して、奈良との県境になる山のふもとにある『謎解きおばちゃん』が住む町へ行く。
昼には味湯から聞かされていた私鉄駅に着いた。西園寺は腕時計を見、今すぐ訪ねるのは時間的に非常識かと思う。
駅前にある喫茶店で昼飯がてら暇をつぶし(置いてある新聞や雑誌を読み倒した)、午後一時頃に店の赤電話から先方へ連絡を入れた。
やや気取った上品そうな御婦人の声が、電話越しに聞こえてくる。
「はい、波多野でございます」
「もしもし。私は東京の弁護士会に所属する者で、味湯から紹介されました西園寺舞九郎と申します。波多野寧子さんでいらっしゃいますか」
「はい、左様でございます。味湯さんからお話は伺っております。拙宅への道順はわかりますか? あれでしたら、タクシーでお越しになってください。小波町の、大きな棕櫚の木ィのある洋館、言わはったらわかると思います」
味湯、の名前が出たところで、先方は少し気安くなったらしい。
声に柔らかみが増し、大阪訛りのニュアンスが言葉に加わった。
西園寺は言われた通り、タクシーでそちらへ向かった。
「遠いところを、ようこそお越しくださいました」
半白の髪にゆるくパーマをかけた、小柄なご婦人が玄関で出迎えてくれる。
特に美しくも醜くもない、普通のおばちゃんだ。
ただ、渋い色合いのアーガイル模様の薄手のセーターに黒のパンタロン、という学生じみた服装は、この年頃のご婦人にしては前衛的かもしれない。
互いに挨拶をし、西園寺は、松露子がわざわざ百貨店で買ってきた、浅くさ中村屋の和風クラッカーを夫人へ渡す。
手土産なんざ雷おこしかなんかでいいんじゃないかと西園寺が言うと、大阪の名物も『おこし』でしょ、と松露子にバカにされたことを思い出し、彼は一瞬、ムカッとする。
「味湯さんから連絡があった時、ビックリしたんですよ。『毒ぶどう酒殺人事件』のこと、まあ私のごく個人的な興味からですけど、新聞やらなんやらで調べてたんです。で、私としてはこうやないかなァなんて考えがまとまりかけた時に、ジリジリジリ、って電話がありまして。ほしたらまあ、この件の真相を推理してほしいって。国選弁護士の先生が、事件のあった集落中のお人から真相を隠されて、弁護するのに難儀してはるって」
西園寺は客間に通された。
ハンドメイドではないかと思われる焼き菓子が、すでに客間のテーブルに乗っている。
流れるように話をしながら波多野夫人は、クラシカルなデザインのティーポットから、客用らしい金縁のティーカップへ手際よく紅茶を注ぐ。
色鮮やかで香り高い紅茶は、当然ながら西園寺の事務所で飲む紅茶とは次元が違う。
椅子の上でかしこまっている西園寺の鼻先へ、湯気と共に漂ってくる紅茶の香り。
なんとなく、非現実的な世界――たとえば不思議の国のアリスの世界など――へ、導かれるような気がしてきた。
「西園寺先生は、どない思ってはりますのん?」
問われ、西園寺は顔をしかめる。
「あー、あくまで私の感触といいますか、検事時代に培った勘といいますか。自白はしてますが西山は、九割九分九厘、やってませんね。しかし彼は、自分がやったと言い張ってます。彼がそう言い張る、あるいは言い張らざるを得ない理由がわかれば、道が開けるのではないかと…」
言いつつ、西園寺はなんとなく気恥ずかしくなってきた。
まったく雲をつかむような話だ。そのために大の男がわざわざ、大阪のはずれの小さな町に住む、知り合いの知り合いでしかないご婦人を訪ねるなど、冷静に考えれば馬鹿馬鹿しい。
ごまかすように彼は、目の前の紅茶を飲んだ。砂糖もミルクもレモンも入れていなかったが、びっくりするほど美味い紅茶だった。
「あくまでも私個人の、益体もない感想ですけど……」
銀色に輝くナイフで焼き菓子――パウンドケーキというらしい、と、後で松露子から教わった――を切り分け、西園寺へ勧めながら波多野夫人は言う。
「犯人は、大岩自治会組長の母親、香代子さんの可能性が髙いんやないかと思います」
「大岩香代子、ですか? 何故……」
「西園寺先生」
波多野夫人は曖昧にほほ笑んだ。
「地方都市、特に因習深い田舎に住む女性の気持ち、おわかりになりますか?」
どう答えればいいのか窮し、西園寺は黙る。
夫人は遠い目をした。
「自分でも、こんなんもう嫌や、アホらしいからやめた方がエエ……そう思っててもやめるわけにいかん、それが地域のしきたりとか因習とか、そういうもんです」
「……はあ」
「私の実家は商売をしてまして。まあソコソコ裕福でした。跡取りになる兄もいましたし、しとやかで別嬪やと評判の姉もいました。私は子供の頃から『はっさい』……あ、お転婆とかじゃじゃ馬とかいう意味です、やから、『下の嬢さん』は思い切って、職業婦人の道を選んだ方がエエかもしれん、親だけやなく周りの大人にもちょいちょい言われてました。半年ほどイギリスへ留学さしてもろたんもそのおかげです。元々勉強は嫌いやありませんでしたし、翻訳家になりたいという夢もありましたし。そもそも別嬪の姉と違って私は不細工でしたから、嫁の貰い手もないやろうと」
「いや、そんなことはないでしょう……」
西園寺は困惑しながら何とかそう言った。
夫人は美人ではないが、決して息を呑むような醜女でもない。しかし彼の性格上『夫人はお綺麗ですよ』などと、白々しいことも言えない。
波多野夫人はころころと楽しそうに笑った。
「あら、すみません。答えにくい話を振ってしまいましたね。まあ、その辺はどうでもよろしいんです。東京の女学校へ行ってた頃に知り合うた、波多野と結婚もできましたし。波多野はさばけた男でしたし、彼の両親、つまり私の舅や姑もこだわりの少ない頭の柔らかいお人らで、私みたいなはねっかえりの嫁でもそうしんどい思いはしませんでした。せやけど……」
ふと夫人は真顔になった。
「この土地に先祖代々住んできたお人らから見ると。私は異物でした」
彼女はうつむき、静かに紅茶を飲んだ。
「特に戦時中は大変でした。敵国に留学してた敵性語を操る非国民、口には出しませんけどそない思ってるのが伝わってきます。元々、波多野の家そのものがこの地域の中では新参者でしたから、余計に……まあ、さすがに目に余るほどのイケズをされた訳ではありませんでしたけど」
「……はあ」
身の上話が長くなりそうで、西園寺は持て余す気分になってきた。
「でも戦後は、てのひらを返すみたいに私を持ち上げるんです、特に私よりも若い世代のお人らが。英語に堪能や、いう部分であてにされるようにもなりました。今でも、家庭教師の真似事やら簡単な翻訳やらで小遣い稼ぎさせてもろてます。人付き合いは嫌いな方やないですし、あてにされるのは嬉しいもんです。せやけど私より上の世代の方はやっぱり、私が英語しゃべり散らかしてちゃらちゃらしてるみたいに見えて、面白くはなさそうです」
夫人は微かに苦笑した。
「つまり。それが大岩香代子さんの気持ちやなかったんかと」
急に事件の話になり、西園寺はティーカップを持ち上げたまま固まった。
夫人はうつむき、パウンドケーキの一切れに小さなフォークを入れた。
「私の実家は、さっきも言いましたように商売をしてました。商売人というのは柔軟やないと時代に取り残されます。せやから割に風通しのエエ、自由な雰囲気の家で育ちました。それでも、女性はこうやないとアカン、という縛りはありました。時代のせいもあるでしょう」
「……はあ」
Women's Lib か、勘弁してくれと西園寺は内心思う。
「私はお酒に興味はありませんけど。それでも娘時代から疑問に思ってました。ウチの父は『オナゴは酒なんか飲むもんやない』ってよく言ってましたけど。ナンデ男は酒飲んでよくて女は飲んだらアカンのやろう、男やろうが女やろうが、酒飲んで乱れるのがカッコ悪いのは一緒やないかと。女は隙を見せると貞操の危機が、とかいう話はわからんことありません。せやけどそれだけかしら、と。要は、好き勝手に酔っぱらった自分を、女に優しく介抱してもらいたい、飲み散らかした後の始末をしてもらいたい、そういう下心があるからやないかと。……まあ、その辺の恨みつらみはともかく(恨みつらみがあるのか、と、西園寺は内心慄く)。それを、そういうもんやと心得、頭から信じてきた年配のご婦人方にとって。村の会合でぶどう酒を飲む若い世代の女性のこと、どない思ってたんやろうかと」
夫人は顔を上げた。
「確か。事件のあったんは20世帯ほどの小さな集落。年に一度の自治会役員選出を兼ねた懇親会の場ァで、女性に出されたぶどう酒へ農薬らしい毒が仕込まれてた。ぶどう酒を飲んだ女性17人中6人が亡くなった、と。最初の証言では、午前中に酒屋さんが、清酒2本と一緒にぶどう酒1本を組長の大岩さん宅へ納品した。後でこれが、酒類は午後5時過ぎに届けたと証言が変わるんですよね」
「ええ、はい。そんな流れになりますね」
「おそらく納品は午前中やったんでしょう。お酒を受け取ったんが、お嫁さんの松子さんかお姑さんの香代子さんかは、多分あんまり関係ないでしょう、どっちでも変わらんと思います。ただ、この二人は折り合いが悪かった、いう話ですし、あんまり一緒に行動してなかったんやないかと思いますねえ。それぞれが別々に用事なりなんなりをしてて、顔を合わせんようにしてたんやないかと。逆に言えばどっちにもアリバイはない、ゆうことです。まあ普通に考えて、家の中のことは年配の香代子さん、外で野良仕事やらなんやらは若い松子さんがやってはったんやないかと思います。状況的に、毒を仕込む時間的余裕がたっぷりあったんは、香代子さんでしょう」
「や、しかし。そんな、不確かな状況証拠だけでは……」
「もちろん根拠は薄弱です。でも。香代子さんが『ぶどう酒へ毒を仕込みたくなった』のは、そういう状況だけやなくて。ここ最近の、村の空気の変化のせい……やないかと私は思うんです」
「は?」
間抜け面の西園寺へ、波多野夫人は微かに笑む。
「現在容疑者の西山悟さんが、都会からお嫁さん連れて帰ってきはった。それだけやったら別に構わんでしょう。でもそのお嫁さん……西山千代さんは。村の若い世代の女の人を中心に、急激に村の空気を変化させ始めたんやないかと思います。都会育ちの彼女が旗振り役になって、民主主義の新時代にふさわしい、男も女ももっと自由な村にすべき、みたいな。……絶対、とは言えませんけど。懇親会で村の女性がぶどう酒を飲むようになったんはつい最近、西山千代さんが来てからやないかと思います」
そんなことは考えたこともなかった西園寺は、思わず目を剥く。
「香代子さんにとっては面白くない……いいえ。場合によっては深刻な…… identity crisis、やったかもしれません」
さすがの発音で『identity crisis』と夫人は言った。
一瞬意味がわからず、ややあってようやく『アイデンティティ クライシス』、つまり自己認識が揺らいだ心理的危機状態のことだ、と、西園寺は理解した。
まさかそんな概念が出てくるとは思わなかったので、西園寺は息を飲んで固まったまま、ぼんやり夫人の顔を見ていた。
「女が男に交じって会合で酒を飲む、それが許されてしまう昨今の村の空気。自分が信じ、絶対やと思ってた『女三界に家なし』『女が酒を飲むなんてありえない』みたいな、古くからの価値観があっさりと覆され、それを信じて従おてきた自分が馬鹿にされてるような空気。『会合でぶどう酒』は、その空気の集大成というか象徴というか、香代子さんにとっては殺意が湧いてもおかしくない状況やったのかもしれませんし……土間に置かれたぶどう酒を見てるうちに、もやもやとそんな気ィになったのかもしれません」
「そう、でしょうかねえ?」
そこはいまひとつ実感が持てず、西園寺はあやふやに答えた。
これならクレイ・エンジの説の方が信憑性がある。事実確認は出来ていないが。
「あくまでも個人的な感想、推測ですよ」
夫人は落ち着き払って言う。
思い出したように彼女は、切り分けたパウンドケーキを口へ運び、紅茶を飲んだ。
「西山さんが自分のせいと泣くのも。出産で里帰りしてた貞子さんが母親をかばう嘘をついたんも。酒屋さんや井坂さんが証言を変えたんも。そもそも大岩さんが、身内同然の自分たちの中に犯人はいないと最初の頃に断言したのも。集落の急激な変化について行かれへん香代子さんが、恐らくはあんまり自覚らしい自覚もせんと大それたことをしてしまったことが、なんというか、憐れやったんかもしれませんし……自分の母親、上司のお母さん、よく見知ったお得意さんを犯罪者にしたくないという、まあ、要するに保身といいますか、ある種の現状維持を望んだといいますか」
「しかし。自分の女房を殺された西山がそこまでしますかねえ」
西園寺の当然の疑問に、波多野夫人は曖昧な笑みを浮かべる。
「西山さんは優しいお人なんでしょう? ……悪い意味で」
西園寺は思わず口を噤む。
「彼が村の未亡人と不倫関係にあったのは多分、本当でしょう。連れ合いを亡くして苦労してるその人が可哀相になって、ついつい……みたいな。だからと言うて彼は、奥さんの千代さんを疎ましく思ってた訳でもないし愛情がなくなったのでもない。西山さんは、目の前のことだけに心が動いてしまう、悪い意味で優しい、そんなお人やないのかなと」
夫人の笑みはチュシャ猫を思わせる。
「奥さんや、自分と懇ろになった未亡人が死んで……もちろん西山さんはショックを受けたでしょうし、怒りも悲しみも相当やったと思います。でも、大岩さんから事件のあらましを聞かされ、そもそもは自分が連れてきた恋女房のせいで、この平和な集落で事件が起こったんやと思い込んだら。……自分のせいやと言うて彼が泣くのも、自分が殺したと彼が言うのも、理解できるんやないですか?」
西園寺は帰りの電車に揺られながら、茫然と車窓の向こうを眺めていた。
電車が揺れるたび、波多野夫人から持たされた、彼女が焼いたパウンドケーキの入った紙袋が頭上の網棚の上で微かに音を立てる。
西園寺先生のところの事務員さんはお若い女性と聞いてます、多めにお菓子を焼きましたからどうぞお土産にお持ちください、と、半ば押し付けるように渡された。
西園寺は甘いものが苦手だが、松露子はおそらく喜ぶだろう。
事務員さん呼びは彼女の機嫌を損ねそうだが、そこは黙っていればいい。
(却って……藪が深まっちまったかもな)
薄暗い外の景色を見ながら、西園寺は深いため息をついた。
▼かわかみれいさんの後書き
お粗末さまでした!
クリスティのミス・マープルのような探偵をイメージしました。
(あくまでも『イメージ』ですよ、『イメージ』!)
私のホームグラウンド(笑)でもある大阪の片田舎・小波に住む初老のご婦人に、今回の探偵役をやっていただきました。
(といっても、拙作に彼女が出てくることはありません)
彼女の推理が正しいかどうか……後続の方に託します。
▼Ajuのからの実況中継
ああああああああ!
本格的な心理ミステリ!
‥‥‥‥
もしかして、ここがゴールなのでは‥‥?
後の名探偵‥‥大丈夫なんだろうか‥‥
次は、4番手。アミダでBを選んだ しいな ここみ さん。
締め切りは、一応来年の1月22日です。
それでは悩みながらよいお年を。。。(^◇^)/
=追記=
誤字報告入りました。現在適用の可否についてかわかみれいさんに問い合わせ中です。(適用しました)
書かれた感想の返事は Aju宛てでない限りAjuは返事しませんので、区間走者の方がご自身で感想欄に書き込んでください。




