1 国選弁護人 (Aju)
セリフの所々に差別的な表現が出てきますが、「昭和30年代」という時代の表現としてお許しください。
DNA鑑定も何もない時代の推理ドラマを6人のリレーで描くという企画です。
時代は昭和。
戦争を知らない世代が、ぼちぼち少年期を迎えるころ。
山深い小さな集落で、その殺人事件は起こった。
= 国選弁護人 =
「だあぁ———! こんなん、どうしようもねーじゃねーかよ。」
売れないヤメ検弁護士の西園寺舞九郎は頭を抱えてうめいた。
「本人が自白しちゃってて、しかも涙の記者会見までテレビカメラの前でやっちゃってんだぞ?」
「あ、先生。あれの弁護、引き受けるんですか?」
助手で弁護士見習いの江戸川松露子が、2度目のティーバッグで色だけの紅茶を入れて西園寺の前に持ってきた。
「国選弁護人だよ。今仕事ねーしな。それを知ってて弁護士会の味湯のヤローがおハチ持ってきやがった。背に腹はかえられんしな‥‥。」
そう言って西園寺は色だけの紅茶をひと口すすってから、また頭を抱えた。
「これでまた、『負け弁』の名前にハクがついちまうぜぇ。どーやったって死刑だろうがよ、これ。」
あの事件——とは、最近新聞もテレビもそれ一色くらいに報道されている「毒ぶどう酒殺人事件」だ。
事件は山間の20世帯ほどの小集落で起こった。
年に一度の自治会役員の選出を兼ねた懇親会でぶどう酒に毒が入れられ、女性17人が病院に運ばれ、うち6人が死亡するという悲惨な事件だった。
毒は市販の農薬成分であると分析された。
その成分は水と混ざると分解が速いという性質があり、ぶどう酒の製造段階や流通段階で混入したのであれば、ここまでの毒性は残っていないということもわかった。
つまり、犯人は集落の中にいる。
この段階で警察は事件解決は近いと踏んだようだった。
しかし‥‥‥
「うちの集落は仲がいいんだ。そんなことをするやつはおらん。毒は他所で混入したんだ。」
集落の全員がそんな感じで口を閉ざし、警察の捜査は難航した。
連日報道が加熱する中で、焦りとともに警察が必死の聞き込みを続けるうちに‥‥やがて少しずつ証言が得られるようになり、1人の男が逮捕された。
容疑者とされた(裁判前だが犯人と断定されて報道されている)のは西山悟という男で、死亡した被害者の中には彼の妻千代もいる。
彼は集落の中の別の女性とも不倫していたようで、その三角関係の清算にぶどう酒に毒を入れて集落の女を巻き添えに妻もその女性も殺した——というのが警察の見立てだった。
はあ、とため息をついてから、西園寺は椅子から立ち上がった。
「とりあえず接見に行くぞ、松露子ちゃん。」
日々新聞やテレビで報道されていたから、事件のあらましについては今や世間の誰もが知っている。
「でも先生。殺人犯が記者会見なんてやるもんなんですか?」
松露子は拘置所への道々、西園寺に尋ねた。
「前代未聞だよ。ありゃあ、警察が報道陣の圧力に負けたんだよ。それにしても‥‥」
西園寺は火のついたままのタバコを、ぺっと道端に吐き捨てた。
「本人が泣きながら『私が殺しました』って言っちゃってんだぜ?」
「『申し訳ありません』を繰り返してただけだったと思いますけど?」
松露子はそのシーンを思い出しながら言う。
「おんなじことだろうがよ。貧乏くじだぜ。」
西園寺は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
接見してみると、西山はとても集落中の女を巻き込んで6人も殺したような極悪非道な男には見えなかった。
どちらかといえば二枚目のやさ男で、気が弱そうで‥‥。
「弁護士には真実を語ってくれ。あんたを守るのが俺の仕事だ。」
単刀直入にそう言った西園寺に対して、西山の答えは驚くべきものだった。
「私が殺したんです‥‥」
それだけを言ってうつむいてしまった。
金網を隔てた向こう側のカウンターの上に、ぽつっ、ぽつっ、と雫の跡が増えてゆく。
泣いているのだ。
接見を終えた後の西園寺はさらに険しい顔になっていた。
「どんな弁護方針立てます、先生? 『私が殺しました』ってはっきり自分で言っちゃってましたよね。」
松露子が聞いても、西園寺は眉間にシワを寄せたまま何も言わない。
「先生が『このままじゃ間違いなく死刑だぞ?』って言っても、うつむいて小さくうなずくばかりでしたもんね?」
しばらく黙ったあと、ようやく西園寺が口を開いた。
「これは俺の検事としてのカンなんだが‥‥」
「先生は今は弁護士ですよ?」
「うるせぇ! ヤメ検のカンなんだがよ。‥‥あいつはやってねぇ。」
「え?」
西園寺が力のある目で、ぐっと前を見た。
「こいつぁ引き受けるしかねーぞ。覚悟しろ、松露子ちゃんよ。」
松露子は思わずこのくたびれたようなオヤジの横顔を見て、目をきらきらさせた。
「先生。意外と正義漢なんですね! 見直しました!」
「うるせぇ、っての!」
西園寺の使い古した革財布みたいな頬が、少しだけ赤く染まる。
「こいつで無罪勝ち取ってみろ。一躍有名弁護士だぜ? 仕事だって引もきらず、でっけぇ事務所だって建てられるぜぇ!」
「そ‥‥そこですか‥‥。」
「そうなりゃあ、松露子ちゃんよ。おまえさんの給料だって倍、3倍にしてやれるってもんだぜ。」
「やりましょう、先生!」
だが、実際にはこの状況で「無罪」を勝ち取るのは砂浜で砂つぶ1つ探し出すくらい難しい。
「事件を整理してみよう。」
西園寺はそう言って、事件のポイントを書き出した。
証拠の大半は救護のための混乱の中で失われてしまったが、残っていたぶどう酒から農薬の成分が検出された。
その農薬は農業を営んでいるものなら誰でも普通に使っているもので、当然、西山の家にもあったはずのものだ。
しかし、警察がガサ入れした時には、その農薬のビンは発見されなかった。
ぶどう酒の封かんの紙は一度はがされ、再び普通の糊で貼り直されていたこともわかった。糊の成分は鑑定の結果、メーカーで使っているものではなく市販のものだと判明した。
ぶどう酒の栓には歯形が残っており、それが西山悟のものと一致したという鑑定も出た。
「この鑑定はアテにならん。事件直後、固いからと頼まれて自分が歯で開けた——と証言した別の男性がいる。自治会組長の大岩聡だ。」
「それも書いておきましょう、先生。」
「?」という顔をして、西園寺はそれも書き込む。
問題のぶどう酒は午前中に酒屋から購入されて、その後しばらく組長の大岩の家の土間に置いてあった。
購入したのは組長の指示を受けた同じ農協の部下でもある井坂という男で、彼は肥料を届ける途中で清酒2本とぶどう酒を1本を買い、届け先に行く途中にある組長の家の前で組長の奥さんの松子さんに渡したと証言した。井坂は別の農協職員と2人で小型トラックに乗って肥料の配達に向かっているから、途中で毒を入れることは不可能だろう。この時間、大岩自身は農協で仕事をしている。
その後5時間ほどぶどう酒は組長宅にあったわけだが、その間どこにどう置いてあったのかは松子さんが死亡してしまったためわからない。
会合より少し速い時間、午後5時半頃、組長宅の隣家に住む西山が「何か持っていくものはあるか」と顔を出し、組長の母親の香代子に言われてぶどう酒と清酒2本、計3本のビンを両手に持って公民館に向かった。
この時、同じく組長宅から薪を持って公民館に向かう深山富美子と一緒に歩いたと証言されている。
公民館に着いてからは、西山は囲炉裏の火を起こし、富美子が組長宅に雑巾を借りに行ったため、西山悟が10分ほど1人になったという証言もあった。
ぶどう酒の前で1人になることができ、かつ動機があるのは西山悟だけ——というのが警察の主張だ。
果たしてそうだろうか?
組長の妻松子と母香代子の嫁姑の折り合いが悪いのは集落中の知るところだったし、その組長宅にぶどう酒のビンは5時間ほど置いてあったのだ。
西山の証言どおり、それが土間に置いてあったなら(裏付けは取れていない)誰にでも機会はあったことになる。
ところがこの証言は最近になってひっくり返っている。
身重で大岩の実家に帰ってきていた貞子が病院へ行って帰ってきたのが2時半過ぎ、酒類が届いたのが5時少し過ぎ、と証言してから、酒を大岩宅に届けた井坂も酒を売った山本屋も時間の証言を変えている。
思い違いだった——と言うのだ。
そうであれば、西山が酒を持って公民館に向かう直前に、酒は大岩宅に届いたことになる。毒を入れる機会があったのは西山だけ——という警察の主張どおりだ。
農薬は西山の家にあった女竹を切って作った即席の器で公民館まで運び、ぶどう酒のビンに混入後、それは囲炉裏の火に焚べられた。というのが警察の調書だ。証拠品として残っているわけではない。
西山の供述によるのだということだった。
「こうして見てみると、捜査は結構ズサンだな。報道で騒がれたから、早く犯人を挙げなければと焦ったんだろう。捜査本部長が報道陣の前で『まもなく解決』なんて言っちまったしな。メンツにこだわって、ヘンなところにはまり込んだんだ。」
「矛盾点、突けそうですか? 先生。」
西園寺はしかし、また苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
「自白さえなけりゃあな。」
西山悟本人については妻千代と大恋愛の末、反対する親を説得して結婚したということだった。
親の反対の理由は「都会もんは役に立たん」というものだったが、悟は都会で就職していた大企業を辞めてまで集落に戻るということで親を説得した。
それほどの恋愛結婚だったのに、なぜか悟は集落の未亡人と不倫している。その清算が動機である——と警察は言うのだが‥‥。
「なんか違和感ありますね。そんな大恋愛で結婚したのに、浮気なんてするんですかね?」
「男ってなぁ、そんなもんだ。」
「そーですか。」
と松露子はぶーたれた顔をする。
「そういえば先生もやたらと女の人を助平な目でチラチラ見てますもんねぇー。」
「うるせぇよ。」
もっとも松露子はその目で見られる範疇に入っていない。 ぶう。。。(`ω´)
「ごほん。それよりだな、弁護士に対してまで『私がやりました』って言ってるあいつの証言をどうするかだろう。証拠や関係者の証言の矛盾をどんなに突いても、本人が『私がやりました』って言ってちゃあ、どうしようもあんめぇ。」
西園寺は新しいタバコに火をつけた。
「何かを恐れてんだ、あいつぁ。それが何かがわかれば‥‥」
「事件の真相を明らかにできれば、証言も翻るってことですか?」
「真相だぁ? 警察が何十人体制で捜査したものを俺たちだけでやり直せるとでも思ってんのか?」
「だから、名探偵を雇うんです。」
松露子がドヤ顔でとんでもないことを言った。
「はあ? 何を言ってる、おまえ?」
「新聞の尋ね人欄で、名探偵を募集するんです。新たな捜査をするんじゃなく、真相を推理してもらうんですよぉ。今わかってることから。」
松露子は目を輝かせてそんなことを言う。
アホじゃねーか、こいつ? と西園寺は思った。
「おまえも女だてらに弁護士目指そうってんなら探偵なんかに‥‥」
「名探偵です!」
「どこにそんな金があンだよ!?」
「新聞の尋ね人欄は無料ですよ?」
「そうじゃねぇ! 探偵に払う金がどこにあるんだっつーの!」
「成功報酬で——。だって裁判勝ったら、仕事じゃんじゃんでビルが建つほどお金入ってくるんでしょ?」
「そんな話に乗ってくるやつ、いるわけねーだろ‥‥。」
‥‥‥が。
名探偵募集
今話題の「毒ぶどう酒事件」の真相を解明してくださる方
西園寺弁護士事務所
後に引かない松露子に手を焼き、まあやらせておきゃこいつも納得するだろうと募集広告に同意した西園寺は、翌日には驚かされることになった。
新聞が出たその日の朝に、早速電話がかかってきたのだ。
さあ、いってもらいましょう。
名乗りをあげた5人の「名探偵」さんたち。
事件の真相を、その研ぎ澄まされた推理力で明らかにしてください。
この物語は実際に起こったある昭和の事件をモデルにしています。
詳しい方なら「ああ、あれ‥‥」と思われるかもしれませんが、あくまでもフィクションであり実際の事件とは関係ありませんし「事実」も異なっています。
ただ、実際にあった事件も、今もって真相は明らかになっていません。




