七話
命の神は高笑いをする。ようやく悲願が叶うのだと。
蠢き造り変わり続けていた「物体」たちはその動きを止める。代わりに腫瘍のようなものが身体にでき、次第に大きくなっていく。やがて腫瘍は身体から毀れ落ち、それが新たな「物体」として動きだした。
新たな生命の誕生と呼ぶにはあまりにも悍ましい現象が起きているが、今の祐也にはそれを気に掛ける余裕はない。
「芝居……? 誰が……」
彼は謎の男が残した言葉を反芻する。
あの男は誰の事を言っていたのか。
この場に居るのは祐也を除いて二人だけ。命の神と、そして銀の少女――
「バラされちゃった」
いつから傍に居たのか、何が目的なのか。その姿すら、ゲームの中の虚像を模したもの。正体すら分からず、しかし、ずっと祐也を支えていた存在。
不意に聞こえたその声に、祐也はゆっくりと視線を落とす。
そこに居るのは今までずっと行動を共にしてきた少女だ。
仮面が剥がれ落ちるように、ゆっくりと彼女の口角が上がる。その仕草はあまりにも人間らしく――心から愉しそうだった。
「何で……」
少女の偽り。それは無表情を貫き、黙り続けていただけに過ぎない。それでも全幅の信頼を寄せていただけに、祐也はこの事実に大きなショックを受けた。そして何よりも、何故このようなことをしていたのかという疑問が浮かぶ。
「この方が円滑に事が進むと思ったからだよ」
「何言って……」
「そうだよね。ユウヤには何も分からないよね。でも安心して。私がいるから。この世界がなくなっても、私は消えないからね」
質問の意図を理解していないのか、敢えて求める事を答えないのか。祐也の望む返答は返ってこなかった。
話せることが最初から分かっていれば、もっと早く、そしてより良い方向に事態を進めることができたかもしれない。その考えは祐也の胸中を遣る瀬無さで満たした。
そして同時に、彼は少女の言葉に違和感を抱く。
「世界が……なくなる……? 元に戻すって話じゃ……」
それは命の神が掲げた目的であり、祐也が彼女に協力する理由だった。
少女は少し困ったような顔をする。
「ユウヤ、よく思い出して。そんなこと誰も言っていないよ」
「いや、そんな筈は……」
「あの神は『在るべき姿』にするとしか言っていない。初めからユウヤの勘違いだよ」
「なっ……! それが分かっていたならどうして――」
教えてくれなかったのか。祐也が拳を握り少女を糾弾しようとしたその時だった。
――バシャリ。
まるで水溜りに飛び込んだ時のような音が辺りに響く。音のした方を見ると、そこには自身の血溜まりに膝を付く命の神がいた。その姿に生気はなく、下を向いた顔からは大量の血液と、それに混じって脳のような薄桃色のものが毀れていた。
見た瞬間、祐也の胃が軋む。
「神様……?」
「……やっぱり、こうなるんだね」
心配そうな祐也とは対称的に、少女はこうなる事が分かっていたといった様子でつまらなさそうに呟いた。
「……あれって助けられるのか?」
「もう助からないよ」
「……あの神様が死んだら……この世界はどうなる?」
「管理者が消えれば世界も消えるよ」
淡々と返ってくる無慈悲な答えに、祐也は膝から崩れ落ちた。
命の神に騙され、銀の少女に騙され、結局世界は滅ぶのだという。
「……君がこの世界の神様になれば――」
「なれないよ」
「――そっか……」
最後の頼みの綱も虚しく潰え、祐也は乾いた笑いを漏らす。
世界は少女の言葉通り、少しずつ崩壊し始めた。硝子の罅のような亀裂が空に走り、そこから小さな破片が剥がれ消えていく。その向こうに広がるのはただの空虚な闇。
誰も助けられず、何一つ救えなかった。ずっと掌の上で転がされたのだ。世界はそれを嘲笑うかのように、静かに、穏やかに死んでいく。
世界が消えるのなら、自分も死ぬのだろう。
世界中の全ての人と死ぬのなら別にいいか。
祐也がぼんやりとそんな事を考えていると、少女が口を開いた。彼女は明るく慰めるような声色で告げた。
「安心してよ。世界がなくなってもユウヤは死なないから」
「え……」
「ユウヤはもう私と同じなんだよ」
「それは……どういう……」
「もう人間じゃないってこと。ほら」
そう言うと少女は祐也の左目を手で覆い隠し、彼の手を掴んで持ち上げる。そして指を開かせ、掌を命の神へと向けさせた。
「覚えてる? ユウヤを怖がらせた異形に私がした事を」
「あ……」
「あの異形はどうなった?」
「あぁ……」
祐也は弱々しく頭を振った。
「よく思い出して」
しかし、耳元で囁かれる少女の声が、当時の状況を鮮明に呼び起こす。
彼女は自身の手で祐也の手を覆い、その指をゆっくりと閉じさせる。祐也は必死に抵抗するが、精神が疲弊し身体を上手く動かせなかった。
そうして段々と掌が閉じていき、やがて命の神の上半身が握り拳にすっぽりと収まる。
少女がパッと祐也から手を離すと、広がった視界の先で膝を付いた下半身だけが見えた。
「あ……ああ……」
祐也は身体を震わせながら自身の手を見つめる。
正真正銘神が居なくなった世界は急速に崩壊し始めた。あらゆるものが崩れ、砕けていく。世界は瞬く間に消えていった。
「ね、言ったでしょ? だから――」
少女が嬉々として話しかけると、祐也はその場に力なく倒れた。彼女は何度か呼びかけるが、反応は返ってこない。
「壊れちゃった? ……直せるけど、しばらくはいいや。ふふっ、そんなユウヤも素敵だね」
世界が完全に消え、何もない暗闇の空間で少女は祐也を抱き締める。
その表情は母のように優しく――けれど、人ならぬ冷たさを帯びていた。
「大丈夫だよ、ユウヤ。……時間は無限にある。私がずっと――一緒にいるからね」




