三話
命の神が消え、部屋は静けさを取り戻した。
その時になってようやく、祐也は身体が強張っていた事に気付く。
穏やかな筈の命の神に対し、無意識のうちに、何故か身体を固くしていたのだ。
祐也は彼女から受け取った翡翠色の玉を透かし眺める。
爪の先程の大きさしかないそれはどんな宝石よりも深い輝きを宿し、ただならぬものであると本能が呼びかけてくる。
「あの人の事、信じていいのかな?」
彼は振り返り、銀の少女へと問い掛ける。
深紅の瞳が祐也を捉え、銀の長髪がさらりと揺れる。
しかし、少女は何も答えない。
予想通りの結果に、祐也は肩を落とす。
そして再び玉に視線を移した。
それから少し逡巡すると玉を口に放り込み、一思いに飲み込んだ。
味はせず、錠剤を水なしで服用した時のような突っかかりを覚えたが、やがてその感覚は綺麗に消えてなくなった。
腹部に手を当て恐る恐る様子を見るが、待てども目に見えた変化は訪れない。
「――これで、いいんだよな……」
彼女を信じたわけではない。ただ、信じる他に道はなかった。
彼は呟き、変化が無い事に怯えながら少女を見た。
無言を貫く彼女の瞬きが何故だか肯定のように思え、祐也は手を下す。
彼女は言葉を発さない。しかし、彼女の存在が祐也の支えになっている事は紛れもない事実だった。この先もきっと、このまま傍に居てくれるであろうという漠然とした信頼。それはどこか危うく、希薄なものだ。
祐也は改めて窓の外へと目を向ける。
協力すると承諾してしまった以上、この世界を旅しなくてはならない。
命の神はこの世界は過酷だと言った。
未知の生物と自然、それに伴う危険が満ちている事は火を見るよりも明らかだ。
ふいに轟音が大気を揺らした。見れば、遥か遠くで巨大な異形が咆哮している。
その姿を見た瞬間、祐也の背筋は凍り付いた。
足が竦み、身体が震える。
あんなのどうしたら?
他にもいるのか?
絶対に死ぬ。
死にたくない。
生物としての根源的な恐怖は祐也の思考を暗く沈めていく。
次第に呼吸が浅くなる。
そんな絶望に近い感情に染まる中——ふと視界の端が煌めいた。
そこには、美しい銀髪を携えた少女の姿。
祐也の隣に立つ少女は徐に腕を上げ、その掌を巨大な異形へと向けた。
彼女を呆然と見つめる祐也を他所に、少女はその掌をゆっくりと閉じてゆく。
そして閉じ切ると、そのまま腕を下した。
何をしたのかと祐也が窓の外を確認する。
「えっ――」
異形の巨体は一瞬で輪郭を失い、灰のような粒子が風に散った。――まるで、最初から存在していなかったかのように。
唖然とする祐也の手に、ふと温かいものが触れる。
見れば少女が彼の手を握っていた。赤い瞳が祐也を見上げている。
怖がらなくていい。
言葉は無くとも、彼女の想いは確かに祐也に伝わっていた。
彼女の正体は謎に満ちている。しかし、この子と一緒にいれば、怖いものなんてない。彼女は正真正銘、自分の味方である事に変わりはないのだと。
希薄だった信頼は確かなものへと変化した。
少女の体温と真っ直ぐな瞳が、本能的な恐怖すら和らげていく。
いつの間にか震えも止まり、祐也には自信にも近い感情が沸き上がっていた。
虎の威を借る狐。だが、この場にはそれを滑稽だと笑う者はいない。
「――行こうか」
銀の少女の手を引き、祐也は揚々と玄関へ向かった。




