表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/31

第3話 闇夜に溶けましょう

「大事なのは、お前の魔法は黒じゃなくて()だってことだ」


 得意げに胸を張るモフモフを見下ろしながら、私は首をかしげた。

 闇?

 そんな魔法聞いたことが無い。


「……何よそれ。同じじゃないの?」


 その問いに、ノクスの顔がきゅっと引き締まる。

 からかうような態度は一瞬で消え、低い声で続けた。


「まるで違う。お前に宿るのは、世界でたった一人、お前にしか使えない闇の魔法だ」


 世界で、たった一人。

 その響きに、心がかすかに震えた。

 けれど、すぐに打ち消すように言葉を吐き出す。


「なにそれ……そんなの、信じられるわけ――」


「ならここで一生腐ってな」


 ノクスの声音が、突如として冷えた。


 私は思わず息を飲む。

 さっきまでの軽薄な雰囲気は完全に消えていた。

 銀の瞳が静かに、けれど確実に私を射抜いてくる。


「お前の人生は、この部屋で終わりだ」


 部屋の空気が一気に重くなった気がした。

 ノクスの体から、見えない圧力がじわじわと広がってくる。

 逃げられない。

 そんな気配に背中がぞわりとする。


「いいか? 今ここで選べ」


 その言葉は、脅しでも命令でもなかった。

 ただ冷静で、静かな真実を突きつけるだけの声。


「この部屋で老いて死ぬか、外に出るか」


 ノクスは一歩、私に近づく。


「オレ様は力を貸してやる。だが決めるのはお前だ、リシェル」


 名前を呼ばれた瞬間、胸の奥に何かが灯った。

 心の底に沈んでいた願いの破片が、かすかに音を立てるのを感じた。


 逃げたって、行き先はない。

 家の後ろ盾がない私に何ができるというのか。

 生きていくことすらままならないかもしれない。

 でも――


「……ここにいるよりマシだわ」


 立ち上がると、ノクスがくいっと尻尾を振った。


「いい返事だ。さあ、闇魔法のレッスンといこうか。オレ様の言う通りにやってみな」


 私は眉を上げた。


「……レッスン? いきなり?」


「ああ、とっとと使えるようになってもらわなきゃな」


 ノクスは部屋の奥にある窓を見やり、ふわりと跳び上がって窓枠に着地した。


「まずはこれだ。窓をぶち破って――」


「ムリよ!」


 私は思わず声を荒げてツッコむ。


「私がそんな鉄格子を壊せるわけないじゃない」


「へぇ……そうかな」


 ノクスはニヤッと口角を上げると、銀の目を細めてこちらを振り返った。


「闇ってのは、重力を支配する魔法だ」


「重力……?」


 ノクスはふふんと得意げに鼻をならす。


「そう。色々な使い方ができるが、今回は……任意の空間の重力を極限まで高める。すると、内部から崩壊して爆発が起こる」


 その言葉と同時に、ノクスの足元から闇の渦が発生する。

 その中心は、まるで空間そのものがへこむように歪んでいく。


「ってな感じだ」


 私がごくりと唾を呑み込むと、ノクスは魔力を開放して歪みを消した。


「さ、やってみな」


「そんなこと言われても……私、魔法なんて使ったこと」


「大事なのはイメージだ。魔力量は潤沢、制御も思いのまま、お前は魔法の才能がある」


「う……」

 

 鋭い瞳でまっすぐにこちらを見つめながら言われると、お世辞だとわかってはいても、本当なのかなと思ってしまう。


「そ、それじゃあ……」


 私は意を決して両手を前方に突き出し、窓に意識を集中させる。

 

 重力を、強める。


「そう、そうだ。良いぞ」


 ノクスはふわりと宙を舞い、私の肩に乗った。

 そこそこ大きな獣なのに、まったく重さを感じない。

 これも彼の言う『重力を操る力』なのだろうか。


「こら、意識を逸らすな。体に流れる魔力に集中」


 あ、はい。

 すみません。

 怒られてしまった。

 私は気を取り直して、もう一度神経をとがらせた。

 深く、ゆっくりと息を吸い込む。

 心臓の奥。

 そこにある熱を感じ取るように、意識を集中させる。

 熱は、確かにあった。

 それは鼓動に合わせて脈打ち、骨の内側から皮膚の表面へ、そして指先へ。


 ……来る、来てる。


 指先にひりつくような感覚。

 前方の空間に、何かが流れ出していく。

 例えるなら、血が抜かれているような。

 熱と命の一部が、にじみ出していくような奇妙な感覚だった。


「……っ」


 思わず息が漏れる。


「大丈夫、合ってるぞ。それが魔法を放つ第一歩だ」


 ノクスの声が肩口から響く。

 どこか誇らしげで、それでいて優しい声音だった。

 私は頷いた。

 恐れずに、前へ。

 もう引き返さないって、決めたんだから。


 私は、両手を窓に向けて力いっぱい伸ばした。

 指先に集中し、想像する。

 圧力、重み、引きずり込む力。


 すると、空間に、わずかに黒が滲んだ。


 それはまるでインクを水に落としたような、不吉な渦だった。

 どろりとした黒が、ゆっくりと形を成し、やがて中心に向かって回転を始める。


「――!」


 重い音が、空気を通じて胸に響いた。


 ずお、と。

 窓の中央に、漆黒の球体が現れる。

 球の中心へと空気が吸い込まれていく。

 ただの風じゃない。

 空間そのものが引っ張られているような、異様な気圧。

 その黒い渦が、きゅうっと収束し、そして。


「出たっ……!」


 鉄格子へと向かって、放たれた。

 次の瞬間、大気がびりっと震える。

 重力が凝縮され、一点に収束し、炸裂。


 ごぉんっ!


 轟音とともに鉄格子が弾け飛ぶ。

 金属の破片が舞い、風が室内に流れ込んできた。


「……うそでしょ」


 私は呆然と口を開けたまま、風に揺れるカーテンを見つめていた。

 その先にあるのは、夜の世界。

 私が閉ざされていたこの場所の外だった。


「さ、行くぞ。急がないと追手が来ちまうぜ」


 ノクスがそう言って、窓の縁にひょいと飛び乗る。

 黒いモフモフの尻尾がふわりと揺れ、月の光に一瞬だけ浮かび上がった。

 次の瞬間、彼の姿はすっと影の中へと溶けて消えた。

 私は窓辺に立ったまま、しばし夜の景色を見下ろす。


 広がるのは、眠った街の輪郭。

 石造りの屋根が連なり、その隙間に細い路地が絡み合っていた。

 遠くには、低い鐘の音が風に乗って流れてくる。

 夜の風が、頬をなでていく。

 冷たかった。

 でも、心の中にこびりついていた屋敷の空気より、ずっと澄んでいた。


 私は息を吸い込む。

 新しい空気。

 自由の匂い。


 身寄りもない。

 世間知らずで何もできない女が一人で生きていく。

 目の前に広がるこの夜のように、お先は真っ暗だ。

 闇の中に、道しるべなんてない。


 でもほんの少しだけ、胸が高鳴っていた。


 誰にも命令されず、誰の期待にも縛られず。

 自分の足で、自分の行きたい方へ進める世界。

 まるで、さっき放ったあの漆黒の魔法が、私の心を閉じ込めていた檻を破ってくれたみたいだった。


「……よし」


 私は一歩、窓の外へと踏み出す。

 闇の夜に、私は身を投げる。

 星のない空の下、誰にも知られず、ひっそりと。


 だけど確かに、それは私自身の意思で選んだ第一歩だった。


 私と、自らを闇の精霊と名乗るなぞのモフモフ獣は、静かに夜の闇に溶けていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ