9. 40代の思い出
もうリベルタの商業ギルドで5年働き、リーダーとして新人や部下の育成も任せられていたとき。
私も歳は42を数えて、この世界での平均寿命50歳を間近に見据え、これからの人生をどう過ごすか考え始めていた頃合であった。
この頃にはルクシオンの影響力はかなり薄まっており、北部都市連合も晴れて独立を勝ち取っていた。
この地域では石炭という燃える石の発掘が進んでおり、西に位置するゴルドア帝国の影響力の拡大、大陸横断街道の整備と共に重要な交易拠点としての地位を高めていっていた。
一方時間が経っても変わらないのはルクシオンに対する憎悪感情。
未だに北部都市連合の住民は、私も含め、ルクシオンに対する拒絶反応がものすごく強い。
彼らに家族、親・夫や息子を殺されたものは、その叔父・伯母・いとこのレベルまで含めればほとんどの住民が該当するのじゃないかと思う。
こんな醜聞が聞こえてきたのは、モンドさんの長期政権がもう20年に及ぼうとしていたとき。
最初聞いた時は、まさかそんな訳ないと私も思った。
ついこの間ようやく掴みとった独立を、逆戻りさせるかのような裏切り行為。
この街の独立を、経済的な側面で支援していたモンドさんがそんなことするなんて、なにかおかしかった。
あまりに強い憤りを感じていた私は、勢い余ってギルド長室に突撃してしまう。
ダンさんの一件から私は、モンドさんと個人的な信頼関係を築きあげていた。
「モンドさんっ!! 今、良いですかっ!?」
返事が帰ってくる前に私は部屋のドアを開け放つ。
秘書からこの時間は誰の訪問を受けていないのは確認済み。
「!? あーリアナさんか‥‥。どうしたの?」
いつもと仄かに違う違和感。満面の笑みに少しの崩れが見え隠れする。
「ルクシオンと手を組もうとしているって本当ですかっ!! どうしてですかっ! なんであんな悪魔達と手を組もうとするんですかっ!」
私は冷静に質問をぶつける余裕がなくなっていた。
だって、あの人達は‥‥‥、あの人達のせいでジャンは殺され、私がこの20余年どれ程苦しんだのか!
私の息子なんか一度も、自分の父親の顔を見ていないんだからっ!
なんでっ!? なんでよっ!!
あのジャンを失くしたときの無念さ、絶望が、昨日のことのように甦ってくる。
私があの憎き国の悪の双頭、ミディエルとアイテールを殺してほしいとどれだけ神に願い続けたかっ!!
そんなの絶対に許さないっ!
「もう、リアナさんのところまで伝わっているんですね‥‥‥」
満面の笑顔は完全に崩れさって、疲れて白髪の混ざった初老の男の顔になっていた。
「嘘だと言ってください!」
「お願いだから!! 嘘だと! 言ってくださいっ!!!」
もう私は自分の感情が止まらなくなっていた。
信じていたものに裏切られるのはこれで何度目だろう。
この歳になってまでなんでこんな思いをしなくちゃいけないの!?
あの国は死んでも許してはいけない、絶対に許してはいけない!
悪魔の国じゃなきゃいけないんだからっ!!
「ごめんなさい、それは言えない。これは私の信念に基づいて、絶対にこの街のためになると思って進めたことだから」
「ななな、な、な、んで!?」
「遠くない将来、ゴルドア帝国は攻めてくる。その為には今のうちから禍根を断ってこの地域の同盟体制を整えないといけないんだ」
「そんなの聞いてないっ! そんな遠い未来のことなんて聞いてないっ! なんで!? なんで正式に謝罪もされていない私達が! 自ら彼らを許さないといけないの!?」
「そんなの絶対許さないっ!!! 絶対! 絶対なんだからーーーー!!!」
「すまない。君たちの気持ちを踏みにじって本当にすまない‥‥‥」
「でも分かって欲しい、この街を未来に送り届けるためには、私は悪魔にでも魂を売るつもり覚悟でギルド長になったんだと。もし私ではない別のギルド長がこの街を護るようになっても、きっとその思いは同じだと」
その後の記憶はあまり鮮明でない。
多分ギルド長の部屋で泣き叫んでいたところを、他の職員に引きずり出されて、医務室に連れていかれたみたい。
私は過呼吸になりかけて、医者の処置を受けていたということだった。
その後謹慎処分をうけ、暫く実家でお沙汰を待つことになった。
落ち着いて考えられるようになっても、私はモンドさんの考えには納得できなかった。
理解はできる、理解はできるけど、納得することは絶対にっ!出来ない!!
1週間ぐらいして、ギルドに出社してギルド長室に顔を出すよう指示が届いた。
私はもう解雇されることは覚悟していた。
ギルド長に歯向かうことは、どんな理由であれ許されることはない。
別にそれでも構わないっ!
「トントントンッ」
「リアナです。入ります」
私が覚悟を決め、ギルド長室の扉を開けた先には、モンドさんではなくロイが机に座って待っていた。
「えっ!? どうして??」
「笑 久しぶり。相変わらずリアナは綺麗だね 笑」
「昨日から私がこのリベルタのギルド長になったんだ‥‥‥」
「ええーーーー?!」
ちょっと疲れた顔で微笑む目尻のしわが深くなったロイ。
昔のまんまと言えば昔のまんまだったけど、少しお互いに歳をとってなんか恥ずかしさを感じる 笑
「謹慎のことだけど、リアナは怒って当然のことだったんだから、今までと同じように引き続き勤めてくれたら良いよ」
ロイは昔のようにはにかみながら、鼻の頭をかきながら、微笑みかけてくれた。
顔を真っ赤に染め、久しぶりに16歳に戻っている自分が居る。
リベルタの実家に戻る時にお世話になったルードの商業ギルド長から、あしながおじさんはロイであることを告げられていた。
ロイからはジャンの奥さんに届けてほしいとだけ伝えられており、本人はまさか私だとは知らないから、言わないように口止めされていたのだ。
ジャンからのお金と思っていたものが、ロイからのものだと知った当時の私は、とても混乱したものだった。
でも、よくよく思い出してみたら、彼はそういう人だった。
あの晩何があったのかは良くは知らない。
憎んだ気持ちが全て消えたとは言わない。
それでもロイはやはりロイだった。
モンドさんを追い出した後ろめたさ、モンドさんにたてついた後ろめさ、
そしてお互い苦労して生きて来たこの26年。
焼け木杭に火がつく。
このことわざ以上にこれを語る言葉は知らない。
一度きりの過ち。
それは蜜より甘く、
甘美な芳しさに満ち溢れたものだった‥‥‥。
あの16歳の晩の全て塗りつぶしてしまうほど、あらゆる幸せに満ち、26年の全てが煮詰まった、一生忘れられない一晩。
ただ私は、その泥沼にハマる貪欲さも、ルイベさんを裏切り続けるいやらしさも持ち合わせていない。
たった一回それだけで、この後の人生を満ち足りたものとして有意義に暮らせる気がしていた。
その後広場でルイベさんに会ったとき、その表情を見て、私は商業ギルドをやめ、街外れに人知れず引っ越すことを決心した。
彼と会うことはもうない。