8. 30代の思い出
私は息子の成人と共にリベルタに戻ってきていた。もう今年で37歳になる。
息子は義理の叔父リチャードさんが経営する工房に一度入ったが、そりが合わなく、私と一緒にリベルタの街に戻ってきて、私の父親が経営する工房で働いている。
父親は歳も歳で、そろそろ工房を閉めようかとか言っていたことが嘘かのように、孫に技を継承するのが嬉しくてたまらない様子であった。
小さい頃から一人娘なのに迷惑ばかりかけて来て、ようやく両親に親孝行が出来たと、肩の荷が下りた気持ちになっていたところ 笑
息子は商業ギルトで読み書き、算数、会計、材料知識など高等学問を身に付けていたおかげで、単なる銀細工職人というより自分で商売をしたり、銀以外の金属も扱ってみたりと幅広い活躍を見せていた。
これもリベルタのあしながおじさんが毎月ルード商業ギルド経由でお金を支援してくれたおかげかな。
私は一介のシングルマザーに過ぎなかったが、比較的経済的に恵まれた生活を送ることが出来ていた。
もちろん息子が手を離れるようになってからは、再度親戚の雑貨屋さんを手伝うなどしてその支援の手だけに頼らない様には気を付けて来た。
このお金はジャンが天国から送ってくれている養育費だと、つい最近まで本当に信じ込んでいたものだ 笑
実家に戻ってもすることもなかったので、リベルタ商業ギルドの仕事をいろいろ手伝っている。
こちらは小さい頃にロイの誘いに応じて読み書き、算数の教室に入れてくれた両親のおかげ。
ギルドの中でも読み書き出来る人は商人に限られているので、かなり重宝されて、忙しい毎日を送っている。
「リアナさん、ちょっといい?」
事務作業のまとめ役をまかされているリーダーのリリーさんから声をかけられる。
「はい? なんでしょう」
「ちょっとギルド長の部屋に行ってくれる? モンドさんからのご指名よ」
「えぇ?! ‥‥‥私なんかしました?」
「さぁ? でもそんな雰囲気じゃなかったから安心して行って来たら? 笑」
この商業ギルドを束ねているモンドさんから声をかけられることなんて今までなかったし、私にとって雲の上のまた上の人であった。
急いでギルド長の部屋の前まで行き、恐る恐るドアをノックする。
「トントンッ」
「リアナです、お呼びでしょうか」
「はーい、どうぞー」
ドアを開けて初めて見たギルド長の部屋は、それこそ貴族の部屋の豪華さで、全体的にキラキラしていて見ていて圧倒されるようだった。
私はどこに立てばいいのか分からず、閉めたドアの前に突っ立ってしまう。
「あーそんなかしこまらなくていいからー。ソファーに座ってちょっと待っててくれる?」
モンドさんは軽く笑いかけながらソファーの方に手をかざして座るよう案内してくれる。
こんな豪華なソファーなんかに座ったことは一度もない。
私はカチコチになりながら、ソファに軽く腰掛け背筋を伸ばしてモンドさんの指示が来るのを待つ。
ようやくペーパーワークが終わったのか、モンドさんが向かいのソファーに座って来た。
「呼び出してごめんねー。リアナさんって、スチュワート商会のダンさんの隣の家に住んでいるんだよね?」
「えっ!? あっはい!」
なんか急にロイの家の話を振られて少しびっくりする。
実家に帰ってきて、ロイに会うこともあるかと、少し身構えていたところもあったのだけど、隣の家はそれこそ物音ひとつしないぐらい静かなので、てっきり引っ越してしまったのかと思っていた。
「じゃーダンさんが今病気で寝込んでいるらしいから、看病をお願いできる?」
疑問形で質問してきてはいるけど、モンドさんは真っすぐこちらの目をその強い瞳で貫いていた。
あっ、これ断ったらいけないヤツだ‥‥‥。
「あ‥‥‥はい」
途端に満面の笑みに戻るモンドさん。
「良かった~引き受けてくれて~~。信用に足る人にお願いしたくて困っていたんだよね~。看病している間もお給金は出すから仕事だと思ってくれていいから~」
「は、はい」
「じゃー話はおしまい! 明日からよろしくね~」
そのままモンドさんは立ち上がり、部屋から出ていくよう手でドアを指し示す。
「あっ、あの!‥‥‥」
「はい?」
一瞬モンドさんの左眉がピクッて動いたような気がする‥‥‥。
それでも私はへこたれない。これは絶対聞いとかないとあとで後悔するかもしれないから。
「な、なんで私なんですか? いくらでも人は居ますし、ダンさんも他の人の方が安心すると思うのですけど‥‥‥」
「うーん、それは答えづらい質問だね。行けば分かるってことにしていい?」
再度貫くような瞳が私を見つめてくる。
これが北部都市連合最大の都市リベルタの商業ギルドを治める人の交渉術か~。
私はそれ以上何も言うことが出来ず、ただ大人しくギルド長の指示に従うのであった。
それから毎日隣の家に出勤している。
ダンさんは既に寝たきりになってしまっていて、お医者さんと看護師さんが毎日様子を見に来てくれていたけど病状が改善する兆しはあまり見えなかった。
家の中は通いの家政婦さんが綺麗に片付けてくれていて、家事まわりでやる事はあまりない。
唯一ダンさんの食事のサポートや身体のケアを家政婦さんにも手伝ってもらいながらやっている。
正直私が居なくて十分回るように思っていた。
意識が比較的しっかりしているときは、椅子に車輪がついた車椅子というもので、外のお散歩にも出かけている。
命の重さというのが本当にあるんじゃないかと思うぐらい、その一生を終えようとしているダンさんの体重は軽かった。
秋の落ち葉を眺めながら私達はゆっくりした時を楽しんでいた。
ダンさんは昔のあの怖い雰囲気とはうってかわって、完全なる好好爺になっていた。
人はここまで変わるのかという変わりっぷり。
そのときは、その雰囲気に吞まれてしまったせいだったと思う。
つい口にしてしまった、おそらく誰も、私も今まで、あえて触れてこなかったことを。
「ほんとっ、ロイはなんで家に帰ってこないんでしょーねー 笑」
瞬間満面の笑みが固まった。同時に自分が失敗したことに気付かされる。
今までの笑顔が嘘だったかのように表情が消え、その顔から生気が一気に抜けていく。
「‥‥ロイは‥‥あの子は‥‥帰ってこんよ‥‥‥。あの子はわしのこと憎んでおるから‥‥」
「そ、そんな‥‥‥」
「リアナさん、良いんよ、本当に‥‥。あなただって本当は私のこと憎んでいるでしょ? 私はそれだけのことをしてきたのだから、しょうがないんよ‥‥」
「そんなことはっ!」
私はダンさんのことを怖いと思ったことは一杯あったけど、憎いと思ったことは本当に一度もなかった。
ロイのことは正直憎んだこともあった。でももうそれも遠い昔の話。
「良いんよ、良いんよ‥‥‥。わしはあの子にもリアナさんあなたにも直接謝りたかった‥‥。わしは自分の商会のことしか考えられん人間になっておった。妻が亡くなったときも側についていられず、逆に商売の世界に逃げてしまった」
「メイソン家の皆さんがうちのロイに優しくしてくれて、母親が居なくなった寂しさを癒してくれていたのも知っておった。本当は感謝しかないのは分かっていたんやけど、わしは小さい人間じゃけん、自分が責められているような気がしてたまらなかったんよ‥‥‥すまんのぅ‥‥」
「そんなことないですっ! 本当に私はダンさんのこと、恨んだことなんて一度もありません!! だからそんなこと言わないでくださいっ 泣」
「リアナさんは本当にいい人やのぅ。わしはなんてこと、してしまったんだろうかねぇー‥‥‥」
ダンさんは遠い昔を見つめるよな瞳をしていて、その目からは、はらはらと小さな涙のしずくがこぼれ落ちていくのであった。
その二日後ぐらいだった、ダンさんは静かに息を引き取った。
ダンさんは最後まで、「許してーなー‥‥‥、あの子のこともわしのことも許してーなー」と言いながら亡くなっていったのである。
ダンさんの葬式で20年ぶりにロイと会うことになった。
私はダンさんの話を伝えようと思ったけど、その傍らにいる奥さんであるルイベさんの顔を見て、挨拶だけして式場をさっさと後にするのであった。