チャプター7
〜シュラーフェンの森〜
初めて訪れたシュラーフェンの森。二人はそこを分け行っていた。人を寄せ付けない深くて暗い森かと思っていたが、意外なほどに木漏れ日が差し込んでいて、猟師などが足を踏み入れることがあるのか、多少の獣道ができており、人の気配を感じることができるのが二人には嬉しかった。
時折聞こえる葉擦れの音や鳥の鳴き声などは、普段都市で暮らしているので癒しを与えてくれた。
「魔女の家、ありませんなあ。この森のどこに家があるかまでは、噂になってないからなぁ」
「鬱蒼とした森かと思ったらそうじゃないからそこはありがたいけど、それでもずっと遠くまで見通せるわけじゃないもんねぇ。泣き言言ってないで地道に探すしかないね」
二人は足元に微かに残る獣道を手がかりに進んでいた。ここしばらくは誰も踏み入っていない事もわかるので、どこまで手がかりになるかはわからないが、それでも手がかりは手がかりだ。少し奥に入るたびに四方をキョロキョロ見回して、それらしい建物がないかを探す。立派なお屋敷が立っているようなことは期待していないが、人一人が生活できるような小屋なのか、はたまた洞窟にでも住んでいるのか、そう言った可能性を考えながら探す手間は、思った以上に骨が折れた。
「森の規模も、地図の縮尺通りじゃないだろうしなー。ほんと、こんなことに付き合うなんて、私はお人好しだよ」
「へへ、助かってます。だけどさ、考えるに、魔女が生活することを考えたら、絶対それなりの小屋があるはずなんだよ。これは錬金術士としての経験則なんだけどね? 森の中に住んでる錬金術士たちは、大体しっかりした小屋で研究を続けてるから」
錬金術士と件の魔女は同じではないと思うのだが、さりげなくこのように力説されてしまうと、口を挟みにくい。地道に森を探索することの正当性を裏付けられただけども取れるので、正直何かが前に進んだわけでもないのだが、錬金術士も端からは妖しい魔女や魔導士のように映るだろうことを考えると、意外と外れていないのではとすら思えるから不思議だ。
エルリッヒと出会う前のフォルクローレもまた、予想外の興味深い人生を歩んできたのだろうということがよくわかる一幕だった。
「ね。エルちゃんの素晴らしい視力とか、本当の姿に戻って空から探すとか、そういうことはできないの?」
「こらー、人に頼って楽することを考えるなー。とまでは言わないけど、さっきからずっと、フォルちゃんよりは優れてるはずの視力で視てるよ? でも、森の奥を見通すなんて芸当はできないからね。あと、元々そんなことするつもりはないけど、ここで元の姿に戻ったら、森がめちゃくちゃになるから絶対だめ。一応、場所は選んで戻ってるの。それに、目の前で元に戻ったら、流石のフォルちゃんも恐れて爆弾投げてくるかもしれないし……」
最後は冗談でもなんでもない本音だった。一応、王都では正体がばれ、エルリッヒのことを知るものは『あの時街を救ったピンク色のドラゴンこそがエルリッヒである』ということを頭では知ってくれているし、それでも変わらずに接してくれているし、国王ですらそんな自分のことを尊重すらしてくれる。だが、変身するところを目の前で見た者は誰もいないのだ。その時こそ、かつてずっと恐れていた、人々の恐怖の目が自分に向くのではないかと、今でもそれを恐れていた。
「ば、ば、ば、化け物〜!!! みたいな? う〜ん、どうだろ。あたし、結構いろんなもの見てきてるから、ちょっとやそっとじゃ動じない自信はあるよ。それでも怯えたり恐れたりするかなぁ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、正直、みんなからしたら、私も魔物と変わらないだろうからね……」
頭の中の知識としては知っているが、目の当たりにしたことはない。世の中そのようなことは往々にしてある中で、エルリッヒが元の姿に戻る様は、恐らく人が経験する出来事としては最大級にインパクトのある出来事だろう。それだけのインパクトを前に、果たしてフォルクローレといえど平静でいられるのかどうか。
「そんな悲しい顔しないで。ほら、あたしなんかは変身する魔物も見てきてるし、他の誰がビビっても、あたしだけは動じないで味方で居続けてあげるよ!」
森の中、荷物もあるというのに、元気よく抱きついてきてくれた。これがフォルクローレなりの親愛の情なのだろう。こういう場所で、とは思わなくもなかったが、こうして直接的な行動で示してくれることはありがたかった。
「ありがと。もし元の姿を見せても、こうしてくれるよね?」
「もちろん! て断言するのは軽薄だけど、そうしたいって思ってるのは本当だから!」
力強い桜色の脚にもこうして抱きついてくれるとしたら、それはとても嬉しいことだ。人懐っこいこの笑顔が自分のせいで曇ったり歪んでしまうようなことだけは避けたい。
自分の力が守ることに繋がるのか、自分の姿が曇らせることになるのか、思い悩んでしまうのだった。
「さ、さあ、まだ魔女の家は見つかってないし、探索を続けないとね!」
「お、おう。ん、もしかして、くっついたの嫌だった?」
少し名残惜しいと思いつつも、温かくて柔らかいフォルクローレの体を引き剥がすと、気恥ずかしさと戸惑いを誤魔化すように周囲を見回した。どうやら、もう少しで獣道が消えてしまうらしい。ということは、かつての猟師などが足を踏み入れていたのは、この辺りまで、ということになる。果たして、必要がないからここから先に足を踏み入れなかったのか、それとも、危険だから足を踏み入れなかったのか。
「くっつかれるのは嫌じゃないよ。全然。それよりフォルちゃん、気づいてる?」
「え、何に?」
この返事、明らかに気づいていなさそうだった。前を見ていても、獣道が続いているのか終わってしまうのかがわからない。足元にも気を配ってこそ気づけるものだ。フォルクローレもサバイバルに近い経験を幾度となく経て王都に落ち着いているわけだが、それでもまだ、こういう見落としが起こりうる。特に、今のように話をしながら探索をしている時は。
「ほら、見て? あそこから先、道がなくなってる。ここだってそんなにしっかりした道じゃないけど。どうする?」
「うーん、じゃあ、そのまま進もう」
今回の冒険はあくまでもフォルクローレの受けた依頼であり、船頭はフォルクローレだ。エルリッヒは意見を求めるにすぎない。そんな中でこのまま進むことを決めたということの意味は大きい。
深く考える様子もなく決定する決断力は、フォルクローレがそこまで考えていないだけなのか、これまでのサバイバル経験からの直感なのか、それは付き合いが長くなりつつあるエルリッヒにも判断できない。だが、その表情は明るく、熟慮の末の決定ではなさそうだった。何よりも即決である。それが余計に他者からは見えにくいのだった。
だが、そうは言ってもエルリッヒは決して逆らうわけでなく、あくまでもその決定に従うだけなのだ。少々の悪路でもトラブルにならないからこそできる従順な態度だ。
「ん、わかった。でも、フォルちゃん草刈り鎌か何か持ってる?」
「持ってないよ。森に行くから何か持って行こうかとも思ったんだけど、爆弾を用意するので一杯一杯でさ。というわけで、爆弾で焼き払っちゃおうよ」
あっけらかんとした様子で恐ろしいことを言うのもフォルクローレらしさである。だが、この発言が本気だと知っているので、その行動にブレーキをかけるのもまたエルリッヒの役割なのだった。
「こらこらこら、そんなことしたら火事になっちゃうでしょ? そんなことするくらいなら、そのまま踏み越えて行った方がまだいいよ。ほら、行くよ?」
「ちぇー、いいアイディアだと思ったんだけどなぁ。ほら、焼き払っちゃえば魔女の家まで見通しも利くだろうし」
渋々と言った様子ではあったが、それでも足元の下草を踏み分けながら、エルリッヒの後に続いて森の奥へと分け入るのであった。
〜つづく〜