チャプター3
〜王都 西の城門前〜
朝、エルリッヒは西の城門でフォルクローレの到着を待っていた。いつもの仕入れの時間よりは遅い時間なので、さほど苦ではないが、朝の弱いフォルクローレはこの時間でもさぞかし苦痛だろうと思っていた。しかし、自分から言い出した時間なので、そこは守ってほしいと思っていた。
「ん〜、朝の空気が気持ちいいなぁ」
まだ、街が動き出す前の静かな空気、ゆっくり街を照らず朝日、そういうのが好きだった。仕入れの時は陽が昇るよりも前から動き出さなければならないため、あまりそういった空気を実感する余裕もないが、今は違う。荷物を手に、じっと待っていればいいのだ。
王都は北側に王城や貴族の邸宅が広がっているため、北門はない。だから、北に向かいたいときは東西の城門から出るのが習いだった。
フォルクローレによれば、シュラーフェンの森までは約二日の距離だという。辻馬車を使って移動するが、そのような場所に停留所はないため、街道沿いの最寄りの場所で適当に下ろしてもらうのが最短ということらしい。
「……ていうか、そんな場所に本当に人が住んでるの?」
それ自体にも、一抹の不安がよぎるのだった。北の魔女の存在そのものが、噂の域を出ないのだとしたら、そんなところには、誰もいないのではないか。そもそも、森には狼などの獣が出るし、低級といえど魔物も出る。それに、エルフなどの人に対し好意的ではない種族も暮らしているだろう。決して安全な場所ではないのだ。それに、生活するのであれば、家屋敷が必要になるし、食料の確保も必要だ。もしかして、狩ができる程度には心身が壮健なのだろうか。それとも、実はフォルクローレのように錬金術士で、爆弾など己の身体能力に依存しない狩猟手段や、人智には理解できない方法で家を建てる手段を持っているとでもいうのか。
考えれば考えるほど、謎は尽きないのだった。
「私、流石に今回は安易に乗っちゃったかな……」
もう少し慎重にことの真偽を確かめてから返答するべきだったのではないかと、今更ながら一抹の不安がよぎった。それは、今この場にフォルクローレが来ていないことで拍車がかかっているのかも知れない。別に、騙されたとか担がれたとか、そういうことではないだろうが、フォルクローレが朝の弱いことを知っていても、待たされているこのシチュエーションは、どことなく精神衛生にはよろしくない。
「もし、魔女がいなかったら、こんなにしっかり荷造りしてきた私がバカみたいじゃんね。……大丈夫かな」
荷物といっても数日分の着替えと簡単な調理器具といくばくかの食材をまとめただけだったが、それでも荷物を手に門の前で立っている姿は、きっと傍目には旅人のように見えるだろう。この街での居心地が良くて、できる限りはこの街で生活を続けていこうと心に決めている今、旅に出るようなことはあっても、この街を後にするようなことは考えられない。ふと、そんなことを考えてしまった。
「それに、管轄が違うのか、衛兵さんも顔見知りがいないしなー」
西の城門はコッペパン通りからは少しある。普段利用する南門と違ってあまり馴染みがないのだが、それは立っている衛兵も同じだった。たまたまこの日のシフトがそうなっているだけという可能性もあるのだが、エルリッヒは管轄が違うのではないかと考えた。もちろん、騎士団にいない彼女には、今それを知る術はないのだが。
「西門かぁ。職人通りからは結構あるよね」
職人通りは王都でも北東の区画にある。ここまで来ることを考えたら、なかなかの距離になる。それを、どのような荷物や出立で現れるかはわからないが、フォルクローレがやってくるというのだから、確かに一仕事かも知れない。とはいえ、普段からコッペパン通りまでは足繁く通っている程度の脚力はあるのだから、それを理由に今ここにいないことを正当化することはできないだろう。
「……まぁ、単純に寝坊だろうな〜」
腕を組み、眉間に皺を寄せてまだ眠りから目覚めていないフォルクローレの姿を思い浮かべてみる。あまりにもあっさりと、脳裏に浮かぶのだった。
「む〜、様子を見に行くべきか? かといって入れ違いになっても困るしなぁ。う〜ん、フォルちゃんは冒険者じゃないから気配も小さくて察知できん」
野生の能力である程度力のある相手であれば気配で察知することもできるのだが、それもできない。こうなってしまうと、もはや何もできないのだった。
ジリジリと昇っていく日差しが、なんとなく焦りを駆り立てる。
「はぁ。うだうだ考えてても仕方ないか」
来ないものは来ないし、言い出しっぺなんだからこのまま来ないということはないだろう。ここは一旦大人しく待つことにした。
それから待つことしばらく、遠目にフォルクローレの姿を確認したのは、教会の鐘が一つ鳴った後だった。正味30分程度の遅刻である。
「お〜ま〜た〜せ〜!!」
遠くから、こちらに向かって手を振りながら叫んでいる様子が見える。微かだが、声も聞こえている。
「やっと来た。こりゃ、嫌味の一つも言わないと割に合わないね」
こんな時でも、朝日を受けたフォルクローレの金髪は本物の黄金のように輝いている。それを、相変わらず綺麗だと一瞬目を奪われてしまった自分が少し癪だった。
「はぁ、はぁ、待った……よね?」
「おーそーいー。十分に待ちました。で? 何? 寝過ごした?」
息を切らせながら、ようやくフォルクローレは現れた。走ってきたということは、遅れたという自覚はあるのだろうが、一応は事情を聞いてやらねばなるまい。それならばと納得できる理由が返ってくるとも思えないが、理由をはっきりさせるのも大事なことだ。
「さすがはエルちゃん、あたしのことはお見通しだね。や、一応昨夜は寝過ごさないよう早めに寝たんだよ? でも、お布団があんまり気持ちいいから、つい」
「やれやれ。そんなことだろうと思ったよ。そもそもフォルちゃんは普段から睡眠時間を削りすぎなんだよ。だから簡単に寝過ごしちゃうし、そもそも朝が弱いんだよ。気をつけた方がいいよ?」
あまりにも予想通りの返答だったので、軽く生活そのものに釘を刺しておく。どこまで自覚があるかはわからないが、一応は聞いてくれているようだ。
「それにしても、その格好」
「あ、わかる〜? 一応魔女に会いにいくから、ちゃんとした格好をしようと思ってね」
フォルクローレは、特別な時にしか着用しない法衣に身を纏い、先端に何やら不思議な装飾の施された杖を手にしていた。錬金術士としての正装ということなのだろう。それに、荷物は大きな袋を一つ担いでいる。普段工房の隅で目にする爆弾は入らないようなサイズだ。外での調合に使う器具でも入っているのだろうか。
「ん? あぁ、荷物が気になる? これねー、あたしが改良した小型爆弾がいっぱい入ってるよ。どんな相手と戦うかわからないしね、念の為、色々詰めてきた。スタンダードなやつでしょ? 氷の爆弾に〜、雷の爆弾。それに、風の爆弾と、自然の力が通用しない魔物がいた時用に、中から針が飛び出す爆弾も詰めてみた。後はぁ」
荷物に向けていた視線に気付いたのか、自分から中身を説明してくれた。
「いい、もうじゅうぶん。説明ありがとね。とにかく、いろんな爆弾の詰め合わせになってる、てことだね。他には何が入ってるの?」
「他に? 他の荷物なんてないけど? なんで?」
その、あまりに女子力のない答えに、さすがに言葉を失う。爆弾が詰め合わされていることは想定の範囲内だったが、これは流石に危険だ。着替えすら入っていないということになる。あまりの恐ろしさに、今この場でこれ以上の追求は避けることにした。
「いいや、うん、いい。さ、出発しようか。辻馬車の北行きの定期便だから、乗り場はあっちだね。わざわざ朝イチの便に乗れるように早い時間を集合時間にしたわけでしょ? 流石に待ってる人はほとんどいないね」
「へっへっへ! 寝過ごすことを想定した待ち合わせ時間のなんたる慧眼! よし、行こうではないかエルリッヒくん!」
なんの自慢にもならないことを誇らしげに言いながら、フォルクローレは北門すぐの停留所に歩いて行った。本当に、寝過ごすことを見越した待ち合わせ時間など、なんの自慢にもならないというのに。
そういうところに、呆れつつも憎めないものだと思いながらも後を追うエルリッヒだった。
「待って待って。先行かないように〜」
〜つづく〜