チャプター2
〜コッペパン通り 竜の紅玉亭〜
昼の営業が終わり、片付けや掃除が終わると、エルリッヒ自身の昼食タイムと、夜のための仕込みまで、短い休憩時間が訪れる。
食事を終えたフォルクローレは、手伝うでもなくずっと椅子に座ったり辺りを所在なく歩いたりして、エルリッヒの時間が空くのを待っていた。
普段なら手伝ってくれてもいいのに、と思うところだったが、今日はちゃんと代金を払ってくれたので、”お客様”にそれを求めてはいけない。
「お待たせ。じゃあ話を聞こうか。で? 今度は何の用なの?」
これまでの経験から面倒ごとの相談ではないかと思うのだが、そうは言ってもそれなりに楽しい経験はしたし、友達相手につれない態度を取るのも気が引ける。極力親身になって話を聞こうと務めた。
「うん、ごめんね、突然押しかけちゃって。で、その突然なんだけど、北の魔女に会いにいかない?」
「へ? 北の魔女?」
テーブル席の隣同士に座って話しかけてくるフォルクローレの声色は、とても明るい。厄介ごと、面倒ごとの類ではないのかという期待が僅かに首をもたげた。
だが、自分を見つめてくる瞳は真剣そのもので、これが決して行楽や冗談の類の話ではないことが伺えた。少なくとも、北の魔女とやらは実在しており、会いにいかねばならない理由があり、一人、もしくは他の冒険者を伴って訪れるわけにはいかない理由があるのだろう。
「ごめんごめん、突然で何のことかわからないよね」
「うん、さっぱり」
素直に首を縦に振る。こんなところで知ったかぶりをする理由はないし、察しろというのも無理な話である。唐突に持ちかけられた謎の人物、『北の魔女』については、一切情報がなく、なおかつ経緯もわからない。気になったことは逐一全部質問してやるつもりだった。
フォルクローレもそういう心づもりなのか、エルリッヒが正直に返答しても、特に呆れたような表情も落胆するような吐息も見せなかった。
「やっぱりそうだよね。んじゃ、順を追って説明していくね? 北の魔女っていうのは、街を出て北にあるシュラーフェンの森に住んでるっていう噂のおばあさんで、薬草やハーブにすごく詳しいんだよ。ま、あたしも会ったことはないんだけどね。で、今度の依頼でその魔女の知識を頼りたいところがあってね。会いに行きたいんだ」
「なるほど、本当の魔女ってわけじゃないんだね? いやまあ、ほんとに魔法の使えるおばあさんなんて今時いるわけないか」
人々にとっての魔法は、すでに失われた力だ。100年前の魔王討伐に合わせて失われた力だったが、しばらくの間は突如として魔力を失った人たちが生きていたので、かつてのことを語る者もいた。しかし、今となっては流石にそのような者も残ってはいないはずだ。だから魔女、という表現には魔法の力を操る者、という意味合いはなく、知識の豊富な古老、というような意味だけがあるのだろう。
それは、ちょうど魔王が現れて人々に魔力がもたらされるよりも前の『魔女』の定義と言ってもよかった。
「ん? 本当に一人もいないの? あたしも会ったことないけど、北の魔女はまだ魔法が使えるかもよ?」
「ないない。あの時、急に魔法が使えなくなって、みんな大混乱だったんだから。あの後私はいろんな土地に行ったけど、一人として魔法の力を残してる人はいなかったよ。だから、その北の魔女って人も、本物の魔法は使えないと思うよ。そもそも、その魔女さんはおいくつ? 魔法が使えた頃の話は直接聞いてるんだろうけどね」
とりあえず、フォルクローレの情報によると、おばあさんなのは間違い無いだろう。直接会ったことはないので、これは勝手な想像でしか無いのに、ついついその前提で話をしてしまう。噂の真偽はもちろん、出所も不明なのに。
「んー、歳については聞いてないな〜。おばあさんていうくらい?」
「うん、そこまでは今聞いたけど、それ以上は知らないってことか。じゃ、そこは一旦置いといて、話を続けようか。それで? なんで私を誘おうと思ったの? ほら、私は私でお店があるし、腕っぷしの強い冒険者はギルドに行けばいっぱいいるし、ゲートムントとツァイネの二人だったら気心も知れてるから気楽だろうし。それを差し置いて私にお願いしてきた以上、何か理由があるんだよね?」
気になったことを思い切りぶつけてみた。フォルクローレの反応が気になったが、まるでハッとしたように目を丸くしている。この質問が、そんなに驚きだったのだろうか。そうして表情を大きく変えたフォルクローレは、表情を立て直スト、またいつものように明るい表情で説明を始めた。
「うん、エルリッヒくん、いい質問だよ。そこには重要な理由があってだね。噂によると、北の魔女は男子禁制にしてるらしいんだよ。男嫌いなのか、何か呪術に影響があるのかないのか」
「あるのかないのか? そういうことなら男嫌いなのかもね。でも、それならそれで、ギルドで女の冒険者さんを雇えばいいじゃん。それがなんで私? 冒険者の人だと、やっぱり女の人は少ないけど、いないことはないでしょ」
詳細な男女比は二人とも把握していないが、ギルドには女性冒険者もいる。それならば、そういう面々を雇えばいいだけなのである。依頼料が必要だからといって、今のフォルクローレがそこまでお金に困っているとも思えない。そこをケチっての人選ではないだろう。
「そこ、聞いちゃいます〜?」
「うん、そりゃ確認するよ。あれからしばらく経ってるとはいえ、こないだの大会でまたしばらくお休みしちゃったし、できればお店を空けたくないからね。のっぴきならない理由があるっていうんなら付き合うけど、どーでもいいような理由だったら、流石に断るかもしれないから」
正直なところ、自分を必要としてくれるのは嬉しいし、そこにしっかりとした理由があるのであれば、それは聞いてみたい。フォルクローレも、どうも語りたいようなので、水を向けることは悪くないだろう。
「そんじゃあ説明しよう! 魔女さんとやらは、気難しいらしいんだよね。で、どういう事情があるんだったら、気心の知れたエルちゃんについてきてほしいなーって。あ! もちろんそれだけじゃないよ! そういう気難しい人に会いにいくわけだから、人生経験豊富な人がいた方が良さそうでしょ? そういう理由もあるよ!」
「ふ〜ん。それって、私が高齢者っていう話かな?」
冗談めかして嫌味ったらしいことを言ってみる。別に、そういうことを気にしているとかカチンときたとか、そういうわけではない。ただ、実態として自分の年の功が求められているということなので、それならば、少し意地悪を言ってみようというわけだった。
「うぐ! 気を悪くしたらごめんごめん。事実だとは思うけど、そういうつもりじゃないよ〜。それにほら、エルちゃんは若い若い! 姿の若さじゃあたしと同じくらいだよ! ぎゅーっ!! すりすり!!」
「ちょっ。わかったわかった。フォルちゃんに失礼な意図がないのはわかったから。離れる離れる。ていうか、そんなこと、初めからわかってたよ。ちょっと意地悪を言ってみただけだから。あんまりお店を開けられないけど、それでもいい? 何日かかるか、大体でいいから最初に予定を出してよね?」
わざわざ席を立ってまで抱きついてきた体を離し、もう一度椅子に座らせる。こういうコミュニケーションも、当然嫌いではないが、今はそれよりも、お店の営業に少しでも穴を開けないようにすることを意識していた。
「予定、ね、予定。はーい。へへへ」
「……あやしい」
フォルクローレが調合以外でそのような計画性を求められることが苦手なのは百も承知なので、あえて期待せずに予定を出すように言ってみたが、案の定その結果には期待できそうになかった。
「はぁ、やっぱり行き当たりばったりの旅になりそうだね。でも、もしかしたらいいハーブを知ってるかも知れないし、美味しい香辛料を知ってるかも知れないし、料理研究って考え方もできるか」
「そうだよ! そう! じゃあ、早速明日出発しよう!」
全くもっていい気なものだが、こればかりは性格もあるので仕方がない。かくして、エルリッヒは再び街の外に出ることになったのであった。
〜つづく〜