チャプター19
〜シュラーフェンの森奥地 ヘレンの家〜
家のすぐそばにある泉での洗濯は、二人にとってなんとなく人となりを理解する貴重な時間になった。一通り衣類などを洗い終え、それらを干し終えると、今度は家の掃除の時間だった。
掃除といっても、さほど大袈裟なことはしていないらしく、掃き掃除を手短に済ませるだけだった。相変わらずフォルクローレは邪魔にならないように過ごしているだけだったが、ここでもエルリッヒは十分に役に立っていた。常日頃の掃除が活きないわけないのである。掃除道具は一人分しかないが、ヘレンが掃き掃除をするというのなら、エルリッヒは拭き掃除をすればいい。家自体もさほど広くはないので大した手間もかからない。軽く埃を拭い、窓拭きをするだけでも見違えるように綺麗になった。
それは、少しだけ家の中が「魔女の家」らしくなくなるということでもあったが、言い換えるとそれ以上に大したことではない。家の中は清潔に保たれていることが一番大切なのだから。
もちろん、フォルクローレといえど、朝方指示された「家の中にある薬草や花々で作れそうな薬のリストアップ」は続けており、全く役に立っていないわけでもなかった。
「やれやれ、アンタのおかげであっという間に掃除が終わったよ」
「役に立ってますでしょ? そう思うなら、そろそr私のこと名前で呼んでくれてもいいんですけど? エルリッヒでも、エルでも」
「あ、それずるい! あたしも名前で呼んでほしいんだけど!」
他愛もないやり取りではあるのだが、久しくまともな人付き合いをしてこなかったヘレンにとってはこんなやり取りでも十分に新鮮なのだった。
思えば、まだ街に住んでいた若い頃は同姓の友達とこんなようなやり取りをしたような気がする。名前で呼ぶことの何がそんなに大きな意味を持つのか、さっぱりわからないかといえば、魔女と呼ばれることをあまり快く思っていないのも事実なため、当然そこまでではないのだが、それでもそこに強いこだわりがあるかといえば、やはりそうではなく、たかが呼び名の問題ではないかと思ってしまうのであった。
「アンタたち、名前で呼ばれるのは、そんなに大事なことかい?」
「う〜ん、そんなに大事かと言われると、別にそこまでこだわりがあるわけじゃないんですけど……でも、名前って、自分が自分である証拠みたいなものじゃないですか。私はあくまで私ですから」
突然の問いかけに、人差し指を顎に当てて考える仕草を見せる。そんなこと、普段から考えているわけではないから、頭の中で答えを探さなければならない。言われてみると大したことではないような、でも、ものすごく大切なような、そんな不思議な感覚が去来する。
「ね、フォルちゃんはどう?」
「え、あたし? そうだな〜、あたしもそんなの考えたこともなかったからなぁ。名前、名前かぁ。名前は確かに大事だし、あたしの場合屋号でもあるからやっぱり大事ではあるんだけど、そういう大袈裟なことじゃなくって、名前で呼ばれるのって、なんか一歩親しくなった気がしない? それが嬉しいんだよ。ていうか、エルちゃんもそういう感覚なんだと思ってたけど、違うの?」
大袈裟な話ではない。どうやらそれは三人にとっての共通認識で良さそうだった。それでも、そこにどのような価値を見出すかという話になると、やはりヘレンは目の前の若い二人よりも軽く考えているように思えてならないのだった。
育ってきた時代が違うのか、過ごしてきた経験が違うのか、はたまた個人の感覚の差なのか。
「う〜ん、言われてみれば親しくなったような感覚っていうのはあるかも。やっぱり、アンタなんて呼ばれるとよそよそしいっていうか、他人行儀だしね」
「実際他人じゃないか。呼び方なんてなんでもいいんだよ。アタシらはいっとき一緒に過ごす程度の間柄、そこまで親しくならなくたって誰も困りゃしないよ。あぁ、余計なこと考えたら腹が減ったね。そろそろ昼にしようか。エル、アンタだったら昼は何を作る?」
小さい背中を向けながら、キッチンに足をむけるヘレン。思いがけないその一言に、想像以上の喜びを覚えるのであった。
「っ!! 今の気分なら、三人で取り分けられる大皿料理みたいなのを作っちゃいます!」
(あぁ、やっぱり名前で呼ばれるのって嬉しいじゃん!)
その表情が太陽のように眩しく輝いていたことは、他の二人は気づかなかった。
⭐︎⭐︎⭐︎
昼食は、エルリッヒ渾身の大皿料理になった。思いがけず名前で呼ばれたことで気をよくしてしまい、一人で張り切って自前のフライパンを振るったのである。
元々三人で食事することなど想定していなかった食材のストックは、昨夜からの食事ですっかり減ってしまったが、どれも森で調達できるものばかりだということと、そろそろ馴染みの行商人が小麦粉などの森では手に入らないものを持ってきてくれるというので、ここぞとばかりに使わせてもらった。
「何もこんなに張り切らなくてもいいんだけどね」
ヘレンは困ったような表情を見せたが、そこはエルリッヒが押し切った。自分では何もせずに料理が出てくることなど、ほんの小さい頃以来だ。そう思うと、反論する気もすぐに雲散霧消してしまった。
「でも、ふと思ったんですけど、行商人さんが来てくれるんなら、やっぱりお金は必要なんじゃないんですか? ここの薬草やドライフラワーを売るんでしたらお商売の本業って感じもしますし」
「そういうのは、相手によって決めてるのさ。銀貨や金貨をせしめるような相手もいれば、銅貨で安く譲る相手もいる。ま、今のアンタたちみたいに、寝食を共にして家事で支払え、なんてのは初めてだけどね。とんだ気まぐれさ」
「気まぐれっていう割には、なかなか面白い試みじゃありませんか〜? あたしたち、何日かかけてここまで来てるのに、まさかここで逗留することになるとは思いませんでしたよ〜?」
まるで嫌がっていないのがすぐわかるような言い回しだ。フォルクローレからの質問は、それくらい軽い感情しか乗っていない。
「アンタたちの予定なんて知ったことじゃないね。それに、承諾したのは自分たちだ、それも忘れるんじゃないよ?」
「わかってますって。あたしたちも良かれと思ってやってるんだし、現金が出ていくよりも面白そうですし」
「さ、そんな話はこれくらいにして、冷めちゃうから食べましょうよ!」
話を遮るようにパン! と手を叩き、食事を促す。話が盛り上がって食事が冷めてしまうなど、料理人としては許せないのである。柔らかく湯気が立ち上っている間に食べてほしい、という強い信念がある。だから、話を遮ってでも食事を優先させるのは、至極真っ当な行為なのであった。
「おっと、そうだったね。こいつは悪かったね。それじゃ、いただくとするか」
「はい。腕によりをかけて作ったんで、二人ともお腹いっぱい食べちゃってください!」
そうして、ようやく食事の時間が始まった。森で採取できる素材を多く使っているため、量はあっても口当たりの軽いヘルシーな料理で、いくらでも食べられるようになっていた。ヘレン手作りのパンともよく合うのである。
「美味しいよう美味しいよう! こんな森の奥でも、プロのお仕事は健在なんだね! うぅ!」
「そんな大袈裟なものじゃないよー。でも、どんなところでも手を抜くわけじゃないけどね。ヘレンさんも、どうですか? まだお口に合うかどうか、みたいなのはまだ把握できてないんで、ちょっと心配ですけど」
「いや、悪くないよ。アンタ、謙遜してるんじゃないかい? 昨日の夕食を作った時に、アタシの好みはあらかた把握したように見えたけどね」
鋭い。決して謙遜したつもりはなかったのだが、ある程度は見抜かれていたようだ。その通り、食事をつくる中での所作や調味料の選択などから、好みはある程度推し測っていた。
「いや、まあ、ある程度、ですけどね。でも、お口にあったのならよかった。さ、どんどん食べてください。このままだと、フォルちゃんに食べ尽くされちゃいますからね」
にっこり笑いながら食事を勧めつつ、やんわりとフォルクローレの食欲を牽制するのであった。これが、楽しい昼食どきである。
〜つづく〜




