神の愛し子となった妹が今更イキり倒してきたけど、私の旦那の方が格上ですよ?
「清香お姉さま、お久しぶりです。絵璃菜ですわ」
手紙を開いて現れたのは、着飾った妹――絵璃菜の映像だ。
神と人が共に暮らすこの世界では魔術と呼ばれる技術が発達し、手紙を通して通信するなどということも可能である。
私――清香は幼い頃からこの技術に魅入られ、第一級魔術技師に就職。仕事の為に家族から離れているのだ。
それにしても――なんという華美華美しい格好だろう。
白地に金の刺繍を施した振袖に、紅い簪。どこぞの貴族令嬢も裸足で逃げ出す程のド派手さである。
「まあ、元気そうで何よりね。それにしてもどうしたの? ずいぶん派手なお召し物だけど」
「ふふっ、これ?」
わかります? とでも言わんばかりにくるりと回ってみせる。
いや、わからない方がおかしいだろうと思わずツッコミそうになるのをグッと堪える。
「神の婚礼衣装の試着ですのよ。似合っておりますでしょう?」
「あら、それは……まさか、絵璃菜。あなた」
「はい、そうですの。私、“神の愛し子”に選ばれましたの」
その一言に、茶を啜っていた手がわずかに止まった。
愛し子、つまり花嫁のことだ。
神からの寵愛は世の女子にとっては最たる誉れ。
かつてで言えば国を収める王に見初められたようなもの。
家にとっては繁栄を約束されたようなものであり、妹がこれ程に自慢げなのも当然であった。
「まあ。それは……本当におめでとう」
純粋な気持ちで祝いの言葉を返すが、妹はむしろカチンときた様子であった。
「まあまあ、姉さまったら、落ち着き払っているのはポーズかしら? 内心嫉妬で冷静ではいられないのではなくて?」
「どうして嫉妬するのかしら。私は私の道を歩んでいるもの」
これまた同じく、純粋な言葉なのだが……妹の不機嫌顔は治らない。
――幼い頃からいつもそうだ。
妹はいつもいつも、よくわからないことで怒り出しては私に突っかかってきた。
昔から学問に秀でていた私が余程気に入らなかったのか、イケメンの彼氏ができただの街でナンパされただの、どうでもいいことで張り合ってきたものだ。
……そうそう、久しぶりで忘れていたが、家を出た理由はそれが一つだったっけ。
「ふふ……まぁいいですわ。本題に入りましょう。私の式に是非招待して差し上げたいと思いまして、お手紙をお送りしましたの。早めにお返事返してくださいましね」
「ええ、ありがとう。……でも招待状には一人分しか書かれていないけれど……」
「? 友人でも連れてくるつもりですの?」
「いいえ、せっかくだし旦那も一緒に、と思ってね」
その一言に、絵璃菜の眉がピクリと動いた。
「……ご結婚なさっていたのですか?」
「まぁ、実は最近……でも私も仕事がすごく忙しくて、式は面倒でやらなかったの。……ごめん、報告を忘れていたわ」
いや、本当に忙しかったこともあるが、私が忙しい忙しいと言っていると『彼』は一人で突っ走って諸々の手続きや処理を全部やってしまったのだ。
私が式は面倒というと止めてくれたし、向こうの家族との顔合わせも全てスケジュールを立ててくれたし、気づいたら結婚していたのだ。
そのせいで家への報告とかも忘れてしまっていたわけだけど……それは本当に申し訳ないと思っている。
「ふ、ふーん……どんな方かしら?」
「本人曰く、ごくごく平凡な男だそうよ。私もそう思うけどね。……でもあまり人前には出ない方だから、当日ご紹介するわ」
「――ふふん」
絵璃菜は少し鼻で笑った。彼女の中で、私の夫はもう“格下”として処理されたようだった。
「それでは、当日を楽しみにしておりますわ。くれぐれも粗相のないように。神の御前は厳格ですから」
「ええ、心して参ります」
通信が切れた後、私はそっと微笑みを零した。
「……やれやれ。これだから妹ってやつは」
◇
瑞神殿、式前の控え間──
「──あっ、いらっしゃいませ、姉さま」
絵璃菜が、手をひらひら振りながら寄ってくる。後ろには、絹の振袖を着た若い女性たち数名──明らかに取り巻きだ。
「まあ、皆さまご紹介いたしますわ。こちら、わたくしの姉でございますの。とても優秀で昔は家でも一番と誉れ高かったのですけれど──」
「“昔”は? ふふっ、絵璃菜ったらひどいわぁ」
「優秀、ねぇ……確かに、勉強ばかりしてきたって顔だわ」
「女が頭なんか良くても婚期を逃すだけっていい証明ね」
「馬鹿! 失礼よ。一応結婚はしているみたいだし」
「一応、ね」
周囲で笑いがこぼれる。
久々に会ったが、本当に相変わらずな妹だ。
取り巻きを引き連れ、常に優位の立場を得ようとする。
猿山の猿のような習性である。我が妹ながら少し恥ずかしい。
「けれどご安心を。今日この日を機に、家の名はわたくし絵璃菜がお守りいたしますわ。何せ──神の愛し子として選ばれたんですもの!」
妹は誇らしげに胸を張る。……これ、何か返した方がいいのかしら。
しばし考え込んだあと、微塵も興味もないことを尋ねる。
「えぇと、あなたを選んだ神様って……どんな方なの?」
「まあ、興味があるのですね? では少しだけお教えしましょう。わたくしの夫君は、《青霞の縁神》──蒼紘様よ!」
「東方の縁結び神で、縁神の中でも、十指に入るお方ですわ!」
「その御力で人と人、国と国すら結び直す……まさにこの時代の絆そのもの!」
「見た目もまた素晴らしくて。天を歩むような背に、銀の髪、そして目は──蒼天の如し」
「きゃーっ、かっこいい〜!」
妹だけでなく取り巻きまでもが語り出す。
すごく盛り上がっているけど……ごめん、本当にどうでもいい。
「ところでぇ〜お姉様の旦那様はどちらにいらっしゃいますの?」
「仕事で少し遅れると……でも時間には必ず間に合うと思うから安心して」
「あらあらまぁまぁ、でも……ちょっとご心配ですよね」
「? 何が?」
「着飾る時間もなさそうじゃありませんか。ただでさえ“旦那様”の方が格が違いすぎるのだし、せめて格好だけでも整えてくれないと、煌びやかな式では浮くことになりますわよ?」
「んー、大丈夫だと思うけど」
「それは楽観的すぎると思いますけどぉ。とても賢いお姉様らしくないですわねぇ」
くすくすと笑う取り巻きたち。
「む、清香か」
──そこへ現れたのは両親だ。
「何よ。遅かったじゃない」
「父さん母さん、久しぶりです。結婚の報告が事後になってしまい、本当に申し訳なく……」
「あぁ、まぁ気にするな……」
「私たちも忙しかったしねぇ」
両親の声はそっけない。
そういえば私はあまり両親に好かれてはいなかったっけ。
優秀だが可愛げがないと、むしろ妹の方を溺愛していたのだ。
私とのやり取りを窮屈に思ったのか、二人の視線は絵璃菜へ向かう。
「おお、絵璃菜……やはり似合うな。おまえが神の花嫁とは、我が家の誇りだ」
「ふふ、ありがたく存じます」
恭しく頭を下げる絵璃菜。
三人は私を除け者にして、盛り上がっている。
所在なく立つ私に母が鬱陶しそうに言う。
「……そういえば清香の旦那様はお見えなのかい?」
「遅れているみたいで……」
「そ、そうか……まあ、蒼紘様に比べたら大変だろうけど……お前なりに幸せを掴んだのなら……な」
「……うん、ありがとう」
明らかに哀れみの視線だが、祝いの言葉として粛々と受け取ることにした。
……はぁ、あの人、まだ来ないのかしら。もうすぐ式が始まってしまうわ。
◆
瑞神殿、本殿。
式の始まりを告げる鈴の音が、静かに空気を振るわせる。
神の妻となる者は、純白の衣で神前へ進む。
その歩みを見守る参列者たちは皆、目を細め、時に涙すら浮かべる。
「……まさか、本当に神の愛し子になれるなんて」
「絵璃菜様、お美しい……」
「蒼紘様も、神威に満ちておられる……」
本殿奥に佇む男──絵璃菜の夫、**青霞の縁神・蒼紘**は、静かに目を閉じていた。
だがその瞳が開かれた瞬間──ふと、その視線が一方向にピタリと止まる。
「すまない、遅れてしまった」
そこには、
静かに本殿の扉から入ってくる、一組の男女。
男は無作法にも、頭を垂れることなく真っ直ぐと歩みを進めていた。
まるで、どこに立っても自分が“中央”になることを知っている者のように。
その後ろに寄り添う女──
姉の、清香の姿があった。
「……あら、姉さま。ようやく旦那様とご登場ですかぁ?」
絵璃菜が、わざとらしく声を上げた。
「ご紹介されないのかしら? せっかくの御姿、皆様もご覧になりたいでしょうに」
「ええ、もちろん」
微笑む清香。
だがその横の男は、ただ一言も発せず、ただ静かに前へ出た。
すると──
「……っ」
蒼紘の背筋が、ビクリと震えた。
「そ、その御姿……まさか、いや、まさか──」
彼の額に、見る間に冷や汗が滲む。
その神気──“紫龍の気配”を、神である彼だけがはっきりと感じ取っていた。
(──まさか、紫龍家……いや、まさか“御子息”!?)
「え、なに、蒼紘様?」
絵璃菜が、不思議そうに振り向く。
「……どうか、下がって」
「え?」
「君は……この場から下がるのだ!」
その言葉に、式場がざわめいた。
「え、なに? なにが起きてるの……?」
「蒼紘様が……怖がってる?」
清香の隣で、男はふと片眉を上げた。
「──まさか、気づかれるとはね。君、目は良い方だ」
その一言で、蒼紘の顔色がさらに蒼ざめる。
「……っ、そ、そのお方は……まさか、紫龍家の……“継承者”……?」
「え? しりゅうけって……なに?」
事態を全く理解していない絵璃菜は目を丸くするのみだ。
しかし衆人たちの中には、その名を理解する者もいたようだ。
「ええ、あの紫龍家──?」
「神の中の最高位の、あの……?」
「人前に姿を見せるなんて百年に一度あるかないかと聞くぞ!?」
ざわつきが広がる中、清香は恭しく頭を下げて、
「紹介が遅れました。こちら、わたくしの夫です」
「なっ……!?」
「紫龍家、長子──紫龍・朔です。お見知り置きを」
朔の言葉に、式場が凍りついた。
静まり返った瑞神殿。
紫龍・朔の名が告げられた瞬間、誰もが言葉を失っていた。
◆
──紫龍家。
神々の中でも最も古き血を引き、代々“神々を統べる存在”とされてきた名家だ。
彼の名を知る者ならば、その「格の違い」は理解せずにはいられない。
……いや、私にとっては職場でナンパしてきた普通の男なんですけど。
半年ほど前だったか。魔術技師としてとある屋敷の魔道具が壊れたのを修理に行った際、着流しのイケメンがいきなり声をかけてきたのだ。
その言葉がびっくり。私と結婚して欲しい──であった。断っても断ってもぐいぐい来る彼に私も根負けし、結婚する羽目になったのである。
仕事は今まで通り続けていいと言ってくれたし、束縛するつもりはないし、やりたいことはやればいいと言ってくれたし……それに、私も人生で一度くらいは結婚したいかも、とは思ってたしね。
「し、しりゅう……家……?」
「う、嘘だろう……雲の上の存在じゃあないか……」
母が呆けたように呟き、父も驚愕に目を剥いていた。
客席も騒然とし、
「なに? なに言ってるの? しりゅうけ? それって、そんなに凄いの?」
どうやら妹だけが、まだこの空気を読み切れていないようだ。
あの子、歴史とか全く知らないしなぁ。
その無知が──逆に、痛ましいほどに響いている。
「おまえ……知らなかったのか……」
父がポツリと漏らす。
「紫龍家は……神々の中の神。蒼紘様なんて、比べものにもならん……!」
「そ、そんなの……嘘よ! 頭でっかちでガリ勉で、全然モテなかったあの清香姉さんが! 私よりいい男を捕まえてるなんて! 絶対に嘘っ!」
半狂乱になりながら妹は声を荒らげる。
そんな風に思ってたんだ……まぁ別に私は気にしないけどさ。でも私の隣にいる人は、そうではないらしい。
明らかに顔を強張らせ、威圧を増していく。あ、これはマジギレだ。
「それ以上囀るな」
静かに、けれども明確な“命令”として。
紫龍・朔の言葉が響いた。
「この女を娶ったのは、お前か?」
「は、ははぁっ!」
その瞬間、蒼紘が──ひざをついた。
全身を小刻みに震わせ、絶望に顔を歪ませながら。
「失礼の数々……この身をもって、お詫び申し上げます……!」
「なっ……!? 蒼紘様っ!?」
絵璃菜が叫ぶ。
「な、なにしてるのよ!? そんな人に頭を下げるなんて、あなた神様でしょ!? 神でしょ!? あたしの旦那でしょ!!? そんなことしたらダサいじゃない!」
だが、返事はない。
蒼紘は、顔を上げなかった。
上げられなかった。朔の放つ凄まじい威圧感に支配されていたからだ。
あ、こりゃいかん。
「朔」
そう思った私が口を開く。
じっと朔の顔を見据える。ただ、じっと。
「む……」
バツが悪そうに唇を尖らせた後、朔はやれやれとため息を吐く。
気づけば威圧は消え、神殿内の空気が和らいでいた。
「……顔を上げろ。私もこのような場で大人げなかった」
よろしい、とばかりに微笑を返すと、朔はほっとしたように目元を緩める。
全く、めでたい妹の結婚式をぶち壊すことになるところだった。
「おめでとう、絵璃菜。貴女も、幸せになれるといいわね」
「っ……う、うるさいっ……!」
絵璃菜の声が震えていた。
誇りは砕かれ、誰の目にも、それが明らかだった。
でも、彼女はそれでも負けを認められないようだ。
その様が──むしろ哀れに映った。
「……あんた。よくも、よくもあんな……!」
式が再開して間もなく、声を荒げたのは母だった。
絵璃菜をかばうように立ちふさがり、私を睨みつける。
「妹の晴れの日を台無しにして……! 姉として恥ずかしくないのか! 妹を立てる為に一人で来てもよかったじゃあないか!」
その隣では父が小さく顔を覆っている。
かつて娘の優秀さに誇りを持っていたはずの男は、何も言えない。
「そうよ! 少しは気を遣えないの!? あんたは昔っから本当に……」
「私は恥ずかしい! そんな娘に育てた覚えはないぞ!」
「ねえ、父さん母さん。私が朔を“連れてきた”と思ってるの?」
「……は?」
「違うよ。あの人が、“私に付き添って来た”の。私は呼んでない。でも、どうしてもって言ってくれて……それだけ」
「そ、そんな……じゃあ、まさか……!?」
その場にいた誰もが、その言葉の意味に気付き始めていた。
紫龍の当主候補にして、最高位の神。
誰もが畏れる存在が、たった一人の“人間の女”に付き添ってきたという事実。
「っ、な、なんてこと……!」
式場の空気が揺れる。
ざわめきは広がり、さっきまで絵璃菜を褒めそやしていた友人たちも、そっと一歩引いた。
──そして、絵璃菜がそれに気づく。
「……いや、違う、違うの! あたしは、選ばれたの! 神の花嫁に! こっちが格上なのよ!!」
必死に叫ぶその姿は、哀れでしかなかった。
「格、か。自分の旦那をアクセサリーか何かかと思ってないと出ない言葉ね」
妹の旦那──蒼紘はそんな妹に冷ややかな視線を送っている。
「そうよ! 男なんて私を飾る為の道具でしかないわ! なのに姉さんなんかがそんな人から……ずるい! 私と取り替えてよっ!」
半狂乱になる絵璃菜に、その場の全員が引いている。
その時、蒼紘が冷ややかに言う。
「絵璃菜、もうやめよう。……君は、間違ってる」
「は? アンタまで何言ってんのよ!」
「……彼女が本当に“上”かどうか、もう分かっただろ。僕たちは、分不相応なことをしてしまったんだよ」
蒼紘は静かに頭を下げ、式場から立ち去る。
絵璃菜は何か叫んでいたが、誰の耳にも届いていないようだった。
──しばらくして、祝福の鈴の音が鳴り響いた。
しかしそれはもう、誰のための音でもない。
空気だけが、虚しく鳴っていた。
「私たちも帰ろうか」
「あぁ、そうだな。……夜に食べたいものでもあるか? どこのディナーでも用意させるが」
「家でゆっくりしたいな。今日は私が作るよ。おうどんでいい?」
「君が作ってくれるなら、なんでも喜んでいただくよ」
──そんな他愛ない話をしながら、私たちはその場を後にする。
チラと後ろを振り返ると、そこにはたった一人で座り伏す絵璃菜の姿があった。