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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

天秤は傾く~二度冤罪で死んだ令嬢はこれ以上の巻き戻りを望まない~

作者: 高瀬あずみ

主人公の一人語りとなります。

冒頭から死ぬ表現があります。

さっそくの誤字報告ありがとうございます。こんな恥ずかしい誤字をしでかすとは。




(どうしてこうなってしまったのかしら。わたくしはただ、幸せになりたかっただけなのに)


 もう声も出ない。不自然な方向に曲がった身体の下に広がっていく赤い染み。襲い来る痛みに意識さえ保ってはいられない。ここでまた自分の命は潰えてしまうのだ。塗りつぶされていく。黒く、黒く。視界も意識も未練も悔しさも、何もかもが。そして―――。


(ああ、わたくしはまた、巻き戻ってしまったのね)

 わたくし、シルヴィア・フォン・コースフェルトは三度目の五歳の誕生日を迎えることになった。





           ◇◆◇◆◇◆◇





 ダールグリュン国の筆頭公爵家の娘として生まれたわたくしは、両親から厳しく言いつけられて育った。公爵家の益と誉となるように最高の淑女たれと。いずれ夫となる相手が決まったら、その人物に従順たれと。身体に叩き込まれたマナー。ごく幼い頃から厳しく施された教育。そこには一切の温かさはなかった。


 七歳で二歳上の王太子、第一王子のアルフォンス殿下との婚約が決まり、交流と王太子妃教育が始まる。

 殿下は幼い頃から傲慢で気分屋なところのある方であったが、わたくしは両親の言いつけ通りに殿下に従順に従った。どうやら最初からわたくしがお気に召さなかったようで、理不尽な言いがかりで責められる事も多かったが、反論することは当然許されない。家族すら殿下に口答えすることなどあってはならぬと言うばかり。


 アルフォンス殿下は十五歳を迎えたあたりから、様々な女性を近くに侍らせ、わたくしを軽視されていく。殿下の公務もその頃には少しずつ増えていたが、面倒な書類仕事を押し付けられるばかりで交流もほとんどなくなった。殿下が必要な教育からも逃げられる為に、わたくしの王太子妃教育はいつしかほぼ王太子教育の様相を呈していく。


 教育と殿下の仕事の肩代わりに追われ、気が付けば親しい友人もおらず、家族とすら疎遠。それでも文句も言わずに、ただじっと耐える日々が続く。公爵家の娘として恥じぬ振る舞いを、殿下の婚約者に相応しい淑女であることを、殿下の代わりができる程に優秀であることを望まれて。

 望まれることから外れることが怖かったから、内心の不安を常に微笑むことで押し隠したまま。


 殿下とはわたくしが十八になれば婚姻することが決まっている。それまでどれだけの数の女性と遊ばれていても、殿下の正妃になるのはわたくしであり、その頃には殿下も大人になられて、夫婦となればきっと心を通わせられるようになると、願うしかなかった。




 けれど忍耐の日々は結局、報われぬままに終わった。突然に突きつけられる婚約破棄。その理由付けのために掛けられた冤罪。さすがにこれには素直に従うわけにもいかずに抗議しても聞き入れられることはなく。家族に救いを求めても拒絶され、切り捨てられた。何故か貴族牢ではなく一般牢へと入れられ、ろくな食事も与えられなかったことで、わたくしはそのまま衰弱して果てたのだ。


 わざわざ牢にまで来られた殿下は嘲笑された。ずっとわたくしが気に入らなかったと。こんなつまらない女と婚約させられて自分はずっと不幸だったと。王命での婚約を覆すためにわたくしに罪を被せたのだと。これで邪魔者がいなくなると。もはや声も出せぬほど弱り切っていたわたくしの前で楽し気に告げられた。何ひとつ救いを与えもせずに。


 悔しいとか恨めしい以前に、ただひたすらに悲しくて、そして孤独だった。わたくしは親の、国王陛下の、殿下の、世間の、それぞれから押し付けられる要望に必死で応えていただけなのに。こうして死に追いやられるほどの罪がわたくしにあると言うのか。けれど、そんな疑問に答えてくれる人もないまま、わたくしの命の灯は消え、そして―――。



 二度目の五歳の誕生日に目覚めた。




           ◇◆◇◆◇◆◇




 しばらくは何が起こったか理解できなかったが、自分が十七歳で死んだ意識を持ったまま、五歳の身体に蘇ったことを受け入れぬわけにはいかなかった。

 言動は当然、五歳のものではなくなって、周囲の侍女たちには訝し気に見られたが、それだけだ。ずっと仕えて来た公爵家の娘であることは間違いなく、誰も直接問いかけられる立場になかったから。両親と顔を合わせることは元々少ないので、そちらにも知られて不審に思われることもなかった。


 貴族の娘というものは、未婚であれば家長である父に。婚姻後には夫に従うものだ。逆らって生きていけるような社会ではない。なのでわたくしは少し醒めた目で自分の立ち位置を眺め、絶望した。以前と違った意識があったところで、幼いわたくしに抵抗のしようもないまま日々は流れ、再び七歳で殿下との婚約が結ばれた。



 最初と違うことは、必要な教育はすべて終えているということだ。教育に充てられるはずだった空いた時間を、わたくしは人と関わるために充てた。冤罪を掛けられても味方でいてくれるように。冤罪を掛けられる隙を無くし、常に誰かと行動を共にした。


 殿下との関係はしかし、前回よりも悪くなった。図らずも優秀すぎる婚約者となったわたくしが気に障ってしまったのだろう。関わると暴力まで振るわれるようになったのだ。けれど意識と記憶に十歳の差があれば、行動を予想して躱すこともできた。

 その気になれば、殿下の気に入る風に今度は振る舞えたかもしれない。けれど、死にまで追いやった人間に、どうして歩み寄ろうと思えるだろう。譲歩ならば前回でし尽くしたのだから。


 そんなわたくしに、殿下は憎しみさえ抱かれるようになり。年々、悪意を増した危害として現れていった。


 ひとつは、毒。最初は気分が少し悪くなる程度のものが徐々に強いものとなり。十五歳になる頃には明らかに致死性の高いものが投与されるようにまでなった。

 ひとつは、暴行。自身で背中を押すだとか足を掛けるところから、他者に命じて暴力を振るわせる方向へと育った。腕や足を使わせての暴行はやがて刃物が登場し、憎悪は隠せないほど膨れ上がっていくばかり。


 毒の場合は、殿下の態度でそれと察せられたので、ありがたく証拠として確保。暴行についても予想はできたので護衛を増やし、かつ身辺が不穏であると国王陛下に願い出て、影を付けてもらった。その両方の証拠を持って陛下に訴え、殿下に異常なまでの婚約者であるわたくしへの殺意があることを明らかにした。

 あまりにも行き過ぎた殿下の行動は、さしもの陛下も見逃すことができずに、婚約は解消。さらに殿下の継承権の剥奪と幽閉が決定されることになる。まだわたくしが十六歳にもなっていないうちに。




 公爵家からも強い非難を浴びたためか、国王陛下はわたくしを第二王子バルタザール殿下の婚約者へと挿げ替えられた。

 バルタザール殿下は、国王の愛妾の子だ。王位継承権はあるものの、側妃にもなれぬ身分の生母を持つことから、第一王子が国王になれば臣籍降下して生母の実家である子爵家を継ぐ事になっていた。その為、彼には将来的に同格になる子爵令嬢が婚約者として充てがわれていたのだが、繰り上がって王太子とされたため、婚約が見直された形だ。


 アルフォンス殿下に比べるとバルタザール殿下は優しかった。ずっと兄の所業に胸を痛めていたと言って労ってくれたのだ。アルフォンス殿下の性格であれば彼もまた被害者であったと思われる。実際に悪口雑言に晒されているのを何度か見かけてもいた。


 彼は王位に就く予定ではなかったので、当然、教育が足りていない。それを補助する意味もあってのわたくしとの婚約。それでも、努力する事を兄よりは知っていた彼は、厳しい教育に必死でしがみついており、成果が見られるようになるまでにそうは掛からなかった。

 バルタザール殿下とは穏やかに交流し、時に助言もして、良い関係を築けているとそう感じていた。今度こそ幸せになれるのだと。




 けれど。わたくしはまたしても婚約者に陥れられてしまったのだ。

 油断はあったかもしれない。バルタザール殿下は常にわたくしに親切であったし、気も遣って大事にしてくれていたから。愛されているような錯覚が芽生えており、すっかり信じてしまっていたのだ。

 しかし、婚姻まであと半年に迫ったある日、わたくしは殿下に勧められた酒を何の疑いもなく飲み、意識を失った。目覚めた時には見知らぬ男性と二人きりで部屋に閉じ込められており、実際には何もなかったのに、その男性はわたくしと関係を持ったと偽証してのけたのだ。


 誰もが、わたくしが不貞をおかしたのだと信じた。わたくしの主張を偽りと決めつけて。一度目の反省で築いたはずの信頼は紙のようにただ塵となった。そしてわたくしはふしだらな女の烙印を押され、王太子の婚約者から外されてしまう。


 それでも無実を訴えるわたくしに、最後だとふたりきりになった際、バルタザール殿下は恨み節を述べた。望まぬ王位継承。望まぬ婚約者の挿げ替え。彼は元の婚約者と結ばれる為にわたくしを貶めたのだと。彼女だけを愛しているから、わたくしを油断させ信頼させて、その機会をずっと窺っていたのだと。


 わたくしは軟禁場所より何とか逃げ出し、神殿に保護を願った。わたくしが乙女であることの証明が神殿でなら可能であるから。しかしここにもバルタザール殿下の手は既に回っていた。今度は神官が偽証をしたのだ。


 絶望のあまりわたくしは、神に証明してみせると回廊から祭壇に向かって身を投げた。かつてそうやって己の純潔を証明した乙女の伝説に倣って。けれど伝説のような奇跡は起こらずに、置かれていた燭台に貫かれてわたくしは絶命した。




           ◇◆◇◆◇◆◇




 そして三度目の五歳の誕生日へと巻き戻ってしまったのだ。


 流石にもう懲り懲りだと思った。わたくしを陥れる王子たちのどちらとも縁を繋ぎたくなどない。行動原理がそっくりな自分勝手な兄弟とは。

 どうあっても、王家との婚約から逃げねばならない。一度目は婚約することを素直に受け、二度目は幼く抵抗する術がないと諦めた。では、三度目は?


 そもそも、二回の死に戻りは何故起こったのか。誰に話しても信じてはもらえないだろうけれど、わたくしは覚えている。従順であるだけでは救われなかったことを。正しくあろうとして貶められたことを。信じた未来を取り上げられたことを。そして、裏切られ罪を着せられて迎えた苦しく虚しい二度の死を。決して忘れはしない。




 公爵家に所蔵されている書籍は代々増え続けて膨大なものだ。わたくしは書庫に籠って手がかりを探した。奇異の目で従者たちに見られたところで、公爵令嬢に彼らは唯々諾々と従うしかない。例え両親に告げられたとしても、自ら本を読むことを咎められるおそれもなかった。

 必ずしも書物の中に答えがあるわけでないと分かってはいたが、だからと言って人に聞いて回ることもできない。聞いたところで、誰が答えを知っているというのか。可能性というのであれば、神殿だろうが、二度目の死のせいで近づきたくもなかった。



 そして偶然にも、埋もれていた二百年前の先祖の覚書に辿り着くことができた。公爵家の祖となったかつて王弟であった人物の。血筋の者でなければ見つけられない書庫内の隠し部屋で。


『王国の危機を回避せんと、時の精霊の天秤は傾く』


 その人物は、わたくしと同じように何度か死に戻ったことを暗示する文章と共に、こんな一文を書き残していた。


 時の精霊。

 この国の建国時に王と契約を交わしたと伝えられる超常の存在。その契約内容を知る者はおそらくもう誰もいないだろう。だが先祖の覚書にはその契約が血に刻まれていることが記されていた。彼は身をもってそれを知ったとも。


 我が公爵家には何度も王家の血が入っている。三代に一度は結ばれる婚姻。わたくし自身にもまた、王家の血は流れているのだ。それも、かなりの濃さで。ならば死に戻った原因は時の精霊にあるに違いない。時を巻き戻すなど、人に可能な技ではないのだから。


 時の精霊の天秤は二度も傾いて、わたくしを死から巻き戻した。それは、わたくしの死が王国の危機に繋がっているということではないだろうか。



 一度目にわたくしが牢で死んだ後を考える。

 あの横暴なアルフォンス殿下は望んだ女性と婚姻し、王座に就く。そして誰も逆らえない権力を振るうだろう。おそらくは暴君と呼ばれる存在となって。きっとわたくしで成功したからと、目障りな相手に次々と冤罪を被せると容易に想像できる。だが、その先に未来はあるだろうか? 誰もが我が家のように被害者を切り捨てるわけではない。残された者の憎しみは王座に向くだろう。そうして誰かが悪逆な王を討ち―――。


 二度目にわたくしが神殿で死んだ後を考える。

 優しい穏やかな仮面を被ったバルタザール殿下は、かつての婚約者を王太子妃に望むだろう。けれど、貴族たちがそれを素直に受け入れるわけはない。身分の低い母から生まれた王子が身分の低い娘を妻にするなど。きっと高位貴族の手によって、令嬢は消されてしまう。それによって、王太子と貴族の間に亀裂が入る。だが後ろ盾を持たない王太子では、高位貴族のすべてを敵に回してしまえば、その先はない。



 どちらの王子とも、わたくしは良い関係を築くことができなかった。二人ともが最初からわたくしを嫌い、疎んでいたのだから、何度死に戻っても改善できるとは思えない。わたくしの死後に破滅したであろうことを予測はできても、その破滅を早めるのが精々だ。


 では、わたくしの生きる意味は? 時の精霊がわたくしの死を良しとはせずに引き戻すほどだ。そこには意味がなければおかしい。


 覚書を認めたご先祖ならば分かる。最初、彼は兄と王位を争った。そして破れて死んだが兄も死んだ。次に彼は勝って死んだが負けた兄も死んだ。勝っても負けても両者共に死ぬことになったからこそ、争わぬ道を、自らが引くことで共に永らえる道を選んだのだ。

 王位を巡る争いで血族が絶えるのは、国の危機だと分かりやすい。

 しかし、実の両親にも冤罪を掛けられたと訴えても切り捨てられたようなわたくしに、二度も婚約者から裏切られた愚かなわたくしに、どんな価値があるというのか。




 ふと、最初のアルフォンス殿下との婚約時代に聞いた話を思い出す。

 わたくしが生まれてすぐに、国王陛下は父にアルフォンス殿下との婚約を打診してきたのだという。当時、我が家にはわたくししか子供がおらず、さすがに父も嫁に出すのを渋ったのだそうだ。七年後に婚約が成立したのは、弟が生まれたから。それまでアルフォンス殿下の婚約者を陛下は定めず、あくまでもわたくしを第一候補にしていたのだと。


 陛下は何故、そこまでわたくしを王太子の婚約者にすることに拘っておられたのだろう? 二度目にアルフォンス殿下が失脚した後も、すぐにバルタザール殿下との婚約を結ぶよう王命を下された陛下は。


 たしかに、我が家は王家の血も濃い筆頭公爵家である。言ってみれば王族のスペアだ。けれど我が国には他にも五つの公爵家があるのだ。その下には十家の侯爵家が。そしてそれぞれの家に、年齢的にも釣り合う令嬢たちが生まれている。現にアルフォンス殿下が選んだ女性も侯爵令嬢だった。

 我が家にも、わたくしにもそこまで拘る必要はないように思う。しかも王妹であった祖母の降嫁があったのだから、両家の繋がりは十分だ。王家にも我が家にも、わたくしを将来の王妃とする強い理由はないはずなのに。我が家の権勢は王家に次ぐ。後ろ盾にするにせよ、王家の威信は緩んでもいないこの状態で、一家にのみ拘るのは他の貴族家の不満を煽るだけの愚行ではないのか。




 文字を追うことに疲れて顔を上げると、書庫の壁に掛かる鏡が目に入った。そこにはまだ幼いわたくしが、年齢に似合わぬ厳しい表情で映っている。その瞳は王家の血を引く者に現れるという黒金。黒い目なのだが瞳孔が金色という特徴がある。鏡を見ているうちに記憶が刺激された。


(陛下と殿下方はそう言えば瞳が黒金ではない―――)

 必ずしも王家の人間だからと言って、黒金の瞳を持って生まれるわけではない。母方の瞳の色を受け継ぐこともあるのだ。それでも過去の歴史では、黒金の瞳を持たぬ者は王位を継げぬとされていた時代もあったと、王太子妃教育で教わった。


 病がちであったという先王陛下は黒金の瞳の持ち主だった。わたくしが生まれる前に亡くなっておられるので直接お会いしたことはないが、いくつか肖像画が残されている。王家の血は強いのか、他の色の目を持って生まれても、また子供の代で黒金の瞳が出るのだという。二代続けて黒金でないというのは、過去の記録にはなかった。


(現在、黒金の瞳を持っているのは我が家の者だけ。引退されたお祖父(じい)様と王女であったお祖母(ばあ)様、その間に生まれたお父様、そしてわたくし。まだ生まれていない弟も。国王陛下は、王家に黒金の瞳を戻したかったから、わたくしに拘っておられた? それよりも、もしや―――)


 脳裏に閃いたのは不敬極まりないこと。

 先王陛下は生まれながらに病弱で、そして長くお子様に恵まれず、正妃様との間に現国王陛下がお生まれになるまで婚姻から十年かかったという。もしも国王陛下がお生まれにならなければ、その時は父が玉座に就くことになったはずだ。だがそれは、正妃様とそのご実家からすれば面白くもない話。


(托卵―――)

 その可能性。


 この考えが仮定でなく事実だとしたら。そしてそれを国王陛下がご存知であったのならば。

 鏡の中のわたくしの顔はすっかり血の気が引いていた。



 実の所、七歳下で生まれた弟は、先王陛下のように病弱だった。弟が子を儲ける前に死んでしまえば。もしくは、あの子はよく熱を出していたから、そのせいで子種がなかったとしたら。わたくしが死ねば、王家の血が絶えることになる―――?


 血筋が絶えれば、精霊との契約は失われてしまうだろう。例え今、それを信じる者がいなかったとしても。わたくしの死を精霊は許さないだろう。この先何度でも、繰り返し死に戻らされるに違いない。

 現状を考えると、王位に就かずとも、血脈が続いていれば精霊はそれで良しとしているようだ。ならば、わたくしの選択はふたつ。


 公爵家を継いで血を保つ。

 もしくは。

 血筋の正統性を以て、王位に就くこと―――。



 弟が生まれなければ、そもそも王家との婚約はならなかっただろう。

 生家よりも王宮で過ごすことの多かったわたくしは、二度とも弟との関係は希薄に終わった。

 わたくしにはあれ程に厳しかったのに、身体が弱いこともあって甘やかされていた弟。そこには小さな忸怩たる思い―――嫉妬があった。殺したいと思うほどではない。憎しみと呼ぶにも足りない感情に過ぎないが、自分の命を優先するならば、わたくしにはできるだろう。弟を亡き者にする選択も。


 けれど、生まれてこないようにすることはもっと簡単だ。


 二度も受けることになった王太子妃教育。命を狙われることも少なくない王族に嫁すのだ。当然、そこには毒などの知識も含まれる。

 王家の家系図などを見ていても分かるのだが、正妃のみしか娶らなかった国王は少ない。ここ五代ほどでは先王陛下おひとりだけだ。正妃は後宮の主でもある。適切に側妃や愛妾を管理することも仕事であり、王族として生まれて来る子供が増えすぎて、王位を巡っての争いにならぬよう管理の名目で処置することもあるのだ。地位、立場、愛憎、利益……理由などいくらだって見つかる。

 そう。毒でなくとも妊娠し辛い身体にすることはできるのだ。身ごもったとしても流産させることも。そしてそれは案外身近なもので引き起こせるという知識も持っている。


 二度の人生、母という人物と関わった記憶はほとんどない。おそらく娘に関心がなかったのだろう。求められるのは後継たる男子を産むこと。それが貴族女性に望まれる一番の仕事でもある。外れである娘なぞ、さっさとどこへでも嫁げばいい存在でしかなかったのか。記憶の中の母は、常に自分の立場を保つべく動いていた保守的な人だ。それでも三度目の今のわたくしはまだ五歳。母を恋しがって纏わりつくことは不自然ではないだろう。あまりにも邪険にしすぎれば悪評が立つ。適度にあしらわれるその最中に細工をする隙も見つかるに違いない。実行すれば弟が生まれてくることもなく。そうすれば公爵家の後継となるのはわたくししかいなくなる。



 だが、それで良いのだろうか?

 二人の王子のどちらとも関わらずに、公爵家に婿を迎えて子を生して。それはわたくしにとっては一番穏当な人生になるはずだ。

 けれどそれでは。性根の腐った王子が王位に就くことを傍観しているだけだ。どちらが玉座を得ても、国が荒れる未来しか予想できないのに。そしておそらくは、我が家は巻き込まれる。王位に相応しくない彼らの所業によって。きっとそこでまた死に戻る予感がする。


 そして、わたくしの推測が正しいのであれば、国王陛下は素直に息子たちを王位に就けるだろうか? わたくしという伴侶もなしに。

 ならば、わたくしの取るべき道は―――。





 わたくしは覚書を持って、書庫を後にする。これから味方にしなければならない人物に会いに。隠居した前コースフェルト公爵夫妻。わたくしの祖父母。降嫁した王女とその夫。

 彼らはわたくしを信じるだろうか? たった五歳の孫娘が年齢にそぐわぬ発言をしても。だが信じさせなければ何度でも天秤は傾く。何度でもわたくしは死に戻る。それを思えば、祖父母二人を信じさせるくらいのことができなくてどうするというのか。


 祖父母を選んだのには理由がある。二人が共に王家の血を引いているのに加えて、祖母が降嫁の際に国宝を賜っていたのを知っていたから。王家の者が身に着けねばただの石にしか見えぬ精霊の宝石を。それを使えばわたくしの推測の正誤を明らかにすることができる。

 仮定が証明された場合、国王陛下であればきっと―――。




           ◇◆◇◆◇◆◇




 ダールグリュン王国では、フェルディナント王の代に相次いで二人の王子を事故で失う。それに伴い王家はエッゲブレヒトからコースフェルト王朝へと速やかに移行した。

 コースフェルト王朝初の王となったのは女王シルヴィア。王国史上初の女性君主。黒金の瞳を持つ端正な容姿と、年を重ねた賢者の如き知謀でもって、王国を更なる発展へと導いたと同時代でも歴史学者にも評価は高い。


 そんなシルヴィア女王が謎めいた言葉を残している。

「これ以降、時の精霊の天秤は傾かず」

 建国伝説に言及したのだという説が有力であるが、その真意までは後世に伝わっていない。

 女王の時代から代を重ねた今も、黒金の瞳を持った王が君臨するこの王国には。



4月26日、一部文章の書き換え。

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― 新着の感想 ―
祖母が降嫁の際に賜っていた国宝、怪しいすね。 絶対確保してなきゃならなかったのに持たせて外に出した理由、まともなパターンとまともじゃないパターンが想像されますが、前者は薄いこじつけしか思い付けませんで…
短編かつ、主人公の一人称から印象としては、死ぬことさえも許されない。どこまでも追い詰められた姿にしか見えずどこかかわいそうな姿にも見えました。 最後に出てきたセリフは自分自身に対してもう死んでもやり…
ミトコンドリアが重要だとしたら母系が大事ですね。
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