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普遍的な幸福の大河

 「幸せ」って何だろう?

 おいしい食べ物をたくさん食べることかもしれないし、健康に長く生きることかもしれないし、男性ならば多くの若く美しい女性と肉体的な関係を体験することかもしれない。


 そして、幸福な人生を体験するためには、恵まれない環境に生まれるよりも恵まれた環境に生まれたほうがいいよね?

 親から精神的な虐待を受けないほうがいいし、経済的収入の金額の大きい裕福な家庭に生まれたほうがいいし、安全な国に生まれたほうがいいし、良い学校に進学したほうがいいし、大きな会社に就職したほうがいいよね?


 人間は動物の一種であって、若い頃にほど脳には柔軟な学習能力があるから、環境は大切だ。そして、環境には大きな差がある。

 例えば、特に恵まれた家庭なら、親は人格的に健康だし、両親も祖父母も大きな人脈を持っているよ。そして、小さな頃から、いろんな土地に旅行できるだけではなく、様々な大人達との交流を積み重ねることができる。そうすると、ものすごく安定的な価値観の基準を自分のなかに形成することができるし、自己肯定感を持って長期的に努力を積み重ねることができるよ。

 逆に、周囲にいる人が人格的に大きな短所をかかえた人ばかりで、それ以外に社会的な交流もなく自宅で退屈しながら時間を潰しているようだと、常識的な価値観の基準を形成できない。完全な異常者から理不尽な否定を日常的に浴びつづける環境で育つと、何をするにも恐怖が先立つことになる。客観的に見ればまったく正当な行動や思考を行っていても、本人から見れば、自分の行動や思考の妥当性が非常に不安になる。夢を持って努力しても、すべて奪われ嘲笑されると、努力を重ねるエネルギーすら枯渇していく。

 精神的な側面についてまずこれだけの格差があるわけだけど、学校によって受けられる教育の質はぜんぜん違うし、会社によって受けられる研修や体験の質もぜんぜん違う。


 でもその環境格差を、本人の性質に由来する因果、つまり自己責任だとゆがめて認知する人は多いし、事実を指摘する反論を受けても、「努力しない言い訳を探してるだけでしょ」って鼻で笑う人間も多い。なぜなら、マウンティングは人間という動物の本能の一つだから。

 「人を馬鹿にして笑う」という行為は、知性に恵まれなかった者達において必ず顕著に現れてくる。なぜなら、理性が少ないほど人の思考は動物性に回帰するから。

 だから、人間の社会は当たり前に不平等だけど、その事実への認識となるとまったく当たり前ではないという、ちょっと変な状況になる。


 そのような格差社会で、動物としての幸福を追求することって、何だろう?

 例えば、刹那的な快楽を追求する男性が、女性を騙せば、常識的には最低だよね? 思いやりがあるふりをして近づき、相手の人格を尊重しているかのようなふりをして近づき、実際には物としてしか思っておらず利用して、相手がどんなに傷つき苦しんでいても平気で忘れ去る。

 でも、私利私欲で割り切るなら、「騙し合い」が人間関係の基本だっていうことになるよ。騙された側が馬鹿、という理屈が成り立つ。ひいては、そんな冷淡さを完成させていくことを、「大人になっていく人格的な進歩」として本人は肯定する。そこではもはや、共感的な人格をナイーブな未熟としてあざ笑うことになる。

 だから、優れた理性は必ず、肉体的な価値を否定する発想に傾いていくんだ。


 だって、肉体的な価値の追求は、絶対的な必然として、道徳的な短所を含んでいるから。

 私的な肉の喜びを求めることが必ず罪を内在させているというこの方程式を、理性は必ず知ることになる。

 ここで「肉の喜び」とは、肉体関係だけではなく出産や子育てを含むし、食事の楽しみや長寿への願望を当然に含んでいるよ。

 ほとんどの人達はこの方程式に到達せず、知性を必要とせずに動物として直感できる肉体的な欲求と、それが充足することによる幸福を追求することを繰り返して人生をまっとうする。もちろん多くの人には一定程度の道徳的な共感の感情もあるけど、基本的な動物性に多少のノイズを生じる程度だと言ってしまえる。


 逆に、その動物性を超越すると、「死」にも価値を見るようになる。

 不正義に覆われている世界にあって、「戦って死ぬ」ことの美しさを感覚できるようになる。

 これが二枚目のカードなわけだけど、素朴な意味での「幸福」のイメージとは、ニュアンスが明らかに変わってくるよね。単なる安寧や利益というニュアンスではないし、良い学校や良い会社に所属すれば得られるという性質のものではまったくなくなる。


 とは言っても、常識的に言えばバランスが大切だということになる。社会正義にもよく配慮しつつ、自分自身の幸せも追求して人生とキャリアを設計するのが合理的だという建て前になる。

 しかし、知性は、高みに登るほど、肉体的な価値つまり世俗的な価値に限りなく小さな価値しか認めなくなっていく。大河のように大きく流れる普遍的な価値として正義を感覚するようになっていく。

 つまり、理性は人を超越者にする。それが主観する世界は、常識的な大多数の人達からは決して理解される可能性のないものだ。

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