故き思い
公園のベンチに座り込み、あたりを見渡すのが趣味だ。
公園の真ん中で大きな木が力強く成っていて、それを囲む様に林が広がる。
そして、子どもたちがはしゃぎまわるのを見て、心がほっとする。
空を見上げると、雲が黙々と流れていって、少し目をそらすと、雲一つない晴天となることもあった。
目を閉じると、もっと気持ちが落ち着く。
子供達の声、大人たちの面会、かすかに聞こえる車、鳴く鳥、葉と葉がぶつかる優しい音。
単体じゃあまり成り立たないが、全てが合わさると、オーケストラとなる。
だが、一番美しく聞こえたのは、自分が小さかった頃だ。
なぜなら、僕もそのオーケストラの一人だったからだ。
かつて公園に遊びに行くとき、毎回そのオーケストラが鳴り止まなかった。
子供も大人も、ただ滑り台を滑るだけで楽しんでいた時代。
こども達は誰とでも遊ぶから、友達があまり居ない僕にとって嬉しかったことだ。
毎日、ソシャゲのガチャと同じで、人のラインナップが変わる。
ソシャゲと違うところは、被りが出ると、いつも以上に喜ぶことだ。
しかし、ある日から、あのオーケストラに少し異変を感じ始めた。
来る日も来る日も、その異変が怪しくて、同仕様もなかった。
そして、途中で、気づいた。
あのオーケストラはフィナーレを迎えていってることを。
知る人より知らない人の顔が増え、人が居ても、声を時々にしか上げない。
大体は、DTMでオーケストラを作るようになったのだ。
かつて、子供で人気の駄菓子屋も、客が減り、存在感が薄まった。
それでも、僕は、かつて鳴り響いてたオーケストラの音色を出そうとした。
しかし、それに答える楽器は無かった。なんせ、僕はアナログだから。
そうこうしてると、いつの間にか、僕もDTMを始めた。
今じゃ何も感じない。でも、あのオーケストラを弾いてたときが一番楽しかったと思う。
こう過去を思い出すと、目の前に特殊なメガネを掛けた子供が二人現れ、
その二人を見守るかのように、ロボットが立っていた。
やはり、彼らも変わった音色を持っていた。
どこに、どこに行ったんだ、あのヴィオラ
どこに行ったんだ、あのテューバ
どこへ行った、あのクラリネット
どこだ、あのティンパニー
あのピアノは?
どこに行った、あのオーケストラは。
彼らは、再生音色を鳴らし続けてる。
ここで言いたいのは、私達は情報社会に浸透してることだ。
これは別に悪いことではない。
でも、一旦この詩を見るの止めて、外の景色を見てみ。
なにかを忘れてないか?なにか、大事なことが