7 ショッピング
本日2話目。
遠目から見ると取り囲まれているように見えるジョシュア様だが、近づいてみると、勇者様たちの足はどうやら動かないようだ。
この場から去りたいのに足元が凍りつき去れず、笑顔を硬直させたままほとんど反応のないジョシュア様に涙を浮かべながら話しかけていた。
なんだろうこれ。……地獄?
勇者様たちの心情を考えると、一刻も早くこの地獄から救ってあげなくては、と同情心が募る。
同時に彼のその無表情顔に、目が緩む。
──本当に無表情だ。なんだか懐かしい。
「ジョシュア様」
勇者様がた……いえ、ご令嬢たちの後ろから声をかけた私の声にピクリと反応し、氷の視線をスッと上げた。
春になり雪が溶けていくように、ゆっくりと表情は温かみを帯び、ふんわりと花が咲くように私を見つめ微笑んだ。
「アメリア!」
令嬢たちをかき分け、私に飛びついたジョシュア様は、まるで家と同じだ。
彼が変わる瞬間を目にした令嬢たちは、これ以上は目が開かないだろうと言うほど限界まで目を大きくしている。
「アメリア、そろそろ帰ろうか」
「そうですね。もうよろしいのですか?」
「席を外した殿下を待っていただけなのだが、言付けを頼むことにする。もう帰ろう」
腰に添える手にギュッと力を込めたため、完全に密着して寄り添う形となってしまった。
「歓談中だったのではないですか? お邪魔してしまい申し訳ありません」
「……いえ! まったくお邪魔などではございませんっ」
若い令嬢たちはポソッと「むしろ、ありがとうございますっ」とこちらを神でも拝むようなキラキラとした瞳で見つめている。
令嬢たちは去りながら「やはり挑むべきではなかったのよ」「遠くから目の保養をするのが一番ですわ……」「……魔王様、本当に怖いです」とコソコソ話す声が聞こえた。
ジョシュア様を見上げると、どうした?と言うようにニコッと微笑む彼。
どうやら本当に私専用らしいこの笑顔に、ドクドクと胸は高鳴り頬は熱くなる。
同時に──なぜ私だけにこんな対応をするのだろうかと、どこかで引っかかっている。
少し遠くから見ている年配の方達は面白そうに笑う人や、微笑ましいものでも見るかのように目を細める人もいて、私たちは挨拶をして会場を後にしたのだった。
「さすがウォーカー家。ジョシュア卿は違うかと思ったが、同じ道を辿るか」
「まさしく。俺は三十年近く前に同じような光景を見たぞ」
「なにを言っとる。わしなど五十年前にも同じ光景を見とるわ」
「…………だが、ここまで酷くはなかったな」
ドアを見つめ、遠い目をする男性陣であった。
私たちが帰った後、こんな会話がなされていたことは──もちろん知らない。
◆◆◆
夜会から一週間後。
私たちははじめて買い物に出てきた。
ジョシュア様からたくさんいただいているプレゼントのお礼に何か贈り物をしたいと思い、外出許可を求めた。もちろんプレゼントなのだからサプライズで贈りたい。
「少しお買い物に行きたいのです。外に出てもよろしいですか?」
「危ないからダメだよ。ここに呼べばいいだろ?」
「持ってきてもらったものではなく、自分で見にいきたいのです」
「……なにが欲しいんだ?」
「それは……」
「なに? 俺に言えないもの? アメリアのためならなんでも買ってあげるのに」
ムスッとするジョシュア様は、膝の上の私をぎゅうぎゅうと抱きしめ、どさくさに紛れて頬や首すじなど至るところにキスをし始めてしまった。
一人で買い物に行くわけではないし、侍女のアニーはもちろん、護衛だって連れていくつもりなのに彼はキスをやめてくれない。
「なにが欲しいのか言わないと、キスやめないよ?」
「……ちょ、っ……ぷ、プレゼントですっ! ジョシュア様に贈るプレゼントをっ! 買いたかったんですっ!」
恥ずかしさのあまりすぐさまペロッと喋ってしまった私は、きっと諜報員には全く向いていないはずだ。
「俺に? アメリアが俺にプレゼント?」
パァッと顔を輝かせた彼の背景には花が舞っているし、結局自分も行くと言い出し、一緒におでかけとなったのだった。
公爵家の馬車に乗り込み、またしてもガタガタした振動が抑えられたゆりかごのような馬車にホワホワしてくる。
「ジョシュア様。この馬車の乗り心地が最高過ぎなのですが、この馬車はどちらで販売されているのですか?」
きっと販売なんてしていないんじゃ、と思っているが。
「あぁ、これは少し前に完成したばかりで、今後うちの商会が販売することになっている。殿下にもお渡ししたよ」
「今後販売するのですか!?」
なんと! みんなのお尻を守れるではないか!
しかもやはり開発している。
「といっても、なかなかの高額になるだろうけど。アメリア、この馬車気に入った?」
「はいっ! もちろんですよ! 普通の馬車でもさすがにもう酔うことはありませんが……全体がガタガタと強烈な振動を起こし、まともに喋ることすら叶わず舌を噛みそうでお尻は痛いし、頭が揺れすぎるせいで地面に到着した時など自分が揺れているのか地面が揺れているのかわからなくなります」
今までの馬車の欠点を延々と早口でつらつらと述べ、かつこの馬車がどれだけ素晴らしいかを力説した。
「その点この馬車は揺れが最小限に抑えられているにも関わらず、ほんのり感じる揺れはゆりかごのように柔らかくお尻も痛くなくこのまま私は眠ってしまえそうなほどに心地よいのです!」
「──はははっ!! そんなに気に入ってくれたのなら開発した甲斐があった!」
軽やかに声をあげて笑いながら、正面に座っていたジョシュア様は私の隣に移動し、私をヒョイと抱え膝抱っこした。
馬車の中で膝抱っこするとは予想していなかったため、一気に体が熱くなる。
「ば、馬車ではしないのではないのですか!?」
「そんなこと言ってないよ。夜会の時の姿はあまりに美しかったし、少しでも乱させてはならないと思い、しなかっただけだ」
「今日だって乱されては困ります……っ」
「それでも夜会仕様よりは軽いドレスだろ? それにここに座らせるだけだ。……アメリアが馬車気に入ってくれてよかった」
ウエストは後ろから回されたジョシュア様の腕で、まるでシートベルトのようにがっしりと固定され、私の肩口に彼の顔を後ろからコテンと乗せている。
首筋に彼の息がかかり、ときおりその首にキスが落とされるため、私は完全に硬直しているし全身が熱い。
「あ、あのっ、そういえば公爵家の馬車はすべてこのタイプなのですか?」
この妙に色気のあるモードの彼を逸らそうと、話題を変える。
「あぁ。アメリアがウォーカー家に来る前に全部変えたよ。喜んでくれて嬉しいよ」
頭をぐりぐりと肩口に擦り付けるジョシュア様に、分かったから、くすぐったいからやめてくれと頼み込んだ私は、すでに息も絶え絶え。
◆
せっかくのプレゼントなので、身につけられるものが良いかと宝飾店に足を運んだ。
店主はウォーカー家と懇意にしていて、私も屋敷で何度か顔を合わせたことがある。他にも数名の店員が礼儀正しく所定の位置に立っていた。
「ジョシュア様。たくさん持ってらっしゃるとは思うのですが、身につけられるものがよろしいかと思いまして……カフスボタンやシンプルなブローチはいかがでしょう?」
「アメリアにもらったものならずっとつけておく」
……へにゃりと微笑む彼は、微妙に話が噛み合っていない。
よし、勝手に選ぼうと思い、いくつかの商品を見せてもらう。
ああでもない、こうでもないと言いながら(言っているのは私だけ。ジョシュア様は終始笑顔のまま「アメリアが選んでくれるならなんでも」と言っているから参考にならない)最終的に決めたのは、枝のような細長いプラチナのブローチの先端に薄いブルーの小さな宝石がついているもの。
いくつか商品を絞り込み悩んでいるところで、ようやくジョシュア様が口を開いた。
「これ……アメリアの瞳の色だな──これにしたい」
じっと魅入るようにそれを見つめ、愛おしそうに手を触れた彼に、胸がキュウッと締め付けられた。
実は私もそれが一番好きだったのだが、自分の瞳の色と同じものを堂々と選ぶにはまだ勇気がなかった。
私はブローチを手に取り、ジャケットの襟元にそれを当ててみた。
「……とてもお似合いですよ」
たしかに、銀色の髪にプラチナのブローチがよく似合い、ふふっと笑みが溢れた私だが、反応のないジョシュア様にふと視線を合わせると……。
今にも飛びつき抱きしめようと腕を広げた彼がいた。
「だ、だからダメですってぇっ!」
「だめだ、なんでそんな可愛い顔するんだ。この1ヶ月ずっと我慢していたのに耐えられなくなる」
「……今まであの対応の中に我慢していたことはおありなのですか?」
あの対応は欲望のすべてを開放しているとしか、どう考えても思えない。どこに我慢要素があったのか。
彼は堂々と言った。
「我慢ばっかりしている! 俺はしっかり耐えている!」
「…………」
なにも耐えれてないような気がしてならない。
あまりの堂々とした態度に、一瞬呆気に取られてしまった私は次の瞬間には、店の中でぎゅうぎゅうと抱きしめられていた。
「自制っ! もっと自制心を養ってくださいませ!」
「俺ほど自制心がある奴はいないと思う!」
ど、どの口がそんなこと言うのですかっ!?
そう言いたかったが、他の人の目もありなんとか耐えたのだった。
◆
お昼のためにジョシュア様は店を予約してくれていて、そこで食事をいただいている最中に、ジョシュア様の護衛の騎士から連絡が来た。
どうやら殿下が至急の用件でお呼びらしい。
「アメリアはこのままゆっくりと食べていてくれ。護衛を多めに残すから、食事が終わったらあまり遅くならずに帰るように」
「承知いたしました。ジョシュア様もお気をつけて」
私の頬にキスをして去っていったジョシュア様。
──このときはあんなことになるなんて、予想もしていなかった。
夜はまたいつものように膝の上で抱っこされて口に食べ物を入れられるのだろうな、慣れたけど。楽だけど。
視線を逸らし続ける屋敷の人々の視界に入るべく、ちょっと挙動不審な動作をしてみようか……なんて、そんなことを思っていたのだった。
挙動不審な動作。
↓
大きく手を振ってみたり、手招きしてみたりしようかと思っていた。