10 独白
本日5話目!
◇◇
湯浴みを終えたが、感情が昂っている上にまだ少し嫌悪感と恐怖心が残っていた。
おやすみの挨拶をしにジョシュア様が私の部屋に訪れた。彼もまた湯浴みを終え、髪を下ろした彼はいつもより少し幼く見える。
「アメリア……大丈夫か?」
「……あの、もう少しだけ……一緒にいてくれませんか?」
「……もちろんだよ」
ジョシュア様が手配し、テラスにワインがセットされた。
今日は膝の上ではなく、正面に座る。
ひんやりとした風が心地よく、火照った身体を冷ましていく。
二人でワインを飲みながら、先程の事件などなかったかのように、ジョシュア様が手がける事業の話を聞いたり、私が領地で開催したイベントの話をしたり。
彼は第二王子の側近と言いながらも、数々の事業を個人で興しているし、それが国の一大事業に成長したものもある。
「一時期、アメリアが作成した書類が王宮で話題になったんだ。とても見やすかったし、それからその書式を真似する人も多くなって。
……その時に、特別な知識を持った人なんだと少し記憶に残っていた」
きっとその時は、自分の他にもあの時代の記憶を持っている人がいる、くらいに思っていたのだろう。
まさか、前世の妻だとは思っていなかったはずだ。
まぁその時の私は、まったく前世の恩恵なんてつもりもなく、ただ自分の有り余る才能だと思っていたが。
でも、今日のジョシュア様の投擲の意を正確に汲んだ私が前世の記憶を持っているのは、彼の中ではすでに確定だろう。
アメリアは、ジョシュア様が何かを投げるところなど見たことがないのだから。
ただ──あまりに昔の彼と性格が違いすぎて。
私だって前世と同じではないけれど、彼のは極端すぎるから……戸惑ってしまうのだ。
それに前世の話をするなら……あなたが私を愛していなかったことについても掘り起こさないといけない。
だから──前世の話はしたくないのだ。
ジョシュア様はしばらくうつむいたあと、残ったワインをグイッと飲み干した。
「……独り言だと思って聞いてくれないか」
「はい?」
「──あるところにひどく口下手で、表情もあまり出ない男がいたんだ。その男の親もそういった感じで、感情を口に出すということをほとんどしたことがなかったから、そういうものだと思ってたんだ」
「…………」
それは、きっと前世のあなたの話、ですね。
前世の夫の家族は、一言で言うなら厳格。
優しさは伝わるけれど、無駄口が極端に少ない。
私は嫌いではなかったが。
「それでも、その男に誰より大切にしたい人ができた。一生懸命大切にしたつもりだった。口に出さなくても、態度で分かってくれてるだろうと思って」
「…………」
「そんな大切な人が、事故にあった」
──そうだった。
私はこの人を残して……死んだんだ。
あまりにブツッと記憶が途切れているものだから、その後のことを何も想像しなかった。
……いや、意図的に想像しないようにしていたのだろう。
考えないことで現実逃避する、私の悪いクセ。
愛されてなかったことを肯定されたくなくて、夫のその後の人生を一切想像しなかった。
その後、彼が再婚したかもしれないことや、まして、悲しみに暮れた生活をして欲しいわけでもなかった。
──あ……今、唐突に思い出した。
今まで完全に抜け落ちていた、新たな記憶。
朝のことでショックを受けながらも頭を整理した私は、これは一人で考えたって埒があかないな!と気付いたんだ。
そして帰ったら話をちゃんとしようって、そう思った。
朝のやつ、どういう意味だったの? って。
夫の好きなビーフシチューを作って。
そうだ……。
私は、もしかしたらあの言葉にはなにか違う意味があるのかもしれないから、話しあおうと。
最近のそっけない態度もちゃんと冷静に聞こうと、そう思っていたところだったんだ──。
「そのあと、大切な人の書きかけの……手紙が出てきたんだ」
スマホのことだろう。
手紙は書かない。
メッセージなんて書いていただろうか?
……頭を整理するために入力していたメモ機能のことか? でも整理し終われば消すし……
──あ、事故にあったのが入力途中だったんだ!
「それには『自分のことを好きなわけじゃなかったかもしれない』『結婚しなきゃいけない状況だからしただけだったんだな』『全部義務だったのかな』『好きって言われたこと、そういえばなかったかな』って──その男の気持ちは全然伝わってなくて」
それは、頭を整理中の言葉で……。
私はポンポンと文句が口からすぐ出るタイプではなく、一旦自分の中で考えをどんどん文字化していって整理するタイプで。
……メモはもちろん人に見せる前提でもなくて。
それに……ちゃんと伝わってたよ。
大切にしてくれてたの、分かってた。
口で言うだけが全てじゃないって、分かってたの。
私を見つめる目はいつも優しくて、キスをする時も抱きしめる時も、どれも全部愛がこもってた。
ただ少し前から素っ気なくなっちゃったから、あのときはなんでだろうって。
不安になって……あなたの気持ちがわからなくなった。
私が、愛されてるって思いたかったから勝手に思い込んだだけなのかなって。
でも、ちゃんと話し合おうって思って。
……それにしても細かく覚え過ぎじゃない?
何回読んだのよ、それ。
──どんな気持ちで……何回も読んだの。
今こんなにも……態度でも口でも伝えようとしてるのは、そのせいなの……?
「男はその人のことを本当に、愛してた。初めて会った時からずっと惹かれてた。抗うことなんて出来ないほどに。
そのうち結婚もしたのに、汚い独占欲ばかり膨らんで。どんどん綺麗になるその人を他の男に見られるのも嫌だったから、誘われても外にもあまり行かなくなった。……二人で一緒に家にいたいってことも言えなくて」
あの日の朝、彼が言った『そうしなきゃいけない状況』って──私のことが好きでたまらなかったから、ってことなの……?
……あの時の素っ気なくなった態度の理由って、独占欲……?
たしかに褒め言葉や甘えをすんなりと言える人じゃなかった。
甘えることが出来ない人だった。
……私を独り占めしたかったの?
……一緒に、二人でいたかったの?
……その感情をどうしたらいいか分からなくて、あんな態度になっちゃったの?
さすがに分かんないよ。ほんと不器用なんだから。
……バカなんだから。
でもそういう人だって分かってたのに──
さっさと死んでしまった上に、誤解までさせてしまった私が……一番バカだ。
「でもその手紙の最後に、『よし!』って書いてて──色んな意味でいつも前を向いてる人だったから、きっと彼女は別れるつもりで」
「っ!? よしっ! 夜ちゃんと話そう!」
ジョシュア様の言った言葉に驚いて、言葉を遮るように大きな声を出した。
彼は『よし!』のあとに『別れよう!』って続くと思ってたってことだ。
……さすがに別れの言葉をそんな元気には使わないけど、流れ的にそう思っても仕方ないかもしれない。
とんでもない呪いの言葉で誤解させて──
私は死んだんだ。
なんて……なんて最低な妻なんだろう。
──せめて、あと一日私が生きていたらお互い解決したような、些細な問題だったのに。
あと十年生きてたら、そんなことあったことさえきっと忘れるような、日常の一幕だったのに。
ずっとこの人はそれがしこりになっていたんだ。
──ごめん。ごめんね。
我慢しきれなくなった涙がポロポロっと頬を伝ったけれど、無視して無理矢理笑った。
「……よし! 夜ちゃんと話そう。一緒にビーフシチュー食べながら、ちゃんと気持ちを聞かせてもらおう! ……私はあなたのことが大好きだよって伝えよう!
──そのあとその人は、きっとそう言うつもりだったんだと思いますよ」
「……っっ! ……っ、」
立ち上がりジョシュア様のそばに行きその手を取ると、彼も立ち上がり、ギュウッと強く私を抱きしめた。
彼は嗚咽と涙で体を震わせる。
私も彼の胸に顔を埋めながら、彼の服を濡らしていく。
──ごめんね。
先に死んじゃって、ごめんね。
でも……それは口にはしない。
私は『リカ』が土台にあるけど、今は『アメリア』だから。
ようやくそれがはっきりと分かる。
……私たちは、前世の記憶を持っている。
でも、あの時と全く同じ人間ではない。
根本が同じだとしても、育った環境や出会った人によって考え方なんて簡単に変わる。
今ようやく──過去は過去として、ジュワッと完全に溶けていったような……そんな気がした。
◇
彼の嗚咽が落ち着いた頃、私は彼の胸を押し椅子に座らせた。
ハンカチを取り出しつつ、その膝の上に自ら乗っかり、赤くなりまだ潤んでいるその瞳をハンカチで拭きながら、ふふっと微笑む。
彼の銀色の髪を撫で頬を両手で包み、その薄い唇に唇を重ねたあと、首に手を回し抱きしめた。
あぁ……愛しいなぁと心から思う。
「大好きですよ」
私の言葉に彼がパッと顔を向け、大きく目を見開く。
彼が色々やりすぎなのは否めないけど、その攻防だって実は楽しんでいる。
初めて「好きだ」と口にしてしまえば、あぁ認めてしまった……と苦笑しか出ない。
「その女の人はその男の人がとても好きでしたが……私はジョシュア様が、好きです。
採算度外視しても国民のための医療発展に尽力していたり、私に甘えてくれる……そんなジョシュア様が、好きですよ」
前世の彼は利益優先のエリート商社マン。
……でも今の彼は違う。
利益にならないのに平民向けの安価で手に入る医薬品を提供していたりしていることは、公爵家で過ごす日々の中で判明したこと。
自分の感情を表に出すことが本当に苦手だった彼が、今これほどに言葉を尽くそうとしてくれている。
それは前世を踏まえて、と言う想いが強くあるのはもちろん分かるが、今の両親の愛し方を幼少期に見ていたからこその、今の彼だと思うのだ。
若かりし頃の公爵も夫人をあからさまに溺愛していたらしいというのを侍女のアニーにこっそり聞いた。アニーの両親もこの屋敷で昔から働いているらしい。
そんな彼が、私は好きだ。
彼の頬にそっと手を添えれば、彼もまた私の頬に手を添える。
「俺も……俺も、アメリアを愛してる。
誰にも媚びようとせず美しい姿勢で凛と立っているのが眩しくて、目を奪われた。甘えずに強がってツンツンしているのも……可愛くてたまらないんだ」
前世、私は仕事もプライベートも頼れるところには都合よく頼りまくるタイプで、末っ子気質を存分に発揮していたが、今は違う。
伯爵家の令嬢として育ち、それなりに自尊心も高い。
というか……
ちゃんと今の私自身も好きになってくれたんだ。
それが嬉しくて、くすぐったい。
──ふと、どうでも良いことが気になった。
本当に今さらどうでも良いのだが、聞いてみたくなった。
「その男の人って……コーヒー豆をゴリゴリ挽くのが好きでした?」
「なんだそれ……その女の人が美味しそうに、幸せそうに飲んでくれるのが好きだったんだよ」
「……そうなんですね、仲良しだったんですね」
「そうだな……仲良しだった」
しばらくクスクス笑い見つめ合った私たちは、止んでいた風がまた吹き始めたのを合図に、どちらからともなく唇を重ね……
その夜、初めて同じベッドで一夜を共にした。
◇
その日、私は夢を見た。
ビーフシチューを食べながら『何で最近そっけないの? 寂しいよ』なんて私が言うと、申し訳なさそうにした黒髪の彼が『……ごめん』って言った。
『何がごめんなの? もう私のこと嫌いになっちゃった?』と言うと、焦った彼は必死で首を振りながら真相を白状し、私を抱きしめた。
クスクス笑う私は『じゃあ口下手なあなたのために合図を決めよう。一緒に二人でいて?って時は、後ろからギュってして? それで、愛してるって伝えたい時はね…………』
◇
彼の腕の中でフッと目覚めた後、まだ眠る彼の目元には涙が今まさにツツっと伝っていた。
薄らとまぶたが開きはじめたが、その瞳はまだどこを見ているのかも分からない。
「──夢、見た……ビーフシチュー食べて……」
ちゃんと目覚めていないのだろうか。
寝言なのか、掠れた声で視点も定まっていない。
昨日の話のせいか、お互いビーフシチューの夢を見ていたらしい。
ビーフシチューは美味しい。ホロホロのお肉がたまらない。
ここでは食べた事がない。
材料的には作れそうな気がするが、残念なことにアメリアは包丁を握ったことがない。
ついでに言えば、前世作っていた絶品ホロホロビーフシチューだって、材料を全部突っ込めばピッとボタンひとつで勝手に調理器具が美味しく作ってくれていたから、自力でホロホロさせるやり方も知らない。
料理チートなんてこの先も出来そうもなく、残念でならない。
寝起きでボーッとする彼がかわいくて、第一声で「また泣いたのですか?」とニンマリ微笑みながら声をかけた。
パチっと目を開き、しっかりと覚醒したらしい彼は、ようやく自分が涙を流していることに気づき、バッと恥ずかしそうに目を擦る。
ニマニマ笑う私は、きっと意地悪そうな顔をしているだろう。
──どうやら私は、彼をからかうことがとても楽しいようだ。
今の彼が簡単に照れて赤くなるのも、嗜虐心をそそる。
最近はやられてばかりだったが……すっかりわだかまりがなくなった私は、彼をからかいたくて仕方がない。
あなたの溺愛は対応に困りますが。
ならば、今度は私の方が困らせてあげましょう……!
──攻守交代の時間のようですね!
◇
そんな彼は私にからかわれて少し耳を赤くしたまま、ムッとした表情をする。
抱きつく私を引っ剥がし反対向きにコロンと転がしたから、この人、顔を見られるのが恥ずかしいんだなと微笑ましくなった。
そして────
背後からギュウッと私を抱きしめ……
私の耳をパクっと食べた。
『……じゃあ口下手なあなたのために合図を決めよう。一緒に二人でいて?って時は、後ろからギュってして? それで、愛してるって伝えたい時はねぇ……私の耳をパクって食べちゃうの! それが愛してるの合図ね!』
驚き過ぎて大きく目を見開き振り返った私に、フハっ! と幸せそうに破顔した彼がいた。
アメリアサイド、終了です。
次話、公爵夫人サイドで完結となります。