1 私、天才なんじゃないかと思ってた
大型の壁掛けテレビに、ピーナッツみたいな形のセンターテーブル。
その横には緑豊かな観葉植物が置かれ、レザーのソファは意見が一致して二人で決めた。
ところどころにアイアンテイストを加えたこの部屋はお気に入り。
「ねぇ、口紅の色変えたんだけどどう?」
「……うん」
「今日はお天気良いしお出かけしない?」
「……行かない」
父の紹介という名のお見合いをさせられ、とんとん拍子で結婚した私と夫。
彼にはただ『結婚』というステータスが必要だっただけなのだと知ったのは、結婚して二年もしてから。
確かに「結婚しよう」とは言われたが、好きだと言われたことは一度もなかった気がする。
でも口ベタで寡黙なだけだと思っていた。
そういう性格も愛しかった。
私が甘えると、少しうろたえるのも愛しい。
でもあまりに最近相手にされないので、つい「どうして私と結婚したの?」と、朝聞いてしまったのがいけなかった。
「…………そうしなければいけない状況だったから」
と答えた彼に、「そう」と穏やかに微笑んでみせた私。
……内心はクエスチョンマークの嵐。
なんだその状況?
結婚しないと査定に響くとか? 今どき上場企業のエリートが? 今、令和だが?
恋愛関係で何かあってこじれたのか? それとも転勤回避のための結婚か? ……いや、結婚で転勤回避など出来はしないだろう。
まぁ多分分かったことはひとつ。
──この人、私のこと好きで結婚したわけじゃなかったのか、と。
口数少なくても、彼が私のことを労ってくれていることは分かっていた。
週末は一緒に料理をしようとしてくれるし、コーヒーだって豆から挽いてくれる。自分は飲まないのに。
……私のためにやってくれているのだと微笑ましく嬉しく思っていたけれど、それは彼にとって義務でしかなかったようだ。
──ということはきっと、彼はコーヒー豆をゴリゴリ挽くのが好きだったのだ。
形から入りたい派なのだろう。うん、たしかにそういう感じだった。
私がコーヒー好きだから、これも彼の中の家族サービス項目の一つにしか過ぎなかったのだろう。
紅茶派だったら、高いところからカップにドボドボドボっと注いでいたかもしれない。
その日飲んだコーヒーはいつもより少し苦かったし、いつもは引っかからない信号に引っかかって、電車に一本乗り遅れた。……3分後には来たが朝の1分は大きい。余裕が違う。
結婚二年目。
穏やかな結婚生活の中、愛されてなどいなかったんだなぁと薄ぼんやり考えていたその日──
信号待ちしている最中に事故で死んだ。多分。
◆◆
「アメリアお嬢様、おはようございます。今日は朝から忙しくなりますので、そろそろお目覚めくださいませ」
侍女がカーテンを開けながら、明るい声で声をかけてくる。
肌触りの良いこの布団にもっとくるまっていたいのだけど、そうも言っていられない。天蓋付きのベットから降り、鏡を見ればそこには──
金色の緩くウェーブを帯びた髪、薄いブルーの瞳の人形のような美少女が。
……私ですけど、なにか。
色は全て違うし明らかに美少女だが、どことなく前世の面影もある不思議。
アメリア・プロウライト。
伯爵家の次女で上に兄と姉が一人ずついる末っ子。ちなみに前世も末っ子。
前世を思い出したのは一週間前。
小さい時からたまに違和感を感じていたのだけど、一週間前の朝に寝起きでふらついて天蓋の枠に頭をぶつけた時に思い出した。
そして大きなショックを受けた。
──ここには……文明の利器がないことに。
スマホにタブレット、パソコン、電子マネー、地下鉄、地下道、エレベーター……
すべてを私は前世に置き忘れてしまったようだ。
ついでにコーヒーもない。世界のどこかにはあるかもしれないが、私は見たことがない。
残念で仕方がないが、すでにもうこの世界で慣れ親しみ生活しているのだ。
あんな便利な時代がもうこの手にはなにもない……とショックは受けるが、どうしようもない。私に開発できるスキルがあれば良いが、もちろんそんなものないから。
今日は夜会に参加する。
夜会の参加資格は18歳以上の貴族。先週18歳になった私は初参加。
念入りにお風呂に入れられ、ヘッドマッサージを受け、髪に香油をつけられる。全身をさらに手入れされ、気付けばつやつやと輝くお肌が。
輝きすぎて全身が発光しそう。磨き過ぎかもしれない。
食事を合間に挟みつつ準備に励み、気付けば夕方。
水色ベースの美しいドレスに身を包めば、誰が見ても美しいであろう令嬢の出来上がり。
階下に降りた私を待っていたのは、両親と兄。姉はすでに嫁いでいる。
「アメリア! まるで妖精のようだよ!」
「そのドレスの色で正解ね。とても素敵だわ」
「うちの末のお姫様は、執務も出来るし可愛いし美しいし……! 嫁にやりたくない!」
「父上。それ、姉上の時にも言ってましたよ」
仲良し家族なのだ。今の人生に不満などない。
だからこそ、前世を思い出す必要などなかったのに。
役に立っていることといえば領地を管理する父を手伝うために、データの統計の出し方とかグラフ化とか、集客のためのイベント開催だとか。
自分で考えたと思って「私、天才なんじゃ!?」と自画自賛していたのに、ただの自分の奥底に眠っていたままの前世の記憶だったらしい。
自分が天才だと信じたままでいたかった。残念でならない。
タウンハウスからガタガタと揺れる馬車に乗り(これでも揺れないほうらしい)30分。されど30分。
馬車のこの揺れはサスペンションを変えたらどうにかなるのだろうか。
もうすでにこの馬車に慣れ、酔うことすらしない自分の肉体がありがたいやら、便利な世の中の記憶が戻ってしまったからこそ比べてしまうことが切ないやら。
白く巨大で荘厳な城が目の前にそびえ立つ。
馬車は列をなし静かに待ち、順番に場内へ入っていく。
前の馬車の家紋は、学院時代の同級生のものだろう。やたらと絡んできていたが、あれはもしかしたら……いじめられていたのかもしれないと今なら思える。
これも、心の奥底に前世の記憶があったのだろう。お嬢様方のいじめがお上品すぎて全然響いてこなかったようだ。
ものが無くなろうと、カバンごとなくなろうと……こちとら貴族で、しかもかなりの資産家の部類である。何度でも丸ごと買い直すし、予備だってある。
足を引っ掛けられて転けそうでも、自然と手をつきスタンと一回転していたのは、前世の部活が体操部だったからだと今なら分かる。これも実は『私、すごい才能の持ち主なんじゃ!?』なんて思ったこともある。
実際は自転車に一度乗れたら乗り方を忘れないように、一度覚えた技は忘れていなかっただけ。
ただ次の日からしばらく、手をついた腕から肩近辺、背中の上部は激痛に襲われた。
……筋肉痛だ。
普段、そんな部位の筋肉を使用しない令嬢がいきなり回転すれば、まぁそうなる。
鍛えられていないこの身体で技が成功したのは、多分ただの奇跡だ。下手したら骨折とかしてたはず。
今更だが。
ご令嬢方はさぞかし私に対し『ぬかにくぎ』な感じのいじめとなったことだろう。飛び級して一年早く卒業したことで、さらに機会を奪ってしまったのは許してほしい。
私だってショックを受けている。
あれもこれもすべて、実力ではなく前世の恩恵なだけだったのだから。
本来の性格や考え方はさほど変わっていないこともよく分かる。
面倒なことは考えないようにするタイプだし、興味を持ったこと以外、割とどうでもいいのも変わらない。
令嬢スマイルだって、接客スマイルと大差ない。
その結果、前世の記憶はすんなりと現世と融合した。
「私、天才なんじゃないのか!?」という自尊心をことごとく打ち砕いただけだ。
◆
眩いばかりの豪華なシャンデリアや装飾がなされた大広間には、着飾ったたくさんの貴族たち。
もちろんほぼ知らない人ばかりだが、学院時代の知り合いもよく見ればチラホラ。
中央前方にやたらと煌びやかな集団がいるが、服装的に王族関係なのだろう。
第一王子は2ヶ月くらい外遊中のはずだ。
「アメリア、挨拶に行くぞ」
私をエスコートしてくれている兄のマクラーレンがサラッと伝える。
兄は確か第二王子や公爵子息と友人のはずだからか気軽なのだろう。
初めての夜会なのだから挨拶しなければいけないことくらい分かっている。面倒なだけで。
本来、私にも婚約者がいた。
が、十年前に結ばれていた婚約は政略上の方針変更という理由から昨年両家円満に白紙撤回となり、現在私に婚約者はいない。別に何も思ってない相手だったから、それは構わない。
だが、そのため兄は私に新しい婚約者を、とでも思っているのだろう。あと数年は結婚などせず領地に関わっていたいものなのだけど。
我が家は違うが、女性が仕事に口を出すことを嫌がる人も多いのだ。
ちなみに、兄の婚約者は今療養中である。病気ではない。転けて足を骨折した。一応二人とも仲良しだ。
兄がキラキラ集団に近寄り、いくつか言葉を交わすと全員こちらを一斉に注目したものだから一瞬息を呑んだ。
目線を合わせず視線を相手の爪先の方に向けながら、優雅にカーテシーをし、お決まりの口上を述べる。
挨拶をして、一言二言の会話をすれば終わりのはずだ。
「きみがアメリア嬢か。マクラーレンからは話をよく聞いていたよ。噂通り、本当にかわいいね」
「殿下。妹が調子に乗るから駄目ですよ」
……さすがに社交辞令くらい、私も分かるんですが?
いや、私はなかなか可愛らしいと自分では思うが、王族たちなんて超美形を延々とかけ合わせて今に至るのだ。キラキラ度が違う。
私がぼんやりと輝くホタルなら、王族はLEDライト。正面から見たら目が潰れそう。慣れれば大丈夫かもしれない。
微笑むだけ微笑んどいて、兄は仲の良い友人達と話したいだろうから、早々にこの場から離れることの許可をもらう。私をいじめていたと思われる令嬢に挨拶がてら、からかいに行ってやろうと一歩踏み出したところ……
がしっと手を掴まれた。
くるっと振り返ると、そこには先ほど挨拶したが殿下の後ろでぼんやりとしか認識していなかった、長身の銀髪の人。
公爵子息のジョシュア様だったはず。確か。
この人もキラキラしている。
なんだ? と初めてそのキラキラした顔をちゃんと見ると──。
夫……。
…………夫っっ!? なぜそこに!?
その瞬間、LEDライトが間接照明くらいの明るさに落ち、よく見えるようになった。
私もだけど、彼も前世と色なんて全然違うし、顔も微妙に違うのだけど……この人は前世の夫だと、なぜかはっきり分かる。
一瞬目を見開いた私は瞬時に微笑みを戻し……
スルーすることに決めた。
前世など、ここではなんの意味もない。
しかも彼にとっては恋愛的な意味合いを持たない結婚だったのだから、掘り返す必要は皆無。
よし、知らんぷり。知らんぷりだ。
「あの、なにか?」
「リ……いや……あの、俺に……見覚えは?」
「──いえ、初対面かと思いますが……もし我が家にお越しいただいたことがおありでしたのなら、覚えておらず申し訳ございません」
「あれ? ジョシュア、うちに来たことないよな?」
今、この人『リカ』って言おうとした。私の前世の名前だ。
つまりこの人も前世の記憶を持っていることは確実。そしてこの人も私に気づいたようだ。
──よし。
前世のことはもう気にせず、お互い新しい生を謳歌しましょう! ということで、関わらないスタンスを貫こうと思う。
…………が、なぜだ。
今、彼は私を自分の膝の上に乗せ、せっせと小鳥に餌をあげるように、私の口に小指の爪サイズの小さなクッキーを次々に放り込んでいる。
常に抱きしめ、私に蕩けるような微笑みを送り「愛してる」と囁く彼は……あの日の出会いの後、瞬く間に私の婚約者に決まった。
前世とのあまりのキャラ変。
甘々度百倍増し。
……やっぱり夫だと思ったのは気のせいだろうか。