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76.黒歴史



猿ぐつわを外された女性だが、手足を縛っている紐はそのままだ。芋虫のように寝転がっているのを皆が見下ろしている状況である。

そのような状況でも周囲に嚙みつかんばかりの勢いで言葉が出てきた。


「ぷはっ! 何するのよ、もう! ああ、ジョルジュ様! 私を呼んでくださるなら、こんな風に乱暴にされなくとも良かったのに! でも安心しましたわ、ようやく私に気付いてくださったのね。ずっとお待ちしておりましたの!」

「「……は?」」


重なった声はわたしとジョーくんのものではなく、わたしとリュカのものだった。

ジョーくんは物凄く冷たい目で、あからさまに嫌そうな顔で彼女を見ている。こんな風に感情を表すのは珍しい。

そんなジョーくんにもめげず、彼女の勢いは留まることなく言葉を続けた。


「ジョルジュ様!! その女は忌々しい、伝説の血を飲む魔族なのです! 危険ですからすぐに離れてくださいませ!!」

「はっ???」


これはわたしの全力の「は?」である。

まじで何言ってんだこいつ。あれか、中二病ってやつか。それともわたしが知らないだけで王族に伝わる存在みたいなファンタジーが眠っていたのか。


そう思ってジョーくんを見ると、この世で一番嫌なものを見るような目をしていた。やっぱりそんなファンタジーはないようだ。

彼女に視線を戻すと、キッとわたしを睨みつけてきた。鬼の形相である。


「あんた! ジョルジュ様を騙そうったってそうはいかないわよ! あんたの屋敷にあった本に書かれていたのよ、魔族は人間離れした美しい美貌で王族に取り入り、その血を飲んで彼らを操り、人間を操って魔族の国を作ろうとしているってね! まさにあんたのことじゃない!!」


わたしに向かってそう叫んだ彼女に、次は全力の「ぽかーん」を捧げた。

まじで何言ってんだこいつ。


「グハアッ!!!」


血を吐くような叫び声を上げたのは、わたしではなく何故かテオだった。崩れ落ちて膝をついている。

何故だ、まさかテオが魔族だとか言わないよな? な?


「テオ! どうした!?」


隣にいた父が慌てている。俯いたままのテオが、小さな声で呟いた。


「そ、その設定……昔、俺が書いた話……」


テオの呟きで、ぴしりと空気が止まった。


(ああああ……意図せず黒歴史があぶり出されてしまったのね……)


創作をしている者なら誰しも、この世と自分の記憶から滅したい作品があるはずだ。

時空を超えてそれが他者から解き放たれた絶望たるや。我が兄ながら不憫でならない。


「……はあ。もういい、つまみ出せ」


手で額を押さえながらジョーくんが言うと、近衛の二人が進み出て彼女の腕を掴んだ。


「きゃあ! 何するのよ! やめなさい! わたしがジョルジュ様をお救いするのよ! ジョルジュ様! 騙されないで! その女は危険ですわたしがふがあっっ」


ジョンが容赦なく再び猿ぐつわをかませ、あっけなく彼女は幕の外へ連れていかれてしまった。


あとには呆然としたわたしとポール、疲れ切った顔のジョーくん、未だ立ち直れていないテオをそれを慰めている父、そしてニヤニヤしているレオンとリュカが残った。


「……結局、何だったんでしょう」

「ああいうことばっか言ってて、しかも殿下に名前を呼ばれるのが楽しみだとか言ってたんで、名前を伝えませんでした」

「ああ、気遣いに感謝するよ。今後も知りたくないな」


はあっと大きく息を吐いたジョーくん。


「とりあえず、状況は分かった。ポールはもう下がっていい。伯爵もテオを連れて行ってやってくれ。幕も外していい」


ジョーくんの言葉で皆が動き出す。

さっと動き出したジョンがテーブルと椅子二脚を用意し、レオンとリュカに勧めている。そしてそれを察知したエマが四人分のお茶を用意し始めた。


注がれたお茶を飲んでほうっと息をつく。

さっきまでの物々しい空気が嘘のように、海辺のゆったりとした空気が流れ始めた。


「はー、怖かったねえ」


レオンの呟きに激しく同意すると、疲れ切った目をしているジョーくんがぽつりと呟いた。


「あのイッちゃってる目……昔、婚姻届を持って迫ってきた奴を思い出したわ」

「何それこっわ!!」


暴走したファンの怖さ、噂には聞いていたけど怖すぎる。


「ああ、そんなのもあったねえ」

「あったあった。しかも記入済みね」

「恐ろしいことにゆずちゃんの方も書いてあったよな。あと署名だけで証人まで書いてあって」

「しかも住所と電話番号まで合ってんの」

「その日のうちに荷物まとめて引っ越したなあ……」


出てくるエピソードが強い。アイドルって本当に危険な世界にいたんだなと思う。


「しかし、ガチのヤバい奴ってのはどこの世界にもいるんだな……黒いあのカサカサしてるやつみたい」

「ひぃっ! 奴の存在を思い出させないでくださいよ!」


レオンの発言に身を震わせた。

東京ではお馴染みのあいつも、この世界ではまだ見たことがない。そう認識したこともないくらい、その存在を忘れていたのに。


すると事もなげにリュカが言った。


「何言ってんの? あいつのでっかいバージョン、砂漠手前の森によくいるよ」

「ひえええっっ! マジで言ってます?」

「マジマジ。ジョコっていうすげえ気持ち悪い木があるんだけど、その実が好物らしくって」

「ジョコ!?」

「うん、なんかでっかい赤い実のなる動く木」


確定的、絶望である。


「何? ジョコがどうかした?」

「いえ……あの、クレッシェでカカオの実を見つけたんですけど、それがリロイではジョコと呼ばれてるみたいで」

「えー? あれカカオの実なの? あんなキモイのに?」

「でもそういや、形は似てるよなあ」


レオンもジョコの存在はご存じだったようである。


「てことは、ジョコを手に入れるためには奴との遭遇を覚悟しなければ……ああ無理……でもチョコのためなら……でも……」

「はいはい。その辺は後で一緒に考えてあげるから。話を戻そうね」


絶望するわたしの頭を優しく撫でてくれるジョーくん。頼もしいうえに優しい。

そしてわたしの扱いがどんどん上手くなってきている。さすがジョーくん。


「とりあえず今の話の裏を取ろう。じゃあ、レオンは船員の目撃証言をまとめてきてくれる?」

「りょーかい」

「リュカは念のため、今のあいつとルネ・ルナールに繋がりがないか確認してきて」

「まーた面倒なやつを俺に……」

「それ終わったらラフィットへ帰っていいからさ、頼むよ」

「はいはい、分かりましたよ」


不貞腐れているリュカをなだめるように、レオンがその肩を抱きながら出ていく。

リュカの方が身長は高いけれど、レオンの圧倒的お兄さん感がたまらない。


「さて。つまり、今のところはエマ・デュポワとルネ・ルナールの件と、あのヤバいのが起こした事件とは別で考える必要があるということだね」


人払いもされて二人きりになった空間。

両肘をついて手を組み、その上に顎を乗せたジョーくんが言う。死んだ魚の目からは生き返ったが、まだまだ元気がない。


「そうですね……てことは、ルネが狙っていたのはエマで、あの人が狙っていたのがわたし?」

「そうなるよね。ルネ・ルナールは男爵令嬢を海へ落としたが、安全だと確認した上で落としたのでちょっとした嫌がらせだったという言い訳が通ってしまいそうだなあ」

「そんな……」

「しかも、王太子妃になる婚約者を狙った事件も同時に起こったとあれば、まあそちらの方がセンセーショナルだし。犯人も平民だしね、オッサン達が嬉々として処刑を言い出しそう」


うんざりした空気を隠さないジョーくん。処刑とかしんどいよね、分かる。


「あー、あのヤバいのは予想できなかったから仕方ないとしても、ルネ・ルナールに関しては防げたと思うと歯がゆいな。ごめんね、俺は報告受けてたんだよ」

「え? ルネのことですか?」

「ああ。王城の事なら些細なことでも報告が入ってくるようになってるから。特にあなたの周りのことはどんな些末なことでも報告しろって言ってある」


しれっとそんなことを言うジョーくんに驚いてしまう。


「意外と……愛が重い?」

「うるせえよ。心配なんだから仕方ないだろ。俺の精神安定のためなの」

「いやめちゃめちゃ嬉しいですけど」


自分の存在を認識してもらえるだけでも完全勝利に酔いしれることのできる推しに、そんな重い愛を返してもらえるだなんて、わたしには喜びでしかない。ツンデレもヤンデレもどんと来いである。


「……そうだろうと思って言いたくなかった」

「何で!?」

「言わない。それより、俺はちゃんと報告受けてたんだけど、ちょっと様子見てたっていうか……ダミアンへの横恋慕が原因かなって思ってたからさ、俺が出て行くのもなあって躊躇ったというか。まあ言い訳だけど」

「ああ、ダミアンのこともご存知なんですね」

「些末なことも入ってくるって言ったでしょ。とにかくさ、あなたには危害がなさそうだから様子見でいいかなって思っちゃったんだよ。言わなくてごめんね」


申し訳なさそうに眉を下げるジョーくんに慌てて手と首を横に振った。もちろん全力である。


「そんな! 昨日も言いましたけど、自分の周りのことなのに何にも気付かずのほほんとしてたわたしが一番どうしようもないです! ……違和感はずっとあったのに」

「あのさ、報告しなかったのは……俺も、エマ・デュポワやアンリ達も多分そうだと思うけど、ユリアにはずっと笑ってて欲しいからだと思うんだよね」

「え?」

「あなたに自覚があるのか分かんないけど、自分でコミュ力高いって思わない?」

「……あんまり思ったことありませんけど?」


ジュリエットなんか引きこもりで友達がいなかったし、友梨亜を思い出してみても友達や彼氏は普通にいたけれど特にクラスの人気者だったとかそういうことはなかったはずだ。


「無自覚ね。まあいいけど、少なくとも俺は、ユリア……友梨亜ちゃんの明るさと笑顔にすごく救われてるんだよ」

「そんな、わたしなんか」

「なんかって言わない。俺の気持ちはそうなんだから、否定しないでくれる?」

「……ごめんなさい」


謙遜は日本人の美徳なのかもしれないが、確かに誉め言葉への返しが自分を貶める発言だといい気分がしない。

ずっとわたしを貶めてきたわたしは、そんなすぐには生まれ変わることはできないけれど、ジョーくんが居てくれたら少しずつ変わっていける気がする。


「俺らさ、中身は三十二と二十八だっけ? あれ、でもあれから二年経ってるから三十四? え、俺もう三十四なの?」

「……わたしもいつの間にか三十越えてました」

「でも、ジョルジュとジュリエットとしては二十二と二十じゃん。どっちにしろまだまだ未熟でこれからだし、そもそもどれだけ年を重ねたとしても完璧な人間なんて存在しないんだし」

「はい」

「だからさ、これからも色んな人と助け合って、補い合って生きていけばいいと思うんだよ」


そう言ったジョーくんの目がとても優しい。


「一緒に帰ろう、ユリア。俺たちがこれからを生きていく場所へ」


差し出された手をそっと掴んだ。

もうわたしに躊躇いはない。


「はい。帰りましょう、王城へ」


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