75.リーファ
「ジュリエット様、そろそろ起きてください」
優しく肩を揺すられながら、ゆっくりと目を開けていく。
「……ん、エマ……もう、朝なの?」
「いえ、お昼を過ぎました」
「そう……えっ!? 昼!?」
パチッと目が開いて飛び起きた。エマはもうしっかりいつも通りの侍女服に身を包んでいて、一仕事終えてきましたという空気である。
「はい。船が戻ってきているようで、そろそろ到着しそうだから起こすようにとテオ様が」
「ええっ!! 急いで支度しなくちゃ!」
「お手伝いいたします」
いつも通り、エマに手伝ってもらいながら支度を整える。
殿下がいるとはいえ領地だから、簡易なワンピースで構わない。
わたしが着替え終わると、エマが髪の毛を整え始めた。
「……エマ」
「はい」
「わたしは、エマが幸せになることじゃないと、わたしの傍を離れるなんて絶対許さないからね」
「お嬢様……」
「結婚するとか、他にやりたいことがあるとか、魅力的な主を見つけてそっちで働くとか、そういうのなら良いけど。わたしに責任を感じて辞めるなんて、二度と言わないで」
身勝手な話だが、あの立て続けの処分要請はわたしにとってかなりショックであり、エマの発言に絞れば裏切られたかのように感じるほどだった。
自分の元を去ると言われるのは、あんなにも辛いことだったのだ。
「はい。ずっとお傍でお仕えすると誓います」
エマは、しっかりと視線を返してくれながらそう言った。
「やあ。おはよう、ユリア」
港にはもう大勢の人が出迎えに立っていた。
その先頭に立つのは、我がボネ家の家族とジョルジュ殿下である。
今日の殿下の服装は黒いシャツにベージュのパンツ。きっと衣装だろうがあまり記憶にない。王都とは違い軽装だが、顔がいいので気品は失われていない。
髪もわたしが好きなマッシュルームヘアのままである。
ちなみに傍にはジョンだけでなく、レオンとリュカもいた。テオも含め、こちらの方々も見覚えのある服装をしている。バラバラだがどれも衣装なのは間違いないだろう。
相変わらず衣装縛りは継続中のようだ。
「おはようございます。遅くなってしまい申し訳ございません」
「いや、間に合うくらいに起こせばいいと言ったのは私だから」
「ご配慮痛み入ります」
海の方に目を向けると、もうすぐそこにプルーの姿が見えていた。大きなプルーの影にはポールの船がある。
「着いたぞ!」
「おお、ポール!」
「みんな無事かあー?」
集まった人々が騒ぎ出す。皆が見守る中、プルーはゆっくりと動きを止め、船は碇を下ろした。
船から掛けられた渡し板から、船員たちが降りてくる。みんな元気そうで一安心だ。
そしてようやく、ポールも降りてきた。
「ポール!」
思わず駆け寄ると、ポールはニカッと笑いながら片手を上げて答えてくれた。
「おう、お嬢様。お互い無事で何よりだ」
「本当に! ごめんなさいね、巻き込んでしまって」
改めて謝罪すると、ポールは分かりやすく表情を暗くして声を潜めた。
「いや、謝るのはこっちの方だ」
「どうしたの?」
「伯爵様は……王子殿下も来ていたのか。そうか、婚約者だもんな。お嬢様、報告したいことがあると伝えてくれねえか」
「それはもちろんだけど……大丈夫?」
「ああ。じゃあ頼んだぞ」
そう言うとポールは船に戻っていく。船員たちに指示を飛ばしたりと忙しそうだ。
気にはなるものの、仕方なくジョーくんたちの方へ戻る。
「ユリア、どうかした?」
「あの、ポール、船長から報告したいことがあると」
「うん、それはこっちからお願いしようと思ってたけど。向こうからも言い出してきたってことは、早めに伝えたいのかな? じゃあ近場でお願いしようか」
ジョーくんは父の方へ歩いていき、何やら打ち合わせを始めた。
一人になったわたしの元へ近付いてきたのは、レオンとリュカである。
「レオン様、リュカ様、ごきげんよう」
「ジュリエット、久しぶりだね」
「ご無事の帰国で何よりですよ」
思いっきり外面の顔で近付いてくる二人が怖い。
特にリュカ、後ろから黒い煙があがっているように見えるのは気のせいではないだろう。怖い。
「あ、あの?」
ずずずっとリュカが近付いてきたと思ったら、至近距離でものすごく冷たい目で睨み付けてきた。
「お前マジで何考えてんの? 突然の日程変更にどれだけ苦労するか分かってんの? あいつらが飛び出して帰ったおかげで穴埋め全部俺らに回ってきたんだけど? は? 俺らだって新婚だったり身重の妻がいたりしてすぐ帰りたかったんだけど? は? その埋め合わせはお前がしてくれるんだよね?」
(ひぃぃぃぃ!! りゅっちのマジ切れ超怖いんですけどぉぉぉ!!)
「ご、ご、ごめんなさ」
「りゅーちん、そんなに怒んないの。ジュリエットだって好きで遭難した訳じゃないんだし」
「レオン様……!」
(さすがレイちゃん、優しすぎるぅぅぅ)
「プルーの暴走だって? あれが暴走するなんて、なかなかないよね? ジュリエットはよほど大きな悲鳴でもあげたんだろうね? この際、一から淑女教育やり直す?」
(うぎゃぁぁぁ!! こっちもお怒りでしたあああ!)
「すみませんでしたあああ!」
もう土下座してしまいたいくらいである。誰も見ていない空間だったらスライディング土下座をしていた。
普段優しい人の怒りほど怖いものはない。
「まーた虐められてんの」
「ジョーくん!!」
わたしの推し、婚約者、救世主、ジョーくんが戻ってきた。
「お待たせ。この前行った、あのプライベートビーチを借りることにしたよ」
「は、はい」
「二人も一緒に行くよ」
「はいはい」
「俺もそろそろクロエんとこ帰りたいんですけどー」
「これが終わったら、まとまった休みあげるって言ってるでしょ。働け」
「仕方ねえなあ」
そんな風にブツブツ言いながらもちゃんとついてくる二人がかわいい。マジで怒るとめっちゃ怖いけど。もう二度と怒らせたくありません、すみませんでした。
プライベートビーチという名の、ただの東屋がある浜辺である。
バーベキューするにはぴったりのシチュエーションだが、今は物々しい雰囲気に包まれていた。
東屋には幕が張られ、中が見えないようになっている。周りには殿下やわたしの護衛達が立っていて、そこから離れた場所にも我が家の領兵達がぽつぽつと巡回していた。
東屋の中へ入ると、そこには既にポールの姿があった。隣には父とテオもいる。
そしてポールの足元には、猿ぐつわをかませられ手と足を縛られた女性、いやわたしより少し幼いくらいの女の子が転がっていた。
(いや誰ですか!?)
入ってきた全員の目が彼女に集まっていたのだろう、テオが「説明は後だ。とにかく報告を聞いてくれ」とわたし達に着席を促した。
「そうだな。座ろう、ユリア」
用意された椅子は二脚。つまり殿下とわたし以外は全員立っている。狭いから仕方がないが、とっても落ち着かない。
「じゃあ、ポールの報告を聞こうか」
「はっ。船長のポールでございます。遭難の経緯は既に報告をされていると思うんで、私からはクレッシェのアルケミスト侯爵の調査結果をご報告します」
「調査報告?」
「はい。そもそも、プルーの暴走時点で様子がおかしかった。何かへんなモノでも食ったのかと思っていたところ、アルケミスト侯爵もプルーの死体がいつもと違うことが気になるからと身体の中を調べたんです」
ポールが言うと、ジョーくんが頷きながら小さな声で「なるほど、解剖か」と呟いた。この世界、解剖はまだ一般的ではないのだ。
「それでこの、食べたものが集まるところ――アルケミスト侯爵が言うのは胃というものらしいですが、そこに、この葉が入っていました」
ポールが一枚の葉を差し出してきた。それは半分ほどしかないものだったが、形が特徴的だった。
「これは……」
「リーファと呼ばれる植物です。食べるとけいれんを起こすと言われている」
「これが、プルーの胃に?」
「はい。しかもプルーの好物である魚に何枚も仕込んであった。ただの事故ではなかったということです」
ということはつまり、ルネがその魚をプルーに食べさせたのでなければ、エマを落としたこととプルーが暴走したことは別々に考えなくてはならないのだ。たまたま事件が重なってしまったというだけで。
「こんなの、誰かが故意に与えたとしか思えない。それですぐに船員たちを集めて、怪しい奴や普段は見ない奴を見なかったかと聞き込みを行ったところ、こいつの目撃証言が複数ありました」
こいつ、と言いながら顎で下を指し示すポール。
猿ぐつわの女性はジョーくんの方を向いて「うー! うー!」と何かを必死に呼びかけていた。
「この女性は誰なんだ?」
「名前は今は知らない方がいいと思います。スワンプ爺さんの孫とだけ」
「えっ? スワンプ爺や?」
思わず声を上げて父やテオの方を見ると、二人とも苦虫を嚙みつぶしたような顔をしていた。どうやら本当のことらしい。
「誰なの?」
「えっと、我が家の……ボネ領の百合畑を代々管理してくれている方です。跡継ぎのご夫妻は知っていますが、お孫さんがおられるのは知りませんでした」
わたしがそう言うと、今度はもっと大きく「うー!!!」と唸っていた。非難を込められているのが丸わかりだ。物知らずで申し訳ないが、最近は王都で頑張っていたので許してほしい。
「お嬢様と入れ替わりくらいでやって来たんだ、知らないのも無理はない。それで、さっきすぐに捕まえに行かせて問い詰めたら、あっさり白状しやがった」
「つまり、この女性がプルーに異物を仕込んだと。それで、彼女の目的は何だったんだ?」
殿下が空気をヒリつかせながら言うと、ポールは珍しく言いにくそうに口ごもった。
その間も女性は「んー! んー!!!」と身を捩らせながら必死に叫んでいる。
「彼女に直接聞いてみようか」
「いやっ……その、かなりお聞き苦しいことばかり言ってるんで」
「構わない。どちらにしろ聞かなきゃいけないからね。ジョン、外して」
「はっ」
気配を消していたジョンがスッと現れ、跪いて女性の猿ぐつわを丁寧に外した。
すると女性は驚くべきことを口にしたのである。




