72.帰路
『アダーリ様、ジュリエット!』
遠巻きだった庶民の間から顔を出したのは、ラミアだった。後ろにはエマもいる。
『ああ、ラミア夫人。お返事もせずにごめんなさいね。ジュリエット様を早く帰してあげるには、ダウナーが一番早いかと思ったのよ』
『驚きましたが、そうですわね。船が出せなくてどうしようかと思っていましたの。アダーリ様にご協力いただけるなら、それ以上はございませんわ』
『ご理解いただけて良かったわ。暗くなる前に帰りたいから、急いで準備してくださる?』
『ええ。ジュリエット、近日中に船は出せると思うから、その時にお荷物もお送りしますわ。今は取り急ぎこのまま帰られてはいかが?』
『そんな……そこまでご迷惑をおかけするわけにはいかないわ』
眉を下げて申し訳なさそうな表情を作っているわたしだが、本音はただ一つである。
(もう一度アレに乗る前に! 休憩を! 覚悟を決める時間をください!!)
だがわたしの本音に気付く者はいなかった。
当然である。ここにいるすべてが善意の塊なのだから。
『そんなことはいいのよ。ご家族がとても心配されているでしょうし、無事な姿を早く見せてあげて?』
『そうよ。貴女の無事な姿を何よりも優先すべきよ』
そう言われては、もう頷くしかなかった。
『ありがとうございます。本当に、何と言っていいのか……。改めて、お礼をさせてください』
『ふふふ、じゃあその時はまたぜひ、クレッシェへ来て頂戴。今度はゆっくりと』
『いいわね。ウィンベリーへの滞在も必ず予定に入れておいて』
『願ってもないことですわ。ぜひ』
すっかり親しくなったわたし達は、近いうちに必ず実現させようと約束を交わした。この世界での指切りげんまんのように人差し指をそれぞれクロスさせる。
『さ、じゃあ急ぎましょう』
『アダーリ様、お気をつけて。ジュリエット、またね』
『ラミア、本当にお世話になったわ。ありがとう。ダリウスにもよろしく伝えてね』
太陽はもう海に近付いている。暗くなってしまうと危険度が増すから、時間との勝負だ。
「ジュリエット様、行きますわよ。海上は風が強いから、さっきよりも揺れると思うわ。気を付けてね」
(その情報、必要だけど聞きたくなかったぁぁぁ!!)
エマも加わって、もう一度小屋へ入り椅子に固定される。
外では皆が「女神様ー! また来てくださいー!」などと叫びながら手を振ってくれていたが、残念ながら手を振り返す余裕はない。怖い。
バッサバッサと羽音が聞こえてきたかと思うと、すぐにぐわんと小屋ごと浮いた。そして急激に上昇していく。
「いやああああ!!!」
絶叫系は声を出すのが一番である。エマとアンリはじっと耐えているが、わたしは遠慮なく声を出させていただく。だって怖いもん。
上昇とともに猛スピードで海へと向かっていくようで、固定していなければ身体は吹っ飛んでいたに違いない。
そしてアダーリ夫人が宣言していた通り、海上での風は物凄かった。もはや遊園地お馴染みのバイキングのように上下に、そしてさらに左右にも揺れている。
「きゃああああ! むむむぅぅりぃぃぃ!!!」
小屋ごと吹っ飛んでいかないのか心配になるくらいだ。意識せずとも涙が溢れていく。
こんな状況なのに、ダウナーの背に乗っているアダーリ夫人は大丈夫なのだろうか。抜き身で外にいるなんて信じられない。
「いぃぃやぁぁああ!!」
「ひゃああああ!!!」
「ぎゃああああああ!!!!!」
時間が経つほどに叫び声が不細工になっていくのは許してほしい。
ただでさえ怖いのに、そんな空間に一時間以上いたのだ。体感にして半日以上。
終わりの見えない絶叫マシン、最高に怖かった。
そんな訳で、小屋が急降下していく時にはもう、わたしは涙と鼻水にまみれていたと思う。掴んでいた布がべとべとになっていた。
「ジュ、ジュリエット様。大丈夫でしたか?」
足腰がふらふらになりながらも近付いてきてくれたエマが女神に見えた。エマは胸元からハンカチを出して、わたしの顔についたあれこれをそっと拭ってくれた。
べとべとになった布をアンリが外してくれて、全ての準備が整うまでダミアンは鍵を開けるのを待っていてくれた。
みんな優しすぎる。また涙が出てしまう。
「ジュリエット様、お支えいたします」
アンリにもたれかかるようにしながら、ダミアンが開けてくれたドアから顔を出した。
そこには既にアダーリ夫人が立っていた。髪は物凄く乱れているが、平気な顔をして立っている彼女を心底尊敬する。
そんなアダーリ夫人に、ダウナーが褒めて褒めてと言わんばかりに顔を擦り付けてきている。
「あらあら。ジュリエット様、大丈夫?」
「は……ああ、こ、声が……」
「うふふ。ちょっと叫び過ぎたわね。とりあえず街に近い広い場所に降り立ってみたのだけれど、場所は分かるかしら?」
ぐるりと周りを見渡すと、背中側に海が見えた。街はその手前に広がっている。ここは王都へと繋がるモロー領側の平野だろう。
「だい、じょ、ぶ、です」
「先ほどお屋敷から大きな馬が出てくるのが見えたわ。きっともうお迎えが来ているのではないかしら」
いきなり翼竜が小屋をぶら下げてやってきたのである。両親へはすぐに連絡がいったに違いない。
飛んできた方向がクレッシェでなければ、北国からの敵襲かと思われたかもしれない。
何にせよ、シュヴァールが走っているならすぐに到着するだろう。
「ああ、来たわね」
その声と同時にドッドッドッとシュヴァールの足音が聞こえてきて、かなり離れたところで止まった。
先に降りてきたのは弓を構えた領兵達である。
そしてその間から姿を見せたのは、花ちゃん――テオ・ボネ、わたしのお兄様だった。
がっつり武装している花ちゃんが新鮮すぎるが、険しい顔でこちらを見ていた花ちゃんがわたしの姿を認めると、目を見開いた。
そして領兵達を手で制し、弓を下ろさせた。
「あれは、貴女のお兄様かしら?」
「は、はい」
「よく似ているわ。お綺麗な方ね」
どうしてここにいるのかと疑問に思う間もなく、彼はこちらへ駆け出してきた。
「ジュリエット!!!」
アンリに支えられながら、わたしからも近付いていく。
「お、お、おにぃさまぁぁぁ!!!」
少し手前で止まった花ちゃんにすがるように抱きついた。
戸惑いながらも抱きとめてくれる花ちゃんが優しい。
「な、何だ? どうした?」
「こわ、こわ、かった……!! こ、腰抜け、て」
「腰? いやお前、声も顔もどうした? 目もパンパンだし」
「な、涙、止まんなく、て」
ガラガラの声で必死に訴えると、花ちゃんがスッとテオの顔になってわたしの背後を睨みつけた。
「どういうことだ?」
わたしに向けていたのとは比べ物にならないくらい厳しい声がアンリに向けられた。
「はっ! 詳細は後ほどご報告致しますが、クレッシェからアダーリ・ウィンベリー公爵夫人と、相棒であらせられるダウナー様にお送り頂きました」
「アダーリ、公爵夫人だと?」
「はっ。ごく最近に夫人となられたようです。そしてダウナー様の飛行が、その、大変揺れが大きいものでしたので……」
わたしのとんでもない姿まで報告してもいいものか、言い淀んでいるのが分かる。
花ちゃんにすがりついたままのわたしは、彼にしか聞こえないように補足した。
「絶叫マシンに、半日、ぶっ通し、みたいな」
「……そりゃ、キツイな」
ぽんぽんと頭を撫でてくれる花ちゃん。めっちゃ落ち着く。こんなお兄ちゃん最高である。
「分かった。あそこのプテラ……」
「ダウナー」
分かる。プテラノドンにしか見えないよね。
「ゴホン、あそこのダウナーとやらの傍におられるのが、アダーリ夫人だな?」
「はっ」
「よし。じゃあアンリも向こうを手伝え」
「はっ」
荷物を運び下ろしているエマやダミアンの方にアンリを遠ざけると、花ちゃんはすがりついていたわたしの腕を離した。
「お兄様?」
「お前……あんま心配させんなよ」
真剣な顔で見てくる花ちゃん。いつになくマジなトーンにしゅんとしてしまう。
「はい……ごめんなさい」
「……まあ、話は後で詳しく聞くから。今はとりあえず、あいつ安心させてやってくれ」
「あいつ、ですか?」
「ゆずに決まってるだろ」
そういえば、花ちゃんは、テオは殿下と一緒に視察の旅へ出ていたのだった。
テオがここにいるということは、殿下がここにいてもおかしくはない。
「え? 殿下もいるんですか?」
「当たり前だろ。っとに、お前が遭難したって聞いて、あいつがどんだけ取り乱したか。それこそ飛んで帰って来たけど、まさかお前が文字通り飛んで帰ってくるとは思わなかっ「友梨亜ちゃん!!!!」……来たか」
「えっ?」
振り向けば、普通の白馬に乗って駆けてくる、ジョーくんの姿があった。
リアル白馬の王子様だが、物凄いスピードのせいで髪は乱れまくりだし、着ているシャツは風に靡きすぎて腹がチラ見えしているし、表情も険しいせいでメルヘンな雰囲気は微塵もない。
でもめちゃくちゃにカッコいい。
久しぶりすぎる推し、やっぱり最高中の最高である。きゅんである。
「さ、じゃあ俺はアダーリ夫人にお礼言いに行くから。お前は頑張ってあいつの機嫌取ってくれよ」
「え! 機嫌!?」
「はは、テオの気持ちもちょっと分かってきたな。頑張れ、危なっかしくてカワイイ妹よ!」
そう言うと、花ちゃんは強めにわたしの頭を撫でてからアダーリ夫人や皆のいる方へ足早に歩いて行ってしまった。




