71.ダウナー
ウィンベリー公爵邸ではアダーリ夫人が出迎えてくれた。
「お帰りなさい、ジュリエット様。大丈夫だったかしら?」
「ただいま戻りました、アダーリ夫人。貴重な体験をさせていただいて感謝いたします。何とか卒倒せずに済みましたわ」
「ふふふ、見た目より気丈な方なのね。あら? 青い実を持って帰ってきたの?」
「ええ。珍しいと伺ったので。バターのようだと聞いてしまうと、どうしても料理に使ってみたくなってしまいました」
「料理に? 確かに、香りはいいものね。それより、本当にこのまま戻ってしまうの? どうせならゆっくりしていきなさいな」
大変ありがたい申し出だが、ボネ領で待つ家族の心配を思うと、一日でも日程を伸ばすのは避けたい。
今日はサルーンの港に新しいプルーが届けられているはずで、明日には出港なのである。
「お気持ちはとても嬉しいのですが、明日には出港したいのです」
「そうよね。でも、海が荒れているらしいのよ」
「え?」
「雨がひどい訳ではないのだけれど、風が強くて船を出せないのですって。プルーも届いていないそうよ。貴女が森に行っている間に、ラミア夫人から手紙が届いたの」
思わず振り向いてサルーンの方を見る。ここからは海は見えないが、空は晴れ渡っていた。
「そんな……」
「風が強いのなら、わたくしのダウナーを出そうかしら」
「ダウナー、ですか?」
「ええ。ケーニヒライヒから連れてきた、わたくしの相棒なの。ちょっとした馬車くらいなら運べるわ」
アダーリ夫人の言葉に嫌な予感が走るのは何故だろうか。
もしかしてあのファンシーなティラノのことだろうか。だけど彼らは風の強さが関係するとは思えない奴らである。
「急いでいるのでしょう?」
「ええ、まあ。家族も心配しているでしょうし」
「それならやっぱりそうしましょう。貴女が行方不明のままだと、後が怖いわ。あのジョルジュ殿下がこのまま放置しているとは思えませんし」
「いえ、殿下は今、国内を視察に回っているのです」
「そうなの。それでも急ぐに越したことはないから、旦那様に許可を頂いてくるわね。貴女方は応接室でお待ちなさいな」
そう言うや否や、アダーリ夫人は屋敷の中へと足早に戻っていった。残されたわたし達を執事が応接室へ案内してくれる。
ゴージャスな応接室へ案内されたわたしはソファーに座り、背後に控える二人を見上げた。
「二人は、ダウナーを知ってるの?」
「名前は存じませんが、話の流れとして、おそらくあれだろうなと想像はついております」
ダミアンの答えにアンリも神妙な顔で頷いている。
「まあ、そうなのね。一体どんな生き物なのかしら」
「大きな括りで言えば、鳥ですね」
「鳥!? え、でも馬車を運ぶって言っていたわよ!?」
「はい。物凄く大きな鳥なので、運べます」
(ってことはつまり、空を飛ぶってことなの!? マジで!? この世界にも空の交通手段あったの!?)
「足に馬車を括りつけた状態で飛ぶようです。背中には操縦する者が乗ります」
「……アダーリ夫人、相棒だと言わなかったかしら」
「おそらく、夫人が操縦するものと思われます」
それは貴族的にオーケーなやつなんだろうか。まだまだ未知が多いわたしには想像もつかない。
「それはまた凄そうね……」
物凄く大きな鳥に乗る元王女って、字面だけでも凄すぎる。北国の文化が気になるところだ。
「北国の王族は専用の鳥がいるそうなので、アダーリ様の相棒というのもそのことでしょう」
「王族は皆乗れるということね」
確かに、いざという時の逃走手段としてはこれ以上ないだろう。鳥に乗って逃げるなんて、誰も追いつけやしない。
しばらくすると、アダーリ夫人とともにウィンベリー公爵もやってきた。
腕を組んで歩く二人はとてもお似合いである。大人びてセクシーなアダーリ様だが、落ち着いたウィンベリー公爵と並ぶと背伸びしている感があって微笑ましい。
『ジュリエット様、お待たせしたわね。旦那様からの許可が出たわよ』
『まあ、ありがとうございます。公爵様、ご配慮痛み入ります』
『いやいや、可愛い妻に願われては否とは言えまいよ。ご家族もさぞご心配されていることだろうし、早く帰られるに越したことはないからね』
にこやかに微笑む公爵を見つめるアダーリ夫人の熱っぽい視線といったらもう。
(あー、わたしもジョーくんに会いたいなあ……)
結局、もうひと月以上も会っていないのだ。出会ってから初めてのことである。
ジョーくんは周りにメンバーがいるから楽しいだろうけれど、ずっと放置されているわたしは寂しすぎる。
次に会った時は、その辺をチクチク言って困らせてやることに決めた。
『さあ、では早速案内しますわ。途中でサルーンに寄って、貴女の侍女と合流して。暗くなる前に着かないと』
『お願いいたします、アダーリ夫人』
まだお仕事があるという公爵に感謝と別れを告げ、アダーリ夫人の案内で外へ出る。
厩やファンシーティラノ――クレッシェではシュヴァールのような立ち位置の動物で、レックスというらしい。もう答えが出ているとしか思えない――の飼育小屋を通り過ぎ、一段高い場所にある三面を石積みの壁で囲われた小屋に、それは居た。
(いやあああ!! 鳥っていうか!! 翼竜!!! 顔が恐竜だってばああああ!!!)
ギョロリとした目がこちらを向き、身体がすくむ。
しかし、ダウナーは予想に反して「くぅぅぅん」と可愛らしい声で鳴いた。そして頭を下げ、アダーリ夫人に擦り寄ってくる。
「ダウナー、いい子ね。今日はわたくしのお客様を運んで頂戴な」
「くぅぅぅん」
「もちろんご褒美は用意しておくわ。早速だけど出発するわよ」
「くぅん」
凄い。会話が出来ているように聞こえる。
ダウナーの顔は怖いけど、アダーリ夫人に懐いている様子は犬のそれである。
「さ、行きますわよ。少し狭いのは我慢して頂戴ね」
ダウナーの小屋から少し離れた場所に、小さめの小屋がある。真四角のコンテナのような小屋だ。屋根には太い紐がついているので、おそらくこれがわたし達を運んでくれるものなのだろう。
中は普通、とは言えなかった。ドアと窓があるのは普通だが、両方とも内側からしか開かないようになっている。壁には椅子が固定されており、肩がくる辺りにはベルトのような柔らかそうな布が垂れ下がっていた。
(何か……絶叫系という言葉を思い出してしまうんだけど……)
友梨亜の記憶が、乗車を全力で拒否している。だがこの状況で乗らない、乗りたくない、降りたいと言える度胸をわたしは持ち合わせてはいなかった。
「揺れるから、荷物はここの中に入れておいてね。全部入れたら鍵をかけて」
「はい」
「椅子に座ったら、この布を両肩に通して結ぶの。なるべく壁に身体を近づけておいて頂戴」
アンリに促されて椅子に座り、アダーリ夫人の指示のままに布で固定される。
ますます絶叫系に近付いている気がする。やだ。逃げたい。
「うん、いいわね。護衛のあなた達もちゃんと結んでおいてね。いざという時はその剣で布を切れば自由に動けるから」
「「はっ」」
「じゃあわたくしは、上の操縦席に行くわ」
「よろしくお願いいたします」
アダーリ夫人が出ていくと、ダミアンが扉の鍵を内側から掛けた。屋根の方では紐を括りつけているのか、ガタガタと音がしている。
そして程なくして、バサッバサッバサッと羽ばたきの音が聞こえてきた。それとともにぶわっと風が吹いたかと思うと、急に小屋ごと浮き出した。
久しぶりに感じる浮遊感に声が出る。
「きゃあっ」
「ジュリエット様!」
肩に掛かっている布をぎゅうっと掴んで目を閉じた。だが逆に浮遊感を強く意識してしまい、慌てて目を開けた。
「ジュリエット様、大丈夫ですか?」
わたしの隣にある椅子に固定されているアンリが心配そうに覗き込んでいる。しかしそんなアンリも顔色が悪い。
わたしは友梨亜として何度も遊園地や飛行機で体験しているこの浮遊感も、アンリやダミアンにとっては未知のものだっただろう。
「ええ、だ、大丈夫よ。アンリも顔色が悪いわ」
「私も初めて気付いたのですが、高いところで揺れるのは苦手なようです」
「そ、そう。ダミアンは平気そうね?」
反対側の隣にいるダミアンは、窓から外を覗き込む余裕さえあるようだ。ドドンパとかフジヤマをリピートするような、三半規管がバグっているようなタイプなのだろう。
「空を飛ぶのは憧れでしたからね。もうサルーンの街が見えていますよ」
その言葉で、チラッと窓の外を見る。森と海の間にある平野に、綺麗な街並みが見えた。
「あっという間なのね」
「降りるようです。掴まっていましょう」
さっきからずっと掴んでいる布に、さらに強い力を込めた。小屋はグラグラと揺れながら降りていく。
(そういえば飛行機も、着陸の方が怖かった……!)
降りていくスピードが飛行機と桁違いに早くて怖い。
目を閉じて衝撃に備えたが、予想に反して全く衝撃はなく、揺れが収まると同時にふわりと小屋が大地に下ろされた。
「着きましたね」
「今、布を外しますので」
余裕そうに立ち上がったダミアン、明らかにホッとした表情のアンリ。対照的だが、二人ともすぐに動き出したところは同じだ。
アンリが布を外してくれて、乱れた髪を整えてくれた。その間にダミアンは扉の鍵を外している。
屋根からガタガタ音がするのは、アダーリ夫人が降りてきている音だろう。
アンリに手を引かれて小屋から出ると、またしても大勢の庶民が遠巻きに見ていた。
「ジュリエット様、空の旅はいかがだったかしら?」
上からの声に小屋の屋根を見上げると、ダウナーから降りて屋根の上に立つアダーリ夫人が微笑んでいた。
髪は乱れているが、翼竜を操る女王様な雰囲気でめちゃくちゃカッコいい。
「あっという間でしたわ。少し怖かったです」
「ふふふ、初めてだと怖いわよね。慣れると気持ちいいのよ。すぐにダウナーに乗りたくなるわ」
(いえ、それはないと思います)
脳内では断言しながら、曖昧に微笑んでおいた。




