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70.カカワ



『さあ、どうぞ。あたたかいうちによく混ぜながら飲んで頂戴』

『ありがとうございます。いただきますわ』


添えられたスプーンで混ぜると、二層になっていたのが見慣れたココア色になっていった。

そっとグラスを持って口をつける。


ざらりとした粒が気にはなるが、味わいとしては苦めのココアという感じだった。はちみつが効いていて、甘くておいしい。


『とってもおいしいです。ショコラトゥール、ですか?』

『ええ。カカワという木の実を砕いて潰したものなのよ。ウィンベリーでははちみつを入れて甘くしていただくの。カカワ自体はクレッシェにもどこにでもあるし、ショコラトゥールもクレッシェ全体で飲めるのだけれど、ウィンベリーのカカワで作ったショコラトゥールがいちばんおいしいのよね』


なるほど。カカワがカカオ豆のことだとすれば、カカワはリロイでも育ってくれる可能性がある。これはやはり、苗か種を持ち帰らなければならないだろう。


『アダーリ様、カカワそのものはどこにでも育つものなのですか?』

『ええ。ケーニヒライヒにもあったわよ。リロイにもあるのではないかしら』


(まーじで? 見逃してたパターンなの!? チョコを!? なんという機会損失!! 不覚!!)


『勉強不足で存じ上げませんでしたわ』

『仕方ないわよ、カカワを食べようなんて思うのはこの国の人くらいじゃない?』

『そうなのですか?』


わたしの記憶しているカカオ豆は、いたって普通の茶色い豆である。

だが、よくよく思い出してみれば、カカオの実はもっと大きく、アーモンドのようなラグビーボールのような形をしていた気がする。カカオ豆はその中にある種のようなものなのだ。

そしてそのラグビーボールは、木にぎっしりとぶらさがっている映像を見たことがある。


『ジュリエット様が見たら卒倒するのではないかしら。カカワは山奥に生えているから見たことがないでしょうし。あのね、ジュリエット様くらいの大きさの赤い実が大きな木にびっしりと生えているのよ。しかも近付くと威嚇するように動くの』

『……それは、凄まじい光景でしょうね』

『どちらかといえばおぞましいわね。アレを割ろうと思った、そして食べようと思った人を尊敬するわ』


その言葉は、日本ではお馴染みではないだろうか。刺身、納豆、ゴボウ、猛毒を持つフグの内臓すら、調理法でどうにかして食べてしまう国である。

しかし、大きな木の実が威嚇してくるのは怖すぎる。たぶん泣く。


『あんなものから、こんなにおいしいものが出来るのだから不思議よねえ』

『それは……どのように、カカワを収穫しているのですか?』

『静かに近付いて、素早く刈り取るだけね。近付ける勇気があればだけど』

『そこまで言われますと、一度見てみたくなりますわね』


遠くから、安全を確保して見てみたい気もする。

ここへ来てからというもの、大きさがバグっている動植物をかなり見てきたわたしである。意外と行ける気がするのだ。



そんな風に思っていたわたしがバカでした。


翌日、アダーリ夫人にぜひにとお願いして、ウィンベリー公爵領にあるカカワの森へ連れてきていただいたのだ。社会科見学のようなものである。

だって、どうせなら国でいちばんおいしいカカワを持って帰りたいじゃないか。


アダーリ夫人はもちろん、ラミアやダリウス、それに初めましてのウィンベリー公爵にまでほんのりと止められたのだが、チョコで頭がいっぱいだったわたしを止められるはずもない。

ちなみにウィンベリー公爵は、枯れ専オジ専のアダーリ様が認めるだけあって、わたしの父に負けないイケオジであった。穏やかな笑顔が優しそうなのに細マッチョ。良い。


そして我が道をチョコへ向かって行くわたしは、意気揚々とカカワの森へ向かったのである。



「な、何あれ……」


山歩き用のわたしは、つばの広い帽子に首回りは長めのスカーフ、そして長袖長ズボンにロングブーツという完全防御の格好である。

とてつもなくダサいだろうが、顔が良いから何となく様になっているようだ。

しかし、この驚愕と恐怖が入り混じった表情は、顔の良さでもカバーしきれないだろう。


つまりわたしの姿は今、皆さまにはとてもお見せできないヤバさである。


『あれがカカワでさぁ』


案内役をしてくれた森の管理人が「言わんこっちゃねえ」と書いた表情で振り向いた。

うん、先人のアドバイスはちゃんと聞き入れるべきだね。


アダーリ夫人は言っていた。

わたしくらいの大きさの赤い実が、大きな木にびっしりと生えていると。そして近付くと威嚇するように動くと。

それは、言葉にするとその通りだった。しかし実際に目の当たりにしたわたしは補足したい。


(う、動き方が気持ち悪いぃぃぃ!!!!)


大きな木というのは高い木ではなかった。見上げるほどの高さではあるが、日本でよく見る杉や竹ほどの高さで、こちらはバグってはいない。

だが、横への広がりが半端じゃない。二、三本しか生えていないようなのに、見渡す限り赤い大きなカカワの実がぶら下がった枝ばかりなのだ。


そしてそのカカワの実は、まるで意思があるかのようにグネグネと動いている。中に誰かが入っていると聞いても納得してしまうほどだ。

ブラブラとブランコのように揺れている実もあれば、何かを見つけたのか急に跳ね上がる実もある。その動きと重さで枝がしなり、全体的にはグネグネとプルーのような動きに見えるのだ。


ただひたすら気持ち悪い。

そして赤い実もどこか禍々しく見えて、とてもじゃないが食べたいなんて思えないし、チョコの原料だなんて信じたくない。


(でも、この試練を乗り越えなきゃ、魅惑のチョコレートは手に入らないのよ……)


わたしの中でチョコを求める気持ちと、不気味な木を気持ち悪がる気持ちが拮抗している。


『あれをどうやって採取するのかしら?』

『先端の実を狙うんでさぁ。身をかがめて素早く刈り取るだけさぁ』


それもアダーリ夫人に聞いた通りである。だが、こうして目の当たりにしてみると、そんなことが本当に出来るのだろうかと思ってしまう。


『まあ、見てもらった方が早ぇですわ。ミスティ、行ってこい』


案内人に呼ばれたのは、まだ小さな女の子だった。年は十歳を過ぎたかどうか。

こんな女の子にあんな化け物のような実を取らせるのかと驚いている間に、ミスティと呼ばれた少女は消えてしまった。草むらの隙間に素早く動く茶色い髪が見えている。


『あんな子どもが、大丈夫なのですか?』

『逆に子どもの方が警戒されなくていいんでさぁ。ナイフが届く場所まで近づいて、一瞬だけ立ち上がってナイフを投げて逃げる。あの子らにはその動きを徹底的に練習させてるんでさぁ。刈り取った実は大人が回収しに行くんでさぁ』


なるほど、安全圏からナイフを投げて逃げるだけなら、そんなに危険はないのかもしれない。


ミスティは実が届かなさそうな場所にじっと息をひそめている。そしてタイミングを見極めたのか、シュッと飛び上がってナイフを投げ、着地したと同時にこちらへ駆けだしてきた。

ナイフは見事、実と幹の隙間に刺さっている。その実は苦しがるようにぐるぐると動き、自らぽとりと実を落とした。ドスンと音がする。


『しばらくすると、動きが止まるんでさぁ。その時にあと二つ三つほど刈っておくんでさぁ。採りすぎはいけねぇ。一気に実を失うと、木が死んじまうんでさぁ。そうなると、ここまで育つまでに何十年もかかっちまう』

『なるほど。大きさ的にも三つもあれば十分そうね』

『そうなんでさぁ。よくやった、ミスティ』


駆けて戻ってきたミスティの頭を撫でる案内人。ミスティは上気した頬で目を輝かせている。褒められて嬉しそうだ。


『すごいのね、ミスティ。とても上手だったわ』


わたしもつい声を掛けると、ミスティは顔を真っ赤にして口をパクパクさせた。


『え……しゃ、しゃべ、った』

『こら、ミスティ! この方は人形じゃねえって言っとるが!』

『だ、だって! こんなきれいなのに』

『まあ、ありがとう』


ここでも人形疑惑が出てくるって、ジュリエットはどれほど人間離れした容貌なのか。

しかもこんなにクソダサな格好をしているというのに。


そんな話をしていると、カカワの動きがピタリと止まった。


『おう、止まったか。私らは実を取ってくるんで』

『あ、待って! あの青い実は何なの?』


わたしが指す先には、赤い実より二回りほど小さな青いカカワの実がある。先ほどミスティが落とした実に隠れていたようだ。


『あれは珍しいけどハズレでさぁ。あれの中は、香りはいいけど味はしねぇ、バターみたいな塊だ』

『採っても大丈夫なの?』

『大丈夫は大丈夫でさぁ。あれが欲しいんですかぃ?』

『ええ、あれも欲しいわ』

『おかしな姫さんだなぁ。あい分かった、待っててくんな』


首を傾げながら案内人がカカワの木へ向かっていく。

さっきまでグネグネと動いていたのが嘘のように、カカワの木はピタリと止まっていた。こうして見ると普通の木……いや、それでも異様だが、動いているよりはかなりマシだ。


「止まっていると、印象がだいぶ違うわね」


後ろに控えているダミアンとアンリに話しかけると、二人とも大きく頷いてくれた。

ちなみにエマはお留守番である。わたしの代わりにラミアの相手をしてくれているはずだ。


「あれ、食べられるものだったんですね。私は何度か遠征中に見掛けたことがありますが、当時の上司にもむやみに近付くなと言われていました」

「あら! じゃあやっぱりリロイにもいるのね?」

「私が見たのは砂漠近くの森林でしたが……アンリはどうだ?」

「……実家近くの森におります」

「ええっ!?」


まさかと思ってアンリを見ると、苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。


「我が領では、あれはジョコと呼ばれております。大きな実は皮が厚く、果実は少ないので、危険な割に旨味がないと放置されていますね」

「そうだったのね……」

「悪ガキどもはよく近づいて戦いを挑んでいましたよ。木の棒を持って殴りかかって」

「それは危なくないのかしら?」

「危ないですよ。ジョコは動きを止めた後がもっと危ないので。ああ、ご覧ください」


カカワの実を抱えた案内人が戻ってきたところだ。

その背後では、カカワの木が再び動き出した。しかし、その動きはさらにダイナミックになっている。

先ほどまでの動きがプルー、大きなタコの足のような動きだったとすれば、今は鞭を振り回しているかのような動きだ。鞭を振り回す女王様が思い浮かんでしまった。


「えええ……」

「あの動きが一日続きます。逃げ遅れると死にますよ」

「ひえええ」

『お待たせでさぁ。さ、さっさと逃げねぇと』

『そうね、そうしましょう』


案内人に先導されて、森を後にする。

街道に停めておいた馬車に乗り込むと、ほうっと息がこぼれた。


『姫様、赤いのと青いの、一つずつ乗せておいたんでさぁ』

『ええ。ありがとう。お世話になったわね』

『お安い御用でさぁ』

『ミスティも、どうもありがとう』


見送ってくれる二人に手を振り、アダーリ夫人が待つウィンベリー公爵邸へ戻った。

予想よりも大変疲れた社会科見学であった。


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